115.『三種教相』・『衣座室御書』                 高橋俊隆

・三六歳 康元二年(正嘉元年)一二五七年

 三月に後嵯峨上皇は円爾弁円を、嵯峨野の離宮亀山殿に召して大乗戒をうけています。そして、後深草天皇は三月一四日に正嘉と改号します。

□『三種教相』図録四

 この年とされる『三種教相』があります。真偽については未詳ですが『天台三大部』の引用文で構成されています。内容は「三種教相」をもとに、釈尊一代の教相判釈の文を集めています。

 ・第一教相

「根性の融不融相」についての引文は、『三八教』と概ね同じです。これを「第一教相」といいます。法華経の迹門の五品(方便品~授記品)をもとに立てており、とくに譬喩品の説示をもとにしています。根性とは各々の機根のことをいいます。この機根が爾前と法華経において相違があることを、融・不融と分けます。これは、爾前経においては、釈尊の教えが当分であるから、衆生の根性が融熟していないのです。しかし、法華経は四二年をかけて衆生の根性を融熟してきたとみて、爾前経と法華経の勝劣をのべます。

釈尊は衆生の機根を高めていく化導をしました。爾前においては直接的に真実を解かず、相手に応じて教えを説き進めます。これを方便・随他意・当分といいます。法華経は一乗の教えを相手に応じず直接的に説きます。これを真実といい随自意といいます。釈尊は法華経を説くことによって、始めて機根が一乗に融通したと説きます。ここに、「根性の融不融相」を立てた天台大師の勝劣論の意図があります。

「文句九云随他意語是説他身。随自意之語是説己身文。方便・譬諭等五品意也。以寂滅道場為元始」(二二二八頁)

釈尊の化道はインドの寂滅道場を始めとして、四二年をかけて法華経へ説き進められます。この而前円教にたいしては、「五時八教」の約部と約教に与奪の解釈があります。与釈は大きく寛容的に見て解釈することをいい、これを与えていうならばと論じます。奪釈は徹底して厳正に判断することをいい、この絶対的な判断を奪うという表現をつかいます。

前述したように、与と奪とは「当分跨節」「約教約部」と同じ判釈となります。約部のとき爾前円教は帯権の円としますので、蔵通別の三教は奪う義から麤とします。爾前の四味三教を麤とし、法華経を醍醐円教の妙とします。しかし、約教のときは而前円教にも妙の義を与えて解釈します。つまり、随他意・随自意という判釈を用います。

 本書においては、種熟脱の三益論にふれています。

 ・第一根性融不融相

玄一 十九云第二教相下 余教当機益物不説如来施化之意文。籖一云雖寄漸及不定不以余教為種文。三巻化城喩品意也。以大通為元始不以余教為種」(二二二九頁)

「第一根性融不融相 以寂滅道場為元始也 不論種熟脱」(二二三〇頁)

 ・第二化道始終不始終

「不許爾前得道也 論種熟脱 迹門 種大通 熟中間今日四味脱法華」(二二二九頁)

「以大通為元始三千塵点也 論種熟脱中間。霊山初住 玄一云以大通為種。以中間乃至今日之四味為熟。以今日第五時法華為脱文。玄一 十九云又異者余経当機益物不説如来施化之意。此経明仏設教元始巧為衆生作頓漸不定顕密種子。中間以頓漸五味調伏長養而成熟之又以頓漸五味而度脱之。並脱並熟並種番番不息。大勢威猛三世益物。具如信解品中説。与余経異也。籖一末九紙云次此経下正明今経意。且指迹中大通為首。雖寄漸及不定不以余教為種。故云巧為。結縁已後退大迷初。故復更於七教之中下調停種復云巧為。所以中間得受七教長養調伏。又云又以下明今世復以七教調伏令至法華得度。故云度脱也。並脱等者約多人説。於彼是種於此是熟互説可知。是故云並及番番不息。此即結初及以中間今日等相」(二二三四頁)

 ・第三師弟遠近不遠近 

「論種熟脱 本門 種久遠 熟中間大通今日四味 脱法華也」「寿量品意也 五百塵点以久遠為元始也。世世番番成道也」(二二二九頁)

「五百塵点以久遠為元始論種熟脱番番成道也   籖一末十二云近以迹門尚得為昔。況伽耶已前文。玄二 三十九云迹中大教既起本地大教不得興文。玄七 十三云執迹因為本因者如不識天月但観池月文。玄一 十九云又衆経咸云道樹師実智始満起道樹始施権智。今経明師之権実在道樹前久久已満。諸経明二乗弟子不得入実智亦不能施権智。今経明弟子入実甚久亦先解行権。又衆経尚不論道樹之前師之与弟子近近権実。況復遠遠。今経明道樹之前権実長遠」(二二三六頁)

「籖二 三十四云聞法為種発心為芽。在賢如熟入聖如脱文。弘二末九十八云運居像末嘱此真文。自非宿植妙因誠為難遇。記七 八十一云故知。末代一時得聞聞而生信事須宿種」(二二三七頁)

「第一教相」は与釈の立場から、始めの華厳より終わりの法華経にいたるまでの教えに、それぞれに得道があると立てます。それは根性である機根の当分に衆生を利益している(当機益物)教えとします。また、『三八教』(二二二三頁)とおなじように、待絶二妙から今昔二経の同異を分別し、当分跨節と三法妙に配当して、爾前円と法華円の同異を示しています。

「第二教相」の「化道の始終不始終相」においては、下種益・熟益・脱益の「三益」を示しています。この種・熟・脱の「三益」は爾前経には説かれず、法華経の迹門化城喩品において、はじめて釈尊の過去から現在にいたる化道の始終が説かれました。それは、三千塵点劫という過去に、大通智勝仏の十六王子の法華覆講のときを下種し、その後の化道を熟益して、今番の法華経の会座において脱益をした因縁を説きます。

日蓮聖人はこの種・熟・脱の「三益」について、天台三大部などの要文を羅列して、下種と脱益は純円一実の法華経に限ることを示します。また、大通仏の結縁(下種)以後に退転した今番の二乗のために、七教のなかに調停種を下して化道してきたことを説きます。熟益の期間を中間といい、長養調伏したとします。熟益は漸機には漸教、頓機には頓教をもって教化し、大乗・小乗の教えの違いにおいても、機根に応じて得益してきたことの引文をしています。なを、「三益」について明示しているのは、天台大師の『法華玄義』『法華文句』です。

「第三教相」の「師弟の遠近不遠近相」は、日蓮聖人において特に重要な教義となります。天台三大部の引文が大半をしめていて、この「第三教相」を重視していることがうかがえます。この教相は寿量品の五百塵点喩をもとに立てられた教えで、下種を久遠として三益を説きます。これを「久遠下種」といいます。また、釈尊と地涌の菩薩の師弟関係の久遠を顕すことと共に下種を認めます。これを「師弟ともに久遠」といいます。

「第二教相」と「第三教相」の違いは大通仏は迹因迹果、寿量品の久遠仏は本因本果を顕すところにあります。なを、日蓮聖人は「第三教相」を重視し、「第三の法門」と呼称して独自の教えを展開していきます。これについては、日蓮聖人の本化上行自覚などと深く関連しますので後述することとします。

本書の引文は重ねて四教五味の釈をあげ、約部・約教にたいして麤妙を判別しますが、寿量品の約教が引用されているところに本門の教相であることが窺えます。そして、方便品の「三方便」(法用方便・能通方便・秘妙方便)をあげ、法華経は随自意・体内方便であるとし、ここに、仏の随自意である内証・真実とする教え(開権権実)は、法華経であることをのべます。さらに、法華経が已今当の三説を超過して勝れた教えであることを、安楽行品の「是諸如来第一之説於諸経中最在其上」の文と、薬王品の法華十喩(二二四七頁)、天台の六喩(二二四七頁)、妙楽の十双(二二五一頁)、伝教の十勝(二二五一頁)を引いて立証しています。

この正嘉元年は天変地異の年といわれるように、都の諸官庁が炎上し八月二三日の夜八時ころ鎌倉に大地震がありました。これにより飢饉・疫病・餓死・病死者がたえなかったといいます。『吾妻鏡』には、戌の剋(午後八時~一〇時)に大地震(マグニチュード七直下型地震と推定され、大正一二年の関東大地震に近いとされています)と大音響があり、神社仏閣一宇として全きことなしとあります。また、山岳頽(タイ、くずれる)崩、人屋顚倒し、築地皆ことごとく破損し、所々地裂け、水湧きいでて、中下馬橋の辺の地は裂け破れ、その中より火炎燃え出でて、その火の色が青かったと記述されています。

承久三(一二二一)年から文応元(一二六〇)年の四二年間で、天災五百件といいます。新月通正氏(『日蓮の旅』)が指摘するように、日蓮聖人は鎌倉時代の災害の中に育ってきたといえます。震災の二日後の八月二五日は小雨がふり、余震が五~六回。九月四日午後四時ころ小雨の中に地震がありました。一一月八日にもまた大地震があり、若宮大路の重臣の家がすべて消失しました。京都では五条の大宮殿が炎上しています。

このように、日蓮聖人が鎌倉へ進出してからは、天変地妖のなかでの生活でしたが、日昭上人と日朗上人(正嘉元年に筑後房日朗となのる『蓮公行状』)に、法華経の肝要と問答にたいしての心構えなどを教えられ、外に向かっては街区に立って法華経を広めていました。

鎌倉弘教を本格的に始めたさなかに、鎌倉においては先の天変地異が頻繁におきて人民を苦しめていました。仏国土を理想とする日蓮聖人の布教も、この天変地異は滅後の末法時代における、白法隠没(びゃくほうおんもつ)の現れであるとして皆帰妙法を説きます。この末法思想と法華経の教えに同感して、信徒がふえてきます。日蓮聖人はこれらの信徒は、地涌の菩薩の出現であると感慨をのべています。

□『衣座室御書』(図録五)

真蹟はなく、『本満寺本』の写本が伝わっています。「入如来室、著如来衣、坐如来座」「衣(え)・座・室」は、法師品に説かれた教えで、菩薩にたいし釈尊の滅後の弘教のあり方を示しました。また、『涅槃経』にも菩薩の正しい修行(正行)として五行(聖行・梵行・天行・嬰児行・病行)を説いています。天台大師はこの法華経と『涅槃経』の文を解釈しました。『法華玄義』の円教の菩薩の五種の行です。

  (衣・座・室の三軌と『涅槃経』の五行)

  薬王其有読誦法華経者当知是人以仏 仏者如来也 荘厳而自荘厳『開結』三一六頁)

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                         円聖行 (円の三学。戒定慧)

――応為四衆広説斯経――――――――――――円梵行 (衆生の苦を除き楽をあたえる)

――柔和――――――――――――――――――円嬰児行(嬰児に接するように小善を行う)

忍辱――――――――――――――――――円病行 (病いや苦しみを示す)

――一切法空――――――――――――――――円天行 然の理にもとづく)

 このような心境をもって弘通することを、「衣座室の三軌」といいます。つぎに、別教の位階と五地・五行の関係を図示しています。(二二五六頁)。この年とされる『一乗要決要文』の断片が、尾張浅井家、京都妙覚寺、岩本実相寺に所蔵されています。(『日蓮聖人御真蹟対照録』下巻三三一頁、四一五頁)。