118.『一代聖教大意』                    高橋俊隆

□『一代聖教大意』(一〇)

二月一四日に父親の重忠(妙日)が八七歳で没します。(『本化別頭仏祖統紀』九二頁)。『一代聖教大意』は父の供養のために著述したといいます。重忠は臨終のとき次男の藤平重友に、父祖の地である貫名に埋骨してほしいと遺言されたといいます。それに従って貫名に埋葬し墓辺に若松三株を植えたといいます。袋井市広岡には貫名山妙日寺が建てられており、文永四年に亡くなった母御親の妙蓮尊儀と共に両親の五輪塔が建てられています。

この遺文の著作地について、実相寺に入蔵中に撰述して講義をされたときと、房総に帰られてから著述したという二説があります。『高祖年譜』によりますと、一月六日に鎌倉の庵室をたち、七日に沼津、八日に岩本の実相寺に入蔵されたといいます。そして、二月一四日に『一代聖教(しょうぎょう)大意』を著述しました。父の訃報をいつ聞いたのか。また、父の逝去の日がこの日ならば著述がさきで、訃報があとであったことになります。また、あえて著述の年月日を父の命日にしたともいえましょう。『本化別頭仏祖統紀』(92頁)には、父の訃報を聞いた日蓮聖人は、三日のあいだ涕泣され、日昭上人を補処に任命して帰郷したとあります。そして、百日のあいだ喪に服し母を慰め、このとき『一代聖教大意』を著し父の冥福を祈り、門下の初心者のために授けたとあります。

『常見聞』に『一代聖教大意』は、日蓮聖人の著述の最初であると書かれています。内容からしますと、実相寺などの寺院の子弟に、法華経の概論を書きあらわしたテキストといえます。本書を誰に宛てたかは不明ですが、仏門にいる僧侶に日蓮聖人の教えを説かれたことは明白です。問題の提起の仕方から、懇請されて書かれたものか、あるいは法論に備えたものと思われます。ただし、肝心なところは敢えて書かれていないので、講義や論談のおりに他宗に漏れないように口伝されたようです。いずれにしても法華経への手引書であることには変わりません。真蹟は現存しておらず富士の大石寺第二世の日目上人が、日蓮聖人の自筆を書写したと伝えています。

本書は、釈尊一代の仏教を体系した天台大師の教学の「四教と五時」をもとに、法華経こそが最も勝れた教えであることをのべます。前半は「化法の四教」をあげています。釈尊が説いた多くの教法を、「蔵通別円」の四教にわけて教理的に検討し、法華経の超勝する理由へ導きます。要は無量の法(教え)は一仏乗に帰一することを目的としています。。後半は釈尊の教説を時間的な「五時」に配分し、最後の八年間に説かれた法華経が真実の教えであり、それ以前の爾前の教経は、『涅槃経』をふくめて、法華経に誘引するための方便の教えであることをのべるのが、日蓮聖人の意図です。

さて、その『法華三部経』とはどのような教えなのかを要点をあげますと、「十界の衆生を等しく度す」・「五十転展随喜の功徳は余経の多劫修行の功徳より勝れている」・「末代の下機に適(かな)う」・「法華経の広まる国は日本」、そして、法華経の妙理は、「妙法五字」・「十界互具・一念三千の皆成仏道」・「相待絶対妙で法華経を開顕」、ということを論じます。つまり、釈尊の内証である十界互具・一念三千の成仏を説くのは法華経しかないことを論じているのです。最後に浄土宗の末学の者が、法華経を難行道として末代の劣機には無用であるとした機根論の誤りを糾しています。

まず化法の四教を説明します。三蔵教とは阿含経のことで、六道までの因果しか明かせない。なぜなら、正報は十界を明かすが依報の国土については六道までなので、六界しか明かさないことになるからです(依法六界・正報十界)。六道より上の四聖道を明かさなければ、凡聖同居の欲界・色界・無色界の三界しか説けない。ゆえに仏道修行をして、方便・実報・寂光の浄土に生まれることを説けないことになります。仏においては、三世に次第に出世するとは説いても、「十方世界唯有一仏」として、十方世界に同時に多数の仏が出世するとは説いていないと蔵教の分限を指摘しています。

また、三蔵教の趣旨は六道の迷いの世界と煩悩について説き示し、この迷妄の世界から抜け出る方法として戒を説いています。具体的には阿含経を総結(結経する遺教経(ゆいきょうぎょう)に戒を説いています。声聞のために説かれた教えなので、仏も菩薩も縁覚も灰身滅智することを、目的として説いた教えでしかないことになります。声聞の断惑証位を検証すると七賢位と七聖位を示し、この修行により四果の阿羅漢果を得ることを示して、法華経によらなければ永不成仏の二乗であることを論じています(倶舎宗)。

通教の大旨は、六道の迷いの世界を出ることはない。三乗は同じ法門を習って見思の二惑を断じ、十地の位階であることを示しています。また、この通教の法門とは一経に限らず諸経に散在している内容をもち、修行の時節は主に動踰塵劫という永い時を経て成仏すると説いています。蔵教・通教の二教は、六道の凡夫においても本より仏性があるとは説いていない教えであり、それぞれの修行者は声聞・縁覚・菩薩と段階をへて仏になると説いている教えです。

別教は菩薩だけに説く教えで、大乗の教えを説いています。戒は摂律儀戒・摂善法戒・饒益有情戒(四弘誓願)の三聚浄戒を示しています。定は観・練・薫・修の四種の禅定を説き、慧は心性十界の法門を説き五十二位を立てます。菩薩は三悪道を犯しても仏種を断じないが、二乗の劣る理由である自利の心を起こせば、仏種を断じるとして、一念二乗の心を起こすことを菩薩の破戒としています。定と慧は略していますが、梵網経の戒を平地とし、定を室宅、智慧を灯明とする譬えを引いています。五十二位の位階は多倶低劫を経て成仏すると説いており、一生において成仏することはなく、微塵を積んで須弥山になるように、一切の行を積んで成仏すると論じています。華厳・方等・般若・梵網・瓔珞などの諸経にこの旨が説かれており、二乗の戒を受けることを嫌っています。つまり、二乗作仏を説く経文はないことを論じています。

円教には爾前の円と法華涅槃の円の二つがあります。爾前円とは華厳経の法界唯心の法門とし、その証文として諸経をあげます。華厳経は「初発心時便成正覚」・「円満修多羅」。浄名経は「無我無造無受者善悪之業不敗亡」。般若経は「従初発心即坐道場」。観経は「韋提希応時即得無生法忍」。梵網経は「衆生受仏戒位同大覚位即入諸仏位真是諸仏子」の経文をあげて、これらは爾前経にも円教があることの証文とします。

円教にも五十二位をたてるが別教とは義が違うとし、そのわけは、五十二位が互いに具足しているので浅深も勝劣もないとします。凡夫も位を経ずして仏になると説きます。それは、煩悩を断じなくても一善一戒をもって仏になると説いているからであり、この理由は開会の法門を少し説いているからであるとします。しかし、凡夫を開会しても肝心の二乗の人を開会していないので、二乗は成仏できない欠点を指摘します。

「少々開会法門説処あり。所謂浄名経凡夫会。煩悩悪法皆会。但二乗不会。般若経中二乗所学法門開会二乗人悪人不開会。観経等経凡夫一毫煩悩不断往生説皆爾前円教意也。法華経円教後至可書。已上四教」(六四頁)

と、法華経の円経は後に論じるとして、つぎに五時についてのべていきます。

 五時について、華厳は別教・円教を説き、阿含は三蔵教の小乗の法門を説き、方等は説時がわからない集まりで四教を全て説いており、般若は通教・別教・円教の三教を説いていることをあげます。説時の期間を、華厳経は三七日、阿含経は一二年、方等・般若経は三〇年として四二年の説示とします。方等・般若の時節について、天台宗の山門派は方等を説時不定、説処不定として、般若三〇年としているが、寺門派では方等一六年、般若一四年としていることをあげ、二つの説があることをあげています。日蓮聖人の文献学的に考察をしていることがうかがえます。ほかの遺文にも法華経の文において、羅什訳の妙法蓮華経いがいを照合して論じているように、経論章疏の信憑性にも学問が及んでいます。

つぎに、釈尊の一代五時は五〇年であることを確認します。釈尊が一九出家、三〇成道ということは大論にあり、一代聖教五〇年というのは涅槃経に説かれていることを示します。そして、法華経を説く以前の年数は、四十二年と無量義経に説かれているから、法華経は八年の説法になり釈尊は八〇歳の入滅となります。日蓮聖人は一代五〇年の説法のうち、法華経いぜんの四十二年の諸経を、法華経に導入するための方便とします。その理由に無量義経の、「我先道場菩提樹下端坐六年得成阿耨多羅三藐三菩提」・「以方便力四十余年未顕真実。初説四諦阿含経也。次説方等十二部経・摩訶般若・華厳海空」という経文をあげて証拠としています。

つぎに、六宗の法門の浅深について示しています。すなわち、

「華厳宗申宗智厳法師・法蔵法師・澄観法師等人師華厳経依立たり」(六五頁)

「倶舎宗・成実宗・律宗宝法師・光法師・道宣等人師阿含経依立たり」

「法相宗申宗玄奘三蔵・慈恩法師等方等部内上生経・下生経・成仏経・深密経・解深密経・瑜伽論・唯識論等経論依立たり」

「三論宗申宗般若経・百論・中論・十二門論・大論等経論依吉蔵大師立給へり」

と、六宗の祖師と依拠とした経論をあげ、

「華厳宗申華厳法華涅槃同円教立。余皆劣可云」(六六頁)

「法相宗深密・解深密経華厳・般若・法華・涅槃同程経云」

「三論宗者般若経華厳・法華・涅槃同程経也。但法相之依経諸小乗経劣也立」

「此等皆法華已前諸経依立たる宗也。爾前円極立宗ども也。宗々人々諍有ども経々依勝劣判時いかにも法華経勝たるべき也。人師之釈以勝劣論事無」

と、諸経浅深と勝劣をのべています。そして、法華経が勝れていることを、十界のあらゆる衆生が成仏した事実をあげ論じていきます。諸経は菩薩や二乗・人天という機根のために説くので、その法門も利益もかわるが、では、法華経はいずれの機根のために説いているかと問います。法華経は十界の衆生のために説き、十界の衆生が円の一法を覚ることにあるとのべ、法華経に「一切菩薩阿耨多羅三藐三菩提皆属此経」と説く菩薩とは九界の衆生であり、これを蔵教・通教・別教・爾前円教の菩薩は、法華経によらなければ成仏しない証文としています。

また、「薬王多有人在家行菩薩道若不能得見聞読誦書持供養是法華経者当知是人未善行菩薩道。若有得聞是経典者乃能善行菩薩之道」の文をあげて、権教の動踰塵劫などの六度満行・四弘誓願は法華経によらなければ菩薩の行にはならないとします。法華経の「五十展転第五十の功徳」の文は、権経に多劫にわたる修行と大聖の功徳を説いているが、それよりも法華経の「須臾結縁」や、愚人の随喜の功徳が勝れていることの証文とし、『法華文句』の「好堅処地牙巳百圍。頻伽在声勝衆鳥」の文をあげて法華経が諸経に勝れて成仏を説いていることを示しています。妙楽はこれを「行浅功深以顕経力」と釈して、法華経の功徳が大きいことをのべていることを引いて補足し、どうじに、法華経は深理で下機の者には相応しくない、ということへの反論をしています。

つぎに、「久遠の益」である聞法の功徳を示します。法華経を聞いただけで修行をしなければ何の利益もないであろう、という問いにたいして答えたものです。

「有人云聞而不行於汝何預。此未深知久遠之益。如善住天子経文殊告舎利弗聞法生謗堕於地獄勝於供養恒沙仏者。雖堕地獄従地獄出還得聞法。此以供仏不聞法者而為校量。聞而生謗尚為遠種。況聞思惟勤修習耶。

又云一句染神咸資彼岸。思惟修習永用舟航。随喜見聞恒為主伴。若取若捨経耳成縁。或順或違終因斯脱文。

私云若取若捨或順或違之文銘肝也」(六八頁)

つまり、『善住天子経』に、「聞法生謗堕於地獄勝於供養恆沙仏者。雖堕地獄従地獄出還得聞法」と説かれている文をあげ、法華経を謗り「因謗堕獄」となっても、その縁が「遠種」となって仏になることができるとします。すなわち、「聞而生謗尚為遠種」であり、まして、聞法して修習する者は功徳が大きいとします。妙楽の『法華文句記』には、「一句染神咸資彼岸。思惟修習永用舟航。随喜見聞恒為主伴。若取若捨経耳成縁。或順或違終因斯脱」と説かれていることをあげ、「私云。若取若捨或順或違之文銘肝也」と、のべているように、取捨どちらも結縁となり、そして、日蓮教学の特長の一つである順逆ともに仏因となるという、「逆縁下種」の論理がのべられ確立しています。

つぎに、法華経が末法においては、天竺よりは東北の地に縁があるという『法華翻経後記(釈僧肇記)』と、恵心僧都の『一乗要訣』にも、仏説一乗の教えが日本国に円機純熟している文をあげて、今こそが法華経の広まる時であることを示されています。『法華翻経後記』は羅什三蔵が長安において法華経を翻訳したあとに、弟子の僧肇が記したものです。恵心僧都は慈慧大師の高弟で横川の慧心院にいました。『一乗要決』三巻は寛弘三(一〇〇六)年に完成し、恵心僧都が六一歳のときの著です。

つぎに、妙法蓮華経の五字の解釈について『法華玄義』を引きます。妙とは不可思議・秘密の奥蔵であり、これを妙という。また、最勝修多羅甘露の門であるから妙という。法とは十界十如・権実の法である。また、権実の正軌を示すのが法である。蓮華とは権実の法にたとえる。また、久遠本果を譬えるのに蓮、不二の円道を譬えるのに華をもっている。経とは声は仏事をなすことによりこれを称して経という。このように、妙法蓮華経の五字について、『法華玄義』の文を引用しているだけにとどめています。

つぎの展開として、法華経いぜんの諸経における四教の十界の分限と、十界の引業をあげて仏性の有無について論じます。蔵教・通教には仏性はなく、別教・円教に仏性を説くが二乗に仏性があるとは説いていないから麤法(そほう)である。妙法こそは四教の十界互具を説くとして『法華玄義』を引用しています。

「今妙法者、此等十界互具説時妙法と申す。十界互具と申す事は十界内一界余九界具。十界互具百法界。玄義二云、又一法界具九法界即百法界文。法華経者別事無。十界之因果而前経明。今十界之因果互具をおきてたる計り也」(七〇頁)

と、法華経は十界がそれぞれ十界互具し、百法界を説いた成仏の教えであることをここに示しています。而前経においては二乗の成仏は説いていなかったが、法華経にいたって十界互具が説かれることにより、二乗界にも菩薩界が具足されることになるとのべます。その証文として、薬草諭品の「汝等所行是菩薩道」・「雖未得修行六波羅蜜。六波羅蜜自然在前」と、声聞が説いた文をあげています。

そして、持戒については、「是則勇猛是則精進。是名持戒行頭陀者」の文をあげて、法華経は二乗を菩薩と同じく六度満足させる教えであり、戒体としての自身は法華経を受持することにより、持戒者となると論じています。ここに、十界互具における二乗作仏と、法華経を受持することが持戒であり、受持成仏を示したといえます。このことから、而前諸経に類似の成仏が説かれていたとしても、十界互具の成仏ではなく、法華経が諸経に超過する理由はここにあるとします。

「問云諸経にも悪人成仏。華厳経調達之授記。普超経闍王授記。大集経婆籔天子之授記。又女人成仏。胎経釈女之成仏。畜生成仏。阿含経鴿雀之授記。二乗成仏。方等陀羅尼経・首楞厳経等也。菩薩成仏華厳経等。具縛凡夫往生観経之下品下生等。女人転女身双観経之四十八願之中三十五之願。此等法華経之二乗・龍女・提婆・菩薩授記何かわりめかある。又設かわりめはありとも諸経にても成仏うたがひなし如何。答予之習伝処法門此答顕べし。此答法華経諸経超過又諸経成仏許不許可聞。秘蔵之故顕露に不書」(七〇頁)

と、深義については秘蔵であるとして、本書においては秘匿しています。

日蓮聖人は青年期に清澄寺にて『戒体即身成仏義』を著わしています。『戒体即身成仏義』にのべた十界互具の成仏論が、ここに至って受持成仏論に進展していたことがうかがえます。日蓮聖人の教学の中枢である一念三千論の骨格は、立教開宗のときには確立していたことは前述しました。その教学は弟子・信徒に着々と伝授されていたことがうかがえます。

 そして、本書はその中枢である一念三千に入ります。妙法を一念三千ということは如何という問いに始まり、それに答えたのが天台大師の『摩訶止観』の一念三千の文です。

「問曰妙法一念三千如何。答天台大師此法門覚給後玄義十巻・文句十巻・覚意三昧・小止観・浄名疏・四念処・次第禅門等之多法門説給かども、此一念三千談義給。但十界百界千如法門ばかりにておはしましし也。

御年五十七之夏四月比荊州之玉泉寺申処御弟子章安大師申人説きかせ給止観十巻あり。上四帖猶をしみ給但六即・四種三昧等計法門ありしに、五巻十境十乗立一念三千法門書給へり。此妙楽大師末代之人勧進言並以三千而為指南О請尋読者心無異縁文。六十巻三千丁之多法門無由。但此初二三行可得意也。止観五云夫一心具十法界一法界又具十法界百法界。一界具三十種世間百法界即具三千種世間。此三千在一念心文。妙楽承釈云当知身土一念三千。故成道時称此本理一身一念於法界文」(七一頁)

天台大師は、一念三千の法門を知りながらも秘蔵し、『法華玄義』『法華文句』を説いて、十界百界千如の法門を示したが一念三千については談義しなかった。また、五七歳の夏四月に荊州玉泉寺において、章安大師灌頂(五六一~六三二年)という弟子に説いた『摩訶止観』十巻があり、そのなかでも四巻には六即・四種三昧を説くに止まっていたが、始めて五の巻より十境十乗を立て一念三千の法門を説かれたことをのべて、一念三千が秘蔵の法門であることを強調しています。

妙楽(荊渓大師湛然、七一一~七八二年)は『弘決』に、天台大師の六〇巻三千丁の法門の肝要は、『摩訶止観』第五の初めの二~三行にあるといいます。その文とは、「夫一心具十法界。一法界又具十法界百法界。一界具三十種世間百法界即三千世間。此三千在一念」という一念三千の出典の文です。妙楽は、この文を解釈して「当知身土一念三千。故成道時称此本理一身一念徧於法界」と説いています。

この一念三千の出処から論じていく方法は、日蓮聖人の基本であり、佐渡において『観心本尊抄』に詳説されることになります。すなわち、天台の『止観』と妙楽の「当知身土」の文は、本因・本果・本国土妙の三妙を合わせて事一念三千(事具三千)の基礎となります。そして、ここより本時の娑婆、常住の浄土をのべた「四十五字法体段」として展開することになります。『観心本尊抄』のところにおいて後述します。

つぎに、最澄が入唐し第七代の妙楽の弟子である道遂和尚より、天台宗の経論・所釈を伝来したことをのべています。つづいて、外道の学派として四性計(自力・他力・共力・無因力)と、仏教の内外にわたる外道の三種をあげて十界互具と比較しています。そして、法華経以前の諸経には十界互具を明かしておらず、法華経を聞いてはじめて而前経が方便であり、煩悩を断じ尽くしたのでもなく、往生もしていないことを明かします。

つぎに、天台大師は法華経はただ二妙を論じるとのべ、法華経の二事として所開・能開にふれ、開会についてのべています。

「此経二妙あり。釈云此経唯論二妙。一相待妙・二絶待妙。相待妙意前四時之一代聖教法華経対爾前嫌之爾前当分云法華跨節申。絶待妙之意一代聖教即法華経なりと開会。又法華経二事。一所開・二能開。開示悟入之文或皆已成仏道等文。一部八巻二十八品六万九千三百八十四字。一一之字下皆妙之文字べし。此能開之妙也。此法華経不知習談物但爾前経利益也。阿含経開会之経云、我此九部法随順衆生説入大乗為本云々。華厳経開会文一切世間天人及阿修羅皆謂今釈迦牟尼仏等文。般若経開会之文安楽行品之十八空之文。観経等之往生安楽開会之文於此命終即往安楽世界等文。散善開会之文一称南無仏皆已成仏道文。一切衆生開会之文今此三界皆是我有其中衆生悉是吾子。外典開会之文若説俗間経書治世語言資生業等皆順正法文。兜率開会文人天所開会文しげきゆへにいださず」(七三頁)

この二妙とは相待妙と絶対妙をいいます。相待妙とは、而前の諸経は機根や時節に対応して説いた当分の教えであり、法華経は機根が熟し時がきて釈尊の随自意の教えが説かれた跨節の教えです。このように当分にたいして誇節を説くことを相待妙といいます。当分跨説の当分とは、その教経の内容の限界を正して判断することをいいます。跨説の跨とは越えるということで、法華経の教えを超えているか否かを判断する方法をいいます。これは、五時八教を基本とした約教約部における教相判釈と同じといえましょう。絶対妙とは、一代聖教は法華経に帰結することを正すことです。これを開会と表現してます。この法華経の開会には所開と能開があります。開示悟入の文は能開の文として、諸経の開会の文をあげています。

本書はさきに、「少々開会法門説処あり。所謂浄名経凡夫会。煩悩悪法皆会。但二乗不会。般若経中二乗所学法門開会二乗人悪人不開会。観経等経凡夫一毫煩悩不断往生説皆爾前円教意也。法華経円教後至可書」(六四頁)と、開会の法門にふれ後述するとのべていました。そこで開会についてふれると、開会は開除会入・開顕会帰の意味で、要は「開方便門。示真実相」という、方便を除いて真実の教えに引入することをいいます。この法の開会を法開顕と同義とします。三乗を一仏乗に帰入させ統一することをいいます。この意味から開権顕実と同義になります。

法華開会の用語については、『戒体即身成仏義』に、「法華開会の戒体」(一頁・八頁)、「法華開会の菩提心」(一三頁)とのべており、法華教学においては法華最勝を論じる基本的な法門です。さきにのべた「四一開会」は『法華文句』に説かれています。つまり、開示悟入の四仏知見の文を解釈するにあたり、知見する所の境地を示したものです。

理――開示悟入の所知見は実相の一理である

人――諸仏如来はただ菩薩を教化する

行――諸々の所作は常に一事をなす

教――如来はただ一仏乗をもって衆生に説法する

この「四一開会」の用例は後の『八宗違目鈔』にみえます。ここには妙楽の『弘決』を引いています。

「弘五云 遍於四教一十六門乃至八教一期始終。今皆開顕束入一乗遍括諸教備一実。若当分者尚非偏教教主所知。況復世間闇証者О蓋如来下称歎也。十法既是法華所乗。是故還用法華文歎。迹説即指大通智勝仏時以為積劫寂滅道場以為妙悟。若約本門指我本行菩薩道時以為積劫 本成仏時以為妙悟。本迹二門只是求悟此之十法。身子等者寂場欲説物機未宜恐其堕苦更施方便四十余年種種調熟 至法華会初略開権動執生疑慇懃三請。五千起去方無枝葉。点示四一演五仏章被上根人名為法説。中根未解猶稀譬喩 下根器劣復待因縁。仏意聯綿在茲十法。故十法文末皆譬大車。今文所憑意在於此」(五三一頁)

 このように、方向は二乗作仏を課題として、法華経でなければ、なぜ成仏できないかを立証することにあります。法華円教を爾前円と今円に分け、法華以前の爾前経にふくまれる円教は、法華開会の今円にたいすれば未開の円であるとして、約部・約教に与奪を立てて解釈をくわえるのが、日蓮聖人の教学の特長となっています。つまり、真実に二乗作仏を可能にしたのは法華経であることを明確にしたのです。

法華経を心得ない者が、人天・兜率忉利天・安養に生まれると法華経には説いているが、機根が不退転の境地にいたらなければ穢土に流転し、弥勒の出現をまつことになる、また、自力の修行であるとか、難行道であると批判している者がいるが、これは爾前と法華の権実を知らないで、みずから迷っていると指摘します。兜率を勧めるのは小乗経に多く説かれており、西方を勧めた大乗経も多いのであって、これらは所開の文であるとします。法華経は兜率や西方、人天に即して十方一仏土を示しています。つまり、一仏土いがいにはないことを示しています。

悪人や女人が法華経の円教・実経の菩提心を発すならば、迷いの九界に堕落することはないとし、法然・慧心の選択・往生要集には、いくぶん法華経を除かれているとのべています。しかし、たとえそうであっても、法然・慧心が法華経を難行雑行とし、末代の機根には叶わないとして用いることはないとします。なぜなら、釈尊一代の掟に違背し、三世十方の仏の誠言に違背するからです。また、法華経を謗らなければ罪にはならないとして、浄土に往生してから法華経を覚るという考えは、大きな間違いであるとして結ばれています。すなわち、

「法華経之意即兜率十方仏土中即西方十方仏土中人天即十方仏土中云云。法華経悪人対十界悪説悪人五眼具なんどすれば悪人きわまりを救、女人即十界談十界皆女人事談。何法華円実之菩提心発人迷九界へ業力引事無也。此意存給けるやらん。法然上人も一向念仏之行者ながら、選択申文雑行・難行道法華経・大日経等除処有。委見。又慧心往生要集にも法華経除たり。たとい法然上人・慧心、法華経雑行難行道末代之機不叶書給、日蓮全もちゆべからす。一代聖教之おきてに違、三世十方之仏陀之誠言違故。いわうやそのぎ無。而後人々消息法華経難行道、経いみじけれども末代之機不叶、謗こそ罪有、浄土至法華経覚べしと云云。日蓮之心いかにも此事ひが事覚也。かう申ひが事有。能々智人可習。正嘉二年二月十四日。日蓮撰」(七四頁)

 この『一代聖教大意』から日蓮聖人の根本教学である「受持譲与」「逆縁下種」がのべられており、したがって『観心本尊抄』の一念三千論の基礎的な論拠がうかがえます。また、日蓮聖人の特徴といえる問答体の文章が部分的に表れています。この問答体が完成されたのは、本書の翌年(正元元年)の『守護国家論』です。ここには七門にわけて『選択集』の誤りを正しています。また、同じ問答体でも『守護国家論』は思弁的であり、これに比べ『観心本尊抄』は弁証的と言われています。

本書の内容は法華教学を提示して、法華最勝を論じるものでした。本書を読ませたいとした者は弟子などの能化にあると思われます。日蓮聖人の日常の生活をとどめた書簡とは違うことから、父親の菩提のために著述されたのか、本書が完成した日がたまたま岳父の逝去の日であったともいえます。二月一四に逝去されたなら、早くても房総からの使者が岩本に着いたのは一五日のことと思われるからです。

さて、比叡山の山徒が四月に三井戒壇の事について三井寺を訴えています。この正嘉二年八月一日は大暴風雨、諸国の田園すべてが損害にあい、二八日には大流星があって長さが四丈あまり、北西から南東にわたるほどあったといいます。九月二日は暴風雨ことに激しく、将軍家の上洛が延期されました。一〇月一六日の大雨で家屋が流失しました。その夜は晴れましたが、子の刻に月食となったと『吾妻鏡』に書かれています。

この年に『一念三千理事』・『総在一念鈔』を著述したといいますが真偽に問題があります。『断簡新加』三二九、『対照録』(下巻四二七頁)の「妙法蓮華経等一三行」があります。妙法蓮華経の五字について説明したと思われますが、断簡は「法」についての最初の部分になります。法とは聚集の義として十界十如・三種世間を説明しています。

「法者聚集義。倶舎論 法所・法界。四念処法念処。此 当々法不云。聚集法云。又当躰法云事聚集法流類ナル故也。サレハ法者十界十如法也。十界二。一正報之十界。二依報十界。正報十界二。一衆生世間。二五陰世間。依報十界具三種世間也。一界三種世間。十界三十種世間」(二九七九頁)

 日蓮聖人の三二歳から三七歳ころの書状は、ほとんど残っていません。『定遺』に記載されている遺文は真偽に問題がありほとんど現存していません。ただし、講義用に使用されたと思われる図録的なもの、あるいは、天台教学などを抜粋した要文・肝文集は残っています。

富木氏へ宛てた書状は富木氏が捨棄することがなく、ほとんどを保存されたと考えられることから、富木氏へ教学の基礎となるこれらの書簡を宛てていたか、あるいは、直接、講義されていたとも考えられましょう。また、富木氏への大事な書状がないということは、日蓮聖人が直接、富木氏と対面し講義をされていた証拠ともいえます。日蓮聖人が富木氏の邸宅を宿として房総と鎌倉を往復していたことになりましょう。あるいは、弟子を頻繁に往来させて、教団の基礎固めをして時期であることは事実でしょう。