119.『守護国家論』前後                    高橋俊隆

・三八歳 正嘉三年・正元元年 一二五九年

親鸞はこの年に『正蔵末法和讃』・『一念多念文意』を著しています。正嘉三年は三月二六日に正元とかわりますが、正嘉いらい地震や水害があり、諸国に飢饉・疫病がおこり死者と難民があふれていました。六月一日にはこれまでの餓死や病死にくわえ、疫風、暴風、洪水で川辺の人家はほとんどが流失し、山崩れのため多くの人が圧死しました。このとうじの葬法は主に風葬がなされ、火葬するのは一部の上流階級に限られていました。特定の場所に死体を運び犬やカラスに処理させるものでした。災害の規模が大きかったことにより、その死体の処理ですら出来ない状態で腐臭や、二次被害により羅病する者がでたのです。

日蓮聖人はこれらの災害と被災の残酷さを目の当たりにされたのです。現状に仏教の救いとは何か災害の原因は何かを考えたのでした。『安国論御勘由来』に、

「正嘉元年八月二十三日戌時、前代に超えたる大地震、同二年八月一日大風、同三年大飢饉、正元元年大疫病、同二年四季に亙って大疫やまず。万民既に大半に超えて死を招き了ぬ。」(四二一頁)

という、天災や飢饉に苦しみ困窮していた様相をのべ、幕府や朝廷は諸宗の修法や神仏に祈念することにより、災厄を逃れようとしましたが、効験がなく増大するばかりでした。

□『武蔵殿御消息』(一三)

実相寺にての一切経閲覧を終え、七月ころまでに鎌倉に帰ったといわれています。七月一七日と一〇月一四日に、武蔵公御房に手紙を書かれています。『武蔵殿御消息』は一紙一六行、身延曾存の遺文です。

「摂論三巻は給候へども、釈論等の各疏候はざるあひだ事ゆかず候。をなじくは給候てみあわすべく候。見参之事、いつにてか候べき。仰をかほり候はん。八講はいつにて候やらん」(八七頁)

この『武蔵殿御消息』の内容から、日蓮聖人のこの時期の活動がうかがえます。天台宗の僧である武蔵房とは比叡山での同学の知り合いと思われ、日蓮聖人は天台沙門として、鎌倉の天台僧と交流をもたれて活動していたことがうかがえます。また、本書から日蓮聖人は武蔵房から、無著の『摂大乗論』三巻などの論・釈の典籍の借覧をし、修学を続けていたことがわかり、法華経の講義や法門の談義をしていたと思われます。武蔵房と会見するのか、ある人物と会見をするのか、日時を問われています。どのような人物かは不明ですが、武蔵房周辺にいた学僧と思われます。天台宗の行事である法華八講の日時を確認していたことから、天台僧としての立場を維持していたことがうかがえます。ここにおいては、聴講するというより講座に参加し、日蓮聖人の教えに賛同する者を集めていたと思われ、日蓮聖人の弟子となる人材が輩出したとも思えます。鎌倉における人脈の確保と、名越周辺の同門から保護をうける目的があったのかもしれません。

 武蔵房は武蔵房円日と同一人物と思われ、『兵衛志殿御返事』(一三七〇頁)によると、兵衛志が建治三年(建治元年)八月に、円日を使いとして金銭二貫文を身延の日蓮聖人に送っています。武蔵房との関係は身延までつづいており、師弟関係に近くなっていくことがうかがえます。

□『十住毘婆沙論尋出御書』(一四)

念仏者等召相

一〇月一四日の『十住毘婆沙論尋出御書』(八七頁)に、『十住毘婆沙論』を内々に確認したいので、早急に探してほしいという手紙をだされています。武蔵前司と名のった人は三人います。北条泰時・北条(大仏)朝直・大仏宣時のうち、本書は北条朝直をさすといいます。(『日蓮聖人遺文辞典』歴史篇一一一二頁。『日蓮聖人遺文全集講義第二七巻四五頁』は宣時)。大仏宣時は日蓮聖人が佐渡流罪になったときの守護で、本間重連はその家来でした。本書には次のようにのべています。

「昨日武蔵前司殿使して念仏者等召相られて候しなり。又十郎使て候はんずるか。十住毘婆沙論を内内可見事候。抛万事尋出給候」(八七頁)

 一〇月一三日に、評定衆である大仏朝直の命令により、念仏者と召し合わされたとのべています。つまり、念仏者と教義対決的な論談があったのです。朝直は然阿良忠に帰依する熱心な念仏信徒です。この朝直から問難があったのです。じっさいの使者は十郎が遣わしたかもしれないとあります。十郎については不明ですが、対談の準備をした人物と思われます。念仏者たちの反発が幕府にもおよんでいたことがわかります。本書は、これにより、公場の対決を期待され、確かめておくべき箇所があるので、ぜひとも揃えてほしいという書状です。仏教書が希少で、現在のように手軽に持ち出しできなかったことがわかります。

『十住毘婆沙論』は竜樹の著作で、『華厳経』の十地品を注釈したものです。十住とは十地の旧釈のことで、毘婆沙とは注釈のことをいいます。十地(十住)のうち初地と第二地のなかばまでの注釈(毘婆沙)をし、菩薩の修行に関して書かれています。翻訳が途中で欠けているのは、耶舎三蔵がこれ以後に口誦しなかったので、羅什三蔵の解釈を欠いたといいます。(『日蓮聖人遺文辞典』歴史篇四九九頁)。とくに、三五品の構成のうち、第九の易行品は「称名念仏」の易行道と、阿弥陀仏にたいしての称賛が説かれていること、また、仏の本願・「往生」を説くことから、中国の曇鸞・道綽、日本の法然の浄土宗教学の必携の書となります。

日蓮聖人がこれを閲読したのは浄土宗との法論にそなえ、要文集を作成するためでした。また、『守護国家論』を著述するにあたり、難行・易行の論拠となった竜樹の思想を、再確認するための閲覧であったことがうかがえます。『守護国家論』において『選択集』を破折するときに、『十住毘婆沙論』の難易二道・法華入不入についてふれます。日蓮聖人が龍樹の教学をのべるときに本書を引用することが多く、浄土教の依拠とする本書を引用して念仏無間を論及しています。

さて、武蔵房が日蓮聖人の要請にこたえ、『十住毘婆沙論』を届けたときの書状が、遺文に載せられています。日蓮聖人にたいし阿闍梨の尊称を用いられています。

「十住毘婆沙論十四巻令拝上。今一巻者求失候也。御要以後者早早可返給候。愚身も必必参候て可承候。昨日論談=五十展転之随喜誠以難有候。又袴品可賜。穴賢穴賢恐恐。十月十一日  判。日蓮阿闍梨御房」(八八頁)

 日蓮聖人の求めに応じて、『十住毘婆沙論』一四巻までを揃えたが、あと一巻は誰かが閲覧中のため、探しきれなかったことを伝えています。また、とうじは貴重な書籍であったので、信用のない者には持ち出しを許さなかったでしょうから、被読・要文書写が終わったら速やかに返却してほしいとのべています。武蔵房が奔走して借りてきた様子がうかがえます。

 そして、「愚身も必必参候て可承候」というのは、念仏者との論談のことか、法華八講のことか、日蓮聖人が草庵か他所にて説法をされることかは不明です。日蓮聖人の論談に参席したい旨を伝えています。この三日後の一四日に念仏者と論談したことを知らせています。また、日蓮聖人が「五十展転」の法門を説いて、法華受持の功徳を信心の基盤として、教えていたことがわかります。袴品は頂戴するのがよいでしょうと結ばれています。袴品とはなにの報奨を指すのかわかりませんが、昨日(一三日)の法華八講の講師をした謝礼かもしれません。

なを、本書状の日付けが、『十住毘婆沙論尋出御書』より三日前のことなので、日付けがあやまりでなければ、『十住毘婆沙論尋出御書』は武蔵房が集めた『十住毘婆沙論』一四巻に、不足していた一巻(同書は一七巻であるので不足したのは三巻という)を、至急に探してほしいということになります。

さて、鎌倉の草庵に帰った日蓮聖人は、法華経の布教をはじめられ、この天変地異はなぜ起きるのか、それは法華経を捨てているからである、そのために、日本国を守るべき神は法味を受けることができずに国を捨て去り、かわりに悪鬼・邪神が力を得て災害をもたらしている、という「神天上」(善神捨去)の法門の説法は続けておこなわれていました。

□『守護国家論』(一五)

 月日は不明ですが、著作の年は本文中の正嘉元年の地震と、同二年春の大雨、夏の旱魃、秋の大風の災害をのべて、その翌年の正元元年の疫病の流行にふれていないことから、正嘉・正元元年の書とされています。『守護国家論』は一八紙半の全文が漢文で書かれ、かつて身延山に親蹟がありました。立教開宗いらいの念仏批判を集約した著述で、のちに上程した『立正安国論』とならんで、鎌倉初期における教線の様相と、初期の教学をしることができます。本書の『断簡新加』(二五七)が、松戸の大正寺に所蔵されています。表の三行が本書にあたり、裏面の「大収・捃拾」の二行は文永期の真蹟とされています。

『守護国家論』という題号は日蓮聖人の自題で、法然が著した『選択集』を批判の対象としています。本書は法然浄土教の謗法の根源と邪正を、経論の証拠をあげて明らかにすることを目的としています。そのために七章(七科十六門)を構成しています。日蓮聖人がみずから序分を記し、章節をわけた遺文は本書だけといいます。(小松邦彰『日蓮聖人全集』第一巻四六四頁)。また、小松邦彰先生は、「守護国家論は是れ破立の初、諫暁八幡抄は是れ破立の終なり」とのべています。(同書、四七九頁)。

そして、日蓮聖人は末法の人々を救う教えは、法華経であることを顕正するために、書かれたとのべています。すなわち、

「中昔有邪智上人為末代愚人破一切宗義造選択集一巻。仮名鸞綽導三師分一代二門。録実経入権経。閉法華真言直道開浄土三部隘路。亦不順浄土三部義成権実謗法。可永断四聖種沈阿鼻底僻見也。而世人順之譬如大風吹小樹枝。門弟重此人似天衆敬帝釈。為破此悪義亦有多書。所謂浄土決義鈔・弾選択・摧邪輪等也。造此書人皆碩徳名雖弥一天恐未顕選択集謗法根源。故還増悪法流布。譬如盛旱時降小雨草木弥枯打兵者刻先弱兵強敵倍得力焉。予歎此事間造一巻書顕選択集謗法縁起名号守護国家論。願一切道俗止一時世事種永劫善苗。今以経論直邪正。信謗任仏説敢無存自義」(八九頁)

と、浄土教の謗法をしらしめ、日本国の安泰を守護するために著作されたことがわかります。

 ここに念仏批判の書を三部あげています。『浄土決義鈔』は園城寺の公胤、『弾選択』は定昭の作といわれますが、現存していません。『摧邪輪』は明恵の作です。明恵は法然を尊敬していたといわれますが、法然が没して秘書とされていた『選択集』が出版され、それを読んだときに法然門下の言動の根拠が『選択集』であったと知り、『摧邪輪』を著して糾弾したといいます。(末木文美士氏『日蓮入門』一〇四頁)。摧邪とは邪悪な教えを打ち砕くという意味です。明恵は菩提心を否定し、浄土教いがいを捨て、専修念仏のみを正しいとした法然の教えを邪道と批判したのです。

そして、日蓮聖人はこの法然の謗法を知り、法華経に帰依することが国家を守護することになるとして、「国土の安穏」について始めてのべています。また、佐前(佐渡流罪以前)における、最も緻密な教学書と指摘されています。(『日蓮とその教団』所収、渡辺宝陽先生一七三頁。小松邦彰先生『日蓮聖人遺文辞典』歴史篇五一三頁)。

さて、日蓮聖人は本文を七章(七科十六門)にわけて論じました。その内容はつぎのようにのべています。

「一明於如来経教定権実二教。二明正像末興廃。三明選択集謗法縁起。四明出可対治謗法者証文。五明難値善知識並真実法。六明依法華涅槃行者用心。七明随問而答矣」(九〇頁)

第一章は、「如来の経教において権実二教を定むることを明かす」ことにあります。この章はさらに四つに分けて説明しています。

まず、『華厳経』・『法華経』・『無量義経』・『仁王経』・『普賢経』を引いて、『華厳経』から『涅槃経』にいたるまでの説かれた順序を検証し、釈尊の教えには権教(方便)と、実教(真実)があることを経文によって証明します。これについては、第一部第五章第四節「法華経の教相」の、ところにおいてのべたとおりです。

二には、諸経の浅深を明かすとして、無量義経の「四十余年未顕真実」・「尊無過上」の文をあげて、前四味の諸経より無量義経が勝れていることを示します。そして、無量義経よりも法華経が勝れているのは、二乗作仏・久遠実成を説くところにあるとします。涅槃経と法華経の勝劣は、涅槃経のなかに「如法華中」・「更無所作」と説き、法華経には当説である涅槃経を、「難信難解」といっていないことから法華経が勝れているとします。

三には、大小乗の違いをのべます。これは法華経いがいの経を、小乗とした証文をあげることにあります。天台・妙楽の釈には諸経を小乗とする文はあるが、これらの他師の解釈を引くことよりも、法華経の方便品「仏自住大乗」、寿量品「楽於小法」の経文をあげて証拠としています。

四に、権経の分限を知って法華経の実経を持つことを明かしていきます。法華経の「但楽受持大乗経典、乃至不受余経一偈」と、涅槃経の「依了義経不依不了義経」など、一〇の経文をあげて大乗である法華経を受持することの証文(「十証文」九五頁)としています。つまり、法華経の開経である無量義経の「四十余年未顕真実」の文を依拠として、法華経以前に説かれた教えは、不了義経・権経であり、小乗の教えであると規定します。そして、訳者や人師の異解(誤り)がある権経を信心しても、生死を離れることはできないとして、了義経・実経である法華経に帰依すべきことを述べています。

 第二章は、「正像末に就いて仏法の興廃有ることを明かす」として、仏滅後の正法・像法・末法の三時に仏法の興廃があるとし、末法時代に相応した教えは法華経であることを述べます。これに二つの科文を挙げます。

「大文第二明就正像末有仏法興廃者。就之有二。一明爾前四十余年内諸経与浄土三部経於末法久住不久住。二明法華・涅槃与浄土三部経並諸経久住不久住」(一〇〇頁)

第一に、爾前四十余年の諸経と、浄土三部経(無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経)をくらべ、末法における久住か不久住かを明かします。つまり、ここにおいては末法の時代に時機相応し、衆生に信仰される経法は何かを論じていきます。

まず、浄土の者の問いとして、釈尊の「一代五時」の教えが滅尽した末法には、雙観経(無量寿経)の念仏のみが衆生を利すというのは、道綽・善導・慈恩・恵心や、天台宗においてもこの義に背くことはない、という主張をあげます。これに答えて、爾前経は時と機根に随っているので興廃がある。爾前経は三乗現身の得道を説いているが、末法の機根に現身得道の者は希少なことである。ゆえに、諸経には浄土に往生することを説き、そのなかでも西方極楽浄土合掌娑婆に近く、最下の浄土であるので、ここに仏道を求めさせたと述べます。そして、この浄土については天台・妙楽の人師のみではなく、竜樹・天親などの論師も、爾前経によるときはこの義を述べていることを挙げます。これは末法の機根をもとにして興廃を論じたものです。このことから、浄土教久住の義は、爾前経に随った多種あるうちの一つであることを述べています。

第二に、法華・涅槃と浄土三部経・諸経との、久住・不久住を明かします。ここにおいて、浄土教は法華経以前に消滅することをのべます。「未顕真実」の文は、雙観経などの「特留此経」の教えを、方便であり虚妄であると断言します。華厳・方等・般若・観経などの速疾歴劫の往生成仏についても、「別時意趣」といって直ちに成仏があることではないことを、無量義経の「過無量無辺不可思議阿僧祇劫終不得成無上菩提乃至行於険逕多留難故」を証文とします。そして、大集経・雙観経・仁王経に、教法の住滅の先後が説かれているが、それは随他意の一説であって、教のみあって得道の者はいないとします。つまり、権実二経の勝劣判を論じたものであり、法華経は諸経が滅しても久住であるとします。なぜなら、釈尊の三説超過・多宝証明・諸仏舌相は、法華経を「令法久住」するために示されたとのべます。それをさらに経文を引いて説明します。法師品の「我所説経典無量千万億已説今説当説、而於其中此法華経最為難信難解」の已今当の三説の文をあげて、法華経は未来末法のために説かれた教えであるとします。多宝仏が出現し十方分身の諸仏を集め、また諸仏を使いとして普く菩薩などの大衆に告げたことは、法華経を「令法久住」することにあるとのべます。

それらの大衆に末法の法華経弘通を勧めたのが五箇の鳳詔です。このとき八十万億那由佗の菩薩は、「我不愛身命但惜無上道」と誓状を立て、千世界微塵の菩薩である文殊などは、「我等於仏滅後乃至当広説此経」(神力品)と誓いを立てました。釈尊は十喩をあげて法華経が爾前諸経に勝れていることを説き、つづいて、「我滅度後後五百歳中広宣流布於閻浮提無令断絶」の文、『涅槃経』の菩薩付属の文を引いて、爾前諸経が滅尽しても法華経は断絶しないとして、浄土の三部経と比較します。

「如此等文者法華・涅槃無量百歳不可絶経也。不知此義世間学者以大集権門五五百歳之文同此経自浄土三部経已前可滅尽存立義忘一経先後起尽也」(一〇三頁)

 つぎの問答は、曇鸞・道綽・善導・恵心の浄土の諸師が、法華経を末代には不相応の教えとし、法然もそれに習って法華経を時機不相応としていることについて問います。答えていうには、釈尊は権実の二教において、権経を捨て実経を護持することを、顕然と説いているとのべ、「若以小乗化乃至於一人我則堕慳貪」の文をあげます。また、涅槃経に説かれている四依の導師である竜樹・天親も、権実において先権後実をまもっていることをあげ、曇鸞・道綽・善導も法華経と相対するときには、これをまもっているとし、恵心も往生要集の後に一乗要決を著して、内証は法華経を本意としたと述べます。

「当知往生要集意以爾前最上念仏対法華最下功徳為令人入法華経所造書也。故往生要集後造一乗要決述自身内証時以法華経為本意」(一〇四頁)

ここで、法然がこれらの義を知らないために、法華経を難行・聖道・雑行として謗法を犯したと指摘します。これより法然は「悪世中比丘邪智心諂曲」の僧であるとし、この影響を受けて浄土を発展させた法然の罪は甚重であるとします。

これよりは、『選択集』の謗法についてのべていきます。法華経誹謗の証文として、「若人不信毀謗斯経則断一切世間仏種」の文を引き、天台・妙楽の釈を引いて法然の謗法を責めています。ここに、法華不信は法華経を「捨」てることであり、謗法となることをのべます。また、『選択集』の第十六段「以弥陀名号付属舎利弗」の文中にある「閣抛」は、憎背であり一闡提の因であるとして、法然の謗法罪を追及しています。

「問云正源空誹謗法華経証文如何。答云法華経第二云若人不信毀謗斯経則断一切世間仏種[経文]。不信相貌令人捨於法華経也。故天親菩薩仏性論第一釈此文云若憎背大乗者此是一闡提因。為令衆生捨此法故[論文]。謗法相貌令捨此法故也。選択集非令人捨於法華経書乎。閣抛之二字非仏性論憎背二字乎。亦法華経誹謗相貌如四十余年諸経以小善成仏定別時意趣等也。故天台釈云若不信小善成仏則断世間仏種也。妙楽重宣此義云此経遍開六道仏種。若謗此経義当断也。如釈迦・多宝・十方諸仏・天親・天台・妙楽意者源空謗法者也。所詮選択集意令人捨法華・真言定書了。謗法之義無疑者也」(一〇五頁)

 第三章は、『選択集』が正法である法華経を誹謗する邪悪の書であることを指摘し、法然が「法華・真言等」を雑行・難行・時期不相応としていることを批判します。

「大文第三出選択集謗法縁起者。問云以何証拠源空称謗法者乎。答云見選択集現文以一代聖教分二。一聖道難行雑行二浄土易行正行。其中云聖・難・雑者華厳・阿含・方等・般若・法華・涅槃・大日経等[取意]。云浄・易・正者、浄土三部経称名念仏等也[取意]。判聖・難・雑失者末代凡夫行之百時希得一二千時希得三五或千中無一或定群賊・悪衆・邪見・悪見・邪雑人等也。判浄・易・正得者末代凡夫行之十即十生百即百生等也。謗法邪義是也」(一〇六頁)

すなわち、『選択集』が謗法の証拠は、『選択集』に法華経を聖道・難行・雑行として成仏得道は千中無一とし、浄土三部経の称名念仏は浄行・易行・正行として十即十生百即百生とする邪義にあるとします。そして、竜樹や浄土の三師である曇鸞の難易二道、道綽の聖浄二門、善導の正雑二行は、法華経以前の諸経にたいしての立義であるのに、法然は法華経をもこの中に入れたところから、門下の誤りがおきたといいます。さらに、『選択集』の第一篇の「準之思之」として、法華経を捨てたことを批判します。ゆえに、法然が「準之思之」と誤って解釈したことが、謗法の根源であるとします。

「総選択集亘十六段作無量謗法根源偏起此四字。誤哉畏哉」(一〇七頁)

法然の門弟が『選択集』と慧心の『往生要集』は、易行をもって末代の愚人を救うという点で、意趣が同じであるという反論には、難易・勝劣の二道は釈尊が自ら分けた教えであり、修しやすい易行としては法華経であるとして無量義経の文をあげます。

爾前経―――――行於険径多留難故――難行――

無量義経已後――行大直道無留難故――易行――勝

そして、五十展転の行が称名念仏よりもはるかに易行であり、勝劣をもって易行を定めるならば、法華経の一念信解の功徳は念仏三昧よりもはるかに勝れているとします。

「随四依大士龍樹菩薩十住毘婆沙論於法華已前分難易二道敢於四十余年已後経不存難行之義。其上若以易修定易行者法華経五十展転之行自称名念仏易行百千万億倍也。若亦以勝定易行者分別功徳品爾前四十余年八十万億劫間以檀・戒・忍・進・念仏三昧等先五波羅蜜功徳比法華経一念信解功徳一念信解功徳勝念仏三昧等先五波羅蜜百千万億倍。謂難易勝劣謂行浅功深観経等念仏三昧比法華経難行之中極難行勝劣之中極劣也」(一〇八頁)

 さきの『武蔵殿御消息』(一三)に、『十住毘婆沙論』を求めていたのは、法然浄土教の誤りを正すためであったことがわかります。日蓮聖人における浄土教批判に、この『十住毘婆沙論』が多用されていきます。また、日蓮聖人の教学において重要な、「五十展転」・「一念信解」の功徳にふれて、法華最勝の根拠としていることが注目されます。武蔵房が感銘したという「五十展転」の講義が、このように論及されていたとうかがえます。

 末法の衆生は無性常没(闡提)・決定性二乗の者であるので、爾前経では救えず法華経の功徳によって成仏が可能になるととのべます。無性とは仏性がない者をいいます。つまり、三乗の悟りを開く種姓がなく仏になれない者をいいます。これを闡提とよびます。「無性闡提」とは成仏の因がない者のことをさします。また、「無性常没」といって、『涅槃経』の恒河七種の衆生の一番目をさし、常に河のなかに沈み没している苦の衆生をいいます。これも闡提と同じように解釈されています。

「其上扶悪人・愚人亦依教浅深。阿含十二年戒門現身四重五逆之者不許得道。華厳・方等・般若・双観経等諸経自阿含経教深故観門時雖摂重罪者猶戒門日七逆者不許現身受戒。雖然於決定性二乗・無性闡提戒観共不許之。法華・涅槃等非唯摂五逆・七逆・謗法者亦摂定性・無性。就中於末法者常没闡提多之。豈於観経等四十余年諸経可扶之乎。無性常没・決定性二乗但限法華・涅槃等」(一〇九頁)

 つまり、法華経はこれら五逆・七逆、無性常没の者、そして、謗法堕獄の者を成仏させる、唯一の経法であることを強調したのです。これは、「二乗作仏」と関連した法華経の教学です。そして、慧心の本心は『往生要集』を著して、末代の機根を調え法華経にいらしむることにあるとし、その二〇余年後に著した『一乗要決』は、龍樹・天親・天台と同じく先権後実であるとして、門弟の誤りを示します。

天台の『法華玄義』「手不執巻常読是経、口無言声徧誦衆典」の文を引き、法華経を信じる者は昼夜十二時の持経者であり、口に唱えなくても「以顕経力」による救済は念仏の易行よりもはるかに勝れているとします。法然はこれら先師の教えに迷い悪師となり、この謗法の罪は久遠・大通仏の塵点の業となり、不軽菩薩を軽毀した者が、千劫の長いあいだ阿鼻地獄に堕ちたと同じであると評します。

「而源空深迷此義故於往生要集起僻見自失他誤破也。適有宿善入実教化一切衆生令還権教剰令破実教。豈非悪師乎。如彼久遠下種・大通結縁者経五百・三千塵点者捨法華大教遷爾前権小故後捨権経回六道。不軽軽毀之衆千劫堕阿鼻地獄。信権師弘実経者作誹謗故也。而源空我身非唯捨実経入権経。勧人令捨実経入権経亦不令権人入実経。剰罵実経行者之罪永劫難浮歟」(一一二頁)

つぎに、『十住毘婆沙論』について述べています。『十住毘婆沙論』は道綽・曇鸞の教義の基礎となったものです。爾前と法華経の水火の違いは、二乗と闡提の成仏にあります。同じ龍樹の『大論』には、法華経によれば二乗作仏が許されているのに対し、『十住毘婆沙論』には二乗作仏が許されていないことをあげ、『十住毘婆沙論』が法華経以前の権大乗経の教えを論じた書であることを指摘します。これを知らない訳者が誤って解釈したため、権実二教に迷いが生じたとし、それは法然のみではなく論を作る菩薩である、無着・世親、経の訳者である真諦、三昧発得といわれる善導・懐感の人師でさえ誤りがあるのであるから、末代の凡師は尚更のことといいます。ゆえに仏説に順じる人師の義を用いるべきであるとします。

本書においての浄土教批判にあたっては、法然のみを批判の対象としているところに特徴があります。第二・三章においては、曇鸞・道綽・善導、そして、源信を肯定的に認めているところがあります。これは、天台宗をふくんだ浄土一門を攻めるにも、時と場を選んだ教法流布の前後という対策があったためです。教学を開陳する上にも与奪があったことがわかります。しかし、とうじの浄土教は法然の系譜を継ぐものですから、、浄土宗からの反論が消えたわけではなく、浄土宗の門徒のは怒りは増長したといえます。

 第四章は、謗法の者を対治すべきことの証文をあげます。『仁王経』・『大集経』・『涅槃経』・『金光明経』などを引き、国王による謗法対治をのべており、この主張は『立正安国論』に継続されていきます。

「大文第四出可対治謗法者証文者。此有二。一者明以仏法付属国王大臣並四衆。二者正明謗法人処王地可対治証文」(一一四頁)

一には、仏法をもって国王などに付属する証文をあげます。すなわち、『仁王経』には国王という為政者は仏法をもって国を治めるべきことが説かれており、『大集経』には、邪教を直(ただ)さなければ国に三災が起きると説かれ、『涅槃経』には正法の比丘を守護するためには、弓箭や刀杖をもって悪比丘を対治すべきと説かれています。この文は、梵網経などの戒に刀杖を蓄えれば三悪道に堕ちると説いている説と異なりますが、現今の末代には『涅槃経』に説かれているように、道俗にかかわらず刀杖を携帯すべきであるとします。そして、『金光明経』には正法を捨離する者があれば、国土を守護する善神は国を捨て去り、疫病・天変地妖・飢饉がおこり他国から侵掠(略)されるなどの、さまざまな災禍があると説かれています。

日蓮聖人は、これらの経文が真実ならば、正嘉元年の大地震と、二年の大風雨の天災は、亡国の悪法が流布していることに起因するとのべます。なぜなら、諸宗がきそって国家安穏を祈願しても効験がないからです。

「見此経文祈世間安穏而国起三災可知悪法流布故。而当世随分雖祈国土安穏去正嘉元年大地大動同二年大雨大風失苗実。定喪国悪法有此国歟勘也」(一一六頁)

ここに「当世随分雖祈国土安穏」とのべた諸宗と祈願とは、『立正安国論』の冒頭にのべた文言と同様です。『立正安国論』には詳細に諸宗の祈願の内容を示し、それらの秘法をもっても、災害をとめることができなかったとのべたのです。

「然間或専利剣即是之文唱西土教主之名或恃衆病悉除之願誦東方如来之経或仰病即消滅不老不死之詞崇法華真実之妙文。或信七難即滅七福即生之句調百座百講之儀有因秘密真言之教灑五瓶之水有全坐禅入定之儀澄空観之月。若書七鬼神之号而押千門若図五大力之形而懸万戸若拝天神地祇而企四角四堺之祭祀若哀万民百姓而行国主国宰之徳政」(二〇九頁

では、国を滅ぼす悪法は何かというと法然の『選択集』をあげ、この悪書により日本国の守護の善神が捨離したとします。日蓮聖人は正嘉の天災により万民が疲弊するのは、『金光明経』によれば『選択集』の悪義によると断言します。そして、この『選択集』を信じて無間地獄に堕ちる人を救うために、法然の邪義を対治するのが仏意とうけとめます。不惜身命の覚悟をもって法然の門弟に、『選択集』を信じる者は無間地獄に堕ちると強言したとのべています。

これにたいし法然の門弟たちは、自らの邪義を隠蔽するため諸行往生を説いたり、法華経を否定していないなどの妄言をかまえ、ついには、日蓮聖人はなんの根拠もなく、悪戯に念仏を唱えると三悪道に堕ちると暴言しているとのべています。とうじの念仏者たちの、日蓮聖人にたいする動向がわかります。

 しかし、法然の教えは雑行を捨て(二段)、定散の門を閉じ(一二段)、聖道門を閣き、もろもろの雑行を抛て(一六段)と説き、群賊・邪見(八段)などの者は「千中無一」としているのであるから、法然師匠の立義に違背すると批判します。良忠は鎮西流弁阿聖光の弟子ですので、日蓮聖人の批判はここに向けられています。

   諸行往生を立てる――――鎮西流弁阿聖光(多念義)・九品寺流覚明長西(諸行本願義)

   諸行不往生を立てる―――西山派証空(選択本願念仏)・長楽寺隆寛(多念義)

    ※法然浄土教の展開については「第一部第四章鎌倉遊学と仏教界」にふれています

二に、謗法の人を対治すべき経文として『涅槃経』を引きます。「善星以放逸故堕於地獄」の文に善星比丘が堕獄したのは放逸のため、すなわち謗法によることを挙げて、法然も善星比丘と同じく無間地獄に堕ちるとのべます。そして、『涅槃経』の「仏法中怨」を引き、仏弟子としての責務を示し、『守護国家論』を著述した理由はここに存するとのべています。この「仏法中怨」の引文は遺文に多くみられ、日蓮聖人が仏弟子・仏子、そして、仏使としての自覚をのべるときに根拠としている重要な文となっています。

「故涅槃経云我涅槃後随其方面有持戒比丘威儀具足護持正法見壊法者即能駈遣呵責徴治。当知是人得福無量不可称計。亦云若善比丘見壊法者置不呵責駈遣挙処当知是人仏法中怨。若能駈遣呵責挙処是我弟子真声聞也[已上]。予為入仏弟子一分造此書顕謗法失流布世間。願十方仏陀於此書副力令止大悪法流布救一切衆生之謗法」(一一九頁)

また、この謗法対冶の主張は『立正安国論』の謗法対冶の論拠になっており、このことから、『守護国家論』を前提として、『立正安国論』が構築されています。

 第五章から七章は、法華経を捨閉閣抛した念仏を批判し、法華至上の立場を表明して、信仰のありかたを具体的にのべています。すなわち、法然の末法観を批判し、法然が説く阿弥陀仏の本願と念仏往生にたいし、法華経こそが末法の衆生を救済する教えであるとのべています。また、人間として生をうけても末代には善知識と真実の法には値いがたいことを三方面からのべます。

まず、一に受けがたき人身と値い難き仏法について、『涅槃経』の「爪上土」の喩えをあげ末代に法華経を信じる者は爪の上の土のように少なく、権経に堕落する者は十方微塵のようであるとします。そして、妙楽のつぎの文を引き、末代当世の未来記であるとのべます。

「源空並所化衆深酔三毒酒失大通結縁本心。於法華・涅槃作不信思作一闡提依観経等下劣乗翫方便称名等瓦礫敬法然房猴思智慧第一帝釈捨法華・涅槃如意珠褊於如来聖教不弁権実二教故也。故弘決第一云聞此円頓不宗重者良由近代習大乗者雑濫故也。於大乗不弁権実二教云雑濫也。故於末代信法華経者如爪上土不信法華経堕落権教者如十方微塵。故妙楽歎云像末情澆信心寡薄円頓教法溢蔵盈函不暫思惟。便至暝目。徒生徒死。一何痛哉[已上]。此釈偏妙楽大師為権者之間遠鑑日本国当代所記置未来記也」(一二〇頁)

二に、悪知識によって三悪道に堕ちることをのべます。『仏蔵経』の苦岸などの四比丘と、『涅槃経』の苦得外道は、ともに仏道修行を妨げる悪知識としてあげます。そして、法然を苦得と同じ悪知識とし、法然を崇拝することは三悪道に堕ちるとして、『選択集』の邪正を糾すことが必要としています。さらに、『涅槃経』の文を引いて善法の怨となる悪知識を遠離すべしといいます。

三に、末代の凡夫には法華経が善知識であることを、『摩訶止観』・『法華経』・『涅槃経』を引いてのべます。すなわち、法華経の「是人則見釈迦牟尼仏」の文より、法華経は釈迦牟尼仏であるとし、『涅槃経』の「依法不依人」の法とは『法華経』の常住の法であるとします。そして、この法華経は十界互具を説くので釈尊滅度においても善智識であるとします。なを、ここに天台宗における爾前の「当分得道」(一二五頁)についてふれ、日蓮聖人においてはこれを認めないという立場をのべています。

 第六章には、法華経の行者の用心として、末代五逆謗法を救済するために、まず、正法を護持することをのべ、二に法華経の題目を唱えることにより、三悪道に堕ちることからのがれられ、日本は法華経が広まる大乗の国であるとして、この世界こそが浄土であることを三方面からのべています。

まず、『涅槃経』の文を引いて、謗法者を対治する功徳によって生死を離れることができるとします。また、『仁王経』の「獅子身中虫」の文を引き、それは法然であり、諸悪の比丘はその所化の弟子であるとし、破仏の因縁、破国の因縁としたのは『選択集』であるとします。

「如師子身中虫者仏弟子源空是也。諸悪比丘者所化衆是也。説破仏法因縁破国因縁者上所挙選択集語是也。其王不別信聴此語者今世道俗不弁邪義猥信之也。請願道俗分別法邪正其後付正法願後世。今度失人身堕三悪道後後悔何及」(一二七頁)

二に、法華経の題目を唱えることにより三悪道を離れることを、法華経の提婆達多品、「浄心信敬不生疑惑者不堕地獄餓鬼畜生」などの文を引いてのべます。「過去宿善」(一二七頁)があるゆえに今世に法華経との縁を結び、たとえ悪人無智の者であっても悪道には堕ちないとのべます。ただし、「悪知識」によって法華経を捨て、権教にうつる(「退大取小」)ならば悪道におちるが、世間の悪業においては堕獄することがないとのべます。そして、日本は法華経有縁の国であるとします。証文として法華経の「広令流布使不断絶」、『涅槃経』の「南方流布」をあげます。また、肈公の『法華翻経後記』の「鳩摩羅什東北有縁」の文と、慧心の『一乗要決』「日本一州円機純一」の文をあげます。

法華経における浄土については、法華経二八品の肝心である、寿量品に説かれた「我常在此娑婆世界」の文をあげ、本地久成の円仏は此の土である娑婆世界に常に住しているのであるから、『法華経』を修行する者の住処こそが浄土であるとします。ゆえに、神力品の「即是道場」の文は法華経を信じる者の所住の処が浄土であるとします。法華経に久遠実成が説かれたあとは、爾前の浄土は久遠実成の釈尊の所現の浄土であって、真実には穢土であり、寿量品に「我此土安穏」と実の浄土を定められてからは、この娑婆世界が浄土となるとします。

「爾前浄土久遠実成釈迦如来所現浄土実皆穢土也。法華経亦方便・寿量二品也。至寿量品定実浄土時此土即定浄土了。但至兜率・安養・十方難者不改爾前名目於此土付兜率・安養等名。例如此経雖有三乗名不有三乗。不須更指観経等也釈意是也。法華経無結縁衆生当世願西方浄土楽瓦礫土是也。不信法華経衆生誠無分添浄土者也」(一二九頁)

 つまり、薬王品の阿弥陀の安養安楽世界などは、浄土の名目をそのままにしているだけで、実態はなく久遠実成の釈尊の娑婆浄土が現れたならば、それらは迹仏迹土の穢土となることをのべます。薬王品の安養世界は観経の阿弥陀仏の浄土ではないことを説明するために、妙楽の『文句記』を引いています。

すなわち、薬王品に法華経を聞法して如説に修行すればとあり、観経の弥陀の教えを修行して得た、その西方浄土ではないことが明確にされているので、妙楽が「不須更指観経等」(『文句記』一〇。六八紙)と解釈したことを引いて助証したのです。

三には、『涅槃経』は『法華経』の流通のために説かれたことを述べます。日蓮聖人は『法華経』神力品の四句要法「宣示顕説」の文を引いて、釈尊の内証は『法華経』に説かれているとのべます。『涅槃経』の「秋収冬蔵」の文により法華経は「大収」であり、『涅槃経』は「捃拾」であると述べます。

「深存此義随見涅槃経第九流通法華経説云是経出世如彼菓実多所利益安楽一切能令衆生見於仏性。如法華中八千声聞得授記成大菓実如秋収冬蔵更無所作。如此文者法華経若邪見涅槃経豈非邪見乎。法華経大収涅槃経 拾見了。涅槃経自称劣法華経之由。法華経当説之文敢無相違」(一三一頁)

そして、法華経は爾前の流通ではないことをのべます。つまり、爾前経は二乗・闡提の成仏を説かず、厳密にいえば菩薩人天の得道はゆるされないとします。それは十界互具・久遠実成を説いていないからであり、また、法華経はこれを開顕しているので『涅槃経』は法華経の流通となるとのべています。

「前四味諸経雖許菩薩人天等得道不許決定性二乗・無性闡提成仏。其上探仏意以実 之亦無菩薩人天等得道。不説十界互具故無久遠実成故。問云証文如何。答云法華経方便品云若以小乗化乃至於一人我則堕慳貪。此事為不可已上。此文意今為破選択集邪義以余事不為詮。故爾前得道有無之実義不出之。追之。但四十余年諸経実無凡夫得道故法華経不為爾前流通。於法華経顕十界互具久遠実成了。故涅槃経為法華経成流通也」(一三一頁)

 要するに、本書において問題としたのは、「決定性二乗・無性闡提」の者の成仏であることがわかります。『涅槃経』の闡提は、日蓮聖人において法華不信の者として受容されました。また、謗法者の成仏、あるいは、「敗種」(一一三頁)とされた衆生の成仏は、「法華経所説常住仏性久遠実成」(一三一頁)により可能となることを論じたといえます。不信謗法・末法下種、そして、唱題成仏の基盤をここにみることができましょう。

 そして、最後の第七章には、「問いにしたがって答える」という形式を設けて、法華経信仰に対する諸宗の論難とその対応についてのべて終えます。たとえば、華厳宗からの論難として、華厳宗は報身如来が説いた経であるのにたいし、法華経は応身如来であるから教主の勝劣があり、法門に浅深がある。また、対告衆も法華経は舎利弗などの二乗の劣機であるから『華厳経』が勝れているという論点をあげます。

法相宗も『解深密経』により対告衆が文殊・観音という菩薩であるのに対し、法華経信解品の五時の領解は四大声聞であるとして法相宗を優位に立てる論点をあげます。浄土宗は末代の者は理深の法華経を信じても千中無一であり、穢土において煩わしく修行しなくても、一向に念仏を称すれば浄土に至り、法華経の実相を悟ることができるという論点をあげます。禅宗も一代聖教は月をさす指であり、仏は迦葉に印して禅の法を伝えたのであるから、法華経は真実を宣べていないなど論点の一例をあげています。これらに対し、私たちは「四十余年未顕真実」・「已今当の三説」・「皆是真実」・「依法不依人」の文を難問に従って逆に質問しなさいとのべています。

また、法華経を信じ退転しないための方策として、仏と経の両者における信心をのべています。仏格について信をたてるということは、他宗の者がいかなる義を立てても、爾前経は権仏の始覚の仏の説であるから、説かれた教えも権説である。ゆえに、信じることはないとのべています。経格についても、真実・了義経である実経の法華経を信じることをのべています。

最後に、善導は阿弥陀経などの三部経によって浄土の教義を立てたのであって、釈尊一代の了義経・不了義経をわきまえて立てたものではないとします。浄土宗の教えは、法華経に対すれば根本から壊れるとして、『守護国家論』の執筆の目的であった法然とその門弟に対して、権経を捨てて実経に帰伏することを覚醒しています。旧仏教側における浄土教の認識は、浄土往生の行として念仏以外の行を否定しないと理解していました。しかし、法然は「偏依善導」としていながらも、中国の道綽や善導の教えを曲解し、念仏だけが浄土往生の行とし、念仏以外の浄土信仰者を「群賊」とすることにたいし、誤りであると法然を批判していました。

これに対し、日蓮聖人は『守護国家論』のなかで、念仏を権経とし不了義経に依拠して念仏を教えた法然を批判しています。日蓮聖人が対峙した念仏者は、法然の選択主義をとらず、旧仏教と共存する融和的な立場をとり、幕府の要人と結びつく布教をしていました。日蓮聖人にとっては、旧仏教がとった選択主義を批判する論法は無意味になっていました。日蓮聖人は、法然の門弟が「諸行往生」をたてるのは、師匠に違背する逆路伽耶陀の者であると批判します。そして、権実論の教相の立場から念仏批判をしたのでした。

『守護国家論』のなかで「本地久成の円仏」・「法華・真言等の正法」というところに、この時期における日蓮聖人の教学をうかがえます。本地久成の円仏とは、寿量品の久遠実成の釈尊を本仏とする仏身論のことです。円仏とは純円の法華経に説かれた仏身であり、他の権経の仏身と区別して法華経の勝れていることをのべています。また、釈尊は「令法久住」しなければならない教えとして法華経を選定した、いわゆる「末法正意」の法華経観がのべられていました。

つぎに、『守護国家論』における了義経の認識を、涅槃経・大日経が法華経と同じく了義経としており、法華・真言を正法とする立場をとっていることがうかがえます。ここに、日蓮聖人が『守護国家論』を著述した時点では、「法華・真言未分」の立場を抜け出していないといわれる所以があります。当時の天台宗を批判しているのは念仏帰依にあるのであって、台密を責めてはいないと指摘されるところです。(宮崎英修著『不受不施派の源流と展開』)。本書においては中国浄土教三師と慧心にたいし寛容であり、『立正安国論』と佐渡以降に見られる浄土教批判とは異なるところが散見しています。これは、本書を著述した当時の幕府や仏教界の情勢によるものであり、とくに法然を批判することを第一義とされたと思います。

日蓮聖人は「善神捨去」と「三災七難」、そして、「他国侵逼」を謗法問題としてとりあげます。『仁王経』などを引いて仏教による治国をのべ、仏法の威力が失われると「善神捨去」するという考え方をのべています。これは、「神天上」といって、日本を守護している天照大神・八幡大菩薩をはじめとした大小の神祇や、仏教を守護する諸天善神が威力を失い、ついには守護の地を捨てて天上界に去ってしまうということです。これは、「神天上」ともいい、日蓮聖人に限った思想ではなく、『拾珠抄』に「諸天がその国を棄てて去る」、『天地神祇審鎮要記』に「善神国を去る」とあるので、同時代における思潮として捉えることができます。(佐藤弘夫著『日蓮「立正安国論」』八四頁)。

また、『涅槃経』の文を引き、釈尊の教えにも邪正があり、邪教を排除し顕正しなければ、「仏法中怨」という釈尊の遺誡に背反するとのべ、法然門下に仏罰を覚醒させ、罪意識を自覚させていると思います。そして、唱題により仏国土を顕現することを目的とすることをのべていました。

小松邦彰先生は、本書について、「立てるべき正法を法華・真言といい、唱題の功徳を三悪道に堕せずと説くにとどまるなど、教理上未完成の面はあるが、聖人初期の教学を代表する重要な遺文である」、とのべています。(『日蓮聖人全集』第一巻四六四頁)。なを、関戸堯海先生は本書における『涅槃経』引用から、日蓮聖人の仏性・仏種・謗法などについて論及しています。(『日蓮聖人教学の基礎研究』五八三頁)。

このような、『守護国家論』の念仏批判により、名越の草庵に往来する信徒が増えていましたが、また、立教開宗いらい行ってきた法然批判により、日蓮聖人の教団に諸宗の排撃が強まることになります。そのあらわれとして、この念仏批判に大仏朝直が動き、一〇月一三日に念仏者と召し合わせがあったのです。さきにのべましたが、『十住毘婆沙論尋出御書』に、

「昨日、武蔵前司殿の使として念仏者召相(めしあわ)せられて候しなり」(八七頁)

と、知らせているように、念仏者との対決がありました。それは、公的な立場にいる武蔵前司の個人的な妨害でした。武蔵前司は評定衆であった北条朝直のことです。朝直は北条時政の子で義時の弟になります。良忠に帰依する熱心な念仏門徒であったのです。

『念仏者令追放宣旨御教書集列五篇勘文状』図録七

 二月一〇日以降、法然の専修念仏を禁断しています。法然とその弟子が遠流されたのちも、門下は勅命に反して念仏を流行させたので、重ねて専修念仏を停止し門徒を流罪にした史実をあげます。そのときの門下たちは、山林に隠れたり遠国に逃げ称名念仏を捨てたが、その根は絶えず念仏が形を変えて生き返ってきたと指摘します。

日蓮聖人は正法が繁栄し天下が安泰になることを願い、過去の念仏停止の奏状に勘文を添えて、念仏の信仰をを阻止すると主旨をのべています。勘注の文章は難読なので、要点を抜粋し五本を引載します。詳しい文章は「広本」(二二五八頁)にあるとし、本書はその略本であると前置きしています。「奏状篇」に南都奏状」として、元久二(一二〇五)年に貞慶が起草した「興福寺奏状」を載せます。貞慶は『選択集』が秘せられた書であったので、読むことはなかったといいます。貞慶は法然門下の言動に憤りを感じ批判をされたといいます。これが、こののちの念仏弾圧の第一歩となったといいます。(末木文美士著『日蓮入門』一〇三頁)。

ここに、「一、謗人謗法之事。一、蔑如霊神事」があります。「山門奏状」は一、一向専修党類向背神明不当事。一、一向専修和漢之例不快事」を載せます。「宣旨篇」には嘉禄三(一二二七)年一〇月一五日付けの、永尊堅者(りつしゃ)の状文を載せます。これは「嘉禄の法難」といわれるもので、前述(第一部第四章鎌倉遊学と仏教界)したように、六月二四日に延暦寺の衆徒が法然の大谷廟堂を破却し、隆寛・幸西が流刑に処せられた事件をいいます。この専修念仏弾圧にかかわる宣旨(天皇の命)・御教書(みぎょうしょ。公卿の家司(けいし)や執権・連署が下達)・太政官符・下知状・申状など一八通を載せています。

このなかには、建保七(一二一九)年の院宣や、天福二(一二三三)年・延応二(一二四二)年の下知状などがふくまれています。宣旨三通と御教書二通の同じ文章が『金綱集』第五に転写されています。法然滅後における門下の動向をしる史料ともなっています。日蓮聖人はこれら念仏停廃の宣旨や御教書を提示して、念仏禁断を主張しています。ここには、

「称名念仏行者又雖被賞翫既違敕者也。関東御勘気未蒙免許。何恣企関東近住哉。就中至武蔵前司殿御下知者準三代将軍並二位家御沙汰不可有改御沙汰云云。然今念仏者依何威勢非背於宣旨軽蔑於御下知重結構称名念仏之専修。依人而事異云在此謂歟。何恣致華夷縦横之経回哉」(二二七二頁)

と、のべているように、法然門下が関東や鎌倉に進出している現況を危険視しているのです。ここにいう武蔵前司殿とは北条泰時(一一八三~一二四二年)のことです。日蓮聖人は泰時を『御成敗式目』を制定し、善政を布いたと高く評価しています。(『日女御前御返事』一五一六頁)。そのひとつに、本書に専修念仏禁止令の施行にかかわって、下知状を発給したことを挙げます。本書はその事実を軽視し、念仏禁止が無効となったかのように台頭した念仏門徒や外護者を難詰したのです。末尾の「勘文篇」は、項目をあげるのみで文章は書かれていません。

□『十法界事』(一六)

 『平賀本』の写本があり、鎌倉においての著述とされています。『一代聖教大意』に「諸経にても成仏うたがひなし如何。答予之習伝処法門此答顕べし。此答法華経諸経超過又諸経成仏許不許可聞。秘蔵之故顕露に不書」(七一頁)とのべた文と、『守護国家論』に「常途天台宗学者於爾前許当分得道於自義猶不許当分得道。雖然於此書不尽其義。略記之。追記之」(一二五頁)とのべた文により、日蓮聖人が後述するとした、天台宗にむけての爾前無得道をのべた著述といわれています。

また、本書は本門如来寿量品をもって得道を説きます。本門未顕の迹門においても得道を否定し、「本門観心」(一三九頁)を論じるところに特徴があります。一妙日導・本妙日臨・優陀那日輝上人など、近世末期の先哲が重視した理由はここにあります。((『日蓮聖人遺文辞典』歴史篇四六六頁)。十法界とは十界のことをいいます。そのなかの声聞・縁覚を二乗といい、この二乗は爾前経において永不成仏といわれてきました。それは、二乗が灰身滅智を願行としたからです。そこで、二乗が灰身滅智して三界を出離したならば、十界が八界となり十界互具の論理が成立しないことになる、という設題のもとに二乗作仏について論及します。

本書は四重の問答形式をとっており、通例とは違い問者が日蓮聖人であり、答える者が天台宗や諸宗をかねています。まず、第一問においては、十界互具を知らないで六道のなかに生死流転をくりかえす凡夫が、変易の土に生ずることができるか、という問いを発し問答がはじまります。これについて、二乗はすでに見惑・思惑を断じているので三界に生ずることはない、よって変易の土に生じ界内分段の不浄の国土には生まれることはないと天台家は答えます。

第二の難問において、天台家は法華経の文を引き、爾前当分の成仏と、六道互具に二乗をふくむ四聖をあわせて、十界互具が可能となると説きます。

「於法華中雖説正直捨方便尚説見諸菩薩授記作仏。如此等文於爾前説非許当分之益乎。但爾前諸経不説二事。謂無実円仏又不説久遠実成。故至等覚菩薩有執於近成思。於此一辺与天人同挙能迷門不証生死煩悩一時断壊。

故唯説未顕真実。不明六界互具故不可出者此難甚不可也。六界互具者即可十界互具。何者権果心生者六凡差別也。観心生何無四聖高下乎」(一三七頁)

 これについて、第三重の難問において、日蓮聖人は「法華本門」と「観心智慧」がなければ「円仏」(一三八頁)にならないとのべ、天台宗が引く法華経の文の意味をつぎのように解釈します。

「此釈是云爾前前三教菩薩実不成仏也。但雖説未顕真実許三乗得道雖説正直捨方便而云見諸菩薩授記作仏者於天台宗有三種教相。第二化導始終之時於過去世有法華結縁之輩。於爾前中且為法華許於三乗当分得道。所謂種熟脱中熟益位。是尚迹門説。本門観心時非是実義。一往許耳。論其実義迷於如来久遠之本不知一念三千者永不可出六道流転。故釈云円乗之外名為外道文。又説諸善男子楽於小法徳薄垢重。若爾者経釈共道理必然也」(一三八頁)

と、三種教相のうち第二の大通結縁における熟益の分限であるとし、これを、本門観心の立場からみるならば、六道に流転し外道に類するとのべます。つまり、第一問から三問において、爾前経に説くところの二乗が見思惑を談じて、六道を出離したと説くが、実には十界互具が説き明かされていないので、六道を出離していないことをのべています。そして、法華経において始めて二乗作仏が可能となることを論証し、本門の観心、一念三千を知らなければ、迹門の成仏においても成立しないとのべます。

 そして、第四重の難問において、「法華本門観心」の意趣をもって釈尊一代聖教を論ずるならば、爾前・迹門・本門・観心の四重の興廃(「四重興廃)」があることをのべます。

「第四重難云以法華本門観心之意按一代聖教如取菴羅果捧掌中。所以者何。迹門大教起爾前大教亡。本門大教起迹門爾前亡。観心大教起本迹爾前共亡。此是如来所説聖教従浅至深次第転迷也」(一四〇頁)

 ここにおいては、四教の教主論をはじめとして、法華経においても迹門の始成仏と、本門の久遠実成の仏を相対させます。そして、本門如来寿量品の久遠円仏が開顕されて、「本無今有」の問題と「未来常住」・「過去常」の三世常住が成立し、本有の十界互具が開顕すると論じています。

「迹門但是説於始覚十界互具未必明於本覚本有十界互具。故所化大衆・能化円仏皆是悉始覚也。若爾者、本無今有失何得免乎。当知四教四仏則成円仏且迹門所談也。是故不知無始本仏。故無始無終之義欠不具足。又無無始色心常住之義。但説是法住法位者未来常住非是過去常也。不顕本有十界互具無本有大乗菩薩界也。故知。迹門二乗未断見思。迹門菩薩未断無明。六道凡夫不住本有六界有明無実」(一四二頁)

 そして、法華経の本迹二門の関係について、宝塔品の「皆是真実」の文をもって、両門ともに真実であることをのべます。しかしながら、本門が宣顕されなければ十界互具は成立しないとして、本門法華経の優位性をのべます。つまり、本門が示されたことにより迹門の真実が証明されたことになるのです。

「迹門既虚不可及論。但皆是真実者若望本門迹雖是虚於一座内論虚実故言本迹両門倶真実也。例如迹門法説之時譬説因縁二周於此一座無不聞知故名為顕。記九云若方便教二門倶虚。因門開竟望於果門則一実一虚。本門顕竟則二種倶実〔已上〕。此釈意者本門未顕以前対本門尚以迹門名為虚。若本門顕已迹門仏因即本門仏果故天月水月成本有之法本迹倶顕三世常住也。一切衆生始覚名言迹門円因。一切衆生本覚名為本門円果。修一円因感一円果是也。如是談法門之時、迹門爾前若本門不顕者不出六道。何出九界耶」(一四三頁)

古来、一致派・勝劣派に分かれた宗門において、一妙日導師は『祖書綱要』の本迹論において、本書が本迹一致を顕わすと論じています。

□『爾前二乗菩薩不作仏事』(一七)

 身延曾存にて『朝師本』の写本が伝えられています。著作地は岩本といいますが宛先など不明です。内容から図録六の『六凡四聖御書』と一連の著述という説があります。『六凡四聖御書』は『明師本』と『三宝寺本』の写本があります。

本書は、はじめに、無性闡提の永不成仏についてのべ、つづいて、二つの問答から構成されます。内容は題名のように、二乗と菩薩の作仏(成仏)を爾前経のばあいと、法華経を説いた後とを比較します。爾前において二乗は不作仏であるので菩薩もどうようであり、しかも菩薩の四弘誓願のなかでも「衆生無辺誓願度」を成就することができないとのべます。

「前四味之諸経不許二乗作仏。以之思之四味諸経之四教菩薩作仏難有歟。華厳経云衆生界不尽我願亦不尽等云云。一切菩薩必可発四弘誓願。其中衆生無辺誓願度之願不満之無上菩提誓願証之願又難成。以之案之四十余年之文限二乗者菩薩願又難成歟」(一四五頁)

 そして、二番目の問答として根拠となる証文を追及します。『涅槃経』・『一乗要決』・『般若波羅蜜多心経』(慈恩大師)・『註金剛錍論』(最澄)・『速証仏位集』(慈覚大師)・『仏性論縁起』(天親菩薩)の文をあげて、爾前の二乗・菩薩の不作仏を示します。そして、この文中にある十界皆成の証文により、法華経において作仏が成就することを示します。つまり、法華経において「二乗作仏」が説かれ、これにより菩薩も成仏できることを論じます。

この年に書写された『浄土宗要決巻中』が、中山法華経寺に所蔵されています。(『日蓮聖人御真蹟対照録』下巻六七頁)。また、正嘉年間の書写として、『断簡新加』(二八六)「露皆従赦宥」の五行断片と、同じく(二八七)の「濫刑於釈門」の五行断片が、西山本門寺に所蔵されています。

□『爾前得道有無御書』(一八)

本書は『朝師本』の写本が伝えられ、著述年次に文永一一年の説があります。内容は題名からわかるように爾前の得道の是非についてのべています。『守護国家論』において天台宗における爾前経の当分得道にふれ、これについては後にのべるので省略するとのべたことから、本書も『十法界事』・『爾前二乗菩薩不作仏事』とならんで、この追記とされる著述の可能性があります。冒頭に、「爾前当分跨節両得道有無事」(一四八頁)とあり、爾前の諸経は当分と跨節の二説があることをのべ、天台宗・浄土三部経・華厳宗・真言宗・法相宗・三論宗の所説は、爾前得道を主張していることを示します。これについて、

「自宗諸宗重重不審打滅畢。爾前経経一分無得道申候也。雖然当身易事国土不知之歟。諸人残不審候歟。捨我慢学之者何不悟之乎」(一五一頁)

と結ばれています。要するに、爾前諸経は当分の得道であって、真実には本書に天台宗が観経を批評したつぎの文に尽きます。

「但二乗作仏久遠実成計観経無之。末代凡夫非二乗作仏。久遠実成教主釈尊事我等沙汰之為何」(一五〇頁)

そして、この論理はすでに『守護国家論』にのべていることであり、早くには『戒体即身成仏義』(一〇頁)にみられるところです。

この年に日興上人が改衣し、日頂上人は真間の了性房の室に入ったといいます。(『本化別頭仏祖統紀』)。