122.『災難興起由来』~『唱法華題目抄』        高橋俊隆

□『二乗作仏事』(一九)

本書は『爾前二乗菩薩不作仏事』(一七)・『爾前得道有無御書』一八)につづき、法華経の迹門の教えである「二乗作仏」についてのべています。法華経の特色の一つは「二乗作仏」です。法華経が爾前経よりも勝れている理由となっています。これは、爾前経では成仏できないと言われた、声聞や縁覚も釈尊とおなじように仏となれることを説いています。また、じっさいに舎利弗は華光如来となったという現証を説いています。さらに、提婆達多や龍女の成仏は、これまでの経典にはなかった、破戒の悪人の成仏、女性の成仏を説いた画期的な教えでありました。

 本書の真蹟はなく、『朝師本』の写本があり、『縮刷遺文』続集にはじめて載せられました。宛先も不明です。「和漢混交文」といって、和文と漢文の両方が混じった著作で、日蓮聖人が教えを解らせるために使う問答体になっています。四段の構成をもっています。はじめに、爾前経において菩薩が成仏得道した経文はあるが、二乗が成仏得道した経門はないことを示します。つまり、本書のテーマである爾前に二乗作仏はないことをあげます。そして、問答に入ります。

まず、声聞と縁覚の二乗が成仏できないことは、結果的に、爾前の教えである『華厳経』・『方等経』・『般若経』に説かれている、「円教」の菩薩の成仏も成立しないことをのべます。なぜなら、「衆生無辺誓願度」と誓った菩薩の、すべての衆生を仏にするという願行が成就せず、釈尊が誓った「化一切衆生皆令入仏道」の文が空虚なことになります。ポイントとして、爾前経の教えは「純円」ではないこと、法華経いぜんの教えは「不了義」であることがあげられます。(一五三頁)。これを、「有名無実」といいます。

つぎに、天台大師だけが法華経を仏意と知ったとのべます。法華経は爾前の一切の教えをふくみ、法華経の教え(純円)がなけれが、爾前の教えの意図がわからないとのべ、そして、このことを弁えないと「謗法の罪に堕する」とのべます。

「法華経意一一文字皆爾前経意顕、法華経意をも顕。故読一字読一切経。不読一字不読一切経。若爾無法華経国雖有諸経得道可難。滅後可読一切経之様華厳経必列法華経顕彼経意観経必列法華経可顕其意。諸経又以如此。而月支末論師及震旦人師不弁此意講一経各謂我得。又成超過諸経之謂非曽不得一経意堕謗法罪歟」(一五四頁)

 天台大師いぜんに、このような仏説の意図を心得た者として、無著(むじゃく)の「四意趣」、龍樹の「四悉檀」、天親の「法華論」をあげますが、天台大師のように分明には説かれていないとします。天台大師が法華経を諸経に超過して勝れているとしたのは、法華経が「開権権実」と説いていることを、そのまま示したのであって、かたよった見解を説いたのではないとのべます。

 三番目に、『華厳経』の「心仏及衆生、是三無差別」の文をあげ、この解釈について、華厳宗の澄観と南岳大師をあげます。「性悪」の法門は両方にとっても大事なところです。天台の教義においては、本来、真如そのものに悪の性質がそなわっているとします。仏においても衆生を救済するために、その悪を自己のなかに留めていると解釈します。

「華厳経心仏及衆生是三無差別文、華厳人師於此文立一心覚不覚三義、源借起信論名目釈此文。南岳大師釈妙法二字借此文存三法妙義。天台智者大師依用之。於此天台宗人、存華厳法華同等義歟。又澄観於心仏及衆生文非存一心覚不覚義存性悪義云澄観釈彼宗謂此為実此宗立義理無不通等云云。此等法門可許不哉」(一五五頁)

  澄観――――一心覚不覚三義(心は総相、仏は本覚、衆生は不覚)――「天台の性悪の法門を盗用」

  南岳・天台―妙法・三法妙義(心法妙・衆生法妙・仏法妙)―――――「性悪・一念三千」

 ここにおいて、華厳宗と天台宗の違いをのべ、「性悪の法門」・「一念三千の法門」は天台宗に限ることを明かします。華厳宗・真言宗がいう「内証の法門」、は天台宗の盗用であるとのべます。つまり、震旦の人師の中に天台の外に「性悪」の名目を明かした者はないと断じ、澄観が『起信論』の名目を借りて「性悪」の義を立てるのは、天台の名目を偸(ぬす)んで自宗の内証としたと断言しています。

  華厳教学――性起

  天台教学――性具―性悪

華厳の教学は「性起」であるのにたいし、天台の教学は「性具」であるといわれ、その「性具」とは「性悪」であると四明知礼(しめいちれい。九六〇~一〇二八年。天台第一四祖)などは主張します。

 四番目の問答に、この『華厳経』の心仏及衆生、是三無差別」の文によって、天台は「円頓止観」・「一念三千」を説いたのかをのべます。ここには、とうじの天台宗が、華厳教学に同化していることを批判した一面があります。それは、なんども繰り返してのべている「爾前円」と「法華円」の解釈の違いです。このところを把握しなければ、「円頓止観」や「一念三千」が、法華経独自の教えであることがわからない、とするものです。

 ここにおいて、華厳宗が説く法華経との「同勝の二義」を示します。そして、天台宗が爾前円と法華円とは同じとすることにたいし、爾前円と迹門の相待妙の円と同じとのべます。ただし、迹門の絶待妙においては違うことをのべます。それは、法華経は「開権権実」を説くのであるから、爾前経とは異なり、爾前経が無得道の教えであることは分明であるとします。

 さらに、法華経の本門は「開迹顕本」を説き、本門の相待妙・絶待妙は、爾前・迹門と違うことをのべて、天台宗の学者が、この異なる解釈を忘れているとのべます。

「本門相対絶待二妙倶爾前無分。又迹門無之。爾前迹門異なれども二乗断見思菩薩断無明申ことは一往許之再往不許之。本門寿量品意於爾前迹門一向三乗倶不断三惑可得意。不弁此道理之間天台学者爾前法華一往同釈見永異釈忘結句名天台宗にて其義分華厳宗堕たり。堕華厳宗故方等般若円堕ぬ。結句善導等釈見不出。結句後謗法の法然に同じて如師子身中虫自食師子文」(一五七頁)

 したがって、天台宗とはいっても華厳宗と同じ解釈をするから、方等・般若経の円から抜けることがなく、浄土教の善導や法然の教義にも対抗できなかったとのべます。そして、師子の身中の虫のように、みずから最澄の天台宗を破滅させ、仏法を破壊することになったと批判します。

 そして、さいごに、『釈籤』を引いて、

「籤十云始従住前至登住来全是円義。従第二住至次第七住文相次第又似別義。於七住中又弁一多相即自在。次行向地又是次第差別之義。又一一位皆有普賢行布二門。故知兼用円門摂別」(一五七頁)

 仏道修行の階位は、それぞれ「普賢」(相即して融通)と、「行布」(隔歴の次第)の二つの見方をしなければならないとし、『華厳経』は兼ねて別教を説いた教えなので、「円教」ではなく「別教」に摂入(しょうにゅう)されるとのべています。

このように、「爾前無得道」を「二乗作仏」・「相待絶待妙」を争点としてのべるのは、建長・正嘉・文応の著作に多くみられ、日蓮聖人がテーマとした成仏論の基本である「即身成仏」に結びつきます。また、「謗法堕獄」にふれていました。とうじの天台宗の教学の様子がうかがえ、このような内容からみますと、同じ天台宗の僧侶、また、初心の弟子などのテキストとした著作と思われます。

□『災難興起由来』(二〇)

二月上旬の著述とされる『災難興起由来』は、冒頭の前紙が欠失していますが、一〇紙断片の真蹟が中山法華経寺に所蔵され、重要文化財に指定されています。なを、『対照録』(中巻三七頁)には、一巻一二紙とあり、これは首尾両紙を除き他の一〇紙の表裏両面を使用されたとあります。丁数は二二紙です。第一〇紙三行目から第一二紙までと、第一一紙裏から第二紙にかけて要文が書かれています。この裏面を『像法決疑経等要文』(図録、二二七三頁)としています。後半の「別時意」(二二七四頁)の真蹟は文永元年としています。『対照録』(中巻四五頁)。

また、関戸堯海先生は、本書と『災難対治鈔』・『立正安国論』に引用されている経論疏を整理し、ここから、『災難興起由来』は『災難対治鈔』と同じ構成であることを確認し、前半が失われ後半のところだけが残ったのが現在の『災難興起由来』と指摘しています。(『日蓮聖人教学の基礎的研究』四八六頁)。

本書は問答の形式をもちいて、『守護国家論』でのべた国土の災難の原因は、『選択集』の誤った教えを信仰しているからであるとした、論点の延長にあります。災難を回避するためには、謗法の原因である『選択集』と諸宗の謗法者対治することにあり、いろいろな祈請をしても効験はないとします。つまり、『災難対冶鈔』に続くのは、いろいろな祈祷などを行っても、その効果がないことの理由をのべることにあります。そして、『立正安国論』に結実していきます。ここにおいて、国主が正しい仏教を見極めることの責任と、念仏者たち謗法の者への布施をやめるという、制圧が解決法であるとします。

 本書の冒頭の答文に、「夏桀・殷紂・周幽等世」(一五八頁)とあげたことから、暴虐非道な帝王による国家の滅亡を示しています。仏教が伝来するいぜんには謗法の者がいないので、いかなる理由で国家が滅亡したかを問います。それに答えたのがつぎの文です。

「答曰仏法未渡漢土前黄帝等以五常治国。其五常渡仏法後見之即五戒也。老子・孔子等亦仏遠鑑未来和国土為令信仏法所遣三聖也。夏桀・殷紂・周幽等破五常亡国。即当破五戒也。亦受人身成国主必依五戒十善。外典浅近故雖不論過去修因・未来得果持五戒十善成国王。故有人破五常上天変頻顕下地妖間侵者也。故今世変災亦国中上下万人多分信選択集故自弥陀仏外於他仏他経於至拝信者背面不至礼儀吐言無随喜心。故於国土人民殊破礼儀道俗犯禁戒」(一五八頁

○世法即仏法・世出不二

 中国において仏教が伝来する前は、儒教の倫理説を重んじ、有徳の人物が帝王となって国を治めるという礼教を重視していました。儒教における五常とは、仁・義・礼・智・信をいい、この五徳と五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)をまもることが恒常不変の道となるとして、五常の道を大切にします。

前述しましたが、中国仏教ではこれを五戒にあてはめて、これを実践することを大孝としていました。儒教の思想は仏教に包摂されており、人間の行為によって社会の善悪がわかれ、とくに、君主の治世により国家の興亡があることを示したのです。

不殺生戒――生き物を殺してはいけない

不偸盗戒――他人のものを盗んではいけない

不邪淫戒――自分の妻(または夫)以外と交わってはいけない

不妄語戒――うそをついてはいけない

不飲酒戒――酒を飲んではいけない

日蓮聖人は夏の桀王・殷の紂王・周の幽王」などの国王が、五常・礼教の倫理を無視したため、災難が興起し国が滅亡したとのべます。つまり、五常を破ることは五戒を破ることと同義とみています。また、国王となるのは過去に五戒・十善の修因をした得果であるので、五常を破ると天変地夭がおきるのが道理とのべます。十善とは在家がまもる戒律のことで、小乗の五戒のうち不飲酒戒を除き、これに不綺語・不悪口・不両舌・不貪欲・不瞋恚・不愚痴を加えたものです。五常を犯せば仏教に背くという立場から、国土が騒乱し破壊していく原因とみるのです。この日蓮聖人の世法観・百王思想は随所にみられるので、充分に把握しなければなりません。そして、本書の趣旨である『選択集』の流布により、現在の災難が興起したと言及していきます。

 また、日蓮聖人は国主と王法と仏法をくらべるときに、「仏法為先」という立場をとっています。日蓮聖人は、国主となるべき人は前世において、仏教護持の功徳を積んでいるという、仏教的要因を認めています。しかし、国王といえども諸天善神、大小の神祇の下位にあり、したがって、教主釈尊にたいしては一人の従者に過ぎないとします。この判断をもとにして仏法と王法を対置するとき、仏法を絶対のものとして優先していきます。

また、国主は正しい仏法を採択し、仏事の功徳を民衆に勧め、仏教による政治を行うとき、国土が繁栄すると主張します。国王や主上であっても仏教の教えに背くならば、これを覚醒させることを使命とします。これを「仏法為先」といい、日蓮聖人においては、これらの権力者に対峙して法華経を広めていきます。ここに、国政を騒乱するとして国主などから迫害をうけることになります。

 つぎの問答は、この五常がどうして五戒と同義なのかをのべます。これについて、『金光明経』『法華経』「若説俗間経書・治世語言・資生業等皆順正法」((『開結』四八三頁)。『普賢経』「正法治国不邪枉人民。是名修第三懺悔」・『涅槃経』・『弘決』・『普通広釈』(安然和尚)の「西方有聖人号釈迦」、そして、『周書異記』の釈尊の出生と入寂のときに大地が震動した文をあげ、外典で説く五常は仏法の五戒に当たる文証とします。このうち、『金光明経』と『周書異記』の文について、つぎのように解釈をします。

今勘之金光明経一切世間所有善論皆因此経。仏法未渡於漢土先黄帝等習玄女五常。即□源玄女五常習久遠仏教黄帝令治国。機未熟説五戒不知過去未来。但現在治国至孝至忠立身計也。余経文以亦如是。亦周書異記等者仏法未被真旦已前一千余年人西方有仏知之。何況老子生於殷時有周列王時。孔子亦老子弟子顔回亦孔子弟子也。豈不知周第四昭王・第五穆王之時蘇由扈多所記一千年外声教被及此土文乎。亦以内典勘之仏慥記之。我遣三聖化彼真旦。仏漢土為弘仏法先遣三菩薩於漢土諸人教五常為仏経初門。以此等文勘之仏法已前五常仏教之内知五戒」(一五九頁)

 つまり、外典は仏法の初門であり、五常によって久遠の仏教の基礎とし、機根が未熟であるので五戒を説いても無知であるが、現世の行為は現実には五戒を基としているとのべます。そして、老子・孔子・顔回の三聖は、釈尊が遣わした菩薩であり、仏教の入門として五常を教えたとのべます。これにより、仏法伝来以前の五常が五戒と同じであると述べます。ここに窺ることは、仏教伝来いぜんにおいても人倫の行いは仏教の戒律思想に準じるという見方をします。大乗仏教においては俗世間の生活や道徳、現象や事物という現実を肯定します。方便品の「是法住法位世間相常住」、分別功徳品の若説俗間経書・治世語言・資生等皆順正法」の文は、世法と仏法を一つのこととして捉えています。分別功徳品の文は世法を実相と説き、正法に準じるものと示しています。

この「世法即仏法」という教学は、日蓮聖人の教学を形成するうえにおいて重要な位置をしめています。本書と同意の思想は、佐渡において著述した『開目抄』にもみられます。すなわち、冒頭に、

「夫一切衆生の尊敬すべき者三あり。所謂主・師・親これなり。又習学すべき物三あり。所謂儒・外・内これなり。儒家には三皇・五帝・三王、此等を天尊と号。諸臣頭身、万民の橋梁なり。(中略)此等の聖人に三墳・五典・三史等の三千余巻の書あり。其の所詮は三玄をいでず。三玄と者、一者有の玄、周公等此を立。二者無の玄、老子等。三者亦有亦無等、荘子が玄これなり。玄者黒也。父母未生已前をたづぬれば、或元気而生、或貴賎、苦楽、是非、得失等皆自然等[云云]。かくのごとく巧に立といえども、いまだ過去未来を一分もしらず。玄者、黒也、幽也。かるがゆへに玄という。但現在計しれるににたり。現在にをひて仁義を製して身をまほり、国を安ず。此に相違すれば族をほろぼし家を亡等いう。此等の賢聖の人々は聖人なりといえども、過去をしらざること凡夫の背をみず、未来をかがみざること盲人の前をみざるがごとし。但現在に家を治、孝をいたし、堅く五常を行ずれば 傍輩もうやまい 名も国にきこえ、賢王もこれを召て或は臣となし、或は師とたのみ、或は位をゆづり、天も来て守りつかう。所謂周の武王には五老きたりつかえ、後漢の光武には二十八宿来て二十八将となりし此なり。而といえども、過去未来をしらざれば父母・主君・師匠の後世をもたすけず、不知恩の者なり。まことの賢聖にあらず。孔子が此土に賢聖なし、西方に仏図という者あり、此聖人なりといゐて、外典を仏法の初門となせしこれなり。礼楽等を教て、内典わたらば戒定慧をしりやすからせんがため、王臣を教て尊卑をさだめ、父母を教て孝高きことをしらしめ、師匠を教て帰依をしらしむ」(五三六頁)

と、倫理的な世法の「主師親三徳」をのべ、習学すべき教えに「儒外内三道」をあげます。この世法即仏法・世出不二から凡夫即仏、そして、この延長に娑婆即浄土の教えが導かれてくるのです。

つぎに、『選択集』と謗法の関係についてのべます。『選択集』を信じる者のなかに、如上の災難に値遇しない者はいないのか、と問います。身口意の三業は善業は楽果、悪業は苦果を説きますが、この業果において「業力不定」とのべます。「業力不定」とは罪の受け方に違いがあることをいいます。定業とは業報を受ける時期が定まっていることをいい、三種の受け方があります。日蓮聖人はこの三種の定業である順現受業・順次生業・順後受業をあげます。

  定業三種

順現法受業(順現業)―現世に善悪の業報を受ける――此人現世得白癩病乃至諸悪重病

順次生受業(順生業)―生まれかわって報を受ける――若人不信毀謗此経О其人命終入阿鼻獄

順後次受業(順後業)―三回目の生まで受け続ける

そして、『選択集』を信じる謗法者の業果には、現在に苦果を受ける者と、来世以降に苦果を受ける者がいて、この業力は不定であるが、「入阿鼻獄」は必定であると経文をあげます。また、法華経・真言などの大乗経を信じる者のなかにも、内心に『選択集』を信じ法華経に背く行為をすれば、同罪として災難を逃れることはできないとのべます。

 では、どのようにしたならば、災難を逃れることができるかを問います。それは、謗法の書である『選択集』と法然の門徒を対治することであると言明します。その対治の方法とは謗法の念仏僧に布施や供養をしないことであるとします。

「問曰 如何可対治。答曰治方亦経有之。涅槃経云仏言唯除一人余一切施О誹謗正法造是重業О唯除如此一闡提輩施其余者一切讃歎[已上]。自此文外亦有治方。具載不暇」(一六一頁)

 『涅槃経』の文を引いて、逆説的に誹謗正法の者には布施をしてはならない証文とし、謗法を断絶せしめるべきことを示したのです。この対治策は『立正安国論』において、強く主張されていきます。

「主人曰客明見経文猶成斯言。心之不及歟。理之不通歟。全非禁仏子。唯偏悪謗法也。夫釈迦之以前仏教者雖斬其罪能仁之以後経説者則止其施。然則四海万邦一切四衆不施其悪皆帰此善何難並起何災競来矣」(二二四頁)

と、布施を制止する「止施」という方法をのべます。そして、日蓮聖人がこの正論をのべれば、逆に日蓮聖人を謗法者と蔑視し怨敵をなすとのべます。勧持品に説かれた三類の強敵が、すでに日蓮聖人を誹謗し迫害していたことを看取できます。三類の強敵については前述したように、法華経の行者を迫害する敵対者のことで、勧持品の二十行の偈文として重要な経文です。

 (三類の強敵)

・「俗衆増上慢」「有諸無智人悪口罵詈等及加刀杖者我等皆当忍」『開結』三六三

「道門増上慢」悪世中比丘邪智心諂曲未得謂為得我慢心充満」『開結』三六三

・「僭聖増上慢」或有阿練若納衣在空閑自謂行真道軽賎人間者貪著利養故与白衣説法為世所恭敬如六

通羅漢是人懐悪心常念世俗事仮名阿練若好出我等過而作如是言此諸比丘等為貪利養故説外道論議自作此経典誑惑世間人為求名聞故分別説是経常在大衆中欲毀我等故向国王大臣婆羅門居士及余比丘衆誹謗説我悪謂是邪見人説外道論議」『開結』三六三

「法華色読」「濁劫悪世中多有諸恐怖悪鬼入其身罵詈毀辱我我等敬信仏当著忍辱鎧為説是経故忍此諸難事我

愛身命但惜無上道」『開結』三六四

数数流罪」「悪口而顰蹙数数見擯出遠離於塔寺」『開結』三六五

道門増上慢とは『守護国家論』において断定した、法然に系譜する所化の弟子をいい、悪世の比丘と断定したのです。天変地異の災難が起きるのは、これら謗法の者を褒め称え供養するからであるとし、ここには明らかに正法を広める日蓮聖人を阻害している様子がうかがえます。

「仏所讃歎(仏の讃歎する所の『対照録』)捨世中福田所誡於一闡提加讃歎供養。故弥貪欲心盛謗法音満天下。豈不起災難乎」(一六一頁)

 謗法の者に金品などの供養を止めた場合に、その罪の有無について問い質したのがつぎの問答です。

「問曰於謗法者留供養加苦治有罪不。答曰涅槃経云今以無上正法付属諸王・大臣・宰相・比丘・比丘尼О毀正法者王者・大臣・四部之衆応当苦治О尚無有罪[已上]。一切衆生至于蟻蚊虻必有小善。謗法人無小善。故留施加苦治也」(一六一頁

 ここに、『涅槃経』の文を引いて罪がないことを示し、かえって、謗法の者は小善の功徳でさえも得ることができない罪業の深い者であるから、布施をしてはいけないとのべます。ここに「留施」と示しています。そして、最後の問答に入ります。日蓮聖人が法然門下にたいし暴言を吐くのは、「不謗四衆」と「不謗三宝」の二重の戒律を破ることになるのではと問います。前述したように、日蓮聖人は『守護国家論』(一一九頁)にのべた、『涅槃経』の「仏法中怨」の文をあげて、謗法の者を対治しないことこそが、釈尊の遺戒を守らない破戒であるとのべます。

 国王がこの訓戒を守らなければ、「三種の不詳」があるとのべます。これは、国土に起こる飢餓・兵革・疫病流行の災難をいいます。そして、国王は現身に重病を患い経文のごとく地獄に転落すると説かれています。日蓮聖人は災難の起きる由来を確かめ、正法に準拠した政治をすべきことを主張したのです。最後に『仁王経』の、

「如此文且閣万事先可慥此災難起由歟。若不爾者仁王経見国土乱時先鬼神乱鬼神乱故万民乱之文。当時有鬼神乱・万民乱。亦当国土乱。愚勘如是。取捨任人意焉」(一六二頁)

「見国土乱時先鬼神乱鬼神乱故万民乱」の文を挙げます。この経文は随所にみられ、日蓮聖人が国土騒乱の経証としています。日蓮聖人はすでに国土に鬼神や民衆の乱れが起きているのであるから、天変地異も重ねて興起するのは確実であるとして、国主は謗法の僧侶たちを供養することなく、正法である法華経を信仰するよう進言したのです。

□『災難対治鈔』(二一)

同じく二月に著した『災難対冶鈔』があります。本書は一巻一五紙からなり、中山法華経寺に所蔵されています。冒頭に種々の災難の根源を知って対治を加えるべき勘文とあることから、中山の日祐上人は『日祐目録』に『種種災難根源御勘文』としています。

国土起大地震・非時大風・大飢饉・大疫病・大兵乱等種種災難知根源可加対治勘文」(一六三頁)

 そして、ただちに経文を提示します。引例の一部をあげますと、

『金光明経』「世尊我等四王並諸眷属及薬叉等見如斯事捨其国土無擁護心。非但我等捨棄是王必有無量守護

国土諸大善神皆悉捨去。既捨離已其国当有種種災禍喪失国位(中略)有他方怨賊侵掠国内人

民受諸苦悩土地無有所楽之処」

『大集経』 「国内出三種不祥事。乃至命終生大地獄」

『仁王経』 「大王国土乱時先鬼神乱。鬼神乱故万民乱(中略)若一切聖人去時七難必起」

これらの引用は、大小の三災七難等の災難が起こる文証を示し、災難が興起する根本的な原因を明らかにすることが目的です。つづいて、『法華経』・『涅槃経』の鎮護国家を説いた文をあげます。

『法華経』「令百由旬内無諸衰患」

『涅槃経』「是大涅槃微妙経典所流布処当知其地即是金剛是中諸人亦如金剛」

『仁王経』「令千里内七難不起」

 これらの経文は、仏教の教えをまもり仏戒を破棄しなければ、国土も国王も国民も衰患がなく七難などの災害から守護されると説いています。つまり、仏教において、鎮護と「破仏法因縁・破国因縁」の両者があることを示し、この解釈を本書のおいて、一七番の問答形式をとって論及していきます。直接的には建長八年八月より正元二年二月にいたるまでに国土に災難が起きたことの原因を仏教に求めます。

「今勘之法華経云令百由旬内無諸衰患。仁王経云令千里内七難不起。涅槃経云当知其地即是金剛是中諸人亦如金剛文。疑云今見聞此国土起種種災難。所謂自建長八年八月至正元二年二月大地震・非時大風・大飢饉・大疫病等種種災難連連于今不絶。大体国土人数似可尽。依之致種種祈請人雖多之無其験歟」(一六五頁)

このことについて、『金光明経』などによると法華経を捨て去ることがあれば、日本国を守護する諸天善神が「神天上」・「善神捨去」することの文をあげます。

「以此等文勘之法華経等諸大乗経雖在国中一切四衆生捨離心不起聴聞供養志。故国中守護善神・一切聖人捨此国去無守護善神聖人等故所出来災難也」(一六五頁)

日蓮聖人は「破仏法・破国」の因縁とはなにかを問います。勧持品の「道門増上慢」の文を引き、現在において悪比丘が蔓延り、それを信じる国主がいるため仏法の教えを捨て離れているとのべます。まさに、『仁王経』に説く「師子身中虫」であり、仏弟子のなかに破戒の者が存するとのべます。これは、「以小破大」・「以権破実」をおこなったためであり、釈尊の説法に方便説があり、大小・権実の教判があることをわきまえないために、誹謗正法の謗法罪を犯し、このため「破仏法・破国」の重罪を作るのです。

さらに、謗法の重罪である破国・破仏法の根源は、法然の『選択集』にあると展開していきます。『選択集』の浄土三祖の文と、法然の「捨閉閣抛」の教えは「善神捨去」であるとします。このゆえに、今、日本国に天変地異の三災七難がおきるとのべます。

「今勘之日本国中上下万人深信法然上人(もてあそぶ)此書。故無智道俗此書中見捨閉閣抛等字自浄土三部経・阿弥陀仏外於諸経・諸仏・菩薩・諸天善神等作捨閉閣抛等思彼於仏経等不起供養受持等志還生捨離心。故古諸大師等所建立鎮護国家道場雖令零落無護惜建立心。無護惜建立心故亦読誦供養音絶守護善神不嘗法味。故捨国去四依聖人不来也。偏当金光明仁王等一切聖人去時七難必起我等四王皆悉捨去既捨離已其国当有種種災禍文。豈非諸悪比丘多求名利悪世中比丘邪智心諂曲人乎」(一六八頁)

つぎの問答は『災難興起由来』にのべていた、世法(五常)と仏法、そして、『選択集』が流布したために災禍がおきることを再述しています。一二番目の問答にはいります。『災難興起由来』(一六〇頁)と同じく法華・真言を信じる者であっても、それは外見だけであり内心に『選択集』を信じるならば、この災難をのがれることはできないとし、ここに災難が興起する根源的な問題があることを指摘します。一三番目には、同じく『災難興起由来』の「業力不定」・「定業三種」についてふれます。

 そして、本書の肝心である災難対治に言及します。結論は『災難興起由来』と同じく『涅槃経』を引き、正法を誹謗する「一闡提輩」にたいしては、布施を留める(「如此文者留施可対治見」一七〇頁)ことをのべ、国土の災難を回避する方法を示し、『涅槃経』の「仏法中怨」の責務を果たすためであると述べます。つまり、謗法の者を供養しないで苦治することは、仏罰を被ることではなく、かえって仏意にしたがうことであるのです。本書には、この謗法の者を法然上人とその門下であると示しました。

「予見此文故為免仏法中怨責不憚見聞法然上人並所化衆等称可堕阿鼻大城由。聞解此道理道俗中少少有回心者」(一七一頁)

 ここに、日蓮聖人の教えにより改心した念仏者がいたことがうかがえます。念仏の邪法対治・謗法禁断をしなければ、災難が重複して起きると断言して結ばれています。『災難興起由来』と本書の共通した邪法禁断の護国思想は、鎮護国家を説く『金光明経』・『仁王経』・『涅槃経』などを依拠としていました。そして、『立正安国論』の草案と位置づけられることは周知のことです。

また、『像法決疑経等要文』はこのころのものといわれており、『災難興起由来』の裏書で親蹟一三紙です。冒頭に『像法決疑経』の要文が引かれていることから題名になっています。『涅槃経』の「依了義経不依不了義経」、『摩訶止観』の「正修止観」、『弘決』「説己心中所行法門」などの要文をあげています。正元二年とされる断簡に、『断簡新加』(二九二)「次不邪淫」の五行、「七方便二種涅槃」のつりものがあります。また、「秘書要文」・「十重禁戒御抄録」・「法華文句要文」・「一乗要決要文」・「一乗要決要文」・「断簡一四六等貼合」などがあります。日蓮聖人が仏教の基礎教学や、信仰的に戒律の問題を直視して、弟子や信徒に教えていたことが窺えます。

□『十法界明因果鈔』(二二)

 身延三世の日進上人の古写本が、身延山に所蔵されています。この写本に四月二一日とありますが、正元二年は四月一三日に改元されていますので、正式には文応元年の著となります。沙門日蓮撰」とあり翌月に、『唱法華題目鈔』が著されていることから、名越にて撰述されたといいます。一説には比企能本にあたえたといいます。

 内容は『十界因果鈔』と別称されるように、十界について各々の修因とその感果、つまり、修行(菩薩行)とその結果(仏果)を極める著述といえます。はじめに、十界の用語が法華経の法師功徳品(『開結』四六六頁)にあることを示し、十界のそれぞれをのべていきます。

「法華経第六云地獄声・畜生声・餓鬼声・阿修羅声・比丘声・比丘尼声〔人道〕・天声〔天道〕・声聞声・辟支仏声・菩薩声・仏声〔已上十法界名目也〕」(一七一頁)

 まず、地獄界については、十悪・五逆の罪をつくった者が、地獄に堕ちて獄苦を受けることを、『観仏三味経』・『正法念経』・『涅槃経』に説かれていることは周知のことですが、大乗を誹謗する謗法の罪により地獄に堕ちることの意味を問います。ここに、「謗法堕獄」についてのべていることに注目されます。弥勒菩薩の『宝性論』を引き、大乗教を知らず小乗教が真実と信じることを謗法とする義を示します。天親菩薩の『仏性論』を引き、自他ともに大乗を捨てることは一闡提となり、これを謗法とします。天台大師の『梵網経疏』を引き、謗法とは仏説をまちがって理解することであり、真実に背くことになるので罪になることを示します。そして、譬喩品の「若人不信~入阿鼻獄」の文をひき、法華経は上根の菩薩のために説かれた教えで、末代の凡夫が成仏する教えではないと言う者が、この譬喩品に説かれた堕獄者であるとのべます。

「此文意不嫌小乗三賢已前・大乗十信已前・末代凡夫十悪・五逆・不孝父母・女人等。此等聞法華経名字或唱題名受持読誦一字一句四句一品一巻八巻等乃至亦如上行人随喜讃歎人自法華経之外一代聖教深習達義理堅持大小乗戒勝於如大菩薩者可遂往生成仏説不信還法華経為地住已上菩薩或為上根上智凡夫非為愚人悪人女人末代凡夫等言者即断一切衆生成仏種可入阿鼻獄説文也」(一七二頁)

『戒体即身成仏義』(一二頁)において、すでに「法華不信」を「断仏種」・「謗法堕獄」と規定していますが、本書には謗法が堕獄であることの典拠をあげています。また、『涅槃経』を引き、法華経が捨て去られているのを黙止することも誹謗であり、天台大師は法華経を信じないで仇をなす者を、「怨敵」と定めていることを強調します。

 謗法にも多種あるとして、法華経が流布している時に、法華経を捨てさせることが「大謗法」(一七三頁)であると厳重に訓戒し、これらが地獄の業であるとのべます。ここには、「退大取小」が謗法堕獄であることを示しています。そして、阿難尊者の故事を引き、釈尊が入滅して四〇年目には、既に誤った仏説が伝えられていたのであるから、まして、三国を経由して伝来した論釈に誤解があるのはとうぜんであり、当世の学者が日蓮聖人を信用しないことは謗法となるとのべています。

 餓鬼道は『正法念経』を引いて説明し、法華経の「若人不信~入阿鼻獄」につづく、「常処地獄如遊園観在余悪道如己舎宅」(『開結』一七一頁)の文を引き、もの惜しみや(慳貧)盗み(偸盜)をした者が、餓鬼道に堕ちるのは首肯できるであろうが、善人であっても謗法者であるなら、また、謗法者と親しくしているうちに、邪教を信じて謗者となるとのべています。つまり、謗法による餓鬼道を示したのです。

 畜生道は愚痴と解釈され、無智により愚かな行動をすることをいいます。無智であり罪を犯しても反省や恥じることがない無慚な者は、信施や他物などを受けても代償をしないから、この畜生道に堕ちるとします。また、同じく法華経の「若人不信~入阿鼻獄」のつづきである「従地獄出当堕畜生」(『開結』一六八頁)を引き、謗法による原因としています。これまでが三悪道です。

 修羅道については『止観』を引きます。修羅とは闘争の心をいいます。激しい嫉妬や執着から人を卑下し蔑視する者のことで、外面には五常(五倫)を見せても、それは下品の善心であって実には修羅道をおこなっているとします。人間道は『報恩経』の仏・法・僧の三宝を尊敬し帰依した者、五戒をたもった者が人間界に生まれてくることをあげています。

 天道は二つあり、欲天には十善をたもった者が生まれ、色界・無色界には六行観を修めた者が生まれることをのべます。十善は先にのべましたが十悪に対する行為です。身口意の三業がつくる罪悪のことで、殺生・偸盗・邪淫・妄語・綺語(きご)・悪口(あっく)・両舌・貪欲(とんよく)・瞋恚(しんい)・邪見をいいます。六行観とは『倶舎論』・『四教儀註』によりますと、下界(下地)を麁・苦・障の三つ(下地三行相)、天界(上地)を静・妙・離の三つ(上地三行相)、これを合わせて六行相といいます。下地の三つを厭い上地の三つにかえていく、断惑の方法をいいます。これを、「厭下欣上」の観法といいます。外道では、この六行観によって非想天に達すれば、涅槃を成就できると考えます。小乗仏教になると煩悩を断じ灰身滅智した境涯を涅槃とし到達点とします。

 以上の六道の生因を概観し、同じ五戒をたもち同じ人間に生まれても、「生盲・聾・唖・陋・街求・背傴・貧窮・多病・瞋恚」(一七五頁)などの、多くの差別があるのはなぜかを問います。『大論』を引きこれらは「先世業因縁」によることを示し、自業自得を明らかにします。法華経の譬喩品の「若人不信~入阿鼻獄」の文につづく、

「若得為人 諸根暗鈍 陋戀躄 盲聾背傴有所言説 人不信受 口気常臭 鬼魅所著貧窮下賎 為人所使 多病痩 無所依怙雖親附人 人不在意 若有所得 尋復忘失若修医道 順方治病 更増佗疾 或復致死若自有病 無人救療 設服良薬 而復増劇若佗反逆 抄劫窃盗 如是等罪 横羅其殃」『開結』一七〇頁

の文を引いています。ここに法華経を信じない者が謗法となる業因を示しています。また、普賢菩薩勧発品の法華経を信仰する者を悪口し迫害する者は、もろもろの悪重病に悩まされるという文を引いています。

「若復見受持。是経典者。出其過悪。若実若不実。此人現世。得白癩病。若有軽笑之者。当世世。牙歯疎欠。醜唇平鼻。手脚繚戻。眼目角。身体臭穢。悪瘡膿血。水腹短気。諸悪重病」『開結』五九七頁)

 ※「三界九地」については、前述の『四教略名目』(二八八〇頁)に、日蓮聖人が図示して教えているように、一念三千の成仏を理解するために必須のことです。

  ・苦諦(生滅四諦)の二十五有

  (九地)    (三界) (二十五有)衆生が輪廻する世界     (六道)

              ―四悪趣(四有)―――――――――――――地獄・餓鬼・畜生・修羅

  五種雑居地―――欲界―――四州――――――――――――――――――人             ―六欲天――――――――――――――――

  捨念清浄地―――色界―――大梵・四禅・無想・五那含(浄居)天―――天

  非想非非想処地―無色界――四空処[有頂天]―――――――――――

  (界内・界外)

  三界六道を輪廻する―――――見・思惑―――界内―空理―蔵教・通教―凡聖同居土

  迷妄を離れた四聖界―――――塵沙・無明惑―界外―中道―別教・円教―方便・実報・寂光土

 つぎに、この六道の王となるには、どのような善根を修めればよいかを問います。答えは大乗の菩薩戒をたもつこととします。そして、『心地観経』を引き、人天は「三聚浄戒」をたもつことを示します。つまり、『地持経』・『瓔珞経』などに説かれた三種の菩薩戒である、摂律儀戒(一切の悪を捨て去ること)・摂善法戒(一切の善を実行すること)・摂衆生戒(一切の衆生にあまねく利益を施すこと)をたもつことをいいます。さらに、修羅界は転輪聖王というように、六道のそれぞれの王となる戒をあげます。また、安然和尚の『普通広釈』などを引き、

「以此等文思之小乗戒持破者作六道民破大乗戒者成六道王持者成仏是也」一七七頁

と、小乗戒を破れば六道のそのままの現身となるが、大乗戒を破っても戒徳の功徳力が大きいので、六道の各々の王となり、持戒を成就すれば成仏すると示しています。

 第七に声聞道をのべます。仏教は声聞と縁覚の二乗を対機としているといわれ、とくに、阿含部は因果や断惑を紛明に説いています。大乗経においては六道や菩薩と対比して成・不成が説かれ、法華経にはいりはじめて二乗の作仏が説かれました。声聞は比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷をいいます。つまり、出家の男女と在家の男女をいいます。舎利弗や目連尊者が代表です。これらの声聞は煩悩を断じ、身も心もすべてを無に帰すこと(無余灰断)を理想とします。この境地が涅槃であり小乗仏教といわれる理由があります。これを「灰身滅智」といいます。

「一代諸経列座如舎利弗・目連等声聞是也。永不生六道。亦不成仏菩薩。灰身滅智決定不成仏。小乗戒手本尽形寿戒一度壊依身永無戒功徳。持上品成二乗持中下生人天為民。破之堕三悪道成罪人也」(一七八頁)

 声聞の「戒体」は尽形寿」であるので、せっかくたもった戒も一生のものとなります。上・中・下の三品の戒のたもち方の別があり果報も異なるとのべます。この「尽形寿」については、『戒体即身成仏義』にふれていたことでした。日蓮聖人は少年のころより、出家者として「戒体」について考察していました。

「但小乗教の意は、此戒体をば尽形寿一業引一生の戒体と申也。尽形寿一業引一生と申は此身に戒を持て其戒力に依て無表色は発す。此身与命捨尽彼戒体に遷る也。一度生人間天上以此戒体二生三生と生るゝ事なし。只一生にて其戒体は失ぬる也。譬作土器一度つかひて後の用に不合ごとし。倶舎論云別解脱律儀尽寿或昼夜云云。又云一業引一生云云。此文に尽寿一生等と云へるは尽形寿と云事也」(二頁)

 ここにおいては、声聞の「小戒」は自身の得脱だけを望むという、自己中心的な思考があるため、大乗の化他心と比べて限界があることを示したといえます。

 第八に縁覚道については、部行独覚と麟喩独覚の二つをあげます。独覚は辟支仏と音写し、師匠がいなくても独りで悟りを得ることができ、その悟りを自分のものだけにして、他人に教えない聖者のことをいいます。『文句』に無仏の世に飛花落葉の外縁により無常を悟る者と、仏に十二因縁を聞いて悟る二者を説いており、前者を独覚とし後者を縁覚と区別しています。部行というのは、同門の仲間とともに修行する者をいい、麟喩とは麒麟の一角のように独りで悟りを得る者をいいます。諦観の『天台四教儀』には、仏が出生したときに直接十二因縁の教えを聞いて真諦を悟ったのが縁覚、仏がいない無仏のときに生まれて十二因縁の理を悟った者を独覚とわけます。名前は異なるが三界の見・思惑を断じることは声聞と同じであるから、「行位無別」とします。

『四教略名目』(図録三一)にみたように、日蓮聖人は部行独覚を鈍根(二八九一頁)、麟喩独覚を「利根」に分けています。そして、どちらも無仏の世に出生して菩提を証得しますが、麟喩独覚は前世に仏の出世に会い七賢の位に上った人とあります。今生は仏の教化に会わなくても、見思の惑を断じて菩提を証得したとのべています。しかし、ともに利他に欠けているので、声聞と同じくこの二乗は成仏はしないとされます。法華経にはいり「二乗作仏」がゆるされます。

 第九に菩薩界にふれます。前述したように「三聚浄戒」が菩薩の戒律とされ、自身の利益よりも他人の利益を優先するのが大乗の戒です。

「六道凡夫之中有軽自身重他人以悪向己以善与他念者。仏為此人於諸大乗経説菩薩戒。於此菩薩戒有三。一者摂善法戒。所謂八万四千法門願習尽。二者饒益有情戒。度一切衆生之後自欲成仏是也。三者摂律儀戒。欲一切諸戒尽持是也」(一七八頁)

三聚浄戒の内容を説明し、『梵網経』の「十住禁戒」にふれます。大乗戒は『梵網経』に説かれており、その具体的な内容は、「十重四十八軽戒」です。これは、「三聚浄戒」のなかの「摂律儀戒」にあたります。『梵網経』の「菩薩心地戒品」第十は上下二巻として訳出されましたが、その下巻の偈頌以後の所説を別録とします天台大師は、『菩薩戒経』と名づけ、弟子の章安大師灌頂(五六一~六三二年)が『義疏』二巻を撰述しました。

 つづいて四回の問答があります。『梵網経』に、二乗をのぞいて「十住禁戒」を授けるのは、二乗は「灰身滅智」するので饒益有情戒(摂衆生戒)をたもたないからです。菩薩と二乗の根性の違いをのべますが、では、この「三聚浄戒」をたもち、いつ成仏するのかを問います。『瓔珞経』を引いて凡夫はこの戒をたもてば信位の菩薩となり、十劫をへて不退の菩薩となるが、成仏はしないとのべます。これが菩薩界です。

 さいごに仏界についてふれます。成仏するには菩薩の立場から四弘誓願をおこし、六度(六破羅密)を万行し、煩悩(三惑)を断じ尽くすことによるとのべます。

「第十仏界者於菩薩位以発四弘誓願為戒。三僧祇之間修六度万行断尽見思・塵沙・無明三惑成仏」(一八〇頁)

 『心地観経』を引き、戒をたもつ因位により仏身の果位に至ることをのべ、三十二相八十種好は持戒の功徳であるとのべ、仏になると戒体はなくなるとのべています。また、戒をたもつ理由は、四恩に報いるためとのべています。

「夫以持戒為報父母・師僧・国主・主君・一切衆生・三宝恩也。父母養育之恩深。一切衆生互相助恩重。国王以正法治世自他安穏也。依此修善恩重。主君亦蒙彼恩養父母・妻子・眷属・所従・牛馬等。設雖不爾顧一身等是重。師亦閉邪道趣正道等恩是深。仏恩不及言。如是無量恩分有之。而二乗此等報恩皆欠。故一念起二乗之心過十悪五逆。一念起菩薩之心起一切諸仏之後心之功徳也」(一八一頁)

 二乗は自身の得脱だけを願うので、この四恩に報謝することはないと、この欠点を指摘し、ゆえに、十悪や五逆を犯す者よりも悪いとされたのです。二乗を「敗種」、炒って芽がでない種と嫌われた所以です。ここまでが、爾前経の大・小乗教の戒を羅列したとして、つぎに、法華経の戒について二つあるとして言及します。これが、相待妙戒と絶対妙戒の二つです。

 まず、相待妙戒とは、爾前経の戒律は未顕真実・歴劫修行・二乗不作仏であるのにたいし、法華経は真実・速疾頓成・二乗成仏を説く戒律であるとして、麁戒と妙戒と区別し相対して判別する方法をいいます。

「諸経戒嫌未顕真実戒・歴劫修行戒・決定性二乗戒也。法華経戒真実戒・速疾頓成戒・不嫌二乗成仏戒等相対論麁妙云相待妙戒也」(一八一頁)

 これについて、『梵網経』・『華厳経』・『大品経』(摩訶般若波羅蜜経・大品般若経)を引き、爾前経においても法華経のような速疾頓成の戒が説かれているのに、なぜ、歴劫修行とするのかを問います。歴劫修行とは長い年次を積みあげて到達することをいいます。速疾頓成とは歴劫を必要としない即身成仏を意味します。これにつき、一つの義は、爾前経には歴劫修行と速疾頓成の二つがあるが、法華経は速疾頓成のみであるから、爾前経にはこの「歴劫修行」があることを示したとのべます。また、一つの義は、爾前経は完全に「歴劫修行」となるとします。そのわけは凡夫が無量劫という歴劫修行を経て最後に即身成仏したのであって、その結果だけを速疾頓成したと説くが実には違うとのべます。そして、『無量義経』に説く「宣説菩薩歴劫修行」(『開結』二三頁)とは、このことであるとのべます。

 つぎに、絶待妙戒についてのべます。ここにおいて、爾前戒は法華経の戒と同じであるという見方をします。この見方を絶待妙といいます。

  人・天――――――――――――――――楊葉戒―――――五戒・十善戒など

小乗阿含経二乗――――――――――――瓦器戒―――――小乗戒

華厳・方等・般若・観経等歴劫菩薩―――金銀戒之行者――権大乗の菩薩戒

 つまり、法華経の教説においては、爾前経の楊葉戒・瓦器戒・金銀戒を互いに和合して同一となるとします。楊葉戒というのは、楊(かわやなぎ)の葉が秋になると枯れ落ちてしまうように、人・天の戒は破れやすいことを表します。瓦器戒とは、素焼きの土器が壊れてしまえば価値がないように、小乗戒も同じであると例えます。金銀戒とは、壊れても補修ができ、金銀の価値を失わないことをいいます。大乗の菩薩戒をたとえ破っても、「戒体」は永く失わないというのはこのことです。ゆえに、尽未来際の戒ともいいます。

 また、地獄・餓鬼・畜生の三悪道の者も、過去世に人天に生まれたときに、これらの戒をたもっていたとします。しかし、退転したため三悪道に堕ちたが、その功徳が失われずにいたから、法華経を聞いたときに復元してくるとのべます。日蓮聖人はここに、三悪道も十界を具足すると見ています。

「三悪道人於現身無戒。於過去生人天時持人天楊葉・二乗瓦器・菩薩金銀戒退堕三悪道。雖然其功徳未失有之。三悪道人入法華経時其戒起之。故三悪道亦具十界。故爾前十界人来至法華経皆持戒也。故法華経云是名持戒」(一八三頁)

 日蓮聖人はここまで、十界の因果を明かし成仏が可能なのかを問いました。つまり、法華経は十界のすべてを成仏させる教えであることを示そうとしたのです。そして、法華経をたもつことが「是名持戒」であると結論したのです。注目すべきことは、持戒とは法華経を信ずることであるとのべたことです。

「安然和尚広釈云法華云能説法華是名持戒文。如爾前経随師不持戒。但信此経即持戒也。爾前経不明十界互具。故菩薩経無量劫修行無二乗人天等余戒功徳但成一界功徳。故以一界功徳不遂成仏。故一界功徳亦不成。

爾前人至法華経余界功徳具一界。故爾前経即法華経。法華経即爾前経。法華経不離爾前経。爾前経不離法華経。是言妙法」(一八三頁)

ここに、「但信此経即持戒也」とあり、これは、日蓮聖人の教学である「法華受持戒」・「受持譲与」・「但信口唱」・「以信代慧」などと関わっているのです。この基本となるのは「十界互具」でした。そして、権大乗の戒と法華経の戒の違いについて、

「梵網経等権大乗戒法華経戒有多差別。一彼戒不許二乗七逆者二戒功徳不具仏果三彼歴劫修行戒也。有如是等多失。於法華経許二乗七逆者上博地凡夫一生之中入仏位至妙覚具因果功徳也。  正元二年庚申四月二十一日   日蓮  花押」(一八三頁)

と、法華経は声聞と縁覚の二乗の成仏を許し(「二乗作仏」)、七逆罪(『梵網経』の出仏身血・殺父・殺母・殺和尚・殺阿闍梨・破和合僧・殺聖人をいう)の者や、博地(底下)の凡夫も、一生のうちに妙覚の仏位に到達し、因果の功徳を具えることができるとのべています。これは、六道・四聖の「十界皆成」を説いたものであり、『観心本尊抄』に釈尊の因行果徳を説いた「因果二法」に関わることになります。

日蓮聖人が鎌倉に遊学後、清澄寺に帰り二一歳のときに書かれた『戒体即身成仏義』を彷彿します。ここにみられた「戒体」と即身成仏にたいしての真剣な眼差しが引き継がれています。日蓮聖人が仏教に求めたものの根底は父母の成仏(旃陀羅の救済)であり、私たちの成仏という、その一点に集中して研鑚されたことがうかがえます。また、凡夫の成仏を求めるという発想は単純なことですが、そのためには諸宗の経論釈を読破して、仏教の基礎教学を習得し、おもに、天台教学を基礎としていたことが、遺文に『三大部』を引用していることからわかります。そして、このことを、重要な教学として、とうじの門弟に教授していたことに注目すべきでしょう。

□『唱法華題目鈔』(二三)

五月二八日に系年される『唱法華題目鈔』があります。文末に鎌倉の名越で書き終えたとあります。『立正安国論』の稿了は、誕生寺所蔵の日裕上人の目録から五月二六日とされますので、『立正安国論』を書き終えたのちに著述されたことになります。このことから、『立正安国論』は破邪を中心にのべ、『唱法華題目鈔』は顕正をうけもつといいます。(『日蓮聖人遺文辞典』歴史篇五五九頁)。浅井円道先生は真言宗批判の最初としています。(『日蓮聖人と天台宗』三四二頁)。

題号は日蓮聖人の自題といわれています。本書は著作として書かれていますので宛名はありませんが、『高祖年譜攷異』には南条兵衛七郎、『本化別頭仏祖統紀』には大学三郎に宛てたとあります。『南条兵衛七郎殿御書』の御真蹟二紙の行間に、日興上人の写しが書かれています。内容的には多数の信徒に宛てて修学させる、最良のテキストといえます。日蓮聖人が入信初期の信徒に、なにを説いていたかをうかがえます。ただし、本書は時頼の命に応じて述作されたともいわれています。南条兵衛と大学三郎は時頼の近臣です。時頼と対面する前に、このような動きがあったと思われます。(岡元錬城著『日蓮聖人―久遠の唱導師』一三二頁)。題号のように『法華経』の題目を唱えることの意義と功徳についてのべています。一五番の問答があり、問者は法然念仏の信者です。

第一から第五番の問答は、念仏は謗法であり堕獄の原因であることを説いています。大通仏結縁の者は悪知識によって、人々を救うという誓いを捨て、自分だけが悟ればよいという心になったため三千塵点を経た、これを『法華経』を捨てて権教に移ったといいます。つまり、これを「退大取小」の謗法とします。そして、これらの人は六即の位のなかでは「五十展転」の名字即の者であるとします。念仏門徒は大通結縁の舎利弗たちは、

「名字・観行の位は一念三千の義理を弁へ、十法成乗の観を凝し、能能義理を弁たる人也。一念随喜五十展転と申も天台・妙楽の釈のごときは、皆観行五品の初随喜の位と定め給へり。博地の凡夫の事にはあらず。然に我等は末代の一字一句等の結縁の衆、一分の義理をも知ざらんは、豈無量世界の塵点劫を経ざらんや。是偏に理深解微の故に、教は至て深く、機は実に浅きがいたす処也。不如只唱弥陀名号順次生往生西方極楽世界永得不退無生忍阿弥陀如来・観音・勢至等法華経説給時聞得悟。然るに弥陀の本願は有智無智・善人悪人・持戒破戒等をも択ばす、只一念唱れば臨終に必ず弥陀如来本願の故に来迎し給ふ」(一八五頁)

と、有智・善人・持戒の人たちであるから法華経を悟ることができたが、無智・悪人・破戒の博地の凡夫は、弥陀の念仏に救われることが、末法の教えであるとします。しかし、日蓮聖人はそのような下根・下機のために説かれたのが法華経であるとします。ここに、私たち凡夫の位が論議されることになります。

「故に妙楽大師、五十展転の人を釈して云恐人謬解者不測初心功徳之大而推功上位蔑此初心故今示彼行浅功深以顕経力文。文の心は謬法華経を説ん人の、此経は利智精進上根上智の人のためといはん事を、仏をそれて、下根下智末代の無智の者の、わづかに浅き随喜の功徳を、四十余年の諸経の大人上聖の功徳に勝れたる事を顕さんとして、五十展転の随喜は説れたり」(一九〇頁)

 つまり、法華経は末代の凡夫のために説かれた教えであることを明確にしたのです。そして、第五問答に法華経を理深解微として法華経の教えに「違背」(一九〇頁)することを謗法とします。証文として勧持品の「三類の強敵」の文をあげ、この謗法により善神は法味をなめざるゆえに、国を捨去し国に災難が起きるとします。(「善神捨去」)。

「当世の念仏者等、法華経を知極めたる由をいふに、因縁譬喩をもて釈し、よくよく知由を人にしられて、然後には此経のいみじき故に末代の機のおろかなる者不及由をのべ、強き弓重き鎧、かひなき人の用にたゝざる由を申せば、無智の道俗さもと思て実には叶まじき権教に心を移して、僅に法華経に結縁しぬるをも翻し、又人の法華経を行ずるをも随喜せざる故に、師弟倶に謗法者となる。依之謗法の衆生、国中に充満して適仏事をいとなみ法華経を供養し追善を修するにも、念仏等を行ずる謗法の邪師の僧来て、法華経は末代の機に難叶由を示す。故に施主も其説を実と信じてある間、被訪過去の父母・夫婦・兄弟等は弥増地獄苦孝子は不孝・謗法の者となり、聴聞の諸人は邪法を随喜し悪魔の眷属となる。日本国中の諸人は仏法を行ずるに似て不行仏法。適知仏法智者は、国の人に捨られ、守護の善神は法味をなめざる故に威光を失ひ、利生を止、此国をすて他方に去給、悪鬼は得便国中に入替、大地を動し悪風を与し、一天を悩し五穀を損ず。故に飢渇出来し、人の五根には鬼神入て精気を奪ふ。是名疫病。一切の諸人無善心多分は堕悪道ひとへに悪知識の教を信ずる故なり」(一九五頁)

第六から第九番の問答は、一文不通の者における、法華経の信心のあり方についての問いがあります。『涅槃経』の法四依中「依法不依人」をあげて、経文の真実を説かない者はいかなる者も信用してはならないとします。つぎに、「依了義経不依了義経」をあげ、四十余年の諸経は法華経に対すれば不了義経、『涅槃経』も不了義経、そして、『大日経』も法華経とくらべれば、不了義経であり法華経が了義経とします。ゆえに、大日経を所依とする真言宗も、爾前経と同じく随他意方便の教えとなります。

 「立教開宗」いらい、日蓮聖人は主に念仏・禅宗の教えの誤りを説いてきました。それにたいする念仏宗徒の教義的な対応がのべられています。

「此七八年が前までは諸行は永く往生すべからず、善導和尚の千中無一と定させ給たる上、選択には諸行を抛よ、行ずる者は群賊と見えたり、なんど放語を申立しが、又此四五年の後は選択集の如く人を勧ん者は、謗法の罪によて師檀共に無間地獄に堕べしと経に見えたりと申法門出来したりげに有しを、始めは念仏者こぞりて不思議の思をなす上、念仏を申者無間地獄に堕べしと申悪人外道あり、なんどのゝしり候しが、念仏者無間地獄に堕べしと申語に智慧つきて各選択集を委く披見する程にげにも謗法の書とや見なしけん。千中無一の悪義を留て、諸行往生の由を毎念仏者立之。雖然唯口にのみゆるして、心の中は猶本の千中無一の思也。在家の愚人は内心の謗法なるをばしらずして、諸行往生の口にばかされて、念仏者は法華経をば謗ぜざりけるを、法華経を謗ずる由を聖道門の人の申されしは僻事也と思へるにや。一向諸行は千中無一と申人よりも謗法の心はまさりて候也。失なき由を人に知せて而も念仏計を亦弘めんとたばかるなり。偏に天魔の計ごと也」(一九九頁)

 七、八年まえと言いますと、建長五(一二五三)年の「立教開宗」のころです。四,五年まえは正嘉元(一二五六)年ころ、日蓮聖人が名越に定住されたころになります。念仏者と法論をすることが多くなることにより、念仏宗徒は日蓮聖人の念仏批判に対応して、法然の「千中無一」の悪義を取りやめて、表には諸行往生を説いて信徒を欺いていると評しています。

つぎに、問者は、法華経と爾前経の違いについて、天台宗は約部においては、「前三為麤」と「後一為妙」、すなわち、爾前は麤の教えであり法華経こそが妙であると区別するが、四教のなかにある円について論じるときは(約教)、三乗の成仏が歴別であるのを麤とするが、円頓速疾からみたときに前の三教を、法華経と同じ一味とする理由を問います。天台宗のなかにおいても、寺門派と三門派では見解が違うとし、日蓮聖人は天台大師が四教を説いた理由を四通りあるとします。

一に、爾前の経にだけ四教を立てた

二に、法華経と爾前の経の円教を同じとし、蔵通別の三教と区別した

三に、爾前の円教を別教の円教におさめ、法華経の円教ば純円として区別する

四に、爾前と法華経の円教は、相待妙は同じてあるが絶待妙では違う

この四通りの見方をもって、天台三大部六十巻を学ぶならば、問者の疑いは解決するとのべます。天台の五時八教判による教えとは、

華厳時は、兼(円に別教を兼ねる)

阿含時は、但(但だ蔵教のみ)

方等時は、対(蔵・通・別・円教の四教を対説する)

般若時は、帯(円に通・別教を帯びる)

法華時は、純(純ら円教のみ)

涅槃時は、蔵・通・別・円教四教の追説追泯とされる

 円教とは成仏・仏果を得ることができる教えをいいます。釈尊が真実を説いた教えになります。天台宗では法の「妙」について、相待(そうだい)妙と絶待妙の二つの観点から考察します。小乗は粗雑な教えということから麤とし、大乗を妙とします。この麤妙を相対的にみるのと、絶待的な真実だけをみることをします。この円を妙とする「円妙」というのは、三諦円融のことをいいます。つまり、円満とは三一相即して欠減がないこと。円足とは事・理の三千が一念に具足すること。円頓とは果徳が本具しているので修得しなくてもよいことをいいます。(『天台四教儀集註』)。本書はつづいて次のようにのべています。

「一一の証文は且は秘し、且は繁き故に不載之。又法華経の本門にしては爾前の円と迹門の円とを嫌事不審なき者也。爾前の円をば別教に摂して、約教の時は全三為麁、後一為妙と云也。此時は爾前の円は無量義経の歴劫修行の内に入ぬ。又伝教大師の註釈の中に、爾前の八教を挙て四十余年未顕真実の内に入れ、或は前三教をば迂回と立、爾前の円をば直道と云、無量義経をば大直道と云。委細に可見」(二〇一頁)

 前にものべたように、「別教」は隔歴三諦・次第三観を説き、三惑も別であり行位も段階をもっていました。「円教」はこれにたいし、円融三諦・一心三観を説きます。三惑は同体であるとし即身成仏を説いています。「別教」の隔歴不融とくらべると、「円教」の円こそが、教相では円融、観心では円頓となります。さらに、法華経は爾前とは比べられない開顕の円を説く、とするのが「超八醍醐」です。(安藤俊雄著『天台学』一一一頁)。

 また、法華経は化法の四教のなかにおいて、純円教によって成立しているのを説いたのが、『法華玄義』の迹門十妙の境妙です。ここにいう円教とは、無作四諦を説く教えであり、煩悩即菩提・生死即涅槃を成立させる教理のことをいいます。天台大師はここを円教の極意としたといいます。(浅井円道著『日蓮聖人と天台宗』三十頁)。

ここに示されることは、法華経だけが鈍円の教えであることです。「円教」とは円満・完全な教えということで真実の教えのことです。爾前経は応病与薬の教であるので方便の教えといいます。そして、法華経の本門からみれば、迹門の円も爾前と同じとします。『一代聖教大意』(七三頁)には、この相・絶の二妙と、当分・誇説、また、法華経におては、所開と能開にふれていました。本書においては軽くふれるだけです。

第一〇番問答は、法華経を信じる人の本尊は、「法華経八巻・一巻一品・或は題目を書て本尊と可定」とのべ、法師品・神力品を証拠とします。また、釈尊・多寶仏とを法華経の左右に文字で書いても、像に造って立ててもよいと指導しています。

「問云、法華経を信ぜん人は本尊並に行儀並に常の所行は何にてか候べき。答云、第一に本尊は法華経八巻・一巻一品・或は題目を書て本尊と可定法師品並に神力品に見えたり。又たへたらん人は釈迦如来・多宝仏を書ても造ても法華経の左右に可奉立之。又たへたらんは十方の諸仏・普賢菩薩等をもつくりかきたてまつるべし。行儀は本尊の御前にして必坐立行なるべし。出道場行住坐臥をゑらぶべからず。常の所行は題目を南無妙法蓮華経と唱べし。たへたらん人は一偈一句をも可奉読。助縁には南無釈迦牟尼仏・多宝仏・十方諸仏・一切の諸菩薩・二乗・天人・龍神・八部等心に随べし。愚者多き世となれば一念三千の観を先とせず。其志あらん人は必ず習学して可観之」(二〇二頁)

この要旨を考えますと、法師品・神力品の「経典安置」の文より、法華経の経典を本尊とすることができ、一遍首題の題目を自身で書いて本尊とすることができます。また、本尊の勧請をさらに深めて、釈迦・多宝仏、十方の諸仏・普賢菩薩なども造り書き奉ることもよしとしています。これは、『妙法蓮華経』(法華経)の経典(教え)に帰依するという、信仰の根本的なあり方をうかがうことができます。つまり、『妙法蓮華経』のなかに説かれている、釈尊の言葉を真実として受けとめ、『妙法蓮華経』に絶対の信心と、行者としての覚悟を誓うことであるからです。その現われが南無妙法蓮華経という唱題になります。

この「経典への信仰」について、北川前肇先生は、法華経の文字を釈尊の心法が顕わされたものと信受され、その色身不二の論理をもって法華経即釈迦仏であることを示されているとのべています。『守護国家論』の法仏一如の論理には釈尊の内証の悟りが経典であるので、法華経の経典をそのまま釈尊として信受されるのが、日蓮聖人の法華経への信仰であるとのべています。(『日蓮教学研究』三一頁)。

この当時は、まだ曼荼羅本尊は書き表されていませんので、信者は『妙法蓮華経』の経文の説示を理解しながら、南無妙法蓮華経と唱え、日蓮聖人の教示を受けていたことがわかります。お参りの作法は、本尊の前にしては坐立行であること、ただし、道場以外においては行住坐臥をえらぶことなく、常にすべきことは南無妙法蓮華経と題目を唱えることとしています。さらに、法華経を読誦したあとの助行に、釈迦・多寶仏・十方諸仏・一切の諸菩薩・二乗・天人・龍神・八部などを心に祈念すべしとのべています。また、愚者は唱題をすべきとし、智者は一念三千の観解を勧めています。諸先生が指摘しているように佐前の初期の教学として、題目本尊・一尊四士・但信無解の唱題について知ることができます。題目とは法華経の総称であり、玄旨を一語に顕わしたものです。そして、「法華経の名字を唱えて三悪道を離れる」(『守護国家論』一二五頁)と、のべているように、自身の行うことは悪道を歩まないことです。題目の功徳は唱題からはじまります。そこで、つぎにすすみます。

第一一番問答は、唱題の功徳をのべています。法華経の肝心である、方便・寿量品の一念三千・久遠実成の法門は、妙法の二字に収まっているとします。そして、

「妙法の二字は玄義の心は百界千如・心仏衆生の法門なり。止観十巻の心は一念三千・百界千如・三千世間・心仏衆生三無差別と立給。一切の諸仏・菩薩・十界の因果・十方の草木瓦礫等妙法の二字にあらずと云事なし」(二〇三頁)

つまり、自分・仏、そして、一切の衆生は同体であるとして、すべての草木や瓦礫までもが、法華経の教えによれば成仏できるということです。なぜなら、

「法華経の肝心たる方便・寿量の一念三千・久遠実成の法門は妙法の二字におさまれり」(二〇二頁)

と、法華経にのみ説かれた、「二乗作仏」・「久遠実成」の教えがあるからです。これを理論として説くのが一念三千です。そして、爾前の諸仏・諸経は法華経が説かれたことにより、その説示の意味がわかり(所開)、したがって、妙法は能開であるとします。そして、題目である「妙法蓮華経の五字」に成仏の功徳が収まっているとして、唱題の功徳が大きいことをのべています。

第一二から最後の第一五番問答は、まず、末法における弘通の方法が、摂受か折伏かという問題を提起しています。法華経の譬喩品に「無智人中莫説此経」とある文と、不軽品の「我深敬汝等」の不軽軽毀の故事をもって答えています。これは、法華経のなかには、前説の摂受と後で説いた折伏の、二通りの説があることをのべたものです。これは、「一仏二言、水火のごとし」といいます。つまり、釈尊は法華経のなかに、水火のように違う教えを説いているということです。

「問云、一経の内に相違の候なる事こそ、よに得心がたく侍れば、くはしく承り候はん。答云、方便品等には機をかがみて此経を説べしと見え、不軽品には謗ずとも唯強て可説之見え侍り。一経の前後水火の如し。

然るを天台大師会云本已有善釈迦以小而将護之本未有善不軽以大而強毒之文文の心は本と善根ありて今生の内に得解すべき者の為には直に法華経を説べし。然に其中に猶聞て謗ずべき機あらば、暫く権経をもてこしらへて後に法華経を説べし。本と大の善根もなく、今も法華経を信ずべからず、なにとなくとも悪道に堕ぬべき故に、但押て説法華経令謗之逆縁ともなせと会する文也。如此釈者、末代には無善者は多く、有善者は少し。故に堕悪道事無疑。同くは法華経を強て説聞せて毒鼓の縁と可成歟。然れば説法華経可結謗縁時節なる事無諍者をや」(二〇四頁)

 つまり、釈尊の在世にいた舎利弗たちは、過去世に法華経を聞いて善心を起こした者でした。ですから、小乗の教えからレベルをアップする化法ができましたが、不軽菩薩のいた時代は法華経を聞いたことがなく、しかも悪心の多い人たちでした。悪道に堕ちることは確実な者たちなのです。この場合の教えの説き方が違うというのです。また、この二つの違いは、慈・悲の違いであるとのべています。天台大師の「如来以悲故発遣喜根以慈故強説文」の文をひき、悲とは母親のような愛情、慈とは父親のような愛情であることを譬えています。また、妙楽大師の「仏世当機故簡、末代結縁故聞」の釈をひいて、釈尊在世と滅後末法の、在・末の違いがあるとのべています。

日蓮聖人は法華経の教えは、正・像・末の時代をみすえて説いており、とくに、末法は本門を中心にして考察すべきという立場をもっています。そして、天台の釈を引いて末法の衆生は「本未有善」の機根であるから、不軽菩薩のように強く法華経を説き、それが謗法の罪を作ることになっても、謗縁によって「逆縁成仏」することを説いています。これを、「末法下種」といいます。

つぎに、釈尊の滅後における、仏教の広め方を時代と人々の機根を基準としてとらえます。滅後の正法時代に生まれた天親・竜樹は、ほぼ実大乗経の義を解き示し、天台は大小・権実の違いを顕わした人師とのべます。また、慈恩は十一面観音の化身といわれ、善導は弥陀の化身といわれたが、権経を広めて法華経を広めなかった人師であるから、仏説によれば第六天の魔王に誑かされた者であるとします。そして、利根が勝れた高僧の言葉や、不思議を見せる通力にまどわされずに、教義を基準として、過去の人師の邪正を判断すべきとのべて問答を終えています

 本書で注目されることは、第一〇番問答にみられたように、礼拝の対象である妙法蓮華経の経典の左右に、両尊を勧請した本尊と、その礼拝の仕方が規定された文献は、この『唱法華題目鈔』に始めてみられ、当時の信徒たちの本尊の形態と、行儀作法を知ることができます。のちに、伊豆の流罪において「立像釈尊」を本尊として隋身仏とします。一説にあるように、この『唱法華題目抄』に説かれた本尊の形態は、日蓮聖人じしんが釈尊仏を本尊として安置していたと、うけとることができます。(空智一燈氏『日蓮ノート』)。このような家庭内における初期の信仰の形態は、不特定の信者が広まるなかで、教団として本尊と唱題などの作法を教えることが必要になり、規定化されていく過程をうかがうことができましょう。

 題目を唱えることについても、「専唱題目」をのべた最初の遺文となります。ただし、「五十展転」(一八九頁)の随喜の信仰解明は、『観心本尊抄』の流通段の延長にある『四信五品』に解明されるといいます。(渡辺宝陽著『日蓮仏教論』九頁)。浅井円道先生は日蓮聖人が唱題の先縱として、『当世念仏者無間地獄事』に、

以釈摩訶衍論・法華論等論勘之一切経初必有南無二字。以梵本言之三部経題目南無有之。双観経修諸二字念仏外八万聖教不可残」(三一四頁)

と、『釈摩訶衍論』・『法華論』を挙げていることを示し、本書の文面に人々が法華経を読誦したり、書写する人はいても南無妙法蓮華経と唱える人はいないと日蓮聖人の目には映っていたとのべています。(『日蓮聖人と天台宗』三一頁)。

本書の第一一番問答に、「末法下種論」となる、不軽品の「本未有善」の機根にたいする「逆縁成仏」が示されており、この「逆縁下種」は日蓮聖人の立教開宗いらい、教義の中核であり布教の行規となっています。ただし、日蓮聖人の佐渡いごの教えとくらべると、本書は日蓮聖人が法華経を広める初期の化法をとっています。この違いについて、『日蓮宗事典』の解説を参考にしてみます。

「本書は佐渡以前でも早期の述作であるから、その教示は本懐を吐露された佐渡以後とは大分の隔りがある。例えば第二番問答に但信無解の唱題の功徳を説いて「法華経を信じ侍るは、させる解なけれども三悪道には墮つべからず候。六道を出る事は一分のさとりなからん人は有り難く侍るか」(定一八八頁)という。これは天台宗の一念三千の理観を主とするから、修行に智解が要求されることになり、但信無解の唱題の功徳が低くとられることになる。また第一〇番問答に「愚者多き世となれば一念三千の観を先とせず。其志あらん人は必ず習学して之を観ずべし」(定二〇二頁)とあるのも同趣で、愚者には唱題、智者には一念三千の観解が勧められる。『報恩抄』の「有智無智をきらはず、一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱べし」(定一二四八頁)等の文と比べて相違歴然たるものがある。次に第一○番問答に本尊について「第一に本尊は法華経八巻・一巻一品・或は題目を書て本尊と定むべし」(定二〇二頁)という。法華経八巻、あるいは略して一巻一品と並列して題目を挙げ、必ずしも題目本尊ではない。法華経一〇巻を本尊とするのは法華三昧で、これに附順した説である。引続いて本尊の脇士について「又たへたらんは十方の諸仏・普賢菩薩等をもつくりかきたてまつるべし」という。佐渡以後の脇士は本化の四菩薩であるが、今は迹化の普賢菩薩等であるという。」と、指摘されます。

本書の宛先が比企能本であるなら、『立正安国論』を書き終えている時期にあたります。比企能本の母や妻などが、このころに強い信仰をもっていたことがうかがえます。その背景には比企一族の菩提を弔い、成仏についての意識があったと思われます。南条氏などの武家においても、どうようのことがいえます。

 さて、日蓮聖人は岩本の実相寺経蔵に入り、国土に災難が起きる原因を再度確認し、諸経論の要文を推敲し完成したのが『立正安国論』です。日蓮聖人は仏子としての自覚から、国王に比肩する鎌倉幕府の実権者である、北条時頼に勘文を上呈する決意をもたれました。正元二年は、四月十三日に文応と改元されます。