128.『一代五時図』『今此三界合文』         高橋俊隆

□『一代五時図』(図録九)

日蓮聖人は弟子等にこの「一代五時」の系図によって五時八教と仏教各宗の位置と内容を教えていたことがうかがえます。また、インド・中国・日本の三国の仏教を概観して法華経が勝れていることを説明されました。身延在山期は門弟の教育に力がそそがれています。とくに冬は檀信徒の参詣は少なくなり、積雪のため堂内にての学習がふえたと思われます。日蓮聖人の『一代五時図』の多くはこのころのものといいます。一代五時の図録は九図あり、そのうち真筆が現存しているのは六図あります。残りの三図は本満寺所蔵の写本と、『録外御書』に収載されています。執筆の年月については、文応元年から弘安三年という、鎌倉から身延の期間とする『定本遺文』と、立正安国会の『対照録』は筆跡から竜口法難の文永八年から、身延入山二年後の建治二年ころに集中的に図示されたとしています。『鶏図』としたものは佐渡の本門法華経の教義を開顕しているといいます。

 

「大論云十九出家三十成道

  権大乗 [三七日]            ―戒  智儼

華厳経―――――――――――――― 華厳宗―――定  杜順

[二七日]            ―慧  法蔵  澄

小乗  [十二年]      ―倶舎宗――戒定慧

阿含――――――――――――――――成実宗――戒定慧

―律宗―――戒定慧――鑑真和尚

――大集経

―玄奘

――深密経――法相宗――戒定慧―――慈恩

――楞伽経――禅宗

権大乗       ―観経―――

方等―――――――――― 双観経  ――浄土宗――――――――善導

  ―阿弥陀経―

 権大乗 三十年

―金剛頂経

大日経  ――真言宗――戒定慧

―蘇悉地経―

[提婆菩薩造][龍樹菩薩造

――百論―――――――

般若―――――――――中論  [同]  ―三論宗――戒定慧

――十二門論[同]       ――嘉祥寺吉蔵大           ――大論  ]――                」『一代五時図』図録九二二八一頁)

また、『一代五時図』は「広五時図」と「略五時図」の二種類があります。「略五時図」(図録一三)の『一代五時図』は、料紙として使用されている緒紙は写経用のために、雁皮を素材として厚く強く漉かれた斐紙が使われています。これに界線をひいて写経用にしたのは、身延山にいた弟子の役目といわれています。この最後の一〇紙の末尾に、康永四(一三四五)年二月二日付けの「日遵寄進状」が添えてあり、身延地方にいた波木井宮原殿のもとに伝えられていたと書かれています。これにより『定遺』には文永五年ころとされていますが、日蓮聖人が身延山におられたときに使用したといいます。第一紙の汚れが多いことから、最初は表紙がなく継ぎ紙を巻いていたようで、下部は手垢によって汚れており、何度も開き見た痕跡があります。このことから、『一代五時図』は仏教の基礎知識として頻繁に門弟に教えられていたことがわかり、日蓮聖人の仏教全般の捉え方がうかがえます。

以上の前四味に、法華経・涅槃経がくわわります。『一代五時図』はつづいて浄土宗についてふれています。天竺の竜樹が著わした『十住毘婆沙論』の難行道・易行道。中国の曇鸞の『浄土論註』。道綽の『安楽集』。善導の九巻。そして、日本の法然の『選択集』を図録しています。すなわち、

 

「天竺十四五六巻」

「十住毘婆沙論云[龍樹菩薩造羅什三蔵訳] 不退地 難行道 易行道

譬如陸路歩行苦水道乗船則楽 十仏百三十余菩薩並阿弥陀仏等

[斉世]曇鸞法師[本三論宗人作浄土論註二巻]

[唐世]導綽禅師[善導師也作安楽集二巻

安楽集云大集月蔵経云我末法時中億億衆生起行修道未有一人得者。当今末法是五濁悪世唯有浄土一門可通入路

[唐世]善導[玄義一巻。序分義一巻。定善義一巻。散善義一巻。観念法門一巻。往生礼讃一巻。般舟讃一巻。法事讃上下。已上九巻。]

[隠岐院御宇建仁年中今五十余年也]法然[源空]

 選択集[一巻] 

[未有一人得者千中無一 除浄土三部経之外法華経等一切。除阿弥陀仏一切仏菩薩一切神祇等。]

難行――聖道――雑行 

[捨閉閣抛 天台法華宗等八宗]

 易行――浄土――正行 

[阿弥陀仏 十即十生百即百生 六百三十七部二千八百八十三巻]」

 

『選択集』一巻については「易行―浄土―正行」として、道綽の「未有一人得者」。善導の「千中無一」。法然の「捨閉閣抛」の教義をあげて「謗法」とします。謗法の証文として法華経譬喩品の十四謗法中「誹謗如斯経典」の文、『涅槃経』の「一闡提」の文を用いています。特に譬喩品の十四謗法中第七の法華不信であることが謗法であるとまで極言した「不信謗法」は日蓮教学において重視されるところです。

また、法然の門弟を列挙し、まず、長楽寺の隆観(または隆寛一一四八〜一二二七年)とその弟子である智慶をあげています。隆寛は法然の死後、幸西・行空の一念義にたいし多念往生の義(多念義)を主張し、法然門下において有力な地位にあったといいます。多くの門弟のなかで智慶(南無房)が隆寛の死後に鎌倉に長楽寺を創建しましたが現在には伝わっていません。

     ――第一弟子長楽寺多念 隆観南無房一切鎌倉人人

――第一  [コサカ]   善慧房[当院洛中一切諸人](西山流証空)

――第一聖光[筑紫九国一切諸人](東山小坂)

法然―――一條覚明[今道阿弥等]

――成覚 一念  

――法本 一念                   已上弟子八十余人 

つぎに善慧房証空(一一七七〜一二四七年)の名があります。東山吉水の小坂を去り慈円から譲られた西山往生院三鈷寺に住したことから西山証空といわれます。一念業成・諸行非本願説を唱え、天台教学の開会思想により諸行を念仏のなかに収め許容する教えを説き小坂義・西山義といいました。

弟子に聖達がおりその弟子に一遍がいます。当時の洛中の大衆に受け入れられたようで後嵯峨法皇や重時の帰依がありました。『浄土九品之事』(二三〇九頁)に、「極楽寺殿の御師」とあるように重時は六波羅探題として在京(一二三〇〜四七年)していた時期に証空と縁をもち西山派の影響をうけたといいます。後継は浄音の西谷流、円空の深草流、証入の東山流と道観の嵯峨流に分かれましたが前二者が浄土宗西山派を形成し後の二者は伝わっていません。

聖光(一一六二〜一二三七年)は筑前に生まれ弁長といい鎮西派の開祖になります。この鎮西派は、法然が弘通した東山大谷に知恩院を建立し中世浄土宗の主流をしめました。念仏・諸行を往生の因行とし、機根はさまざまであるから一念に限らず多念に執することはないとしました。弟子に良忠(記主禅師)がいて寂恵の白幡流と尊観の名越流が伝わりました。

一条覚明は長西のことで、一条とは京都の九品寺の住所をさしています。『浄土九品之事』(前同)に「諸行往生」と記入されているように、諸行本願義を立て諸行往生を認め法然門下では聖道・浄土門の融会をもつといわれています。つまり、弥陀の因時の願行は平等で差別はないので特別な行や特別な機根を救済するということではないとして、念仏の一行に限定しては他の諸教を漏らすことになるとして諸行も本願でなければならないとします。法然の教えとは違うので背師自立の邪義といいます。

弟子に道教がいます。道教は鎌倉で日蓮聖人と対決した法然浄土教の主導者でした。道教と論争して伊豆流罪の契機となり、佐渡流罪の端緒を画策しています。一時京都にも隆盛したといいますが今は伝わっていません。成覚(幸西一一六三〜一二四七年)は仏智の一念義を主張して法然門下から離宗されました。仏智の一念とは仏心であり、この仏心と行者の信心とが念々相続して往生が決定するとします。法然門下における一念義の代表者といいます。法本も一念義を主張して離宗しています。法本の一念義は無称無念の一念に住して弥陀法身の真如に一如するという、理性の一念を主張したといいます。

 このように、日蓮聖人はたくさんの図表を作成しています。その目的は一代仏教の教理と宗派の成立などの、全体像を把握することにあります。インド・中国・日本の各宗・各祖師の教えと、その系列などを把握されて教えています。対法論における経釈の説明と暗記を確実に教えたのは、紛れもなく日蓮聖人の法華教学を広めることにありました。現在に失われた実践宗学であったことを知ります。

さて、日蓮聖人は実相寺にて、一切経に説かれた三災七難について調べ、その成果として著述にまとめていました。このほかに、文応元年に書かれた著述として、『今此三界合文』・『後五百歳合文』・『日本真言宗事』があります。この年、金沢実時は亡き母のために六浦金沢に持仏堂を建てました。称名寺の起源といい、最初は念仏宗でしたが叡尊に帰依し文永四(一二六七)年には真言律宗に改めています。

 

 華厳経―――権大乗

   六十巻八十巻――― 華厳宗――智儼・杜順・法蔵・澄観

 阿含――――小乗

          ――――倶舎宗―――世親・玄奘

   四阿含経―――――――成実宗―――迦梨跋摩

――――律 宗―――道宣

 方等――――権大乗

   大集経―六十巻

   深密経―五巻――瑜伽論―百巻―弥勒  ―法相宗―――玄奘・慈恩

          ―唯識論――――世親       

   楞伽経―四巻十巻――――――――――――禅宗――――達磨・慧可・僧際・道信・求忍・慧能

 

          ―観 経――一巻―        ――曇鸞

   浄土三部経―― 雙観経――二巻―――――浄土宗―  道綽

          ―阿弥陀経―一巻―          善導

                           ――法然

   大日経――七巻―                  

   金剛頂経―三巻―――――――――――――真言宗―――善無畏・金剛智・不空・恵果

蘇悉地経―三巻                 ―――弘法・慈覚・智証

 般若経―――権大乗

   百論―――――提婆

   中論―――― 竜樹               ――興皇

   十二門論―――同 ――――――――――三論宗――――嘉祥大師吉蔵

   大論―――――同

『一代五時図』(図録一三。二二九九頁)など

 

□『今此三界合文』(図録一〇)

真蹟はなく『本満寺本』の写本があります。真偽については、本書に「無作三身」がのべられていることから、台密・中古天台の教えが混入されているとして疑義書とします。(浅井要麟先生『日蓮聖人教学の研究』三〇四頁)。

 本書にのべている「主師親の三徳」については、その経文・論釈を明示しているので、参考とするテキストとなります。三徳は譬喩品の偈文を明かしとします。別名に「三徳偈」といいます。また、『涅槃経』に「一体之仏作主師親」(二二八九頁)とあります。

・主師親の三徳(釈尊三徳)(三徳有縁)

「今此三界皆是我有」・「我常在此娑婆世界」(如来寿量品)

主――外道 天尊 居色界頂三目八臂摩醯首羅天・毘紐天・大梵天王

―儒家 世尊 三皇・五帝・三王 龍逢比干報主恩者

「唯我一人能為救護」・「説法教化」

師――儒家 四聖等

―外道 三仙・六師 釈迦菩薩 常啼菩薩報師恩者

「其中衆生悉是吾子」・「我亦為世父」

親――儒家 父母 六親父方伯父・伯母・母方伯父・伯母・兄姉  

―外道 一切衆生父母大梵天王・毘紐天  

重華 西伯 丁蘭孝養者。三皇已前不知父母人皆同禽獣

 この釈尊三徳についてのべた遺文は多く、図録(『一代五時鶏図』二〇・二二)に、日蓮聖人ご自身が書き示して、弟子や信徒に教えています。その代表的な著作は、『開目抄』です。冒頭に、

「夫一切衆生の尊敬すべき者三あり。所謂主・師・親これなり」(五三五頁) 

と、明確に示しており、この三徳をすべて備えているのは釈尊であると結論します。釈尊の一代の教えを示し、ここに、「三徳具備の仏」は釈尊とします。具体的には、

   主――娑婆の国主――――――娑婆本土(常住浄土)

   師――諸仏を統一する本師――本仏(教主釈尊)

   親――父子の関係――――――五百塵点下種

 つぎの末文に、『五照懐中決』の文をあげています。これについて日蓮聖人の言葉はありません。要点は、法華経の本門・迹門に釈尊の仏身の違いを分けています。その違いとは、

   隋他本門・・五百塵点の本初に仏となった・・・始成に準じる

   随自本門・・無始より自証無作の三身の仏・・・毘蘆遮那遍一切処・常寂光土

 この『五照懐中決』の文を引用されたのは、日蓮聖人なのかは不明です。筆写した者が参考に書きいれたものかもしれません。最澄には無作三身の思想はないとします。(『日蓮聖人遺文辞典』歴史篇一六四頁)。浅井要麟先生が指摘されたように、中古天台の思想なので、本書は偽作の可能性が強いといえます。(『日蓮聖人教学の研究』二九一頁)。また、執行海秀先生が、中古天台における顯本論の特色は本覚無作顯本であり、佛身論もまた法爾自然の無作三身論であるとし、このような無作理顯本は日蓮聖人の思想ではないとします。(「中古天台教学より日蓮聖人の教学への思想的展開1」)。