158.『観心本尊抄』本文                           高橋俊隆

○〔第一章〕一念三千は正修止観章に説かれた天台大師の究極の教え

 

まず第一段の冒頭に天台大師の『摩訶止観』第五の文が引かれます。日蓮聖人が仏教を研鑽されてきた成果を、この一文にみることができます。釈尊いらい中国から日本に伝わった仏教史のなかで、中国の天台大師は南三北七に分かれた諸宗を法華経に帰一させ、日本においては伝教大師が、南都仏教の重鎮を法華経に帰一しています。天台教学の中心は教相の「五時八教」、観心の一心三観・一念三千です。本書は「日蓮註之」(七二〇頁)とあるように、この天台教学を基盤として、そこから末法に適応した本門思想(事一念三千)へと、独自の教学に展開します。日蓮聖人が『摩訶止観』第五の文を引用されたことは、このような仏教史上に基づいていることがわかるのです。

また、日蓮聖人が一念三千をあげたのは、幼少のころから課題とした成仏の結論であったのです。成仏とは仏になることです。そのために様々な修行の方法と、その到達できる境地を説いたのが諸宗の教えです。その根拠は経典にあります。法華経の本門の釈尊は、末法の凡夫のために法華経を残したと説いています。それはどのような教えであったのか、それが本書にのべた事一念三千です。一念三千は日蓮聖人の教えの、「六難九易」・「起・顕・竟」・「三五の二法」・「本法三段」の四っつの教相をのべるために出てくるといいます。このうち、「六難九易」・「起・顕・竟」の二つは『開目抄』にのべていました。(茂田井教亨著『開目抄講讃』下巻四六頁)。この見方からしますと、「三五の二法」・「本法三段」の二つが、『観心本尊抄』に示されています。事一念三千とのかかわりを追求する目安となりましょう。

そして、法華経は成仏を自分のなかに実現することと、私たちが住む国土に実現することを説いています。ですから、日蓮聖人は本書に己心の仏界と、草木国土の成仏(身土常住浄土)をのべています。私たちの信心とはどのようなことか、結語に「不識一念三千」の私たちでも、南無妙法蓮華経を受持すれば四菩薩が守護する、とのべられた文面にうかがうことができます。しかし、渡邊宝陽先生は事一念三千の教えは、日蓮聖人の教学として一般的に知られているが、極めて限定された遺文にしか用いられていないといいます。そして、『守護国家論』から『断簡』(三四七)までの遺文における、事一念三千義の展開を示されています。(『日蓮仏教論』二〇〇頁)。つまり、一念三千法門を開示されるにあたって、慎重な配慮をされていたということです。このことをふまえて本文に入っていきます。

 

「摩訶止観第五云世間与如是一也開合異也 夫一心具十法界。一法界又具十法界百法界。一界具三十種世間百法界即具三千種世間。此三千在一念心。若無心而已。介爾有心即具三千。乃至 所以称為不可思議境。意在於此等」(七〇二頁)

 

と、『摩訶止観』の正観章の十境のなかの陰入境のところです。十乗の最初の観不思議境の引用です。「一心」は凡夫の心と解釈されています。この一心に十法界(十界互具)をもっていることを観不思議境とします。妙楽大師は『弘決』に、「結成理境」を示した文とします。理境とは方便品の十如是を基としてのべた観不思議境(円融三諦)をいいます。この「十如是」は体・用・因・果を説き、「百界千如」として「一念三千」を構成します。この一念三千をつくる「十界互具」・「三千世間」などについては、すでに、『守護国家論』にのべています。

 

「自法華経外四十余年諸経無十界互具。不説十界互具不知内心仏界。不知内心仏界不顕外諸仏。故四十余年権行者不見仏。設雖見仏見他仏也。二乗不見自仏故無成仏。爾前菩薩亦不見自身十界互具不見二乗界成仏。故衆生無辺誓願度願不満足。故菩薩不見仏凡夫亦不知十界互具故不顕自身仏界。故無阿弥陀如来来迎無諸仏如来加護。譬如盲人不見自身影。今至法華経開九界仏界故四十余年菩薩・二乗・六凡始見自身仏界。此時此人前始立仏・菩薩・二乗。此時二乗・菩薩始成仏凡夫始往生。是故在世滅後一切衆生誠善知識法華経是也」(一二四頁)

 

 日蓮聖人は本書の始めに一念三千の出処をあげ、日蓮聖人がのべる観心についての根拠を最初に示しています。これを標挙の文といいます。

このあとに、第一章の第一番~第五番問答にはいります。はじめに、『法華玄義』や『法華文句』に一念三千が説かれているかを問い、一念三千については『摩訶止観』いがいには説かれていないことを、妙楽の『止観輔行』を引いて助証とします。冒頭に一念三千の文を挙げた理由は、天台大師が『摩訶止観』に説いた一念三千の法門がなければ、成仏を説くことができないという認識にあったと思います。私たちが仏になるのは、私たちの心の中に仏界が存在することを説くために必要であったのです。本書の導入に『摩訶止観』を引用されたのです。

前述しましたが、天台大師の著述の代表は三大部です。『法華玄義』・『法華文句』は法華経の題目、経の文々句々を解説して法華最勝の論理を説いています。『摩訶止観』は『法華玄義』・『法華文句』で得た理解を反映させるために観心修行の方法を説きます。天台大師が南岳慧思に相承した止観に、漸次・不定・円頓の三種があり、漸次止観は『次第禅門』一〇巻、不定止観は『六妙門』一巻、円頓止観は『摩訶止観』に説きました。この講義を聴講した門人の灌頂五六一六三二年)がこれらを記録しました。

「摩訶」はサンスクリット語の「maha」の音訳で、意味は「大きい、素晴らしい、偉大」と訳し、摩訶不思議の「摩訶」は「大きな、非常に、とても」の意味で使われています。「止観」とは瞑想のことで一般的には「禅」、あるいは坐禅と同じです。「禅」という用語は梵語の禅那(ゼンナ)の音写で、定・静慮と訳されますので、正確には違いがあります。ですから、この瞑想のしかたを「止」と「観」の二つに分けます。奢摩他(サマタ)・毘鉢舎那(ビバシャナ)と音訳されることもあります。「止」(マタ瞑想)とは、心の動揺をとどめて本源の真理に住することとされます。「観」(ビバシャナ瞑想)とは、不動の心が智慧のはたらきとなって、事物を真理に即して正しく観察することとします。つまり、「止」は禅定にあたり、「観」は智慧のことといえます。「止」とは煩悩が鎮まり心が静まった境地をいい、「観」とはこの境地に到達することにより、心は全ての真理をありのまま(実相)に映す鏡となり悟りに至ることをいいます。この「観」を重視するところに、仏教の瞑想法の特徴があるとされるところです。「止観」の語句は天台宗において重視される法門ですが、禅宗においても『小止観』や『摩訶止観』は、坐禅の詳細なマニュアルとして参照されています。

そして、『摩訶止観』は「天台止観」を構成する三種止観円頓止漸次止観不定止観)と、四種三昧常行三昧常坐三昧半行半坐三昧非行非坐三昧)のなかの、とくに「円頓止観」についての解説書です。つまり、法華経の教えにそった「止観」のあり方を説いたものです。また、大乗の教えのように中論を理解していないと『摩訶止観』も理解できません。『摩訶止観』は十章の組織に分けられています。これを「十広」といいます。

・五略十広

序分  十広   一発大心

   一大意五略――二修大行     

          三感大果             (十乗)

          四裂大網            一観不思議境

          五帰大処            二起慈悲心

|   |                        │三善巧安心

   二釈名           十境)      │四破法

   三顕体         一陰入界境―――――――五識通塞

正説 四摂法         二煩悩境       六修道品

    五偏円         三病患境       七対治助開

    六方便二十五方便   四業相境       八知次位

    七正観(五の巻)―――――五魔事境       九能安忍

    八果報不説     六禅定境       十無法愛

    九起教不説     七諸見境

    十旨帰不説     八増慢境(不説)

                 九二乗境(不説)

                 十菩薩境(不説)

すなわち、大意・釈名・体相・摂法・偏円・方便・正修・果報・起教・旨帰の十項目ですが、このうち、後半部分は講義期間が終了し、天台大師が死去されたために説かれていません。しかし、最初の大意のなかに『摩訶止観』の全体の大意を、発大心・修大行・感大果・裂大網・帰大処の五つにまとめています。これを「五略」といいます。あわせて、「五略十広」といいます。

つぎに第六番の疑念として、『法華玄義』・『法華文句』・『観音玄義』の文を引きます。しかし、これに直ちには答えていません。これらの文は観心を明かす文ではないので一念三千の出処とはしません。そこで、第七番問答にて、再度、『摩訶止観』のなかでも第五巻にしか、一念三千の観心行を明かしていないことを示すため、『弘決』の文を引きます。「五略・十広」の構成からなるなかで、第六の方便章の二十五方便は、第七の正観章の観心の準備的な行法にとどまること示して、

 

「問曰 其釈如何。答 弘決第五云 若望正観全未論行。亦歴二十五法約事生解。方能堪為正修方便。是故前六皆属於解等[云云]。又云 故至止観正明観法。並以三千而為指南。乃是終窮究竟極説。故序中云説己心中所行法門。良有以也。請 尋読者心無異縁等」(七〇二頁)

 

と、妙楽は『摩訶止観』の十境・十乗の観法は、同じく並んで一念三千を指南としており、この正観章の一念三千は天台大師の「終窮(じゅうぐう)究竟の極説」とし、章安大師は天台大師の「説己心中所行法門」、つまり、己心の内証であるとして、共に天台大師の最も重要な法門であることを示します。換言しますと、執拗に一念三千の教えは『摩訶止観』の第七正修止観章にしか説かれていないことを強調したのです。

 『摩訶止観』には「一念三千」という成句はありませんが、妙楽が『弘決』に「身土一念三千」と始めて使った成句を、天台大師の一念三千の語句としてうけとめています。そして、天台大師が説いたこの一念三千の法門を、華厳の澄観や真言の善無畏が自宗の教義にとりいれているのを、慈覚大師円仁・智証大師円珍・安然などは無知なため、逆に真言宗に与同してしまったと指摘します。このように、一念三千の教えは『止観』の特許の教えであることをのべたのは、佐前から真言破をした根拠である、一念三千の盗用を明らかにするためでした。

 

○〔第二章〕草木国土の成仏(百界千如と一念三千の違い)

 

 つぎに第九番問答に入ります。百界千如と一念三千の違いについては、百界千如は有情に限られるが、一念三千は草木などの非情にも成仏を認めるとして、この法門は天台大師がいう教門と観門の難信難解のうちの、観門の難信難解にあたるとします。教門の難信難解は釈尊が爾前の二乗不成仏と、始成正覚を法華経において打破したことであり、観門の難信難解はこの非情界の色心にも、十如を具足すると認めることであるとします。

 

「観門難信難解百界千如・一念三千非情之上色心二法十如是是也。雖爾於木画二像者外典内典共許之為本尊。於其義出自天台一家。草木之上不置色心因果木画像奉恃本尊無益也」(七〇三頁)

 

木画を本尊とすることは一般的に行われていることであるが、これは草木に色心因果を認めた天台宗の思想がなければ無益のことであるとのべます。これを、草木成仏といいます。草木は三種世間のなかの国土世間に入りますので、百界千如に三種世間を加えた、三千世間・一念三千が必要です。草木成仏は木画の像や絵をもって表した本尊となります。そして、この色心因果の出処である、『摩訶止観』・『釈籖』・『金錍論』の文をあげて証文とします。

 

「疑云 草木国土之上十如是因果二法出何文乎。答曰 止観第五云 国土世間亦具十種法。所以悪国土相性体力等[云云]。釈籤第六云 相唯在色。性唯在心。体力作縁義兼色心。因果唯心。報唯在色等[云云]。金錍論云乃是一草一木一礫一塵各一仏性各一因果。具足縁了等[云云]」(七〇三頁)

 

 この問答において、百界千如は有情界の成仏は説けるが、一念三千は草木などの非情界にも成仏を説けることを確認することにあります。この草木国土の成仏は、日蓮聖人において幼少からの課題でした。二一歳のときに書かれた『戒体即身成仏義』の「国土も如爾」(一四頁)、そして、『立正安国論』の「三界仏国」(二二六頁)につづき、本書の「本時娑婆世界」と一貫しています。草木成仏論は中国天台教学では、「無情仏性論」のなかに入り、日蓮聖人も本書に、

 

「問曰 百界千如与一念三千差別如何。答曰 百界千如限有情界 一念三千亘情非情。不審云非情亘十如是草木有心如有情可為成仏如何。答曰 此事難信難解也」(七〇三頁)

 

と、有情・無(非)情の成仏を問題とされています。そして、この草木成仏を根拠として、本尊の具体性をのべていきます(『木絵二像開眼之事』七九二頁、『四条金吾殿釈迦仏供養事』一一八三頁)。このことは、日蓮聖人の教学(事一念三千・本尊)において大事な教えとなっています。つまり、草木成仏論は一念三千を根幹としてのべられていることがわかります。(田村完爾著『法華教学史における草木成仏論の展開―日蓮を中心にー』<『日本仏教学年報』第六八号>)。また、文永七年(八年)五月の『十章抄』には、『摩訶止観』の第七の正修止観章から、本門がはじまるという見解をすでにのべています。一念三千の法門は本門に限るということです。すなわち、

 

「止観に十章あり。大意・釈名・体相・摂法・偏円・方便・正観・果報・起教・旨帰なり。前六重依修多羅と申て、大意より方便までの六重は先四巻に限る。これは妙解迹門の心をのべたり。今依妙解以立正行と申は第七の正観十境十乗の観法、本門の心なり。一念三千此よりはじまる。一念三千と申事は迹門にすらなを許されず。何況爾前に分たえたる事なり。一念三千の出処は略開三之十如実相なれども、義分は本門に限。爾前は迹門の依義判文、迹門は本門の依義判文なり。但真実の依文判義は本門に限べし」(四八九頁)

 

 では、この根拠(義分)は本門のどこにあるのかといいますと、『開目抄』に、

 

「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり。龍樹天親知て、しかもいまだひろいいださず。但我が天台智者のみこれをいだけり。一念三千は十界互具よりことはじまれり」(五三九頁)

 

と、如来寿量品の文の底にあるとのべています。一乗房日出上人はこれを「文底秘沈」と書写しています。日蓮聖人は一念三千の教えは十界互具から始まるとのべているように、十界互具を重視しています。本書よりさきに著述した『開目抄』に、すでに、本因本果の法門を弟子信徒に教えていました。

 

「本門にいたりて、始成正覚をやぶれば、四教の果をやぶる。四教の果をやぶれば、四教の因やぶれぬ。爾前迹門の十界の因果を打やぶて、本門十界の因果をとき顕す。此即本因本果の法門なり。九界も無始の仏界に具し、仏界も無始の九界に備て、真十界互具・百界千如・一念三千なるべし」(五五二頁)

 

 このように、本書における一念三千の論及は、『一代聖教大意』・『守護国家論』・『十章抄』・『開目抄』にて、すでになされていたことでした。本書は本門の立場、本門に立脚したみかたを展開していきます。これら既述の教えを踏まえながら拝読していきたいと思います。

 

○〔第三章〕理具の十界互具を示す

 

つぎに、観心についてのべるのが第一二番問答です。すなわち、

 

「問曰 出処既聞之。観心之心如何。答曰 観心者観我己心見十法界。是云観心也。譬如雖見他人六根 未見自面六根不知自具六根。向明鏡之時 始見自具六根。設諸経之中所々雖載六道並四聖 不見法華経並天台大師所述摩訶止観等明鏡 不知自具十界百界千如一念三千也」(七〇四頁)

 

と、一念三千の名目から内実である心について論をすすめます。そして、「観心」の定義とは、自分の己心中に地獄から仏界の十界を具足していることを、知ることであるとのべます。自分の姿を見るには鏡が必要であるように、自己の十界を知見するには法華経と『摩訶止観』の明鏡が必要であり、この明鏡によって自具の十界互具・百界千如・三千世間、そして一念三千を知見することができるとします。この証拠となる法華経の文と天台大師の釈をあげ、

 

「問曰 法華経何文。天台釈如何。答曰 法華経第一方便品云 欲令衆生開仏知見等[云云]。是九界所具仏界也。寿量品云 如是我成仏 已来甚大久遠。寿命無量阿僧祇劫常住不滅。諸善男子我本行菩薩道所成寿命今猶未尽。復倍上数等[云云]。此経文仏界所具九界也」(七〇四頁)

 

と、方便品の「欲令衆」の文は、九界の一切衆生にも仏界が具足していることの証拠とします。寿量品の「我本行菩薩道」の文は、久成釈尊が久遠より菩薩行をして衆生を救済してきたという文ですので、ここを証文として仏界にも九界を具足している証拠であるとします。そして、地獄界から仏界までのそれぞれに仏界が具足している証文を、法華経のなかから選出して十界互具の確証をのべています。

そして、第一四番問答にはいり、問答の中心は人界における具仏界の追求となり、これを理解することは容易ではなく信じ難いとして、とくに、六道・四聖のうち最後の仏界ばかりは、現実のこととして知見することも信じることも難しいとのべます。つまり、私たちが一念三千の教えによって、仏になることは信じがたいことを示しています。しかし、そのことは当然のことであるとのべます。釈尊は法師品に難信難解、宝塔品に六難九易と説いたのはこのことであり、天台・章安・伝教大師も信じがたいとのべていることをあげます。釈尊の在世には過去の宿習が厚い者が多く、多宝仏、十方諸仏や地涌菩薩、文殊・弥勒菩薩が釈尊の化導を助けたが、それでも信じない者がおり「五千去席(方便品)・人天被移(宝塔品)」(七〇五頁)されたことを示します。これは、在世でさえ信じがたいことを示して、まして、末法の現在はなおさら信じがたいことをのべたのです。

 つぎに、第一五番問答以下は、天台・章安大師などの解説から十界互具を疑う余地はないが、しかし、仏説と言っても他人や自分を見て、仏界があるとは思えないという問いを発します。ここに、私たちのなかに九界がある現証を追及して、阿鼻の獄苦から救護される解決策をのべていきます。まず、六道についてのべます。私たち凡夫には瞋(いかり)や喜びの感情がそなわっていることをあげます。 

「答 数見他面或時喜或時瞋或時平或時貪現或時癡現或時諂曲。瞋地獄貪餓鬼 癡畜生 諂曲修羅 喜天 平人也。於他面色法六道共有之」(七〇五頁)

 

瞋り(瞋恚)の心は地獄界がある証拠であり、貪り(慳貧)の心は餓鬼界のことであり、どうように、癡か(愚痴)な心は畜生界、諂曲(てんごく)の闘争の心は修羅界、そして、喜び(は喜悦)は天上界、平静な心は人界があることの証拠とします。いわゆる、六道輪廻をしていることをいいます。

そして、第一六番問答にはいり、四聖については冥伏して外面にでないが、六道と同じく凡夫にも存在していることをのべます。六道輪廻は自分も他人を見てわかりますが、声聞・縁覚の二乗や菩薩・仏界も、私たちにあるということは理解できないということです。そこで、つぎのように例証をのべます。

 

「答曰 前人界六道疑之。雖然強言之出相似言。四聖又可爾歟。試添加道理万一宣之。所以世間無常有眼前。豈人界無二乗界乎。無顧悪人猶慈愛妻子。菩薩界一分也。但仏界計難現。以具九界強信之勿令疑惑。法華経文説人界云 欲令衆生 開仏知見。涅槃経云 学大乗者雖有肉眼名為仏眼等[云云]。末代凡夫出生信法華経人界具足仏界故也」(七〇五頁)

 

つまり、飛華落葉や人間の命のように、万物は生滅流転し永遠に変わらないものは一つもないという、世間の無常を感じることは、二乗界が備わっている証拠であるとします。また、無顧の悪人といわれる者でも、自分の妻や子どもを愛し可愛がるのは、菩薩界があることの証拠とします。仏界も同じように九界があることを信じるべきとします。それを、方便品の「開仏知見」、涅槃経の「学大乗者雖有肉眼名為仏眼」の経文を引いて証拠とします。そして、末代の私たち凡夫が法華経を信じることが仏界を所有している証拠とします。

しかし、それでも劣悪の心をもつ凡夫に仏界を具すことは信じられないので、一闡提や阿鼻の業苦から救うべく、さらに理解を求めます。核心が「人界具足仏界」になり、その追及にはいっていくのが第一七番問答です。ここで、日蓮聖人は釈尊在世でなくても得道できることをのべ、末法の現在においても得道が可能な「法華得道」を示します。また法華経でなくても得道ができる「教外得道」についてもふれます。この「大通久遠下種」について、これは過去の大通仏の三千塵点の下種結縁があるという、第二教相の大通仏の結縁をさすという説があります。(『日蓮聖人遺文全集講義』第一一巻上、一六八頁)。また、本門寿量品の五百塵点、いわゆる、久遠下種も含まれるという解釈があります。(『日蓮聖人御遺文講義』第三巻一三七頁。『日蓮聖人全集』第二巻二三九頁)。『守護国家論』には、

 

「如彼久遠下種・大通結縁者、経五百・三千塵点者捨法華大教遷爾前権小故後捨権経回六道」(一一二頁)

 

と、久遠下種・大通結縁の両方をあげています。また、『開目抄』にも、

 

「一劫二劫無量劫を経て菩薩の行を立、すでに不退に入ぬべかりし時も、強盛の悪縁にをとされて仏にもならず。しらず大通結縁の第三類の在世をもれたるか、久遠五百の退転して今に来か」(五五六頁

 

と、大通仏の結縁、久遠五百の下種をあげています。本書はこのあと久遠下種と大通結縁をあげ、本門の得道をのべる展開となります(七一六頁)。日蓮聖人は過去に法華経を聞法した者は結縁(下種)があるとします。これを、聞法下種といいます。その功徳により得脱(脱益)しますが、結縁のない者は得脱できません(七〇六頁)。これを、「種脱一双」といいます。この根拠は種・塾・脱の三益論にあります。経文は方便品の「仏種従縁起」などにあります。末法の衆生の多くは、この結縁のない者(本未有善)で、日蓮聖人の布教はこれらの衆生に向けられたのです。

 

法華得道――見仏法華得道

不見仏法華得道

教外得道――仏前漢土道士・月支外道以儒教・四韋陀等為縁入正見者

―利根菩薩凡夫等聞華厳・方等・般若等諸大乗経以縁顕示大通久遠下種

末法下種――無過去下種結縁

―執著権小者設奉値法華経不出小権見

 

そして、中国上古の尭王・舜王の聖人が、万民において偏頗がなかったことは、人界にも仏界の一分があることであり、不軽菩薩は人々を仏身と見て礼拝し、悉達太子は人界より仏身を成じた現身成仏をあげます。これらの現証から「人界具仏界」、すなわち、凡身にも仏界を具足していることを信ずべきであるとのべます。問者も質問のしかたが、一闡提や阿鼻地獄の苦しみを除いてほしいとのべ、いかにして信じたらよいのかと、心境の変化を文章にみせています。ここまでが、序分になります。理性所具(理具・性具)の仏界の論理をのべました。

 

○〔第四章〕妙法五字を受持することが事具の一念三千

〇因位果位論

 そして、本書は第十八番問答にはいります。これより「自之堅固秘之」(七〇七頁)と、この問答から説くことは秘要の法門であるから、信心を堅固にたもって拝読するようにと厳命します。日蓮聖人の己証の法門を説くということです。いわゆる、修行法を追及する本題の事具一念三千に入ります。門外不出の法門を書き示すので外部に漏らしてはいけないという意味合いをもっています。

まず、教主釈尊についてのべます。迹門・爾前における釈尊の過去の菩薩行の因行と、それにともなって備わった果徳をのべます。これを「因位果位論」といい、「三五の二法」を用います。因位は成道する前の菩薩行の時代のことで、果位とは成道後の釈尊の説法をいいます。この釈尊を凡身に具することは信じられないとし、釈尊の仏身について考察します。はじめに、迹門爾前の始成正覚の教主釈尊は、過去世に三千塵点などの因位の諸行を積んで仏となったのであるから、これらの因行を凡身の「己心所具菩薩界功徳」といえるだろうか、また、果位をみても正覚した釈尊は、爾前・迹門・涅槃経を説いて一切衆生を利益し、入滅してからも正像末の三時を利益していると問います。すなわち、

 

問曰 教主釈尊 自之堅固秘之 三惑已断仏也。又十方世界国主・一切菩薩二乗人天等主君也。行時梵天在左 帝釈侍右四衆八部聳後金剛導前 演説八万法蔵令得脱一切衆生。如是仏陀以何我等凡夫之令住己心乎。又以迹門爾前之意論之 教主釈尊始成正覚仏也。尋求過去因行者或能施太子或儒童菩薩 或尸毘王或薩埵王子。或三祇百劫 或動逾塵劫 或無量阿僧祇劫 或初発心時 或三千塵点等之間 供養七万五千・六千・七千等之仏 積劫行満今成教主釈尊。如是因位諸行皆我等己心所具菩薩界功徳歟。以果位論之 教主釈尊始成正覚 仏四十余年之間示現四教色身 演説爾前迹門涅槃経等利益一切衆生。所謂華蔵之時十方台上盧舎那・阿含経三十四心断結成道仏・方等般若千仏等・大日金剛頂等千二百余尊並迹門宝塔品四土色身・涅槃経或見丈六或現小身大身或見盧舎那或見身同虚空四種身・乃至八十御入滅留舎利利益正像末」(七〇七頁)

 

 釈尊は主師親の三徳を具えた仏であることの、娑婆の国主観・諸仏の本師観にふれながら、私たちとも縁が深い「此土有縁」の仏であることをのべています。釈尊の過去の因行である菩薩行は、そのまま私たちの菩薩界として具わるのかを問います。釈尊の過去世の長時にわたる自行化他の積徳の菩薩行とは、能施太子や儒童菩薩などの六波羅蜜の修行であり、「蔵教」で説く三大阿僧祇・百大劫という長い年月のこと(伏惑行因の因行)です。「通教」で説く塵点劫を超える長い修行(誓扶習生)、「別教」における五十一位の段階をへる無量阿僧祇劫という長い修行、「円教」における正覚にいたるまでの長い修行、そして、迹門の化城喩品に説く三千塵点劫という長い年月にわたる菩薩行を示します。これにより、凡身の私たちに釈尊の因位の菩薩界を具足することは考えられないことであると疑問を掲げるのです。

また、果位として成道された釈尊五〇年の、華厳・阿含・方等・般若・法華経迹門の立場をあげます。四教に説かれた釈尊の「色身」である、四土(三変土田による)と三身(同居土―劣応身。方便土―勝応身。実報土―報身。寂光土―法身)と、『涅槃経』の四種の仏身(凡聖同居土―丈六身・劣応身。方便土―小身大身・勝応身。実報土―蘆遮那仏・報身。虚空身―法身仏)をあげます。そして、この化導の功徳も私たちに備わるのであろうか、という疑問をのべたのです。前述しました『小乗小仏要文』(二三二二頁)に、この迹仏について図録(つりもの)されています。四教の因と果をあげています。

 

 ・迹仏の四教の因果

―蔵因―――三祇百劫菩薩―――――未断見思

通因―――動喩塵劫菩薩―――――見思断

迹仏―― 別因―――無量劫菩薩――――――十一品断無明

―円因―――三千塵点劫菩薩――――四十一品断無明

 

―劣応―蔵―三十四心断結成道―――草座

勝応―通―三十四心見思塵沙断仏―天衣

迹仏果― 報身―別―十一品断無明仏――――蓮華座

―法身―円―四十二品断無明仏―――虚空座

 

つぎに、本門の釈尊にふれます。前述したように法華経が優れているのは本門にあります。そのわけは、「久遠実成」の釈尊が開顕されているから、一代仏教のなかにおいて法華最勝と判定されるのです。日蓮聖人は本門の立場から釈尊の「因位果位」をのべ、ここに、本題の私たちの己心に備わる仏界を、釈尊という実在の仏に指定します。その端緒として私たちの己心に具わる仏界を、釈尊の「因行果徳」に介在することを論じます。

 

「以本門疑之 教主釈尊五百塵点已前仏也。因位又如是。自其已来分身十方世界演説一代聖教教化塵数衆生。以本門所化比校迹門所化 一渧与大海 一塵与大山也。本門一菩薩対向迹門十方世界文殊観音等 以猿猴比帝釈尚不及。其外十方世界断惑証果二乗 並梵天・帝釈・日月・四天・四輪王乃至無間大城大火炎等 此等皆我一念十界歟。己心三千歟。雖為仏説不可信之」(七〇七頁)

 

本門の立場から釈尊が仏となった果位をみるならば、迹門の大通仏の三千塵点よりはるかに古い、五百億塵点いぜんの久遠仏であると寿量品に説かれています。経文に、「一切世間天人。及阿修羅。皆謂今釈迦牟尼仏。出釈氏宮。去伽耶城不遠。坐於道場。得阿耨多羅三藐三菩提。然善男子。我実成仏已来。無量無辺。百千万億。那由佗劫。譬如五百千万億。那由佗。阿僧祇。三千大千世界。仮使有人。抹為微塵。過於東方。五百千万億。那由佗。阿僧祇国。乃下一塵。如是東行。尽是微塵」(『開結』四一六頁)と、説かれています。「五百千万億那由佗阿僧祇」は十の五九乗といいます(藤井教公著『現代語訳妙法蓮華経』二七四頁)。この膨大な宇宙世界をさらに微塵にしていく数量は無限のもので、この五百億塵点の譬えをもって仏の久遠を表現したのです。したがって因位の菩薩としての化導も、久遠より十方世界に分身して、塵数の衆生を教化していたことをあげます。本門の釈尊の仏界のみならず、本門の高貴な菩薩、十方の断惑証果した二乗ならびに三界の主である梵天、欲界の主である帝釈天、および、無間地獄に苦しむ地獄界の衆生までを具足の範疇として、凡身の「一念十界」・「己心三千」に具わるのかと問います。そして、たとえ仏説であっても十界互具は信じ難いことであるとします。

本書の序分において地獄から菩薩の九界については、己心具仏を知見できるとして、ここでは凡身具仏を主題としました。そして、ここに本門の久遠仏の因位果位の立場から、十界互具・一念三千を依報と正報の二報へ展開していることが、「無間大城大火炎等」とのべた阿鼻地獄からうかがえます。地獄界のみは依報の地獄相をあげ、正報を省略(影略互顕)しています。十界は私たちの正報になります。三千には国土が入りますので依正二報にわたります。問者は釈尊の因位果位と凡夫を比べて互具の不信を問うてきました。

つぎに、諸経の文と論釈をあげて、爾前経のほうが真実ではないかと反論します。つまり、天台大師が説く十界互具は真実ではなく、十界不具を説く『華厳経』・『仁王経』・『金剛般若経』の爾前経や、馬鳴の『大乗起信論』、天親の『唯識論』(『唯識三十頌』を解釈した玄奘・護法などの『成唯識論』の文)が正しいのではないかと文をあげます。また、論師としての名声も馬鳴は付法蔵第十一祖の仏記(『付法蔵因縁伝』)があり、天親は千部の論師四依の大士といわれるのにたいし、天台大師はインドからみれば辺域の中国の人であり、馬鳴や天親の論師とくらべれば釈家の人師で小僧であるという反論をあげます。

そして、法華経の経文のなかからも十界互具を反論します。方便品の「断諸法中悪」の文は、諸法の善悪のなかの悪と九界の迷惑を仏は断絶したと説くことであり、善のみをとり悪を捨てては善悪同体とならず、十界互具とはならないと難詰します。同じく論師である天親の『法華論』、賢慧菩薩の『宝性論』、また、中国の人師や日本の七大寺の末師のなかにも、十界互具を説いた者はおらず、このことからすれば、天台大師の思い上がった僻見であり、それを知らない伝教大師の謬伝ではないかと問います。ゆえに、清涼国師・恵苑法師・了洪・得一・弘法大師が、天台大師を批判した理由はここにあるという難問を重ねます。これらのことから、一念三千を信じることはできないと難問を結びます。すなわち、

 

「夫一念三千法門一代権実削名目 四依諸論師不載其義。漢土日域人師不用之。如何信之。答曰 此難最甚々々

」(七〇八頁)

 

ここまでは、私たちが疑問として理解できない理由をあげて質疑した文章です。そして、ここから核心の一念三千の出処と教義にせまっていくのです。

 

〇「此難最甚々々」(難信難解

 

この答えとして、この十界互具論は甚深の難問であるとして、まず、諸経と法華経の違いは、「未顕真実」・「多寶証明」・「広長舌相」・「二乗作仏」・「久遠実成」を説くか否かを判別することにあるとのべます。

 

「夫一念三千法門一代権実削名目 四依諸論師不載其義。漢土日域人師不用之。如何信之。答曰 此難最甚々々。但諸経与法華相違自経文事起分明。未顕与已顕 証明与舌相 二乗成不 始成与久成等顕之。諸論師事 天台大師云 天親龍樹内鑑冷然。外適時宜各権所拠。而人師偏解学者苟執遂興矢石各保一辺大乖聖道也等」(七〇九頁)

 

そして、天台大師や章安大師の解釈を、天親・竜樹・馬鳴・堅慧等の論師は「内鑒冷然」で内心には鑑知していたが、説くべき時ではなかったので宣布しなかったとします。人師については、天台大師いぜんの慧文・南岳・羅什・道生などは、十界互具・一念三千の珠を内含した者、南三北七のように一念三千を知らない者、天台大師いごには始は天台宗に対抗したが、後には天台宗に帰伏した善無畏・嘉祥・慈恩・澄観などの人師、また一向に天台の一念三千の法門を用いない者があったことをあげて、天台大師に比肩できる論師・人師がいなかったことをのべて質問に答えます。

「断諸法中悪」(『開結』一〇八頁)の文は、爾前の経典に執着して、仏を疑うことから離れることを説いた経文であり、仏(果)の内心は清浄であることを示し、信心を勧めた文であるとのべます。これは方便品の広開三顕一の、法説周五仏章の第一諸仏章「信を勧む」に説かれた文です。九界でつくる悪は断じても、もとよりある悪を断じることはない(性悪不断)ということで、その証拠として法華経に「欲令衆生開仏知見」と説くのは、凡夫にも仏知見があるからであり、十界互具の明確な証文であるとします。天台大師と章安大師の文を引き、仏界にも九界の悪法があることを示し、衆生に仏と同じ知見である仏界があるから開悟できると助証します。

 これらのことは理解できるが、先にのべた、第一三番問答からの、本門の教主釈尊の「因行果徳」と他の八界を、私たち凡夫の己心に所具することは理解できない大難であるとのべます。そこで、釈尊はこの法門は法華経にのみ説いた教えであるので、法華経に「已今当の三説」の中でも、最も「難信難解」であると説いた文と、「六難九易」をあげます。また、天台大師の「当鉾難事」と解釈した文をあげ、章安大師は釈尊の「大事」な教えであるから解し易いことではないとのべ、伝教大師は難信難解の理由を「随自意」とした文を引きます。これほど、「具仏界(釈尊)」を理解することは難しいことをのべたのです。『副状』に本書は問難が多く未聞のことであるから、驚きや疑惑が大きいという意味がここにあります。すなわち、つぎの文です。 

「但所難会上教主釈尊等大難也。此事仏遮会云 已今当説最為難信難解。次下六難九易是也。天台大師云 二門悉与昔反難信難解。当鋒難事。章安大師云 仏将此為大事。何可得易解耶。伝教大師云 此法華経最為難信難解。随自意故等[云云]。夫自仏至于滅後一千八百余年 経歴三国但有三人始覚知此正法。所謂月支釈尊・真旦智者大師・日域伝教。此三人内典聖人也」(七〇九頁)

 

本書にさきにのべた難信難解の難題は理具十界のことでした。ここにおいては、本門の立場から事具の難信難解に焦点があてられています。「已今当の三説」・「当鉾難事」をあげたのは、法華経の迹門と本門の二門は、二乗作仏・久遠実成を説くので、それいぜんの爾前経と正反対であるので、信じがたく理解もできないという問者の疑問をのべたのです。また当説の『涅槃経』の仏性常住と、法華経を相対をしているともいいます。(『日蓮聖人御遺文講義』第三巻一八四頁)。

法華経が敗種の二乗を救うことは、鉾(槍)先にあてて大陣を破ることであり、『涅槃経』の闡提を救うことは残党を征伐するようなこと、という喩えをもって難信難解をのべたのです。あるいは、戦陣の鉾先に当面するように難しいと解釈できます。(『日蓮聖人全集』第二巻二五二頁)。そして、この法門を知っていたのは、釈尊・天台大師・伝教大師の三人だけであるとのべます。あえて日蓮聖人をこの中に加えていませんが、こののち、文永一〇年閏五月一一日の『顕仏未来記』(七四三頁)にのべた「三国四師」のうち、三国と三師をここにみることができます。

 

〇一念三千仏種(法華経)

 つぎに、第一九番問答として、竜樹・天親等の大論師でさえも、このことを知らなかったのかと問います。これにたいし、これらの論師は知っていたが敢えて説かなかったとのべます。いわゆる、「内鑒冷然」です。内心では鑑知してはいたが、説くべき時機ではなかったので、本門の教相と観心(事一念三千)についてはのべていないとします。

「問曰 龍樹天親等如何。答曰 此等聖人知而不言之仁也。或迹門一分宣之不云本門与観心。或有機無時歟。或機時共無之歟。天台伝教已後知之者多々也。用二聖智故也」(七〇九頁)

 

天台・伝教大師ののちは、これを知って三論宗の嘉祥大師吉蔵や南三北七の末流の百余人、華厳宗の賢首大師法蔵や清涼大師澄観、法相宗の玄奘三蔵や慈恩大師窺基、真言宗の善無畏・金剛智・不空三蔵など、そして、南山律宗の南山律師道宣などが始めは反逆したけれど、のちに全面的に帰伏したことをのべます。これは、天台・伝教大師に帰伏した事例をあげて、一念三千の教義が勝れた教えであることを助証されたのです。

そして、「但遮初大難者」(七一〇頁)と前置きして、これまでの第一章から問題とした大難問に答えていきます。この大難問という疑問はつぎの三っに集約されます。

 

①      法華経の迹門いぜんの釈尊の因行果徳を凡夫に具えるということ

②      法華経の本門に説かれた久成釈尊の因果の功徳を凡夫に具えるということ

③      本門の高貴な所化(十界)が凡夫の心に具わっていること

 

この最初の①は、私たち凡夫の己心(一念)に仏界である釈尊の因行果徳(仏因仏果)を、具足することができるのかという問いです。日蓮聖人はこれについて答えていきます。はじめに、法華経は「仏種」であるとのべます。すなわち、『無量義経』の王子不思議力として説いた、「譬如国王夫人新生王子~諸仏国王是経夫人和合共生是菩薩子」(『開結』三六頁)と、『観普賢菩薩行法経』の此大乗経典諸仏宝蔵十方三世諸仏眼目。乃至出生三世諸如来種~汝行大乗不断仏種等」(『開結』六一五頁)と、「能生三種仏清浄身」(『開結』六三六頁)の文を引きます。

この『無量義経』の「国王と夫人の譬え」の文は、法華経を持つ者は父王である諸仏と、王夫人の母である法華経から生まれた菩薩とみます。つまり、仏(父)と経(母)が和合して菩薩の子を産むということです。法華経にのみ仏因仏果が具足することと、この菩薩の子供が法華経を得たならば、初心であっても父王の徳を具足すると説きます。仏力・法(経)力・信力の三力が合わさっての成仏を示しています。父母にたとえることは『開目抄』(第一二章、厳愛の義と一念三千仏種)に、

 

「妙楽大師は唐の末天宝年中の者也。三論・華厳・法相・真言等の諸宗、並に依経を深み、広勘て、寿量品の仏をしらざる者父統の邦に迷る才能ある畜生とかけるなり。徒謂才能とは華厳宗法蔵・澄観、乃至真言宗の善無畏三蔵等は才能の人師、子の父をしらざるがごとし。伝教大師は日本顕密の元祖、秀句云 他宗所依経雖有一分仏母義然但有愛闕厳義。天台法華宗具厳愛義。一切賢聖学無学及発菩提心者之父等」(五七九頁)

 

と、妙楽大師の文を引き寿量品の仏は父であるとし父種を認めています。伝教大師は薬王品の「一切賢聖学無学及発菩提心者之父」(『開結』五二三頁)の文を引き、法華経は母と父の義をそなえているとのべます。厳とは父、愛は母の徳をいいます。無量義経は法華経を母とし、釈尊を父とした仏種論を説いているのです。この論理はこの王子不思議力のところに限られるのです。そして、「稚小」・「新学」の菩薩の子とは名字即の凡夫をあらわしています。

この『無量義経』の仏因(因行の徳)と、その仏果(果徳)を「仏(法)種」として説いていることを示したのが『観普賢菩薩行法経』の文です。日蓮聖人の仏種思想の論拠となります。(庵谷行亨著『日蓮聖人教学研究』三三〇頁)。諸仏の「宝蔵」の宝とは一念三千、蔵とは妙法五字をいいます。この三世の諸仏を出生する「仏種」を断絶してはならないと説かれています。つまり、開経と結経を引いて正説(本経)の法華経に、因果具足の仏種が存することを示し、事一念三千の法体としての仏種を明確にされたのです。法華経を持つことにより仏界の功徳を具足し、人界の凡夫も三身の仏果を開くと解釈します。

仏種は性種と乗種の二つ(性乗二種)に分けられます。(望月歓厚著『日蓮教学の研究』一一八頁)。性種は先天的にある(本有)仏種のことで、「一切衆生悉有仏性」の内在的なものです。乗種は内在した性種を後天的に開き顕われる仏種をいいます。また、乗種は成仏種と調停種があります。成仏種は先天的に内在する仏性を開き顕わすもので、法華経を直接に聞法したことをいいます。調停種とは直接的には仏種とはならないけれど、性種を調養し結縁となることをいいます。これは爾前経の円教を聞法したことをいいます。「能生仏種」・「不断仏種」という表現は乗種としての仏種を意味しています。

換言しますと、成仏のための下種は法華聞法に限ることをいいます。三益論の第二、化導の始終不始終相になります。また、修徳仏性と性徳仏性の二つ(修性二種)に分けることもあります。性徳は性種のことです。修徳は乗種のことで、法力や仏力による能生仏種をいいます。法華経を持つ信力により開き顕れることをいいます。本書は観(理一念三千)から信(事一念三千)に展開していくことを私たちに知らせているのです。日蓮聖人の教義の根幹は事一念三千ですが、それは理法の一念三千、行法の一念三千、仏種の一念三千に分けて論じているのです。(茂田井教亨著『観心本尊抄研究序説』二八二頁)。

私たちは釈尊の教えを直接、聞くことはできません。しかし、教えとして法華経があります。法華経は釈尊の色心因果が具足しています。仏父の仏種は経母に宿っているのです。母である法華経を媒介として釈尊(仏界)を具足することができる、という事具の必然性・論理性を立てなければならないというのはここにあります。(茂田井教亨著『本尊抄講讃』中巻五二五頁)。弘安元年九月六日の『妙法比丘尼御返事』(刑部左衛門女房と同一の説があります)に、

 

「而に日蓮は日本国安房国と申国に生て候しが、民の家より出でて頭をそり袈裟をきたり。此度いかにもして仏種をもう(植)へ、生死を離るる身とならんと思て候し程に」(一五五三頁)

 

と、成仏を願う根本には、まず仏種を植えることが必須である、と受容されていたことがわかります。仏となる種は法華経に限るということです。日蓮聖人の仏種論の基本がのべられていました。

つぎに、釈尊一代の教えにふれます。

 

夫以釈迦如来一代顕密大小二教 華厳真言等諸宗依経往勘之 或十方台葉毘盧遮那仏・大集雲集諸仏如来・般若染浄千仏示現・大日金剛頂等千二百尊但演説其近因近果不顕其遠因果。速疾頓成説之亡失(もうしつ)三五遠化 化道始終削跡不見。華厳経大日経等一往見之似別円四蔵等 再往勘之同蔵通二教未及別円。本有三因無之 以何定仏種子。而新訳訳者等来入漢土之日見聞天台一念三千法門 或添加自所持経々 或自天竺受持之由称之。天台学者等或同自宗悦 或貴遠蔑近 或捨旧取新魔心愚心出来。雖然所詮非一念三千仏種者有情成仏・木画二像之本尊有名無実也」(七一〇頁)

 

はじめに、爾前経には本有の仏性を説いていないことを指摘します。「本有三因仏性」については『八宗違目鈔』(五二五頁)に、『法華文句』(釈常不軽菩薩品)の「文句十云 正因仏性[法身性也]通亘本当。縁了仏性種子本有非適今也」の文を引いてのべていました。この衆生に本来より仏性があるとした根拠は、不軽品に説かれた不軽菩薩の仏性(但行)礼拝でした。私たちは本有として三因仏性を具えていることを示しています。この正・了・縁の三因仏性は、寿量品において本有の三因となります。つまり、衆生に本有三因仏性があると説く経は、法華経だけであることをいいます。また、日蓮聖人は本有三因仏性を「仏種子」と呼びかえています。これは、仏性と仏種が一根であると考えていたことがわかるといいます。仏種の法体を南無妙法蓮華経とされ、一念三千と示すからです。(浅井円道著『日蓮聖人教学の探求』一九九頁)。

庵谷行亨先生は「本有三因無之 以何定仏種子」と、本有の三因仏性がなければ仏の種子(仏種)はないとのべたところに、「天台大師の仏性」から「日蓮聖人の仏種」へという、独自な教学の展開を如実にしめすとのべています。(『日蓮聖人教学基礎研究』三一七頁)。また、一念三千と妙法五字、「一念三千仏種」の根拠となる経論をのべた遺文をあげ解説しています。(『日蓮聖人教学研究』三二六頁)。また、関戸堯海先生は、『涅槃経』の悉有仏性に立脚したうえで、一闡提・謗法の成仏、末法の凡夫の成仏を現実化するところに、仏性論から仏種論に展開する要因があるといいます。仏種に関連する表現として、下種・燋種・焼く種・敗種・種子などをあげています。(『日蓮聖人教学の基礎的研究』五八八頁)。そして、釈尊の仏身に因行と果徳を説く寿量品の仏は、報身仏の功徳をそなえていることをあらわします。無始無終の三身の中でも、報身の顕本を説くのは本門の特徴です(『開目抄』五五三頁)。天台大師が『法華文句』(釈寿量品)において「通明三身、正在報身」とのべた仏身を示します。

 

      ―正因仏性――法身

  衆生―――了因仏性――報身     本門―本有の三因仏性―ー仏種子

      ―縁因仏性――応身

 

爾前の諸経は釈尊の「近因近果」(始成正覚)のみで「遠因果」(久遠実成)を顕しておらず、「三五の遠化(おんけ)」(乗種)を説かないから、釈尊の久遠来の「化道の始終不始終相」・「師弟の遠近不遠近」を知ることができないとのべます。「三」(大通仏の下種)は釈尊の因行、「五」(久遠実成の妙覚果満の仏)は釈尊の果徳を示します。大通下種は久遠仏の久遠のなかにおける因行をいいます。つまり、久遠からしっかりした下種の化導の始中終がない(亡失した)ことは、本無今有・有名無実の成仏であるということです。また、『華厳経』や『大日経』も、衆生に本有の三因仏性(性種)が具足していることを説かないので、なにをもって成仏の種子とするのか、仏の種子を定めることはできないと爾前経の限界を示します。

そして、玄奘等の新訳の者が天台の一念三千を添加したり盗用したのを、天台の末学はこれを知らずにいるのは愚かなことであると指摘します。ここに、爾前経においては、「一念三千仏種」ではないので有情成仏の成仏論も、木画二像の本尊論も有名無実であると指摘されます。つまり、本有の三因仏性である一念三千の仏種を説く法華経でなければ有情の成仏と、非情の草木の成仏は認められず、本尊においても同様に十界互具の一念三千によらなければ本尊として成立はしないとして、諸宗の本尊は名目だけで内実はないとのべたのです。

この「一念三千仏種」は法華経が仏種であることを根拠とし、本門の仏の仏界(一念三千)から確立されました。そして、この立ち場から有情成仏については、つぎの自然譲与段の題目にのべられ、木画二像の本尊と国土世間(三種世間)の関係は、本尊段(七一二頁)に入りさらに深まります。

 

〇釈尊の因行果徳(妙法五字)を自然譲与

 

第二〇番問答にはいりますと、法華経に仏種が内在しているという理解のもとに、はじめの難問である「凡身具仏界」(事具十界)に焦点をあてます。釈尊を仏界として所具し、その己心の本門釈尊などの、「上の大難」である七箇条の疑問を明確に答えていませんでした。この、「問曰 上大難未聞其会通如何」(七一一頁)と、提起されたところが本書の主旨といわれており、ここからほんとうの観心の法門に入るといわれています。

この答文に三経四疏を引き、能観段の題目と所観段の本尊がのべられています。能観段の文に受持成仏(自然譲与の三十三字)がのべられ、文面から自然譲与段ともいいます。すなわち、

 

「答曰 無量義経云 雖未得修行六波羅蜜 六波羅蜜自然在前等[云云]。法華経云 欲聞具足道等[云云]。涅槃経云 薩者名具足等[云云]。龍樹菩薩云 薩者六也等[云云]。無依無得大乗四論玄義記云 沙者決云六。胡法以六為具足義也。吉蔵疏云 沙者翻為具足。天台大師云 薩者梵語。此翻妙等[云云]。私加会通如黷本文。雖爾文心者釈尊因行果徳二法妙法蓮華経五字具足。我等受持此五字自然譲与彼因果功徳。四大声聞領解云 無上宝珠不求自得[云云]。我等己心声聞界也。如我等無異。如我昔所願今者已満足。化一切衆生皆令入仏道。妙覚釈尊我等血肉也。因果功徳非骨髄乎。宝塔品云 其有能護此経法者則為供養我及多宝。乃至亦復供養諸来化仏荘厳光飾諸世界者等[云云]。釈迦多宝十方諸仏我仏界也。紹継其跡受得其功徳。須臾聞之即得究竟阿耨多羅三藐三菩提是也。」(七一一頁)

 

と、のべているところにあたります。法華経の開経である『無量義経』(『開結』四二頁)の文は法華経を受持することにより、自然に六波羅蜜の功徳を現前に受け取ることができることを説いたものです。そして、方便品の「具足」の文は法華経に仏因仏果が具足していることを示します。『涅槃経』には薩達磨陀梨伽蘇多覧の「薩」を「具足」と説き、竜樹はこれを「六」と釈し、慧均(均正)も「六」と釈し、インドでは「具足」のことであるとします。そして、吉蔵も「沙」を翻訳すると「具足」と解釈していることをあげ、天台大師はこれを妙と翻訳したことをあげています。これは『無量義経』の「六波羅蜜」と『涅槃経』の「薩」との関係を同一とし。同じく『無量義経』の「六波羅蜜」と法華経の「具足道」とを同一とし、また、『涅槃経』の「薩」と法華経の「具足道」とは同一であることを示し、最後に天台大師の文を引いて「妙」の文字にこれらが具足していることを示すために、経論釈を用いて証文としたのです。したがって、日蓮聖人は以上に引用した文から明らかであり、自分が解釈を加えると本文(「欲聞具足道」)を汚すことになるがとして、「釈尊の因行果徳の二法が妙法蓮華経の五字に具足」する、と経文の会通をのべました。この文章を「自然譲与」といいます。

この「自然譲与」はこれまでの「凡身具仏」の大難に答えたものといわれます。「観心の三十三文字」といいます。「釈尊の因行果徳の二法が妙法蓮華経の五字に具足」しているという文は、「六波羅蜜自然在前」・「法華経云欲聞具足道等」(方便品)を引用した文とつながります。六波羅蜜は菩薩の修行のことです。すなわち、「具足」とは六度満行であり、久成釈尊の本因の菩薩行の功徳と、本果の仏徳が妙法蓮華経の五字に具足しているとのべています。釈尊の本因本果、十界が円具しているのです。これは本門の久成本仏の立場から論じた仏界縁起の事一念三千の法門であり、仏果の果上に妙法蓮華経を説いています。「妙」とは実相、「法」とは諸法、「蓮」とは果、「華」とは因を意味し、「妙法」を体、「蓮華」を用とします。この解釈から釈尊を体とし因行果徳を用として、妙法五字に体・用の本因本果が具足しているとします。また、釈尊の用である因行とは妙法蓮華経を行じ、果徳も妙法蓮華経に成就するとして、因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足しているとします。『涅槃経』を引いたのは妙法蓮華経の五字に仏因仏果が具足することを理解するために引用されたのです。

そして、「受持譲与」といわれるように、私たち凡夫がこの妙法蓮華経の五字を受持することにより、自然に釈尊の因行果徳の功徳を譲り与えられるとします。『無量義経』の「雖未得修行六波羅蜜 六波羅蜜自然在前」の文を引用したのは、これを立証するためです。受持とは身口意の三業を必要としますが信心の意業を正意とします。自然とは自ら速やかにということで妙法受持の易行道を説いています。このように、釈尊と同体になるという仏界の「自然譲与」を示して、つぎに信解品の文を引いたのは、四大声聞が授記作仏したことの領解の文が「無上宝珠不求自得」ですので、私たち凡夫も妙法五字を受持することにより、「自然譲与」されることは同じことであるとのべたのです。

受持(南無妙法蓮華経)は私たちの信心です。その信心に釈尊の功徳を譲与(妙法蓮華経)されます。庵谷行亨先生は、この妙法五字・七字について、教としての妙法蓮華経は釈尊の因果(宝珠・良薬・要法・肝心・仏種)である。観としての南無妙法蓮華経は題目受持(信心・唱題・色読・捨身)である。そして、証としての妙法蓮華経は自然譲与(仏凡同体・師弟久遠・即身成仏・霊山往詣)であると、受持と譲与の関係を教・観・証にあてはめて説明されています。また、三業受持をのべ、身業・口業受持を正業、意業受持を正因とし、妙法五字の信心に立脚することによって唱題成仏できるとのべています。(『日蓮聖人教学研究基礎研究』二一四頁)。

そして、この受持譲与段は事一念三千論の基本となります。妙法五字を受持しなければ、己心に仏界を具すことはできないとするものです。これは、天台が「介爾有心即具三千」とのべた理即仏の思想を、現実の立場から否認するものといいます。(浅井円道著『日蓮聖人教学の探求』四九頁)。また、「自然(じねん)」について、『開目抄』にのべた自然と本書の自然は同じといいます。そして、これが観心の世界といいます。(茂田井教亨著『本尊抄講讃』中巻六五九頁)。

 

「但天台の一念三千こそ仏になるべき道とみゆれ。此一念三千も我等一分の慧解もなし。而ども一代経々の中には此経計一念三千の玉をいだけり。余経の理は玉ににたる黄石なり。沙をしぼるに油なし。石女に子のなきがごとし。諸経は智者猶仏にならず。此経は愚人仏因を種べし。不求解脱解脱自至等[云云]。我並我弟子諸難ありとも疑心なくわ自然に仏界にいたるべし」(六〇四頁)

 

 また、この自然とは「無上宝珠不求自得」の不求自得であり、「六波羅蜜自然在前」の自然在前であるといえます。ここのところは、声聞界所具の仏界を私たち凡夫の己心の声聞界として具足をのべています。四大声聞が領解したように、私たちの己心にも存在するということです。ここに、「如我等無異如我昔所願今者已満足。化一切衆生皆令入仏道」の本願が成就し譲与されるといえましょう。この方便品に釈尊は昔からの誓願である、衆生の成仏(二乗作仏)が満足したとあることから、私たちの肉体の血肉は釈尊と同じであり、因果の功徳は私たちの骨髄にほかならないと、釈尊と同体であることを強調します。血肉とは相(色)のことです。骨髄とは性(心)のことです。また、宝塔品の文を挙げたのは、法華経を受持する者は釈迦・多宝・十方分身諸仏の因果の功徳を得て同体となることを示すためで、これは三仏を凡夫の己心の仏界としたことを意味しています。法師品の「須臾聞之即得究竟」の文を引いて「自然譲与」を確証します。どうじに、「その跡を紹継」するという、三仏の御前にて付属をうけた末法弘通(「約束」七一九頁)に関連していくのです。

 

〇五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏

 

そして、ここで本門寿量品の文(「然我実成仏已来」)を引き、私たち凡夫が己心に具足する仏界を、「五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏」という釈尊の仏身を示します。

 

「寿量品云 然我実成仏已来無量無辺百千万億那由他劫等[云云]。我等己心釈尊五百塵点乃至所顕三身無始古仏也。経云 我本行菩薩道所成寿命今猶未尽復倍上数等[云云]。我等己心菩薩等也。地涌千界菩薩己心釈尊眷属也。例如太公周公旦等者周武臣下 成王幼稚眷属 武内大臣神功皇后棟梁 仁徳王子臣下也。上行無辺行浄行安立行等我等己心菩薩也」(七一二頁) 「乃至所顕」とは「五百塵点」が無始久遠であることをしめします。この釈尊は一身即三身(法中論三・報中論三・応中論三)、三身即一身(三身即法身・三身即報身・三身即応身)の「無始の古仏」であることをのべています。これを、不縦不横の三身、三身円満具足(円満具足の本迹三身)といい円融三身論となります。三身については『開目抄』にのべていました。

 

「本門十四品も涌出・寿量の二品を除ては皆始成を存せり。双林最後大般涅槃経四十巻・其外の法華前後の諸大乗経に一字一句もなく、法身の無始無終はとけども応身報身の顕本はとかれず」(五五三頁)

 

 ここに、報身と応身をふくむ三身顕本についてのべていました。前述しましたように、天台大師は『法華文句』の「釈寿量品」において、釈尊の三身を「通明三身、若従別意正在報身~文会者我成仏一念三巳来甚大久遠故能三世利益衆生~正意是論報身仏功徳也」と説きました。『八宗違目鈔』(五二三頁)の冒頭に、『法華文句』・『文句記』の、「記九云 若其未開法報非迹。若顕本已本迹各三。文句九云 仏於三世等有三身於諸教中秘之不伝」の文をあげて三身を説明していました。「無始の古仏」とは三身ともに無始無終の仏であり、報身に正意があるとして「報中論三」の報身顕本をしめすといいます。(浅井要麟著『日蓮聖人教学の研究』三一一頁)。天台大師が寿量品に発迹顕本された仏の三身中の正意が、報身にあるとした「報中論三」の主張の背景には、三種教相や本門十妙にみられる、私たちとの関わりが明示されているといいます。(北川前肇著『日蓮教学研究』二一〇頁)。受持の信行によって釈尊の因行果徳の功徳が自然譲与されることは、その功徳を譲与する釈尊が常住に存在するからです。「報中論三」の釈尊の仏身を論ずることの意義がここにあります。天台の性具思想においては、必ずしも仏陀の常住を必要としないからです。(浅井円道著『日蓮聖人教学の探求』四九頁)。

これは仏身論・本尊論として大事な教えです。天台大師は『法華玄義』に、同じ寿量品の「如是我実成仏巳来甚大久遠」の文を本果妙と解釈しました。釈尊と私たちの師弟が久遠であるという寿量品の解釈ができるのです。この仏陀論から、私たち衆生論をみますと、日蓮聖人はここに、私たちの己心に久遠実成の釈尊を具足できると説いたのです。本仏釈尊の仏格を「五百塵点乃至所顕三身無始古仏」とのべ、この釈尊の果徳を「受持譲与」されることが、己心具仏の仏界の本体であるとして大難に答えたのです

つづいて、釈尊の本因行(本因妙)の「我本行菩薩道」の文をあげ、凡夫己心の菩薩界等とし、地涌の菩薩は本仏釈尊の眷属(本眷属妙)であることから、上行等の四菩薩を私たちの己心の菩薩界とのべています。日蓮聖人はここで、四聖の互具を説いたのです。ここが、七大難問(七〇七頁)の答えとなります。私たちの己心についての本書の展開をみますと、まず己心に十法界が具わっていることをのべ、つぎに仏界が具わり、仏陀釈尊の因果の功徳が具わり、寿量品の仏である無始の古仏釈尊が具わるとのべてきました。

 

〇身土一念三千

 

つぎに、本書は大きな展開を示します。その動因として妙楽の『弘決』を引きます。本書は冒頭に『摩訶止観』にはじまり、この『弘決』で一つの結びとします。ここまでを能観題目段といいます。ここを、観心から本尊に入る分け目とし、つぎを所観本尊段といいます。所観本尊段は第一九紙(一〇紙表)五行目中頃から、第二〇紙(一〇紙裏)九行目の四文字までの、二六行という短い文章です。この観心(題目)段と本尊段を一体として、つぎの(第六章いこう)、末法正意(本化上行弘通段)に論を進めていきます。

「妙楽大師云 当知身土一念三千。故成道時称此本理一身一念遍於法界等[云云]」(七一二頁)

 

この一文六句の身土とは正報の十界の身と、依報の国土の三世間のことです。つまり、私たちの身心と住む国土をいいます。これら三千の存在は一念に具足するもので、仏が成道したときにこの性具の本理に適合して一身の体、一心の智が法界に周遍すると釈して、『摩訶止観』の理境を結び、理性所具の一念三千を釈します。天台大師は「介爾有心即具三千」の文から性具論、妙楽大師は「一身一念遍於法界」の文から体遍論と区別します。

日蓮聖人はこの文を妙法五字に釈尊の因行果徳が具足するとした「自然譲与」の文、その観心である事具一念三千を結ぶ文として引用しました。つまり、「当知身土一念三千」の法身の理性を示す二句は、「釈尊因行果徳二法妙法蓮華経五字具足」の文を結び、「故成道時称此本理」の報身の成道を示す二句は、「我等受持此五字」の文を結び、「一身一念遍於法界」の二句は、「自然譲与彼因果功徳」の応身の応用をのべたとします。本書は観心の一念三千から題目受持に到達し、私たちの身体と私たちが住む国土との相関に展開します。妙法五字を受持することは題目を受持することですので、ここまでを能観の題目段とします。

 

〇〔第五章〕本時の娑婆世界と本尊の相貌

〇本時の娑婆(四十五字法体段・己心三千具足)

 

これより、所観の本尊段に入ります。日蓮聖人は妙楽の『弘決』巻五の「当知身土一念三千。故成道時称此本理一身一念遍於法界」(当に知るべし、身土の一念三千なり。故に成道の時此の本理に称うて、一身一念法界に遍ねし)の一文二句を引用したのは、自然譲与の具仏界、事具一念三千の観心論からつぎの論点に移るためでした。そのため、本書の冒頭の「摩訶止観第五云夫一心具十法界」(「介爾も心あれば即ち三千を具す」)の結成理境の文を結ばれました。これを結前といいます。そして、つぎに論点は「身土一念三千」の文により、本尊と「四十五字法体」を開示していく生後の役割をもっています。これを、「結前生後」といいます。前の題目段(観心)を結んで後の本尊段に入るということです。

日蓮聖人の論旨は久遠実成の釈尊の開顕を、国土(仏土)の開顕へと進展されます。仏身と仏国土は常に不二の関係にあります。仏が成道すれば仏身と仏土は一体であるという本理にかない、仏の一身一念は法界にあまねき常寂光土になるとするものです。観普賢経に「毘盧遮那遍一切処」と示したように、仏身にあてると毘盧遮那(法身)、仏土にあてはめると遍一切処(常寂光土)になります。これを、依正不二(『釈籖』の十不二門)といいます。第一段で行者の受持成仏(唱題成仏ともいう)を定め、つぎに、論点は仏土(浄土)に進みます。このことから、妙楽大師の身土三千の文は第一段の結びであり第二段の初めとなります。すなわち、

 

「夫始自寂滅道場華蔵世界終于沙羅林五十余年之間 華蔵・密厳・三変・四見等之三土四土 皆成劫之上無常土所変化方便・実報・寂光・安養・浄瑠璃・密厳等也。能変教主入涅槃 所変諸仏随滅尽。土又以如是。今本時娑婆世界離三災出四劫常住浄土。仏既過去不滅未来不生。所化以同体。此即己心三千具足三種世間也」(七一二頁)

 

と、爾前・迹門に釈尊が説いてきた仏土をあげます。これは、釈尊が悟りを開いたブッダガヤの菩提樹下から、クシナガラ河畔の沙羅双樹の林の中で入滅されるまでの、五〇年に説いた浄土をあげます。菩提樹下において『華厳経』の浄土である蓮華蔵世界を説きます。さらに、『密厳経』などに説かれる密厳浄土、そして、法華経の宝塔品の三変土田の浄土があり、『涅槃経』の四見の四土(七〇七頁)があります。

三変土田の浄土とは宝塔品で大地の下から多宝塔が出現し、多宝如来によって法華経の真実が証明されます。このとき、釈尊は多宝如来の尊顔を拝したいと願う聴衆のために、十方の世界にて化導をしている分身諸仏を集めなければなりません。そこで、眉間から白毫の光を十方に放たれます。これに応じて分身の諸仏は娑婆世界に集まって来ます。つぎに、釈尊は分身の諸仏が坐るべき場所を整えるために、最初は娑婆世界、つぎに八方の二百万億那由他の国、三度目に更に八方の二百万億那由他の国を変じて清浄ならしめます。これにより、地獄・餓鬼・畜生・修羅および増上慢の人天を、他土に移らしめたと説かれています。天台大師は『法華文句』に、第一変は見思の惑、第二変は塵沙の惑、第三変は無明の惑を断じたことを意味すると解釈しています。このように、釈尊が神通力をもって三回、穢土を浄土に変えたことを三変土田といいます。

また、『涅槃経』の結経である『像法決疑経』に説かれた「沙羅の四見」があります。機根によってそれぞれの見方に四土の違いががあったことをのべています。爾前経においての仏土は三土であり、迹門と『涅槃経』は寂光土を説くので四土となることをいいます。これらの浄土は成刧という無常のなかに説かれた仮の浄土であるとします。それが、同居土を除いた方便土・実報土・寂光土であり、阿弥陀仏の安養浄土(極楽世界)、薬師瑠璃光如来の浄瑠璃浄土、それに、大日如来の説く密厳浄土などであると、それぞれの浄土をならべ、これらは始成正覚の能変の釈尊が入滅すれば、釈尊と同体の諸仏も同じに滅尽することになり、この仏土も同じく滅尽し方便の浄土であるとのべます。つまり、爾前・迹門の仏身が変わることにより、諸仏の仏身と仏土も変わるとしたのです。体がなくなれば影もなくなるということで、爾前・迹門の説示を方便として否定したのです。現実に存在している本体としての娑婆国土があらわれたのです。法華経の迹門もこのなかにはいります。『開目抄』に、

 

「爾前のみならず迹門十四品一向に爾前に同ず。本門十四品も涌出・寿量の二品を除ては皆始成を存せり。双林最後大般涅槃経四十巻・其外の法華前後の諸大乗経に一字一句もなく、法身の無始無終はとけども応身報身の顕本はとかれず」(五五三頁)

 

と、顕本遠寿の久遠実成を顕わさなければ、仏身と娑婆国土も未顕真実であるという論理をもっています。ここにおいて、依正二報・身土不二の問題に言及されたのです。妙楽大師は天台大師が『玄義』で説いた十妙を解釈して「十不二門」を立てました。その第六に依正不二門があり、一念三千の教えにより衆生と五陰の二千世間を正報に、国土の一千世間を依報とします。この依正の三千世間は一心一念にあるとして依正の一体不二を説き、「身土不二」の法門を立てました。日蓮聖人も釈尊が爾前・迹門に説いた依正二報と本門を対比(迹本相対)し、爾前・迹門は身土無常であり、本門は身土常住であることを示されました。日蓮聖人の成仏観は本門の無始久遠の本仏の開顕を根拠としていることがわかります。この仏界縁起による十界常住を基本とされ、事一念三千の中心の教義としています。

そして、久遠実成を開顕した本門の立場からみた娑婆国土を、「本時の娑婆世界」と表現され、身土常住の一念三千を説きます。この娑婆世界は三災(小の三災―大飢饉・大疫病・大刀兵。壊劫のときの大の三災―火災・水災・風災)などの異変はなく、四劫(成・住・壊・空)の変遷がない常住の浄土であり、過去・現在・未来の三世常住の浄土がこの娑婆世界であるとのべます。如来寿量品に「我常在此娑婆世界~衆生見劫尽 大火所焼時 我此土安穏 天人常充満」(『開結』四一八頁)と説かれているのは、久遠の本時から不変の娑婆浄土とします。釈尊の眼から見た娑婆は、現実には穢土であっても本質は浄土と見えており、本時の娑婆の本来の姿は浄土とうけとることができます。(浅井円道著『日蓮聖人教学の探求』一四四頁)。

釈尊の仏身は「五百塵点乃至所顕三身無始古仏」という三身即一身の仏であり、過去世においても入滅したことはなく、未来世においても生まれ変わることのない、不生不滅の永遠の仏とのべています。人間の生命を超えた絶対的な存在を説き顕したといえましょう。仏界(仏身)の常住(正報)と、娑婆浄土の常住(依報)が示されました。この常住の浄土は私たち凡夫己心に具足する仏土であるとのべたのです。つまり、「本時」とは久遠仏の具足する本来の時であり、久遠釈尊は本地であり所化は本化となります。ここに「本果妙」の仏と「本因妙」の所化と、そして、「本国土妙」の娑婆国土の常住が説き明かされたのです。(『日蓮聖人御遺文講義』第三巻二五二頁。『日蓮宗事典』)。私たちが住むこの同居の娑婆に四土具足の浄土とし娑婆本土としたのです。久遠仏は過去に入滅し未来に出世するという生滅の無常の仏ではなく、三世に常住であり久遠無始より衆生を救済している仏であり、所化の九界の衆生も同じに同体であるとのべたのです。この依正二報の常住を本門の仏法妙とします。また、これを三法妙一体といい常住不変を説きます。

 

仏法妙――今本時娑婆世界離三災出四劫常住浄土。仏既過去不滅未来不生

心法妙――所化以同体

衆生法妙―此即己心三千具足三種世間也

「今本時~己心三千具足三種世間也」の四十五字は、凡夫己心の一念に百界千如、五陰・衆生・国土世間の三千世間を具足する身土常住を明かします。これが「己心三千具足三種世間」ということで、これを事一念三千の法体、「四十五字法体段」(一妙院日導上人の『祖書綱要』)といいます。ここにおいて、本書の三十番問答の中心となる「己心具三千」の難問に、事一念三千具足の法門として答えたといえます。日蓮聖人教学の教観解行の基本となる大事なところです。(『日蓮聖人遺文全集講義』第一一巻下、二七四頁)。

また、「己心の三千具足」と読むのは、本書が具足論として展開し、その答えが受持具で決せられるからといいます。末代の観心とは、妙法五字の受持により実現する釈尊との同体性、釈尊とともに永遠不滅の浄土に住することです。(庵谷行亨著『日蓮聖人教学基礎研究』一四三頁)。換言しますと、南無妙法蓮華経と唱えるところが本時の世界であり、今とは唱題をしている今といえます。また、自我偈に説く「時我及衆僧倶出霊鷲山」の時といいます。釈尊・法華経・私が一体となった時。さらに、題目を唱えていないときでも、心に常に題目をたもつ信仰、それが受持と思います。成仏とは具足することであり、それを十界互具・一念三千にて論証されました。妙法五字を受持することにより、仏と衆生が一体化となり、それを具足としてとらえたといえましょう。

 

〇「肝心南無妙法蓮華経五字」を「地涌千界説八品付属」する

 

一念三千の法門は久遠実成によって成立します。しかし、時と機根、国土などの五綱の違いや、教行人理によって弘通方法に違いがあることは前述したとおりです。本書は本門の肝心である南無妙法蓮華経を、地涌の菩薩に付属することに論点が移ります。

「迹門十四品未説之。於法華経内時機未熟故歟。此本門肝心於南無妙法蓮華経五字、仏猶文殊薬王等不付属之。何況其已下乎。但召地涌千界説八品付属之」(七一二頁)

 

本門八品とは涌出品から属累品までの八品をいいます。この八品に地涌の菩薩が来還して、このときに釈尊は地涌の菩薩に法華経の弘通を付属します。勧持品の会座で文殊や薬王等の菩薩は、滅後末法における弘教を発誓します。釈尊はその後、安楽行品において初心の菩薩のために四安楽行を説きます。釈尊は涌出品において薬王菩薩などの弘教を制止します。涌出品において久遠の弟子である地涌の菩薩を呼びます。(地涌招出)。そして、神力品にて上行菩薩に別付属した教えが、本門寿量品の釈尊(本仏)の肝心である「南無妙法蓮華経の五字」(本法)です。この南無妙法蓮華経とは教法としての事一念三千の法体をさします。教法としての妙法蓮華経の五字は、本仏の因行果徳の二法を具足します。四十五字法体の本因・本果・本国土の三妙常住を己心に具足する教えでした。

妙法蓮華経の五字を受持することを、私たちの信心からしますと、南無妙法連華経と表現されます。前述したように、妙法五字を「一念三千仏種」とし、法体として妙法蓮華経の五字をのべていました。この法体を受持するとき、すなわち、信行としての南無妙法蓮華経の七字が、「事行の南無妙法蓮華経の五字」(七一九頁)となります。この両者を同体と受容するところに「南無妙法蓮華経の五字」とのべたのです。七字の題目を媒介として五字の仏果(「仏果の下種」七一四頁」を譲与されます。この五字・七字の関係が「南無妙法蓮華経の五字」といえます。(庵谷行亨著『日蓮聖人教学研究』四六四頁)。事具一念三千の肝心とするところであり、釈尊と私たちの一体化(成仏)といえましょう。

また、五字は法体、七字は行体と分けることができます。(『日蓮聖人御遺文講義』第三巻二五八頁)。つまり、法華経(妙法蓮華経)を受持するという信行を重視されるところが、日蓮聖人の教えの特徴となります。さらに、地涌の菩薩に特別に付属されたことを、神力品の別付属といいます。この理由により地涌の菩薩を「高貴な大菩薩」(七一九頁)とよびます。『開目抄』に本化上行の出現を啓示された経緯から、このところを拝読しますと、まさに、日蓮聖人が霊山において付属されたことをのべているといえましょう。

 

〇本尊の相貌(八十九字)

 

 そして、この本尊の相貌(体相、ていそう)についてのべます。この相貌を宝塔品の虚空会の儀式において、霊山浄土となった状態を曼荼羅としてあらわします。前述しましたように虚空会の儀式は、「起・顕・竟の三軌」とよばれるものです。宝塔品にはじまり、涌出・寿量品にて顕れ、神力・属累品にて竟(おわ)る、という塔中付属の儀式を主体としています。とくに、「但召地涌千界説八品付属之」(七一二頁)とのべていたように、釈尊が地涌菩薩にたいし、滅後の法華弘通の付属という儀式を主体としています。これが本門八品の説相です。涌出品から属累品までの八品は、初・中・終の三っつに分けられます。初は涌出品において地涌の菩薩が出現されたことをいいます。中は寿量品の久遠実成の顕本遠寿、分別功徳品の四信五品、随喜功徳品の五十展転随喜、法師功徳品の六根清浄、常不軽品の不軽菩薩の二十四字と題目の五字が入ります。そして、終が神力品と属累品の付属になります。つまり、日蓮聖人はこの八品の教えのなかから、本尊の相貌をのべられていることがわかります。すなわち、 「其本尊為体(ていたらく) 本師娑婆上宝塔居空 塔中妙法蓮華経左右迦牟尼仏・多宝仏釈尊脇士上行等四菩薩 文殊弥勒等四菩薩眷属居末座 迹化・他方大小諸菩薩万民処大地如見雲閣月卿。十方諸仏処大地上。表迹仏迹土故也。如是本尊在世五十余年無之。八年之間但限八品。正像二千年之間小乗釈尊迦葉阿難為脇士。権大乗並涅槃・法華経迹門等釈尊以文殊普賢等為脇士。此等仏造画正像未有寿量仏。来入末法始此仏像可令出現歟」(七一二頁) と、本尊の相貌を宝塔品の様相からのべています。本師釈尊は娑婆を三変田し通一仏土の浄土にします。その清められた虚空に多寶塔が浮かびます。東方から来臨した多宝仏は霊山の虚空に西向きに居します。塔中には法華経「本門の肝心南無妙法蓮華経」を中心として、釈迦・多宝が並座します。これを、「一塔両尊」・「二仏並座」といいます。そして、上行等の地涌の四菩薩が釈尊の脇士となります。ここが大事なところです。釈尊を脇士とするのではありません。本師釈尊を中心とされた本尊なのです。これを、「一塔両尊四菩薩」といいます。この下座に迹化の菩薩の代表である、文殊・弥勒・普賢・薬王菩薩が居します。そのほかの迹化・他方の菩薩(観音・妙音など)や十方諸仏は、霊山の地上に下座して釈尊の説法を聴聞しています。十方分身諸仏が大地に居す理由は迹仏が迹土にいる姿を示し、虚空上の釈尊は本仏が本土にいることを表わします。

このように、本化上行等の地涌の四菩薩は釈尊の脇士であることをのべています。しかも、釈尊一代五〇年のなかで本門八品にしか地涌の菩薩は出現していないことを重視されたのです。地涌の菩薩が釈尊の脇士となったのは本門八品の会座に限られているのです。ここに、諸経と法華経本門八品における教主釈尊の仏格の相違をのべています。ゆえに、「其本尊為体」の八十九字は本門八品所顕の本尊といい、正法・像法時代にはこの寿量品(久遠実成)の本尊釈尊(寿量仏)を説いた者はなく、末法に入り二百二十余年に始めて日蓮聖人が、この本尊の体相(相貌)を顕したということになります。

「寿量仏」については『八宗違目鈔』に、天台・妙楽大師の釈を引いてのべていました。このことから、日蓮聖人の「寿量仏」の仏身論は、天台・妙楽大師の仏身論を継承し、三身円満具足の仏と認識されていると指摘されます。そして、この三身を主師親の三徳に配し、三徳を具備した教主釈尊の仏身をのべるところに、日蓮聖人の独自の解釈があります。(北川前肇著『日蓮教学研究』二五〇頁)。私たちにとって主師親の三徳を具備した寿量品の仏(教主)という概念は、娑婆の国主・本師釈尊・久遠の親父として受容できます。帰依する本尊(寿量仏)としてわかりやすいことです。その塔中の中央に南無妙法蓮華経の首題があります。まさしく本門の肝心であり、この本尊は本門の教えを基にして現されたことを示します。釈尊の因行果徳を具備した題目であり、事一念三千の仏種を具えた題目です。ここに受持成仏の十界互具を示されているのです。また、この「塔中の妙法蓮華経」は、釈尊が塔中において下方から涌出した本化の菩薩に付属されたものです。「起・顕・竟」の法門が意図する、妙法五字の要法を別付属されたことをあらわしています。

本書はのちに神力品の十神力の意義をのべるなかで、上行菩薩に付属された妙法五字ということを明らかにしていきます。また、中央の南無妙法蓮華経の五字七字は本門の教主釈尊のこととします。『報恩抄』に、

 

「求云、其形貌如何。答云、一は日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の内の釈迦多宝、外の諸仏、並に上行等の四菩薩脇士となるべし」(一二四八頁)

 

と、本門の教主釈尊を本尊とされていることは明らかです。(茂田井教亨著『本尊抄講讃』中巻八三六頁)。古来より本尊の意味を、根本尊崇・本来尊重・本有尊形の三っつの概念を立てています。(優陀那日輝上人「妙宗本尊略弁」『充治園全集』中巻八三六頁)。『開目抄』に諸宗は寿量品を知らないため本尊に迷っているとのべていました。(五七八頁)。また、一念三千の教えが成立しない諸経・諸宗の成仏は、有名無実であることを示されていました。(五八九頁)。つまり、この本門の釈尊を本尊とすることは、寿量品の久遠実成により明らかになったということです。そして、観心・仏界・題目とのべてきた根本に一念三千の教えがありました。このように、寿量品の釈尊の一念三千に本尊がのべられ、そして、題目を受持することは一念三千の仏種を獲得することになります。寿量仏の一念三千とは久遠の釈尊の一念三千であり、「一念三千仏種」(七一一頁)としての南無妙法蓮華経になります。これらのことからして、本尊中央の南無妙法蓮華経の首題は、大きな信仰的な意義(受持成仏)をもっていることがうかがえます。

 

本門の本尊――寿量品の教主釈尊(寿量仏)

本門の肝心――南無妙法蓮華経五字・七字

本尊の体相――塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦・多寶の二仏並座。釈尊の脇士上行等四菩薩

 

 また、「寿量品の仏」を造像して本尊とするとのべたのは、第一〇番の問いにおいて、草木成仏は観門の難信難解であるとし、木画の二像を本尊とするのは一念三千の法門によって可能であることをのべた結論となります。「寿量品の仏」を造立することについて、『断簡』(二三一)に、

 

「月支・漢土・日本国の二千二百三十余年が間の寺塔を見るに、いまだ寿量品の仏を造立せる伽藍なし、清舎なし」(二九三八頁)

 

、本書と同じく「寿量品の仏」(仏像)を造立することにふれています。木画二像の本尊の根拠は一念三千仏種にあります。この一念三千仏種は己心に具足する釈尊(寿量仏)とします。また、妙法五字のことですので、私たちが妙法五字を受持することは釈尊の仏種をいただく(譲与)ことになります。これを己心に具足するといいます。そして、日蓮聖人は依正不二を説き、私たちの住む国土に浄土をのべました。「今本時の娑婆世界」ということは、釈尊とともに久遠常住の浄土に生きるということと思われます。この本時の世界をあらわしたのが曼荼羅といえます。私たち己心に具足する事一念三千(三種世間)の体相と思います。また、この本尊の相貌とは自分の姿を映し出したた鏡といえましょう。鏡に向かうとは私たちの信心のことなのです。

この章において虚空会の会座(儀式)を本尊の相貌としてのべていました。わたしたちが信仰の象徴としている曼荼羅の根拠となっています。本書はしだいに「本門本尊」の具体性をのべていきます。望月歓厚先生は本書の記述は始顕本尊の曼荼羅の儀相と合到しないとされ、本書の中央首題の妙法五字は虚空会八品の儀相において神力品別付属の儀によって授与される五字といいます。つまり、「本尊為体」の本尊は在世結要付属の儀相であって、本書の真意は本門寿量の本尊であり一尊四士の形にあるとのべています。在末相対して一尊四士を末法本尊とのべています。そして、日蓮聖人は紙幅の曼荼羅を本尊とはいわず、曼荼羅と呼称するのが本義であり、曼荼羅は本尊であるが、本尊は必ずしも曼荼羅ではないといいます。霊山顕現の本尊と十界輪円具足の本尊と区別しています。この一尊四士の造像を富木氏が行ったことは、弘安二年の『四菩薩造立鈔』にみられます。(『日蓮教学の研究』一六五頁)。

また、この本尊に教門と観門の二つの本尊義を立て、教門本尊は「一尊四菩薩」、曼荼羅本尊を観門本尊とみる説があります。(茂田井教亨著『本尊抄講讃』下巻一二五〇頁)。本尊の相貌である曼荼羅と寿量仏の本尊は、画像と木像(「此等仏造画」)の二つのことです。日蓮聖人は同一としてみていたといえましょう。

 

〇〔第六章〕末法付属の妙法五字

〇本法三段

 

 つぎに、第二一番の問答に入ります。ここから、古来より第三段とし上行弘通段といいます。末法に法華経を弘通する「本化地涌の四大菩薩」に視点があてられます。前章のつづきの問難として、本門寿量品の仏を本尊とし、しかも、本化地涌の菩薩を脇士とすることは、前代未聞のことであるとして説明を求めます。

 

「問正像二千余年之間四依菩薩並人師等建立余仏小乗・権大乗・爾前迹門釈尊等寺塔、本門寿量品本尊並四大菩薩三国王臣倶未崇重之由申之。此事粗雖聞之前代未聞故驚動耳目迷惑心意。請重説之。委細聞之」(七一三頁

 

ここに問者は「本門寿量品本尊並四大菩薩」と示しています。この文章から一尊四菩薩が本門寿量品の仏を顕すといいます。それは、久遠の本師を久遠実成の弟子が証明することになるからです。この意味から日蓮聖人は自ら一尊四菩薩の形態を定めたといいます。(茂田井教亨著『観心本尊抄研究序説』五九頁)。この一尊四士の造像について答えたのが、一代三段・一経三段・二経六段・本法三段の「四種三段」の教判と「末法正意論」です。日蓮聖人の本尊論を知る大事なところです。本書に開示された日蓮聖人独自の教えとなります。

「四種三段」は釈尊の一代の諸経を、序分・正宗分・流通分の三つに区分して、そのときの教えの浅深を解明する方法論です。これは、釈尊一生の教えから十方三世微塵の教えをこの三段に区分します。一代・十巻・本迹二経・本法(一品二半)と、次第にその教えの深いところへ極限して、「一品二半」こそが本法の正宗分であり、その余の一切の教えは方便と判別されていきます。釈尊一代の真意は法華経であり、そのなかでも、本門、そして、「一品二半」、さらに、末法救済の要法は妙法五字と極めた教判が四種三段です。つまり、前述したように「四種三段」とは、『華厳経』から『涅槃経』までの釈尊一代の仏教を、序・正・流通の三通りに区分した「一代三段」、『法華三部経』を三通りに区分した「一経三段」(「十巻三段」)、十巻を二分した「二門六段」(迹門三段・本門三段)と、一品二半を正宗分とする「本法三段」を立てています。この「本法三段」は、「一品二半」・「題目五字」、「彼脱此種」の「一念三千仏種」の「末法下種」を論じる根拠となっています。なお、二経六段を迹門三段と本門三段とに分け「五重三段」ともいいます。

このうち、「二門六段」についてみますと、法華経を迹門と本門とに分けて、それぞれに序正流通の三段をたてたもので、迹門三段においては方便品から人記品までの八品が正宗分になります。教主は始成正覚の釈尊で久遠の本仏を顕していませんが、教法は迹門正宗分において百界千如を説いているので、この本無今有の教法は已今当の三説に超過する、随自意の難信難解の正法であるとします。機根をみるなら化城喩品の大通仏の下種結縁の者で、大通下種の機根のなかでも、前四味の教えを助縁として大通仏の種子を覚知する者がおり、これは釈尊の本意ではなく不待法華時の「毒発」の者とし、釈尊の本意は前四味の教えを助縁として法華経の教えを聞いて、大通下種を開顕する者が本意であるとします。また、在世の八品において下種し、『観普賢菩薩行法経』・『涅槃経』において脱益する者や、仏滅度の正像末に小乗や権大乗の教えを縁として法華経を覚知する者があるとして、ここには法華経の迹門の教法に大通下種の脱益があり、また、当来の者の下種となるとして爾前経にくらべての超勝性をのべています。日蓮聖人はこの迹門三段は天台・最澄の広めた法華経の分限とし、本門の涌出品から勧発品のなかに深い教えがあるとされ、本門三段を正意としています。そして、この中心となる正宗分を、涌出品の後半から寿量品と分別功徳品の前半までとします。いわゆる「一品二半」という語句がここにあります。この「一品二半」に開顕された久遠仏の教主は、迹門の始成正覚の仏とは違うとして、本門の本法三段に入ります。

 

「論其教主非始成正覚釈尊。所説法門亦如天地。十界久遠之上国土世間既顕。一念三千殆隔竹膜」(七一四頁)

 

と、本門の教えは迹門の本無今有の百界千如とは比較にならない、十界の依正も久遠となった具足論であるとのべます。迹門の百界千如は有情界に限られていますが、本門の国土世間は非情界の互具を顕していると相違をのべます。この十界久遠を説いていることは、法華経の本門が已今当の三説に超過した隋自意の教えであり、難信難解の証拠であるとします。これにより国土の久遠も立証されることになります。ここに、日蓮聖人が核心とする一念三千論の全貌に迫ったとのべます。それを、竹膜を隔てたほどに近づいたとのべたのです。ここにおける、竹膜ほどの差違とは教相と観心の違いといいます。

『開目抄』は本門に教相と観心を分けていませんが、『観心本尊抄』は本門に教観を分けています。この違いが竹膜といいます。(茂田井教亨著『本尊抄講讃』下巻九二八頁)。そして、その違いである本門の本法三段をのべます。

 

「又於本門有序正流通。自過去大通仏法華経乃至現在華厳経 乃至迹門十四品・涅槃経等一代五十余年諸経 十方三世諸仏微塵経々皆寿量序分也。自一品二半之外名小乗教・邪教・未得道教・覆相教。論其機徳薄垢重幼稚貧窮孤露同禽獣也。爾前迹門円教尚非仏因。何況大日経等諸小乗経。何況華厳・真言等七宗等論師人師宗。与論之不出前三教。奪云之同蔵通。設法称甚深未論種熟脱。還同灰断。化無始終是也。譬如雖為王女懐妊畜種其子尚劣旃陀羅。此等且閣之」(七一四頁)

 

 ここにいう本門は前説の本門一四品に限定せずに、寿量品を中心にみた「一品二半」の立場から、一代仏教に序正流通をのべています。つまり、寿量品いがいの過去大通仏より涅槃経など、十方三世の諸仏のすべての教経を序分と位置づけるところが特徴です。そして、このような独自の見方から本門の文底を考察するので、文底三段・観心三段・法界三段といわれています。文底三段というのは、『開目抄』のつぎの文によります。

 

「一念三千の法門は、但、法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり」(五三九頁)

 

本書はその文底を観心としてのべています。北川前肇先生は、本法三段の本門とは観心の教相をいい、釈尊の一念三千の観心の世界を文底というとのべています(北川前肇著『日蓮教学研究』二九一頁)。そして、日蓮聖人は文底の寿量品の中核である教相としての「一品二半」をのぞいては、小・邪・未・覆の教えであり、その機根も寿量品に説かれた「徳薄垢重」の者で『開目抄』に、

 

「此れ皆本尊に迷。例せば三皇已前に父をしらず、人皆禽獸に同ぜしがごとし。寿量品をしらざる諸宗の者畜同。不知恩の者なり(中略)真言・華厳等の経経には種熟脱の三義名字猶なし。何況其義をや。華厳真言経等の一生初地即身成仏等は経権経にして過去をかくせり。種をしらざる脱なれば超高が位にのぼり、道鏡が王位に居せんとせしがごとし」(五七八頁)

 

と、寿量品の久遠仏を識らない者は禽獣のようなものとします。これは主師親の三徳をわきまえない不知恩の者であるとのべた論理と同じです。そして、爾前と迹門の円教は仏因にならないとし、その理由は種・熟・脱の三益を説かないことであるとのべます。化導のはじめが明らかにならなければ、過去の下種が分からないことになります。日蓮聖人は仏種ではなく「畜種」となるという表現で説かれています。

 

〇末法正意

つぎに、論点を迹門正宗分の正機についてのべます。迹門の正宗分八品は三周説法にて二乗の作仏を説いているので、釈尊は二乗を正機として菩薩・凡夫を傍機としていますが、日蓮聖人は二乗・菩薩よりも凡夫を正機として受けとめます。また、時についても末法の始めを正意とみます。つまり、法華経は末法白法隠没の時代のために、釈尊は説き留めていた教えであることを、法華経の迹門・本門の説示に検証されるのです。

迹門十四品正宗八品一往見之以二乗為正以菩薩・凡夫為傍。再往勘之以凡夫・正・像・末為正。正・像・末三時之中以末法始為正中正」(七一四頁)

 

一往とは経文を順読したときで、再往とは経文を流通分から逆読したときに感受できる仏意をいいます。日蓮聖人は再往の逆読法華をするとき、在世は傍で滅後末法を正意とします。これを、逆読法華の末法正意論といいます。そして、つぎの第二二番問答は、この「末法始為正中正」の論拠についての説明になります。

まず、迹門の経文を検証します。法師品には「而此経者如来現在猶多怨嫉況滅度後」(『開結』三一二頁)、宝塔品には「令法久住乃至所来化仏当知此意」と説かれた文を引き、勧持品の「二十行の偈文」(『開結』三六二頁)も安楽行品の「於後末世法欲滅時」(『開結』三七八頁)なども、同じく滅後末法に視点を当てて説かれている証文であるとします。つまり、末法の現在に必要な教えは何かを求めていきます。これら迹門の流通分は釈尊在世の当機の二乗のために説かれたとしますが、経文を検証すると実には滅後末法の衆生を視座にいれていることが主意であるとのべています。そして、本門においても説法の正意は末法にあるとのべます。すなわち、

 

「以本門論之一向以末法之初為正機。所謂一往見之時以久種為下種 大通・前四味・迹門為熟 至本門令登等妙。再往見之不似迹門。本門序正流通倶以末法之始為詮。在世本門末法之初一同純円也。但彼脱此種也。彼一品二半此但題目五字也」(七一五頁)

 

日蓮聖人は本門を一往みれば久遠を下種とし、大通仏から前四味・迹門を熟益として、本門の久遠実成を開顕したことにより、等覚・妙覚の利益(脱益)を得たのであるから、釈尊在世の当機のために本門が説かれたと思われるとのべます。この本法三段において下種とは、寿量品の「久種」(「久遠下種」七一六頁)とのべています。久遠仏の三身常住における本因下種は、寿量品の文底にあるとして受容するからです。つまり、化道の始終の三益は本門において開顕されたことを明かし、寿量品の「一品二半」に本法の仏種を認めたのです。

しかし、再往、本門の文意を検証すれば迹門の見方とは大きく違い、序・正・流通分のすべてが、末法の始めを正意としているとのべています。そして、釈尊在世に霊鷲山において本門を説いた時と、末法の始めはともに純円の教であるとします。ただし、相違することは在世の機根は脱益になり、末法の機根である私たちは下種になる、とその違いをのべます。これを、「彼脱此種」といいます。また、教法においても、在世は「一品二半」の教えを受領し得脱したのにたいし、末法は題目の妙法蓮華経の五字を受持することであるとのべました。ここに末法下種の要法を「題目の五字」と規定されたのです。

 つぎの第二三番の問いが、この末法為正の論拠について解明することになります。その証文に涌出品の「止善男子」(『開結』三九三頁)の文を引きます。この文を引いたのは地涌の菩薩の存在を明確にするためです。これは宝塔品から提婆達多品における五箇の鳳詔にたいし、勧持品において薬王菩薩は諸菩薩を代表して滅後の弘経を発願しました。

その後、釈尊は安楽行品を説き涌出品において、「止善男子」と、薬王等の菩薩の発願を制止したのです。日蓮聖人は釈尊の意思が水火のようにかわったことの理由を、天台大師の「前三後三」に求め、本化地涌の菩薩に寿量品の「一品二半」の内証である妙法蓮華経の五字を授与し、滅後末法の弘通を付属したとのべます。

「天台智者大師作前三後三六釈会之。所詮迹化・他方大菩薩等以我内証寿量品不可授与。末法初謗法国 悪機故止之 召地涌千界大菩薩、寿量品肝心以妙法蓮華経五字、令授与閻浮衆生也。又迹化大衆非釈尊初発心弟子等故也。天台大師云 是我弟子応弘我法。妙楽云 子弘父法有世界益。輔正記云 以法是久成法故付久成之人等」(七一五頁)

 

 前三とは『法華文句』・『法華文句記会本』に、他方来の菩薩の発誓弘経を止むことの理由に三義をあげたことをいいます。後三とは本化上行等の菩薩を召来した理由となる三義をいいます。他方来の菩薩の発誓を止めた理由は、一に、他方の菩薩は各々の弘通する所があり、そこを離れてはならないこと、二に、この娑婆の衆生とは結縁が浅いため、弘経を志しても完遂できないということです。三に、最大の理由は下方の地涌の菩薩を出現させて、開迹顕本することができないとするものです。本化地涌の菩薩を召すことの三義とは、一に、久遠釈尊の久遠の弟子であること、二に、この娑婆に結縁が深く此土および分身の国土や他方の国土にあまねく利益を与えることができるからであると釈し、三に、開近顕遠を示すことができるとします。これを「止召の三義」といいます。

日蓮聖人は此土旧住の迹化の菩薩も釈尊の初発心の弟子ではないので、地涌の菩薩には及ばないとのべ、「内証の寿量品の肝心である妙法蓮華経の五字は久成仏の本法であるから、久成の弟子である本化地涌の菩薩に付属するのが正当であるとのべます。これは、五綱の立場からのべたもので、現実には末法悪世であり人々は謗法・悪機であるという、経説や論釈からのべたのです。寿量品を釈尊の内証とするのは久遠実成を開顕しているからです。その内証とは肝心の妙法蓮華経の五字とのべています。釈尊の因行果徳を具足した妙法五字のことです。本門の釈尊はこの妙法五字を閻浮提の衆生に授与するため、地涌の菩薩を召して付属されたとのべます。そして、涌出品に弥勒は再度、釈尊に「止善男子」の真意を問います。

 

「弥勒菩薩疑請云 経云 我等雖復信仏随宜所説 仏所出言未曽虚妄 仏所知者皆悉通達 然諸新発意菩薩於仏滅後若聞是語 或不信受而起破法罪業因縁。唯願世尊願為解説除我等疑。及未来世諸善男子聞此事已亦不生疑等云云](七一六頁、『開結』四一〇頁)

 

 本書はこのところで第一二紙の裏面の記載がおわります。つぎの、

 

「文意者、寿量法門為滅後請之也」(七一六頁)

 

のところから第一三紙になります。第一三紙からは入念に木槌で打ち込み、光沢がでた打紙となります。

日蓮聖人は涌出品の文を引いて、本門の説示は末法に視点があてられていたことを証明されます。弥勒の疑いとそれに答えた釈尊の真意(文意)は、「寿量品の法門は滅後末法のためであることを請した」と受容されたのです。つまり、涌出品の「動執生疑」の文を引き、末法を正意とすることを主意として引用されのは、寿量品の開近顕遠は末法の衆生のために要請されたということです。ゆえに、日蓮聖人はつぎに寿量品の文を引き、失本心と不失心の子をあげます。釈尊の在世に菩薩や二乗の者たちが、久遠下種を覚知し本門において脱益をした者(在世得脱)と、本心を完全に失っていて覚知できない者(本未有善)がいたことを示します。釈尊がこの失本心の子供のために良薬を調合したが、これを服さないため留め置き他国に行き、そこから使者を派遣して自分の死を伝えさせます。日蓮聖人はこの如来寿量品の「今留在此」と、「遣使還告」の文を重視されます。寿量文底と地涌付属に関連します。つづいて、分別功徳品の「悪世末法時」(『開結』四四九頁)の文を引きます。本門の流通分にも法華経の弘通の時期を、悪世の末法とあることを示されたのです。すなわち、今がその時であるとします。

 

〇〔第七章〕地涌の四大菩薩に付属

 

そして、この寿量品の「遣使還告」と「今留在此」についてふれたのが第二四番問答です。ここでは人四依をあげ、四番目の本門四依の菩薩についてのべます。

 

「四本門四依地涌千界末法始必可出現。今遣使還告地涌也。是好良薬、寿量品肝要名体宗用教南無妙法蓮華経是也。此良薬仏猶不授与迹化 何況他方乎」(七一六頁)

 

と、本門の四依である地涌の菩薩は、かならず末法に生まれてくるとのべます。寿量品に説く「遣使還告」とはその地涌の菩薩であるとのべます。「是好良薬」とは寿量品の肝要である、五重玄義(名体宗用教)を具備した妙法蓮華経とのべています。釈尊はこれを迹化・他方の菩薩に付属されなかったとのべます。そして、神力品において地涌菩薩が発誓した文をあげます。経文の最初に説かれた「当広説此経」(『開結』四九八頁)の文です。文殊・薬王・観音・普賢菩薩は、釈尊の化道を扶助するために、娑婆に来た迹化・他方の菩薩であり、釈尊の弟子ではないとして、久遠より釈尊の本法を教化をされている弟子でなければ、末法の弘通はできないとのべていることから、ここには重ねて寿量品の説相から末法正意と、具体的に妙法五字を弘通する地涌付属の関連を、明確にしていく論調がうかがえます。そして、神力品に地涌の発誓を聞いた釈尊は、「出広長舌」などの十神力を現じます。日蓮聖人はこれら神力品の文をあげて、地涌付属をつぎのようにのべています。

 

「夫顕・密二道 一切大・小乗経中釈迦諸仏並坐舌相至梵天文無之。阿弥陀経広長舌相覆三千有名無実。般若経舌相三千放光説般若全非証明。此皆兼帯故覆相久遠故也。如是現十神力地涌菩薩嘱累妙法五字云 経云 爾時仏告上行等菩薩大衆 諸仏神力如是無量無辺不可思議。若我以是神力於無量無辺百千万億阿僧祇劫為嘱累故説此経功徳 猶不能尽。以要言之 如来一切所有之法如来一切自在神力如来一切秘要之蔵如来一切甚深之事皆於此経宣示顕説等[云云]。天台云 従爾時仏告上行下第三結要付属[云云]。伝教云 又神力品云 以要言之如来一切所有之法乃至宣示顕説[已上経文]明知果分一切所有之法・果分一切自在神力・果分一切秘要之蔵・果分一切甚深之事・皆於法華宣示顕説也等[云云]。此十神力以妙法蓮華経五字授与上行安立行浄行無辺行等四大菩薩。前五神力為在世 後五神力為滅後。雖爾再往論之一向為滅後也。故次下文云 以仏滅度後能持是経故諸仏皆歓喜現無量神力等[云云]」(七一七頁)

 

つまり、神力品は本化地涌の菩薩に、妙法五字を属累(付属)されたことを説いたものとします。「十神力」は地涌の菩薩に、妙法蓮華経の五字を付属するために顕したものであり、「爾時仏告上行等菩薩大衆」の文は地涌の菩薩を代表する上行等の最上首に、以要言之」の妙法五字を付属するために「宣示顕説」したとします。天台大師はこの「以要言之」の四句を、妙法蓮華経の要法に結実して上行菩薩に付属した儀式を「結要付属」とし、最澄はこの「四句要法」を釈尊の内証である、果分の法・力・蔵・事と解釈したことをあげて、妙法蓮華経の五字に「四句要法」が具足していることをのべたのです。そして、この十神力は地涌の菩薩のなかでも上行等の四菩薩を指定して授与されたとのべます。

ただし、本書に末法弘通の師については地涌の四大菩薩とまでしかのべていません。『開目抄』に「一名上行」と経文のさわりをのべましたが、本書は本化の菩薩の名前にはふれていません。本書いぜんの文永九年五月二日の『四条金吾殿御返事』(六三七頁)、直後の『諸法実相抄』(七二五頁)に上行菩薩の名にふれますが、真蹟として確実な遺文は、身延に入山されて直後に脱稿された『法華取要抄』(八一八頁)です。この『法華取要抄』を上行自覚のはじめとする理由です。(浅井円道著『日蓮聖人教学の探求』一六三頁)。

十神力の前五神力は在世の衆生のために本迹の教えを流通させるためで、後の五神力は五千起去や三変被移・失本心などの、在世の現益を能受できなかった者にたいし、釈尊滅後の未来に流通することを目的としました。しかし、「以仏滅度後能持是経故諸仏皆歓喜現無量神力」の経文から、再往、この十神力を判断すれば滅後の弘通を目的としていると末法正意をのべ、属累品の総付属を証拠とされます。

 ここまでは「神力別付」を経文を証拠としてのべてきました。つぎに、属累品の「爾時釈迦牟尼仏従法座起現大神力。以右手摩無量菩薩摩訶薩頂乃至今以付属汝等」(『開結』五〇七頁)の文を引き、「塔外通付」・「三摩頂付」(摩頂付属)といわれる「総付属」にふれ末法正意をのべます。すなわち、釈尊は多宝塔より立ち出て大神力をもって、右手にて無量の菩薩の頂(頭)をなでて付属されます。地涌の菩薩を筆頭として、迹化・他方の菩薩や、大梵天王・帝釈天・四大天王に法華経を属累(付属)されました。この儀式を終えて釈尊は十方分身諸仏と多宝仏塔も、本土に還帰するように促すと、虚空会上の大衆は慇懃な場に同列したことに歡喜します。

日蓮聖人はこの属累品の儀式をもって、法華経が滅後のために説かれたと受容されたのです。この儀式を終え薬王品から『涅槃経』のあいだは地涌の菩薩も還帰しており、後霊山会に在座している迹化や他方の菩薩に、重ねて付属したのは「遺属」のためであると、つまり、この付属の儀式にもれた迹化や他方の菩薩のために、再度、この法華経を付属し未来に弘経することを命じられました。これを、「捃拾
遺属」といい末法正意をかさ
ねて証明されたのです。

 

〇〔第八章〕本門の題目と本尊を弘通せよ 

〇事行の題目と本尊をしめす

 

つぎに、釈尊滅後の弘通についてのべるのが第二五番問答いこうになります。とくに、地涌の菩薩は末法に法華経を弘通する使命をもっていることをのべます。第二九番問答までの五番の問答は、重請して許説する、いわゆる問難を繰り返しおこなう形体の問答になっています。寿量品の三誡三請・重誡重請に準じているところに注目されます。このことから、日蓮聖人はこれから重要な教え(末法の時と地涌付属の師)をのべられるという強い姿勢がうかがえます。

はじめに、地涌の菩薩が出現する時はいつなのかという問いに、もしこれを説くならば世間の人々は、不軽品の威音王仏の末法のように不軽軽毀の者となるであろうし、また、日蓮聖人の弟子においても、誹謗する者があるので黙止するとのべます。しかし、それでは慳貪の罪になるのではないか、言葉をかえれば「仏法中怨」の責務を提示して、これに答えるわけです。『観心本尊抄副状』に「此書難多答少。未聞之事人耳目可驚動之歟」(七二一頁)とのべているのは、この五番の問答をさすといいます。日蓮聖人が佐渡流罪になり、教団内においてまだまだ統制がとれていない様子がうかがえます。この渦中において新たに発表する教えは難信難解なことであり、そこに、慎重を期されていたことがわかります。「試みに」というのは、これを説くことにより不信の者が、謗法堕獄することを躊躇されたと受けとれます。また、いきなり本論を説いて迷ってはいけないので、慎重に要点をのべて答えを誘引されていきます。ここにおいて、日蓮聖人は法師品・寿量品・分別品・薬王品、そして、『涅槃経』の文をあげます。法華経は在世よりは滅後のために留め置かれた教法で、滅後のなかでも「後五百歳於閻浮提広宣流布」と末法を正意としたことを示します。

つぎに、『涅槃経』の「七子」の譬えを引き、親は病気の子供を心配するように、末法の失本心の衆生を救済することに心を尽くすことを示します。そして、日蓮聖人は自分のような末世の者に、留め置かれ教えであると強調されます。

 

「以已前明鏡推知仏意仏出世非為霊山八年諸人。為正像末人也。又非為正像二千年人。末法始為如予者也。云然於病者指滅後法華経誹謗者也。今留在此者指於此好色香味而謂不美者也。地涌千界不出正像者正法一千年之間小乗権大乗也。機時共無之。四依大士以小権為縁在世下種令脱之。多謗可破熟益故不説之。例如在世前四味機根也。像法中末観音薬王示現南岳天台等出現以迹門為面以本門為裏百界千如一念三千尽其義。但論理具事行南無妙法蓮華経五字 並本門本尊未広行之。所詮有円機無円時故也」(七一九頁)

つまり、これらの経文から釈尊の御心をうかがうならば、釈尊は法華経を末法の始めの日蓮聖人のために説かれ、末法の人々のために肝心の南無妙法蓮華経の題目を留め置かれたとみられたのです。寿量品の「病者」とは法華を誹謗する者であり、これら法華不信の者のために留め置かれたと解釈します。衆生の信不信による堕獄の問題を重くみられているからです。

そして、地涌の菩薩が正法に出現しないのは時と機根がなく、像法には観音・薬王菩薩が南岳大師・天台大師と生まれたが、円機はあっても円時ではなかったとし、天台大師は法華経の迹門の分限において理具の百界千如・一念三千を説いたが、「事行の南無妙法蓮華経」と「本門の本尊」を示さなかったとのべます。これを、「迹面本裏」といいます。像法は本門流布の時ではないとし、末法に焦点があったことをかさねてのべたのです。日蓮聖人はその末法に現実に生きて弘通していることを示されました。

この「事行」とは法華経に帰依し、信心をもって南無妙法蓮華経と唱えることです。日蓮聖人がいう事行の唱題は、「数数見擯出」を色読され不惜身命の信心を貫徹された唱題です。天台の一念三千は理具理行であり、日蓮聖人が教える一念三千は事具事行であると、天台と日蓮聖人の違いをのべたのは本書が始めてといいます。(浅井円道著『日蓮聖人教学の探求』一六四頁)。「但論理具事行南無妙法蓮華経五字 並本門本尊未広行之」の文は、天台・伝教大師ができなかったことを、今、日蓮聖人はおこなったと断言されたといえます。日蓮聖人は本化地涌の菩薩であることを断言されたのです。

また、受持譲与段でのべた本門の本尊を自身に具現することでした。事行の唱題によって私たちの己心に仏界である本門本尊が具現されるとみます。本書の前段でのべた能観の本門の題目により、所観の本門の本尊と具現されることをのべたのです。この信心のあり方を、「観心本尊」といいます。この本尊の体相とは本時の虚空会です。寿量品に説く「時我及衆僧倶出霊鷲山」・「常在霊鷲山」の具現です。私たちにしますと曼荼羅に向かい題目を唱えることが、事行の基本となるといえましょう。そして、法華経を広く説くことでした。「並本門本尊未広行之」と、本門の本尊を広く行じるということは、本尊を弘通することです。本門の本尊とは本書に「本門寿量品の本尊並四大菩薩」(七一三頁)とのべていたように、寿量品の仏をいいます。『報恩抄』に「本門の教主釈尊を本尊とすべし」(一二四八頁)とはっきりのべています。同じ用例として『顕仏未来記』(七四〇頁)などがあります。

 

〇地涌出現

 

とうじにあって、この「事行」の信仰をすることは、厳しい迫害をともなうものであるという、認識がなされていたと思います。ゆえに、日蓮聖人は末法の始めにあたる現実の仏教界を、つぎのようにみています。

 

「今末法初 以小打大 以権破実 東西共失之天地顛倒。迹化四依隠不現前。諸天弃其国不守護之。此時地涌菩薩始出現世但以妙法蓮華経五字令服幼稚。因謗堕悪必因得益是也。我弟子惟之。地涌千界教主釈尊初発心弟子也。寂滅道場不来 双林最後不訪 不孝失有之 迹門十四品不来。本門六品立座 但八品之間来還。如是高貴大菩薩約足三仏受持之。末法初可不出歟」(七一九頁

 

鎌倉の仏教界は小乗をもって大乗を打倒し、権教をもって実教を破折するような時勢で、東西の方向を失い天地が転覆したようなありさまであるから、迹門の四依は力量がおよばずに隠れてしまい、前述したように諸天善神も国土を捨てて守らない状況であると糾弾します。日蓮聖人はこのような時こそが、釈尊に予言された末法の円機・円時とし、地涌の菩薩が始めて出現し妙法蓮華経の仏種をもって、末代「幼稚」の凡夫に逆縁の下種結縁するときであることを、「因謗堕悪必因得益」の文を引いてのべます。地涌出現の意義をのべたのです。

さきの「末法初謗法国 悪機故止之 召地涌千界大菩薩寿量品肝心以妙法蓮華経五字令授与閻浮衆生也」(七一六頁)と、この、「今末法初 以小打大 以権破実 東西共失之天地顛倒。迹化四依隠不現前。諸天弃其国不守護之。此時地涌菩薩始出現世但以妙法蓮華経五字令服幼稚」の文に、五義のなかの序(教法流布の前後)から師への転換を明瞭にしたといいます。そして、本書は地涌の自覚を基底としているといいます。(茂田井教亨著『観心本尊抄研究序説』一四四頁)。日蓮聖人の五義を示された文となり、地涌菩薩のいわれを明確に示されました。

 そこで、日蓮聖人は弟子にたいし、これよりのべることを深く思惟せと注意を促し、地涌の菩薩についてのべられます。地涌の菩薩は釈尊の初発心の弟子であるとして、本門八品の間にしか来還していない高貴な菩薩とのべます。三仏に約束し末法の始めに出現することを、確約した菩薩であるとのべます。地涌出現の理由は末法付属の仏勅を遂行することであることをのべます。。

 

〇「行摂受時成僧弘持正法」

 

そして、この地涌の四菩薩が折伏を行なうならば、賢王となって愚王を誡責するであろうし、摂受を行なうならば僧侶となって法華経を受持し弘通するとのべます。

「当知此四菩薩現折伏時成賢王誡責愚王 行摂受時成僧弘持正法」(七一九頁)

 

摂折については『立正安国論』・『開目抄』にのべましたように、日蓮聖人は折伏下種を末法の行規としています。この場合の折伏は万民が誹謗しても強いて法華経を説くことです。武力をもって抗戦することではありませんでした。ゆえに、迫害にあい二度の流罪を享受されたのです。折伏の意味は『勝鬘経』(十受品第二)によれば正法を久住することです。天台・妙楽大師は『涅槃経』と法華経により、法華・涅槃経の両者に摂受・折伏があると解釈されました。『涅槃経』(金剛身品)を折伏とみるのは『摩訶止観』です。執持刀杖および斬首の文によります。法華折伏とするときは「破権門理」として、爾前の方便経を不成仏として破折し、陀羅尼品の守護をあげます。これは、教えを折伏することです。

この行動をされたのは過去の不軽菩薩でした。不軽菩薩は仏性を尊重し但行礼拝しました。武力を行使してはいません。日蓮聖人はその但行礼拝の行為を折伏とみ、行化を不軽菩薩に習ったのです。末法に必要な弘教法とは何かを、弘長二年の伊豆流罪地にて書かれた『顕謗法鈔』にのべています。

 

「又能化の人も仏にあらざれば、機をかゞみん事もこれかたし。されば逆縁順縁のために、先法華経を説べしと仏ゆるし給へり。但又滅後なりとも、当機衆になりぬべきものには、先権経をとく事もあるべし。又悲を先とする人は先権経をとく、釈迦仏のごとし。慈を先とする人は先実経をとくべし、不軽菩薩のごとし。又末代の凡夫はなにとなくとも悪道を免んことはかたかるべし。同じく悪道に堕ならば、法華経を謗ぜさせて堕ならば、世間の罪をもて堕たるにはにるべからず。聞法生謗堕於地獄勝於供養恒沙仏者等の文のごとし」(二六〇頁)

と、のべ、弘法の用心として五義(五綱)を心得ることをのべています。この五義をもとにして末法をみたとき、謗国・謗法の衆生が充満しているとみました。本書に不軽菩薩の「威音王仏の末法のごとし」(原漢文、七一八頁)とある時を同じ時とみます。同じく本書に、「今、末法の初め小をもって大を打ち、権をもって実を破し、東西共にこれを失し、天地顛倒せり」(七一九頁)、とのべている時代には「或時は万機一同に謗ずとも強て説くべし」(『撰時抄』一〇〇四頁)という弘通をします。このように、謗法充満のときは不軽菩薩が軽毀の四衆を信服随順させたように、教理にたいして強く謗法を誡めることが折伏です。『開目抄』に、

 

「邪智謗法の者多時は折伏を前とす。常不軽品のごとし。譬へば熱時に寒水を用、寒時に火をこのむがごとし。草木は日輪の眷属、寒月に苦をう、諸水は月輪の所従、熱時に本性を失。末法に摂受折伏あるべし。所謂悪国・破法の両国あるべきゆへなり。日本国当世は悪国か破法の国かとしるべし(中略)摂折の二門を弁へずば、いかでか生死を離べき」(六〇六頁)

 

と、のべた文は折伏である証拠です。謗法の堕獄観は折伏による救済につながります。そのため、勧持品二十行の忍難の偈文を、折伏行の実践と認識し証明したところに日蓮聖人の独自性があります。(『日蓮聖人遺文辞典』教学篇六四五頁、石川教張先生)。これらからしますと、日蓮聖人の折伏義を否定することはできません。「三類の強敵」の迫害を忍難して弘教することが折伏です。迫害者に抗戦することではありませんでした。不軽菩薩も自身からは反撃にでていません。法華経を命がけで説き退転しないという、身・口・意三業のありようが折伏です。(望月海淑稿「常不軽菩薩品における二三の問題」『法華経と大乗経典の研究』所収二七頁)。

では、本書における僧形摂受をのべた日蓮聖人の意図はなにかということになります。賢王なら愚王の悪政を諌めるであろうし、また、国王的な立場であるなら強引に権力を行使して法華経を宣布することが可能といえます。しかし、僧侶の立場なら国王の支配下であり、日蓮聖人は武力をもって抗戦はしていません。二度の流罪に服従しています。国家権力にたいしては受け身なのです。国の権力者に逆らえない、それが誤りであっても。しかし、自分の信念は変えることはない。その結果、二度の王難である流罪に処せられました。この流罪人として佐渡にいる日蓮聖人の身体は摂受といえましょう。『涅槃経』の執持刀杖は在家の武力的行動であり、出家の行動ではありません。ゆえに、『撰時抄』に三度の高名として、

 

「第三去年[文永十一年]四月八日左衛門尉語云、王地に生たれば身をば随られたてまつるやうなりとも、心をば随られたてまつるべからず。念仏の無間獄、禅の天魔の所為なる事は疑なし。殊に真言宗が此国土の大なるわざわひにては候なり。大蒙古を調伏せん事真言師には仰付らるべからず。若大事を真言師調伏するならば、いよいよいそいで此国ほろぶべしと申せしかば、頼綱問云、いつごろ(何頃)かよせ候べき。日蓮言、経文にはいつとはみへ候はねども、天の御けしきいかりすくなからずきうに見へて候。よも今年はすごし候はじと語たりき」

(一〇五三頁)

 

と、佐渡流罪を赦免され鎌倉に帰ったように、日本人として日本の国土に生まれ住するゆえに、王法(国主)には従うが、法華経の行者としての信念は貫き通すと平頼綱に述べることができたのです。

折伏について望月歓厚先生は、身形を俗(在家)と僧(出家)にわけ、俗は刀杖を執持して法敵を破折し、僧は戒行をたもち不惜身命の覚悟をもって法華経を弘通する、と解釈することができるとしています。(『日蓮聖人御遺文講義』第三巻三五二頁)。山川智応先生は、将来の本門戒壇建立の時を暗示するとのべています。また、「法華折伏破権門理」ということから教理の摂折を区別する見方や、賢王は外護を目的とし聖僧は内持を主とするとして、この内外が相資して法華経を弘通すべき理想をのべたという考えもあります。(『日蓮聖人遺文全集講義』第一一巻下三八四頁)。田中智学居士は『涅槃経』の刀杖を執持する外護は折伏、この執持刀杖を比べれば不軽菩薩は摂受となるとのべます。(『本化摂折論』)。『涅槃経』の文からみたら日蓮聖人の行動は摂受となります。この見方が通説となっています。

今成元昭先生は日蓮聖人の遺文に摂受・折伏という語がみられるのは、五編の遺文と一片の断簡とし、このうち、弘教法を示すのは『開目抄』・『富木殿御返事』(文永九年四月一〇日)・『観心本尊抄』の三書とします。そして、身延入山いごは用例がないとして折伏を否定されています。(「日蓮の用語をめぐる一問題」『仏教思想仏教史論集』所収三二八頁)。また、日蓮聖人の弘教は摂受であり、むしろ日蓮聖人が折伏されたといいます。

これにたいし、庵谷行亨先生は本書の文を、僧の弘教は正法護持であるため、王の武力執持の弘教に比較すれば摂受であるとし、しかし、値難などにより身命を捨てることから、単なる摂受ではなく折伏の中の摂受であるとのべています。つまり、僧の立場は正法を弘持することが主であるので摂受としますが、これは折伏のなかの摂受と解釈します。相手が順縁ならば摂受の化導であり、逆縁であるならば折伏と解釈します。(『日蓮聖人の摂折義』日蓮教学研究所紀要第三四号)。また、法華経の摂折は折伏の中の摂折であるといいます。(『日蓮聖人大事典』二九四頁)

『日蓮聖人全集』(二巻二八八頁)には、四菩薩は折伏を表にして法華経を弘めるときには、世間の賢い国王の姿で愚かな国王を誡め、摂受を表とするときには僧の姿で正法を受持し弘めると訓読しています。これは、折伏に表裏の解釈があるとしたもので、概ね「折伏為本」と同じ教学です。

茂田井教亨先生は、日蓮聖人の摂折について、幕府の権力者にたいして諫暁されたのは折伏、同じく、良観や蘭渓道隆などの法敵にたいしては明らかに折伏とし、これにたいし、池上氏や四条氏などの信者、檀越にたいしては摂受であったとのべます。どうじに、折伏のなかにも摂受をもち、摂受のなかにも折伏があるとして、これを折面摂裏と摂面折裏の立場があるとのべています。(『開目抄講讃』下巻二五六頁)。

戸頃重基先生は日蓮聖人の摂折二門には三っつの関係を構成するとして、相反関係・両立関係・相補関係をのべています。両立関係について、末法には摂折の二つの弘教法が両立するとします。根拠を『開目抄』の「末法に摂受、折伏あるべし」の文と、本書の本化の四菩薩が「行摂受時成僧弘持正法」の文をあげます。つまり、日蓮聖人は摂折二門の両立を是認していたとします。(日本思想大系『日蓮』五二四頁)

これらのことは、前述した(第二部第二章『立正安国論』)行学院日朝上人の『御書見聞集』(『宗全』一六巻三六六頁)に、僧形は「教の折伏」であり、『涅槃経』などの執持刀杖および斬首は「行の折伏」であると解釈しており、折伏には教・行があると古来より解釈されてきたことを踏襲していると思います。

茂田井教亨先生は『行敏訴状御会通』(四九九頁)の執持刀杖(兵杖)は、護身のための執持であり、国王という権力者が強行的にすることとは違うとのべ、日蓮聖人が時宗に賢王となるよう諌言したともいえる、といいます。(『観心本尊抄』)。あるいは、地涌の菩薩は僧俗にわたって、さまざまな姿をとって出現する、という解釈もあります。(日本思想体系『日蓮』一五六頁)。佐藤弘夫著『日蓮』二四四頁)。この解釈に近いのが蒙古国王による他国侵逼です。

石川教張先生は本化の四大菩薩が折伏を行じるときは、蒙古国の賢王が日本国守護の善神の使いとなって、日本国の愚王を武力で誡責することといいます。摂受を行じるときは僧侶として邪法を誡め正法を弘めるとし、言説による布教は摂受であり、日蓮聖人の忍難弘通は摂受の範疇にはいることになるとのべています。(『日蓮聖人遺文辞典』教学篇六四六頁)。このばあい、蒙古の国王が地涌の菩薩の意志により日本国を誡責した。蒙古襲来は時宗を覚醒させるために起こしたと考えられます。蒙古国王は地涌菩薩であるとまではのべていません。

しかし、本書には地涌の上首である四人の菩薩が出現されたと解釈することもできます。つまり、地涌菩薩の一人は蒙古国王となって日本の愚王を誡責し、もう一人の上行菩薩は日本に日蓮聖人と生まれて、不軽菩薩と同じように但行礼拝の布教をされていると解釈するのです。

これに関して、直接的に蒙古襲来をおこしたのは、諸天善神の謗国治罰という認識があります。『法門可被申様之事』に、平清盛が仏法を破却した罪により、源頼朝に滅ぼされたことにふれ、

 

「日本一州上下万人一人もなく謗法なれば、大梵天王・帝桓並天照大神等隣国の聖人に仰つけられて謗法をためさんとせらるゝか。例せば国民たりし清盛入道王法をかたぶけたてまつり、結句は山王大仏殿をやきはらいしかば、天照大神・正八幡・山王等よりき(与力)せさせ給て、源頼義が末頼朝仰下て平家をほろぼされて国土安穏なりき。今一国挙て仏神の敵となれり。我国に此国を領べき人なきかのゆへに大蒙古国は起とみへたり」(四五四頁)

 

 つまり、日本の万民が謗法となったため、「源平の合戦」がおき、今また日本国は謗法の者で充満したため、蒙古が襲来するとみています。おなじように諸天善神にふれ『撰時抄』に、

 

「彼の不軽菩薩の杖木の難に値しにもすぐれ、覚徳比丘の殺害に及しにもこえたり。而間、梵釈二王・日月・四天・衆星・地神等やうやうにいかり、度々いさめらるれども、いよいよあだをなすゆへに、天の御計として、隣国の聖人にをほせつけられて此をいましめ、大鬼神を国に入て人の心をたぼらかし、自界反逆せしむ」(一〇四六頁)

 

と、日本国の謗国、万民の謗機にくわえ、法華経の行者を迫害するため、諸天善神の御計として隣の国である蒙古国に仰せつけて、日本を治罰したとのべています。謗国・謗機・行者迫害を原因とします。『頼基陳状』に、

 

「故に梵釈二天・日月・四天いかりを成し、先代未有の天変地夭を以ていさむれども、用給はざれば、隣国に仰付て法華経誹謗の人を治罰し給間、天照太神正八旛も力及給はず。日蓮聖人一人此事を知食せり」(一三五九頁)

 

と、このことを知っているのは日蓮聖人ひとりとのべています。蒙古襲来を諸天善神の行為とみていることがわかります。日蓮聖人はこの日本国において、謗法者に下種の弘教をされます。『転重軽受法門』に、

 

「勧持品云加刀杖乃至数数見擯出。安楽行品云一切世間多怨難信。此等は経文には候へども何世にかゝるべしともしられず。過去の不軽菩薩・覚徳比丘なんどこそ、身にあたりてよみまいらせて候けるとみへはんべれ。現在には正像二千年はさてをきぬ。末法に入ては此日本国には当時は日蓮一人みへ候か」(五〇八頁)

 

と、不軽菩薩・覚徳比丘のように、法華経を色読されたとのべ、折伏の行者であると断定されています。日蓮聖人が有徳王と覚徳比丘の故事を引かれるのは、国王と日蓮聖人とが一体となって、法華経を弘通する理想像をしめされるからです。有徳王は覚徳比丘を守るため、謗法の者や悪比丘と戦い殉死した賢王です。有徳王は釈尊の過去世のことでした。『日蓮聖人大事典』(二九八頁)に、有徳王は釈尊の因位の姿であるので、因位の本化の菩薩も、再び有徳王となって折伏を現じ、覚徳比丘となって正法弘持を行ずる、と解説しています。敷衍していえば蒙古国王と日蓮聖人はともに末法に出でた四菩薩となりましょう。この摂折の文章の意図は、つぎの「一閻浮提第一本尊可立此国」の基礎となります。ここに、王仏冥合を暗示し本門戒壇の根拠とします。(『日蓮聖人御遺文講義』第三巻三五二頁)。

〇三仏の未来記

 

つぎに最後の第三〇番目の問答に入ります。ここで、地涌の菩薩が弘教することについて、釈尊の説示があるかを問います。「仏の記文」と表記したのは、釈尊が末法のために法華経を説いたという末法正意・地涌付属の證文のことをいいます。これを、「仏の未来記」といいます。日蓮聖人が「未来記」とのべたのは『守護国家論』(一二一頁)にあります。「未来記」とは未来の末法に標準をあてた記文のことですから、末法正意論を中心にします。北川前肇先生は遺文中の「未来記」に関する表現の形式(「三仏の未来記」「仏の記文」「仏記し」「仏未来を記し」など)をあげ、その引用されている経文の数量的に多いのは、法華経弘通による法難予言の文といいます。つぎに注目されるのが末法の初め、『大集経』の闘諍言訟白法隠没の時代、と規定されるときといいます。(北川前肇著『日蓮教学研究』一〇二頁)。本書はこの両者を「仏の記文」としてあげます。

この未来記として、薬王品の「後五百歳」・天台大師の『法華文句』、妙楽大師の『文句記』、伝教大師の『守護章』の経釈をあげます。そして、法師品の「如来現在猶多怨嫉況滅度後」の文と、伝教大師が「闘諍之時」と解釈した文からすれば、まさに、現在、目前に二月騒動の自界叛逆があり、西海侵逼(他国侵逼)の二難逼迫しているとのべ、仏の未来記は今の日本国をさして予言されていると受容されます。

 

「此釈闘諍之時云云。今指自界叛逆・西海侵逼二難也。此時地涌千界出現本門釈尊為脇士 一閻浮提第一本尊可立此国」(七二〇頁)

 

この闘諍言訟白法隠没の現在こそ、地涌の菩薩が出現するときであると、第二五番目の問答いらいの問いに答えます。注目されることは西海侵逼(他国侵逼)とのべたことで、蒙古の襲来を九州に予測されていることです。蒙古が九州に襲来したのは、翌文永一一年一〇月のことです。この予言は仏の未来記に明白に説かれていると予見されました。この自界反逆・他国侵逼の二難があることは、この災禍を除くために地涌の菩薩が出現されることを、予言されているとのべます。「仏の記文」として、この二つを関連させています。そして、この地涌の菩薩は本門の久遠実成の釈尊の脇士であることを証明し、一閻浮提において最上の本尊を日本国において宣顕するとのべています。この本尊とは本門の「一尊四菩薩」という説があります。茂田井教亨先生は、「一尊四菩薩」の一尊は本果、四師は本因とし、これを教の本尊、曼荼羅を観の本尊として、一尊四菩薩像の後ろにまつるのがよいとします。(『本尊抄講讃』中巻八四九頁)。

 

「月支震旦未有此本尊。日本国上宮建立四天王寺。未来時。以阿弥陀他方為本尊。聖武天王建立東大寺。華厳経教主也。未顕法華経実義。伝教大師粗 顕示法華経実義。雖然時未来之故建立東方鵝王 不顕本門四菩薩。所詮為地涌千界譲与此故也」(七二〇頁)

 

この本尊はインド・中国にもなく、日本においても本門の四菩薩を顕した者がいないことは、地涌の菩薩が出現して自ら図顕されることが決っていたので、末法に譲与されたとします。つまり、本門の久遠実成の釈尊を顕した仏像はないということです。それを、あらわすのは地涌の菩薩の使命であることになります。この神力品の別付属の仏勅をうけた地涌の菩薩は、娑婆世界の大地の下にある虚空に待機し、末法の始めに出現することが必然のことであるとのべます。もし出現しないならば神力品の発誓を破った妄語の者となり、滅後末法に法華経の妙法蓮華経が広まると予言した、三仏の未来記が虚妄の説となるとのべます。はたして、地涌の菩薩は今の日本国に生をうけているのだろうか、と問うのです。

 

「此菩薩蒙仏勅近在大地下。正像未出現。末法又不出来大妄語大士也。三仏未来記亦同泡沫。以此惟之 無正像出来大地震大彗星等。此等非金翅鳥・修羅・龍神等動変。偏四大菩薩可令出現先兆歟。天台云 見雨猛知龍大見花盛知池深等[云云]。妙楽云 智人知起蛇自識蛇等[云云]天晴地明。識法華者可得世法歟」(七二〇頁)

 以上のことから、地涌の菩薩が出現することを現実的に思惟します。そして、正法・像法時代には皆無であった前代未聞の大地震や、大彗星などの天変を指して、これこそが地涌の菩薩が出現する先兆であると把握します。その文証として、天台大師の「見雨猛知龍大見花盛知池深」と、妙楽大師の「智人知起蛇自識蛇」の文を引き、鎌倉や京などに頻繁におこる天変地妖を根拠として、地涌の菩薩が出現するのは明らかであるとのべたのです。一見、日蓮聖人の独断と受けとられそうですが、ここのところを渡邊宝陽先生は、法華経に予言された地涌の菩薩の自覚を、明らかにしているとのべています。(『日蓮仏教論』二三七頁)。

この地震について二つの解釈があります。一つは『立正安国論』にのべた、念仏信仰などの謗法が招いた三災七難です(謗法招災)。そして、もう一つが本書にのべている地涌出現の先兆です。つまり、此土・他土六瑞(地動瑞)の吉瑞とみるのです。「智人は起を知る」とのべた起瑞となります。つまり、日蓮聖人は自身が地涌の菩薩であることを確信したということです。

 

〇「不識一念三千者」五十四字段

 

つぎに、地涌の自覚をもってのべたのが、天晴地明の五十四字の文です。はじめにつぎのようにのべています。

 

「天晴地明。識法華者可得世法歟」(七二〇頁)

 

天が晴れれば大地が明るく見えるように、法華経の教えを学ぶ者は『立正安国論』にのべた二難や、世間におきている天変地夭などの災害の由来を知ることができるとのべます。日蓮聖人自身においては、正嘉の地震や彗星の出現に、地涌の菩薩が出現している先兆と見られました。つづいて、本書の結びの文になります。これまでのべてきた題目・本尊の法体は一念三千仏種、南無妙法蓮華経の五字七字に結ばれます。そして、題目をたもつ「信心為本」の信心により、釈尊の功徳を自然譲与された私たちは本時の娑婆に参入します。その相貌は地涌の四菩薩を脇士とした本門の曼荼羅本尊にありました。日蓮聖人はこの事一念三千・観心本尊の教えを理解できなくても、釈尊の大きな慈悲は私たちに向けられていると受容されます。そこに、妙法五字の受持の功徳が大きいことをのべ、釈尊は四大菩薩と私たちを結びつけられたのです。


「不識一念三千者 仏起大慈悲 五字内裹此珠令懸末代幼稚頚。四大菩薩守護此人大公周公摂扶成王四晧侍奉恵帝不異者也。 文永十年[太才癸酉]卯月二十五日   日蓮註之」(七二〇頁)

 

本書の前半において観心の事具一念三千(具仏界)を示しました。天台大師の『摩訶止観』に一念三千を如意宝珠に譬えているように、久遠仏はこの本門の事一念三千を知らない末代幼稚の凡夫のために、この「珠」に妙法蓮華経の五字の功徳を具足させ、そして、首にかけ与えてくれたとのべます。つまり、三徳具備の釈尊の慈悲です。真蹟には「妙法」と「袋」は書かれていませんが、『太田左衛門尉御返事』に、

「此一念三千の宝珠をば妙法五字の金剛不壊の袋に入て、末代貧窮の我等衆生の為に残し置せ給し也」(一四九八頁)

と、のべたところを類文としています。この「妙法五字」は本書の観心段「受持譲与」の、「因行果徳の二法」が具足した妙法蓮華経であり、本尊段においては「寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字」をいいます。『開目抄』にのべた「寿量品の玉」(五七七頁)、とは、「擣篩和合」された「是好良薬」のことです。本書に「是好良薬寿量品肝要名体宗用教南無妙法蓮華経是也」(七一七頁)と、その玉をのべた「一念三千仏種」をさします。また、逆縁の者には末法下種としての、「但題目の五字」という役割を、「珠」と表現したといえます。そして、この譬えは本書に重ね重ねのべた凡心具仏界にあります。南無妙法蓮華経を受持することは、私たち劣心でも釈尊の因果の功徳を譲り受けることでした。そして、結語に私たちの己心に具わった釈尊(仏界)を、地涌の大菩薩が守護されるとのべたのです。換言しますと、「仏起大慈悲 五字内裹此珠令懸末代幼稚頚」とは釈尊の末代凡夫を救済する誓願であり、末代幼稚を四大菩薩が守護すべき理由は、神力別付の三仏の未来記を実現すべき任務であったのです。四晧(秦末、国乱避け陝西省商山に入った、東園公・綺里季・夏黄公・甪里先生)とよばれた四人の賢人が恵帝に仕えたように、末代の私たちを地涌の四大菩薩が守ってくださるとのべて本書を結びます。

 本書の要点をあげますと、つぎのことがわかります。

 

 観心段―理事一念三千―因行果徳の妙法五字―題目・受持譲与

 本尊段―事一念三千―本門肝心の南無妙法蓮華経五字―本時の娑婆浄土・本尊の相貌

 弘通段―地涌出現――五重玄義の妙法五字―末法正意の三秘(事行の南無妙法蓮華経、閻浮第一、本門本尊)

                     四菩薩の守護

(この段の弘通分について諸説あります。末法正意論が流通分の中心になると思います)

ところで、「本門の戒壇」の表現については、文永一一年一月一四日に富木氏をはじめ弟子信徒に宛てた、『法華行者値難事』(七九八頁)に始めてみられます。この『観心本尊抄』の弘通段においても、密に示されているという解釈があります。(『日蓮聖人全集』第二巻五五〇頁)。また、本国土妙(四十五字)を説くところを戒壇の法門とみます。(『日蓮宗事典』)。これを、「事の戒壇」とする説があります。(『日蓮聖人御遺文講義』第三巻五八頁)。また、信念口唱する処が道場であるから、本門の戒壇といい、本書は本尊を中心として、題目と戒壇を開顕されたといいます。(『昭和新修日蓮聖人遺文全集』別巻二一九頁)。

本書ののち、七月八日に曼荼羅本尊を図顕されます。この一閻浮提のうち未曾有の曼荼羅は本書の虚空会の儀式を顕します。そのなかでも本門八品の儀式は末法弘通が、中心となっていたとうかがえます。迹門の流通分から本門の流通分をこの曼荼羅に示されたとすれば、私たちに法華経の弘通を勧進しているとうかがえます。

また、題目の妙法五字を受持することにより、釈尊の因果の功徳を授かることができること。これは、身土常住の仏界縁起の法門であること、すなわち、本時の娑婆の姿であり本尊の相貌でした。これが、本門の観心となる十界久遠の本尊です。日蓮聖人は宝塔品の虚空会座に、常住の娑婆浄土を見られ、寿量品の仏を本尊とされ四菩薩を脇士とされました。ここに、独自の本門の本尊が確立されました。

また、釈尊に四菩薩が脇士となり、この一閻浮提提第一の本尊が日本に建立される、という表記は本門戒壇の本尊であるとして、本書の最後は戒壇論になっているといいます。(茂田井教亨著『本尊抄講讃』下巻一二五二頁)。「本門本尊」の語句、また、戒壇についてはつぎの遺文にみえます。三秘と関連しますので引用します。

 『法華行者値難事』(七九八頁)文永一一年一月一四日

「龍樹・天親共千部論師也。但申権大乗法華経存心不吐口此有口伝。天台・伝教宣之 本門本尊与四菩薩戒壇南無妙法蓮華経五字残之。所詮一仏不授与故二時機未熟故也。今既時来。四菩薩出現歟。日蓮此事先知之」

『法華取要抄』(八一五頁)文永一一年五月二四日

「問云 如来滅後二千余年龍樹・天親・天台・伝教所残秘法何物乎。答曰 本門本尊与戒壇与題目五字也。問曰 正像等何不弘通乎。答曰 正像弘通之 小乗・権大乗・迹門法門一時可滅尽也。問曰 滅尽仏法之法何弘通之乎。答曰 於末法者大・小・権・実・顕・密共有教無得道。一閻浮提皆為謗法了。為逆縁但限妙法蓮華経五字耳。例如不軽品。我門弟順縁 日本国逆縁也」

『教行証御書』(一四八八頁)弘安元年三月二一日(文永一二年)。『朝師本』

「但此本門の戒の弘らせ給はんには、必ず前代未聞の大瑞あるべし。所謂正嘉の地動、文永の長星、是なるべし。抑当世の人々何の宗々にか本門の本尊・戒壇等を弘通せる。仏滅後二千二百二十余年に一人も候はず。日本人王三十代欽明天皇の御宇に仏法渡て、于今七百余年。前代未聞の大法流布此国月氏漢土一閻浮提之内の一切衆生、仏に成べき事こそ難有難有」

本書を執筆しおわって、七月八日に曼荼羅本尊(文永十一年十二月の曼荼羅に大本尊と書かれています)を図顕されます。このあと、『法華行者値難事』に戒壇にふれたことは三秘を知るうえで大事なことです。三秘をのべるときの順序として、本尊・戒壇・題目の順になることが多く、これは、私たち個人の信行にあてはめますと、まず、帰依する本尊を授与され、つぎに本尊を安置する道場を定めます。そして、南無妙法蓮華経の題目を唱題します。大きな立場からみますと、本書に「一閻浮提第一本尊可立此国」とのべた文意からは、本尊を安置する寺塔を建立するという意味があるといいます。(浅井円道著『日蓮聖人教学の探求』七五頁)。私たちに望まれたことは、事行として南無妙法蓮華経の題目を唱えること、そして、本門本尊を広く弘通することです。本書は『開目抄』につづき、本化地涌の菩薩の代表である上行菩薩とは、日蓮宗の祖師である日蓮聖人であることも開示されていました。

本書はつぎの『観心本尊抄副状』にあるように、富木氏や下総の太田乗明氏、曽谷教信氏に宛てられました。本書が富木氏の手元に触られたのは五月の初旬のことでした。