16.三草二木のたとえ

 もと総代長の高子さんが、鎌倉に行かれたということで、日蓮聖人にとっては法華経を広められた鎌倉の出来事などをお話しました。
 毎月13日のお参りに、今月は「星くだりの聖地」、神奈川県の厚木にある依智の本間邸のことをお話ししました。その折に高子さんから実は鎌倉にご縁があっていって来ましたということで、偶然とはいえタイミングよく竜の口の御遺文を拝読させてもらったと思い、今回の勉強会の始めにそれらに関してお話させていただきました。

 日蓮聖人は鎌倉幕府に『立正安国論』を進上して法華経の教えにそった仏教の正当性、また、国民を大事にする政治のあり方を述べました。
 結果は騒乱の罪ということで罪人になり、正式な手続きをしないで斬首の刑に処すということで、江ノ島が見える竜の口という浜辺で処刑されそうになりました。しかし、空が急に暗くなり雷が落ちたり突風が吹いて処刑ができませんでした。また、幸いに内所の懐妊ということがあり処刑がやめられました。
 幕府の要人や高僧と呼ばれている人は、日蓮聖人の仏教の理解力や教団の発展が怖いことでした。また、政権と癒着がある不安定な幕府にとっては表向きの如く佐渡へ流罪して処分してしまったほうが得策だったのです。佐渡から生きて帰った流罪人はいなかったからです。

 依智の本間氏は佐渡の守護代でしたので、日蓮聖人は1ヶ月ほどここに滞留しました。9月12日の竜口(りゅうこう)法難の翌13日、日蓮聖人は本間邸の外廊でお月さまに向かって法華経をお読みになられました。そして、序品第一の会座(えざ)にも名月天子として連なり、属累品においては頭(こうべ)をなでられ(摩頂)て、釈尊の教えを護ると誓ったはずなのに、なぜ今、法華経の行者である自分を護らないのかと言われたのです。
 「すずしげな顔をして」だまっていて良いのですか、私が死んで釈尊の御前に行ったときに真っ先に月天子は約束を護りませんでしたと申しますと、夜空に浮かぶお月様に申上げられました。
 すると、「空より明星のごとくなる大星下りて前の梅の木の枝にかか」るということがありました。

 日蓮聖人は松葉ヶ谷の焼き討ち、小松原の刀難など、ずいぶんと命を狙われておられます。しかし、そのたびに命を救われています。「生きたる不思議」とご自身が述べれていますように、法華経に護られていました。法華経を護る善神、菩薩さまなどたくさんおられます。序品第一の最初に名前があられる方は皆、法華経によって悟り、そして法華経の信者を護るという誓願を立てられています。日蓮聖人はそれを肌身で感じておられたといえます。

 最後に薬草喩品の三草二木についてふれました。

 私達のまわりには草や木が覆い茂っています。
 小さな草、背丈ほどある草、まだ小さな木、樹齢一千年をこえる大木。
 草や木に差はあってそれぞれに受け入れる器は違うように、
 釈尊はそれぞれが成長するようにと加減して法を説きました。
 しかし、雨は平等に潤いをあたえるように、
 釈尊の心は平等でした。
 そして、42年を経て皆さんの仏性は同じであると説かれました。
 今まで三乗の到達点は違うと差別したが、それは方便で、真実は一つ。
 皆、同じく仏の境地に到達できると説いたのです。それがこの喩えです。
 そして、法華経なのです。                      7月18日の勉強会より