164.『小乗大乗分別鈔』~『其中衆生御書』               高橋俊隆

□『小乗大乗分別鈔』(一三六)

 末尾を欠くため、系年について文永九年説(『境妙庵目録』)があります。宛先については南条氏・波木井氏の説もありますが、『定遺』は富木氏宛ての書状とします。波木井実長氏に宛てたとする説は異議があります。(『昭和新修日蓮聖人遺文全集』別巻二二四頁)。富木氏としても、消息を伝えた文永八年九月の『土木殿御返事』は和文となっていますが、教学を伝えた文永八年一〇月の『寺泊御書』、文永一〇年七月六日の『富木殿御返事』は漢文体で書かれています。本文中に「実をもて勘へ申さば」(七七二頁)、「実義をもて申さば」(七七五頁)、「日本国の人唐土の内裏に入らん事は、必ず日本の国王の敕定によるべきが如し」(七七五頁)とあることから、外交に詳しい武士であったと思われます。真蹟の断片の二三紙は、小湊誕生寺など二〇カ所に散在して所蔵され、『本満寺本』の写本が伝えられています。本書の末文は欠失しており、長篇の著述であったことがわかります。

 本書は『観心本尊抄』(七一四頁)の本法三段のうち、「一品二半」のほかは小乗教であるとのべた大小判を、さらに詳しくのべたといいます。内容の概要は三段になります。一、本文寿量品いがいはすべて小乗教であること。二、久遠下種による得道。三、末法に破国破仏の原因をつくった邪見についてのべ、これいごは欠失しています。

 まず(第一段)、小乗と大乗の区別に一定の基準はなく、比べる対象によって区別されるとし、爾前と迹門の昔迹相対をすれば、方便品の「若以小乗化乃至於一人」の文に、天台・妙楽大師は阿含経だけを小乗というのではなく、華厳経の別教、方等・般若経の通・別の大乗をも小乗と定むとしています。法華経は大乗であり、『法華玄義』の「会小帰大是漸頓泯合」の文を引いて、華厳経より般若経にいたるまでの四教・八教・権実諸大乗経を漸頓とし、泯合とは八教を会して一大円教をあらわしているとします。そして、寿量品の「楽於小法徳薄垢重者」の文は、 

「久遠実成を説かざる華厳経の円乃至方等・般若・法華経の迹門十四品の円頓大法まで小乗の法也。又華厳経等の諸大乗経の教主の法身・報身・毘盧遮那・盧舎那・大日如来等をも小仏也と釈し給ふ。此心ならば涅槃経・大日経等の一切の大小権実顕密の諸経は皆小乗経。八宗の中に倶舎宗・成実宗・律宗を小乗と云のみならず、華厳宗・法相宗・三論宗・真言宗等の諸大乗宗を小乗宗として、唯天台宗一宗計実大乗宗なるべし」(七七〇頁)

と、久遠実成を説かない諸経と迹門は小乗であると今迹相対し、このことからすれば今日の各宗は小乗宗ということになり、天台宗の一宗のみが実大乗宗であるとのべています。つまり、大乗と小乗の区別を、内外・大小・半満(権大乗の勝劣)・偏円(昔迹)・今昔・久近(本迹)の六重をもって検討し、本門以外は小乗としたところが、五重相対における大小相対とは異なるところです。

つぎに(第二段)、この論理は前述のように、二乗作仏・久遠実成を開顕していないことが根拠となっています。

これは、『華厳経』や『双観経』・『大日経』などの修行や得脱は、法華経からみれば小乗と同じという見解になります。

「彼彼の大乗宗の所依の経経には絶て二乗作仏・久遠実成最大法をとかせ給はず。譬ば一尺二尺の石を持者をば大力といはず、一丈二丈の石を持を大力と云が如し。華厳経の法界円融四十一位・般若経の混同無二十八空・乾慧地等の十地・瓔珞経の五十二位・仁王経の五十一位・薬師経の十二大願・双観経の四十八願・大日経の真言印契等、此等は小乗経に対すれば大法・秘法也。法華経二乗作仏・久遠実成に対すれば小乗の法也。一尺二尺を一丈二丈に対するがごとし」(七七〇頁)

 また、法華経の肝要であるばかりではなく、このなかの一念三千と申す法門こそが、奇が中の奇、妙が中の妙であるとのべます。つまり、二乗作仏・久遠実成の教相は、一念三千の観心により成就するということで、『観心本尊抄』にのべた一念三千の成仏をいいます。

 つづいて、この一念三千の法門を華厳宗の澄観と、真言宗の善無畏が盗用したことにふれ、本書には「雨衆が三徳・米斉が六句の先仏の教を盜みとれる様に」(七七一頁)と故事を引いて説明しています。雨衆(うず)とは、インドの迦比羅(かびら)仙人の弟子で、筏里沙(はりしゃ)が仏教の貪欲・瞋恚・愚痴の三毒の教えを盗用して、これら三毒が自性のなかに含有されているという、因中有果を説き数論派をたてます。この徒衆を雨衆・雨際外道といいます。米斉はインドの六派哲学の勝論学派の創始者で、同じく仏教の教えを盗用して六句義(実・徳・業・同・異・和合)をたて、これによる解脱を説きました。日蓮聖人はこれらの前例をあげ、これと同じように、澄観や善無畏は天台大師の教義である、一念三千の法門を盗法した「仏法の盗人」としたのです。

 つぎに、世間の天台宗の学者や諸宗の人は、法華経はただ二乗作仏と久遠実成しか説いていない、と主張したことに反論します。道理として二乗作仏がなければ、迦葉尊者や舎利弗などの仏弟子は永不成仏であり、梵天・帝釈・四衆(比丘・比丘尼・信男・信女)・天龍八部等の、二界・八番の衆の功徳と成仏はどうなるのか、と逆に質疑をのべます。二界とは欲界、色界の世界のことです。八番とは二界に住する欲界天衆と色界天衆、それに、竜王衆・緊那羅衆・乾闥婆衆・阿修羅王衆・迦楼羅衆・人王民衆の雑衆のことをいい、法華経の序品に列座した菩薩衆、声聞衆、雑衆の三衆の中の雑衆をいいます。二乗より下位の衆生になります。

・二界八番の衆

欲界天衆  六欲天のこと。序品の釈提桓因・名月天子・普香天子・宝光天子・四大天王など

色界天衆  十八天のこと。序品の自在天子・大自在天子・梵天王・尸棄大梵・光明大梵など

竜王衆   序品の八大龍王のこと。海洋・天海・水中・雪山の池・青蓮華の池などにすむ

緊那羅衆  天にいて音楽を演奏する神。序品の有四緊那羅王

乾闥婆衆  帝釈天に音楽を奉持し伎楽を演奏する神。序品の有四乾闥婆王

阿修羅王衆 常に大海にすむ鬼神。序品の有四阿修羅王

迦楼羅衆  金色の輝く大きな金翅鳥。序品の有四迦楼羅王

人王民衆  阿闍世王とその眷属をいう

 日蓮聖人はこの序品列坐の二界八番の衆なども、曼荼羅本尊の様相として勧請されています。『観心本尊抄』にのべた本門寿量仏の「南無妙法蓮華経の五字」の功徳による、本門の十界成仏を顕すためです。建治三年の『日女御前御返事』に、つぎのようにのべています。

「日天・月天・第六天の魔王・龍王・阿修羅、其外不動・愛染は南北の二方に陣を取り、悪逆の達多・愚癡の龍女一座をはり、三千世界の人の寿命を奪ふ悪鬼たる鬼子母神・十羅刹女等、加之、日本国の守護神たる天照太神・八幡大菩薩・天神七代・地神五代の神神、総じて大小神祇等体の神つらなる、其余の用の神豈もるべきや、宝塔品云接諸大衆皆在虚空云云。此等の仏・菩薩・大聖等、総じて序品列坐の二界八番の雑衆等、一人ももれず。此御本尊の中に住し給、妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる。是を本尊とは申也」(一三七五頁)

 ゆえに、久遠実成が法華経に説かれなければ、三世の諸仏は無常遷滅の仏となってしまうことは、たとえば天に星があっても日月がなければ暗闇であるし、草木があっても大地がなければ生育できないのと同じこととのべます。『観心本尊抄』の受持譲与段にのべた、釈尊の因行果徳である妙法五字の功徳により、十界のそれぞれが本来具備した仏となるのです。このことは、この書状を受けとった信徒も承伏していることとのべ、さらに、

「実をもて勘へ申さば、二乗作仏なきならば、九界の衆生仏になるべからず。法華経の心は法爾のことはりとして一切衆生に十界を具足せり。譬ば人一人は必ず四大を以てつくれり。一大かけなば人にあらじ。一切衆生のみならず、十界の依正の二法、非情草木一微塵にいたるまで皆十界を具足せり。二乗界仏にならずば余界の中の二乗界も仏になるべからず。又余界の中の二乗界仏にならずば、余界の八界仏になるべからず。譬ば父母ともに持たる者兄弟九人あらんか、二人は凡下の者と定められば、余の七人も必ず凡下の者となるべし。仏と経とは父母の如し。九界の衆生は実子なり。声聞縁覚の二人永不成仏の者となるならば、菩薩・六凡七人あに得道をゆるさるべきや。今此三界皆是我有。其中衆生悉是吾子。乃至唯我一人能為救護の文をもて知べし」(七七二頁)

と、十界互具論から二乗作仏をのべ、十界の依正である非情の草木などの国土世間も仏界のあらわれとのべます。そして、仏を父、妙法蓮華経を母とし、九界の衆生を実子とした三徳論・仏種論にふれます。菩薩ないし六凡(六道の衆生)などの、九界の成仏も説き顕わしているとのべたのは、『観心本尊抄』の一念三千の成仏を示すためです。菩薩も二乗が成仏しなければ、自分たちの四弘誓願も成満しない、という思いに至ったとのべます。

釈尊が久遠実成を説いたことにより、諸経の釈尊の教えは「跨節・当分得道共に有名無実」(七七四頁)になり真実があらわれ、天台大師は諸経に二乗作仏・久遠実成を説かないことをもって、南北の十師の教義(三時・四時・五時・四宗・五宗・六宗・一音・半満・三教・四教等を立てて教の浅深勝劣に迷し、此等の非義)の誤りを正し、明確に諸経の勝劣をたてたとのべます。これは二乗いがいの菩薩や人天の七界の得道を許したことではないと述べます。

さらに、その後に華厳宗が五教、法相宗の三時、真言宗が顕密・五蔵・十住心、『大日経義釈』の四句等を立てたことは、南北の十師の教義よりも誤っているとのべます。これは般若部に劣る方等部の『大日経』に、般若・華厳・法華・涅槃を摂取するからです。それにも係わらず天台宗の学者でさえも錯誤しているとします。それは、野馬(とんぼ)が蜘蛛の網にかかり、水に渇した鹿が陽炎を水と思って追いかけるよりもはかないことであり、たとえるなら、源頼朝が泰衡を滅ぼすために義経を討たせたことや、平清盛が源氏を滅ぼすために伯父の平馬介忠正を六条河原で斬り、また、源義朝も平忠正にだまされて、実父の為義を殺したようなものであるとのべます。つまり、これらの愚行のように、二乗作仏は法華経で説かれたが、菩薩や凡夫の得道は爾前経でもあると考え、しかも、観経の九品成仏を安易にうけいれ、法華経を捨て浄土念仏を説いたことを批判しているのです。十方の浄土に往生する実義は法華経にあるとのべ、つぎのように例えます。

「実義をもて申さば、一切衆生の成仏のみならず、六道を出で十方の浄土に往生する事はかならず法華経の力也。例せば日本国の人唐土の内裏に入らん事は、必ず日本の国王の敕定によるべきが如し。穢土を離れて浄土に入事は、必法華経の力なるべし。例せば民の女乃至関白大臣の女に至るまで、大王の種を下せば、其産る子王となりぬ。大王の女なれども、臣下の種を懐妊せば、其子王とならざるが如し。十方の浄土に生るる者は三乗人天畜生等までも、皆王種姓と成て生るべし。皆仏となるべきが故也」(七七五頁) 

 日本国の人が中国の内裏(宮殿)に入るためには、日本国の勅諚がなければ入れないのと同じで、穢土から浄土に入るには法華経の力がなければならないと例えます。また、「日本の国王の勅定」・「王の種姓」のたとえをもって、法華経の力でなければ成仏も浄土往生もできないとのべています。『観心本尊抄』に仏父経母のたとえをもって、法華経に釈尊の一念三千仏種を説いていました。つまり、成仏得道の根本となる下種は、法華経の仏種に限ることをのべたのです。

 つぎに、「爾前得道」についてふれ、過去に法華経の種を植えた人が爾前経を縁として、過去の法華経の種を発得する者や、過去に法華経の種を植えない者でも、法華経の会座において仏種を心田に下し、今番や涅槃経、滅後未来に成仏する人もあるとのべます。過去に下種のある者は「結縁の厚薄に随て」(七七六頁)華厳経や阿含経などで得道するが、それらの爾前経によって得道したのではなく、実には法華経の下種の力、すなわち、「法華経の得道」(七七七頁)であることをのべています。『観心本尊抄』(七〇六頁)においても二機根をあげ、「法華得道」・「教外得道」を十界互具論からのべていきました。本書もこの根拠を「化導始終不始終相」、「下種」(久遠下種)を説いて説明しています。たとえに「王種」(七七七頁)をあげるのも、「父種」とおなじ理由によります。

 つぎに(第三段)、正法・像法となるにしたがい、法華経に縁のある者が少なくなるため、仏法による争論がふえ、末法に入って二百年を過ぎると「本已有善」の者が少なくなり、「本未有善」の悪人・謗法の機根の時代になるという論点に立ちます。このときは、いかに過去に善業があっても、また、現在の善業も効験が顕れないとのべます。

「今は又末法に入て二百余歳、過去現在に法華経の種を殖たりし人人もやうやくつきはてぬ。又種をうへたる人々は少々あるらめども、世間の大悪人、出世の謗法者数をしらず国に充満せり。譬ば大火の中の小水、大水の中の小火、大海の中の水、大地の中の金なんどの如く、悪業とのみなりぬ。又過去の善業もなきが如く、現在の善業もしるしなし」(七七七頁) 

この「白法隠没」のあらわれとして、浄土宗は弥陀の名号を唱えれば極楽往生は疑いない、と人をだまして法華経を捨てさせるから、上は釈尊にそむき、下の衆生には謗法の罪を作らせる背上向下の失ができます。禅宗は教外別伝といって、経典のほかに真実の教えを伝えたと思い込み、仏教を軽視し増上慢を起こしたとのべます。

真言宗も法華経は応身の釈尊が説いた顕教であり、法身の大日如来が説いた真言密教にはおよばないと説いています。これら各宗の者は教義に迷ったり、師匠の教えに従って迷う者や、遠い元祖・論師・人師の誤った教えを真実と間違えて伝えている者があると指摘します。

また、「悪魔天魔」(七七八頁)が入身して、悪法を正法と思いこんで弘めている者がいること。小乗の一部しか知らないのに、大乗の大法を修行している者を妨げ、自分の小さな法を弘めるため、大法を弘めようとしている山寺を押さえ取ろうとする者がいると指摘します。『首楞厳経』に説く「慈悲魔」が取り憑いている律僧は、三衣一鉢を身にまとい小乗律の分際であることを知らずに、比叡山の龍・象という優秀な高僧をみて、邪見の者として扱っていることを批判します。すなわち、

「或は悪鬼天魔の身に入かはりて、悪法を弘て正法とをもう者あり、或ははづか(僅)の小乗一途の小法をしりて、大法を行ずる人はしからずと我慢して、我小法を行ぜんが為に、大法秘法の山寺をおさへとる者もあり、或は慈悲魔と申魔身に入て、三衣一鉢を身に帯し、小乗の一法を行ずるやから、わづかの小法を持て、国中棟梁たる比叡山龍象の如なる智者どもを、一分我教にたがへるを見て、邪見の者悪人なんどうち思へり。此悪見をもて国主をたぼらかし、誑惑して、正法の御帰依をうすうなし、かへ(却)て破国破仏の因縁となせるなり。かの姐己褒なんと申せし后は心もをだやかに、みめかたち人にすぐれたりき。愚王これを愛して国をほろぼす縁となる」(七七八頁)

これは比叡山(天台宗)を卑下している者たちの態度を批判したものです。このような邪見の僧が誤った見識をもって国主を誑惑し、法華経への帰依をさまたげたため、「破国破仏の因縁となせるなり」(七七九頁)とのべます。夏の桀王が妃の姐己(だっき)に、周の幽王が姒(ほうじ)に、その心のおだやかさと容姿に溺れて、大事な国を滅ぼしたようなものであると例えます。これらは、蘭渓道隆や良観などの悪僧を例えたのです。

「当世の禅師・律師・念仏者なんと申す聖一・道隆・良観・道阿弥・念阿弥なんど申法師等は鳩鴿が糞を食するがごとく、西施が呉王をたぼろかしゝににたり。或は我小乗臭糞の驢乳の戒を持て」(七七九頁)

と、聖一・道隆・良観・道阿弥(道教)・念阿弥(良忠)の名をあげて、国主を誑惑し亡国に貶めている魔が入身している者と指摘しています。それを、家鳩が糞などの汚いものを好んで食べるように、西施という美人が呉の夫差
王を誑かしたと同じであるとのべます。

本書は最後の「或は我小乗臭糞の驢乳の戒を持て」の一文のあとの文章を欠失しています。「臭糞の驢乳」は慈覚大師の『顕揚大戒論』(第一)に、大乗と小乗戒の違いをのべたところです。牛乳と驢馬の乳は同じ白い色をしているが、牛乳は蘇となるが驢乳は糞の臭いとなることを引いて、良観たちの戒律は驢乳のように取るに足らないことをのべたと思われます。良観たちが幕府の権力者たちを誑惑していることをのべているのです。

□『呵責謗法滅罪鈔』(一三七)

 文永九年説(『境妙庵目録』)があります。真蹟は伝わっておらず『本満寺本』の写本があります。本書は四条金吾氏に宛てたとされていますが、本文に四郎という子供がいたことや、妹のことがのべられていることから、宛て先については検討を要するといいます。(『昭和新修日蓮聖人遺文全集』別巻二二五頁。『日蓮聖人御遺文講義』第一三巻一三二頁)。『本満寺本』には宛先の「四条金吾殿御返事」の文はありません。本書は五段にわけることができます。

 まず(第一段)、冒頭に書状の内容を充分にうかがったとのべ、伊豆流罪についてふれます。流罪中の日蓮聖人の安否や苦労をねぎらった文面であったのでしょう。日蓮聖人は伊豆に流罪されたときも、法華経のために流罪されたので、心の中は法悦に満ちていたとのべます。それは、いくぶんでも滅罪になるという境地をのべています。それにしても、過去の重罪は大きいであろうと五逆罪や謗法罪についてのべていきます。『開目抄』(六〇二頁)に自身の過去の謗法罪を認め、「護法功徳力」により三障四魔の迫害に値うとのべ、この値難を滅罪意識にたかめて門下に信心を勧奨していました。本書も同じように、

「五逆と謗法とを病に対すれば、五逆は霍乱(かくらん)の如して急に事を切る。謗法は白癩病の如し、始は緩(ゆるやか)に後漸漸に大事也。謗法の者は多は無間地獄に生じ、少しは六道に生を受く。人間に生ずる時は貧窮下賎等、白癩病等と見えたり。日蓮は法華経の明鏡をもて自身に引向へたるに、都てくもりなし。過去の謗法我身にある事疑なし。此罪を今生に消さずば、未来争か地獄の苦をば免るべき」(七八〇頁)

と、過去の謗法罪をつくった宿業と、それを消滅するための滅罪観をのべています。このような自身の内観については『転重軽受法門』(五〇七頁)、『佐渡御書』(六一〇頁)と同じであり、そして、その受難と滅罪の関係も、

「過去遠遠の重罪をば何にしてか皆集て、今生に消滅して、未来の大苦を免れんと勘しに、当世時に当て謗法の人人国国に充満せり。其上国主既に第一の謗法の人たり。此時此の重罪を消さずば何の時をか期すべき。日蓮が小身を日本国に打覆てのゝしらば、無量無辺の邪法四衆等、無量無辺の口を以て一時に訾(そし)るべし。爾時に国主謗法の僧等が方人として日蓮を怨み、或は頚を刎、或は流罪に行ふべし。度度かゝる事出来せば無量劫の重罪一生の内に消なんと謀たる大術、少も違ふ事なく、かゝる身となれば所願も満足なるべし」(七八一頁

と、自身の罪を消して未来の苦痛を逃れるためには、なにをしたらよいのか。日本の仏教界は謗法となり国主も邪教を信じ謗法の人となっていました。ここに、謗法治罰のために捨身弘法するところに滅罪がありました。このために、迫害にあい王難にあうのは釈尊の記文に示されていたことでした。

日蓮聖人は自己の法華経弘法にたいしての値難を、法悦としていることをのべますが、本書の宛先の一人である女性にたいしては、日蓮聖人においても凡夫であるから後悔の心が起きるのに、日蓮聖人の教えにしたがったため、あなたは後悔しているのではないかと心配したけれども、熱心に信仰をしていると聞き、感涙おさえがたくうれしいとのべています。この信心は過去に宿善がなければできないことであるとして、妙楽大師の、

「妙楽大師釈云記七(巻八之一)故知。末代一時得聞聞已生信事須宿種等云云。又云弘二、運在像末矚(みる)此真文。非宿殖妙因実為難値等云云」(七八一頁)

の、文を引きます。「宿種」とは過去に縁を結んだ仏種があるということです。「妙因」とは過去世に円教の菩薩行を積んだことをいいます。つまり、過去に法華経の縁があることを強調したのです。その縁とは久遠本仏の久遠下種をいいます(『法華取要抄』「此土我等衆生五百塵点劫已来教主釈尊愛子也」八一二頁)。

そして(第二段)、末法に法華経を受持できる者は、地涌の菩薩であり、地涌の菩薩でなければ唱え難い題目であることをのべていきます。すなわち、

「妙法蓮華経の五字をば四十余年此を秘し給ふのみにあらず。迹門十四品に猶是を抑へさせ給ひ、寿量品にして本果本因の蓮華の二字を説顕し給ふ。此五字をば仏、文殊・普賢・弥勒・薬王等にも付属せさせ給はず、地涌上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩等を寂光の大地より召出して此を付属し給ふ。儀式ただ事ならず」(七八一頁)

と、寿量品において開顕された妙法五字は特別な秘法であることをのべています。この寿量品の肝心である妙法五字(『観心本尊抄』七一六頁)は迹化・他方の菩薩には付属されませんでした。その理由として、地涌の菩薩の出現と、本化上行菩薩に結要付属した儀式である、虚空会の様相をのべて説明されます。この会座には大勢の仏・菩薩が雲集しています。 

「儀式ただ事ならず。宝浄世界の多宝如来、大地より七宝の塔に乗じて涌現せさせ給ふ。三千大千世界の外に四百万億那由佗の国土を浄め、高さ五百由句の宝樹を尽一箭道に殖並て、宝樹一本の下に五由句の師子の座を敷並、十方分身の仏尽く来り坐し給ふ。又釈迦如来は垢衣を脱で宝塔を開き多宝如来に並給ふ。譬ば晴天に日月の並べるが如し。帝釈と頂生王との善法堂に在が如し。此界の文殊等、他方の観音等、十方の虚空に雲集せる事、星の虚空に充満するが如し。此時此土には華厳経の七処八会、十方世界の台上の盧舎那仏の弟子、法慧功徳林・金剛幢・金剛蔵等の十方刹土塵点数の大菩薩雲集せり。方等の大宝坊雲集の仏菩薩、般若経の千仏須菩提帝釈等、大日経の八葉九尊の四仏四菩薩、金剛頂経の三十七尊等、涅槃経の倶尸那城へ集会せさせ給し十方法界の仏菩薩をば、文殊・弥勒等互に見知して御物語是ありしかば、此等の大菩薩は出仕に物狎たりと見え候」(七八二頁)

多寶仏の塔中に二仏並座され、十方分身の諸仏や、これら『華厳経』から『涅槃経』に集会した仏・菩薩が来集したなかで、釈尊は法を説かれています。そして、涌出品において久遠の弟子である、地涌の菩薩が出現されます。この地涌の菩薩は文殊・弥勒菩薩とは比較にならない威徳をもった菩薩でした。

「今此四菩薩出させ給て後、釈迦如来には九代の本師、三世の仏の御母にておはする文殊師利菩薩も、一生補処とのゝしらせ給ふ弥勒等も、此菩薩に値ぬれば物とも見えさせ給はず。譬ば山かつが月卿に交り、援猴が師子の座に列るが如し。此人人を召て妙法蓮華経の五字を付属せさせ給き」(七八三頁) 

と、釈尊は地涌の菩薩を召き、十神力品をあらわして妙法五字を付属し、末法の弘教を委嘱したのです。ここに、本化上行に託された結要付属をのべ、末法における地涌の菩薩の意義をのべたのです。結要付属とは、 

「結要付属と申て、法華経の肝心を抜出して四菩薩に譲り、我が滅後に十方の衆生に与へよと慇懃に付属して」(七八三頁)

と、結要付属の法体とは『観心本尊抄』(七一八頁)にのべた神力品の四句要法であり、寿量品の妙法蓮華経の五字(題目)のことにほかなりません。そして、湧出品の「止善男子」を解釈した「止召三義」の要である、

「此四菩薩こそ五百塵点劫より已来教主釈尊の御弟子として、初発心より又他仏につかずして二門をもふまざる人人なりと見えて候。天台云、但見下方発誓等云云。又云、是我弟子。応弘我法等云云。妙楽云、子弘父法等云云。道暹云、由法是久成法故付久成之人等云云。此妙法蓮華経の五字をば此四人に被譲候」(七八三頁)

と、のべた釈尊の久遠の弟子のことです。また、本門八品にのみ現れた菩薩であるとのべます。天台・妙楽大師や道暹律師が、『法華文句輔正記』に示した「久成之人」、すなわち、地涌の上行菩薩が末法に出現することを強調されます。本書も『観心本尊抄』などにのべた末法正意論の展開と同じです。

このように、仏の記文に説かれていることからすると、地涌菩薩は出現されているはずなのに、インド・中国・日本を見ても、それにあたる人はいないと疑問をのべます。釈尊の滅後には文殊菩薩は大僧となって法を弘め、薬王菩薩は天台大師となり、観音菩薩は南岳大師となり、弥勒菩薩は傅大士となって法を弘めた先駆者(付法蔵の人四依)をしめします。嫡子にあたる肝心の地涌菩薩が生まれてこないのはなぜかと論点を追求します。それゆえに、地涌菩薩が実現すべき本門寿量品の仏を、本尊として安置する寺ができないとのべます。そして、ものごとが起きる前にはかならず瑞相があるとし、妙楽大師が智人でなければ事の起こりを知らないという文に 

「今日蓮も之を推して智人の一分とならん。去る正嘉元年太歳丁巳八月二十三日戍亥の刻の大地震と、文永元年太歳甲子七月四日の大彗星。此等は仏滅後二千二百余年の間未だ出現せざる大瑞也。此大菩薩の此大法を持て出現し給べき先瑞歟」(七八五頁) 

と、正嘉・文永の天変地夭は上行出現の瑞相であるとのべます。そして、日蓮聖人が二十余年に受けてきた、罵詈・毀辱・刀杖・瓦礫等の迫害は勧持品の色読であり、不軽菩薩と「同業」であることをのべます。自身こそが上行菩薩であることを表明したのです。良観にふれて不軽軽毀の人々は改心して帰依したが千劫の堕獄があり、良観は日蓮聖人を渇仰していないので、堕獄は無数劫続くとおもえば不憫であるとのべています。すなわち、

「日蓮は彼の不軽菩薩に似たり。国王の父母を殺すも、民が考妣を害するも、上下異なれども一因なれば無間におつ。日蓮と不軽菩薩とは位の上下はあれども、同業なれば、彼の不軽菩薩成仏し給はば日蓮が仏果疑ふべきや。彼は二百五十戒の上慢の比丘に罵れたり。日蓮は持戒第一の良観に讒訴せられたり。彼は帰依せしかども千劫阿鼻獄におつ。此は未だ渇仰せず。不知、無数劫をや経ずらん不便也、不便也」(七八六頁)

 ここで(第三段)、問答の形式を用いて正嘉の大地震の起因についてのべます。正嘉の地震について『立正安国論』には、法然が『選択集』を著して法華謗法の罪を作ったため、天地が瞋り自界反逆・他国侵逼の二難をなすとのべていたのに、今は法華経が流布する瑞相であるとのべているのは、『立正安国論』で言ったことと違っているではないか、先後相違すると質疑したのです。これにたいし、日蓮聖人は自問自答の形をとり、自身は釈尊とどういう関係にあるかを答えていきます

「法華経第四云而此経者如来現在猶多怨嫉。況滅度後等云云。同第七に況滅度後を重て説て云、我滅度後後五百歳中広宣流布於閻浮提等云云。仏滅後の多怨は後五百歳に妙法蓮華経の流布せん時と見えて候。次下に又云、悪魔魔民諸天龍夜叉鳩槃荼等云云。行満座主見伝教大師云、聖語不朽今遇此人。我所披閲法門授与日本国阿闍梨等云云。今又如是。末法の始に流布妙法蓮華経五字日本国の一切衆生が仏の下種を懐妊すべき時也」(七八七頁) 

と、法師品の「多怨」や薬王品の「後五百歳」の意味は、末法の始めに法華経が流布することを説いたとのべます。その経文はつづいて「悪魔魔民諸天龍夜叉鳩槃荼等」と説いていることをあげます。これは、薬王品において、釈尊は宿王華菩薩に、末法に悪魔・魔民などが法華経を断絶しようとするが、その迫害工作を阻止しなさい(得其便也)」、と行者の守護を命じています。

そのあらわれとして、行満座主が伝教大師にむかって、天台大師の聖語(予言)のとおり天台大師の後身である伝教大師に会えたので、『摩訶止観』などの法門を日本のために伝授されたことをあげます。日蓮聖人もそれと同じように、末法のとき日本国の衆生のために、妙法五字を下種するときであると説明します。この論点は『顕仏未来記』(七三九頁)と同じで、上行自覚を促すものであり、本法である妙法蓮華経の五字の仏種と末法下種をのべたのです。そして、経文のように『立正安国論』上呈以後に、他宗の諸僧や幕府の近臣などに怨嫉をうけ、そのゆえに他国から侵逼されるのも『涅槃経』・『仁王経』の予言のとおりであるとのべます。

「涅槃経云、聖人に難を致せば他国より其国を襲ふと[云云]。仁王経亦復如是取意。日蓮をせめて弥天地四方より大災雨の如くふり、泉の如くわき、浪の如く寄せ来るべし。国の大蝗虫たる諸僧等、近臣等が日蓮を讒訴する弥盛ならば大難倍来るべし。帝釈を射る修羅は箭還て己が眼にたち、阿那婆達多龍を犯さんとする金翅鳥は自ら火を出して自身をやく。法華経を持つ行者は帝釈・阿那婆達多龍に劣るべきや。章安大師云、壊乱仏法仏法中怨。無慈詐親即是彼怨等[云云]。又云為彼除悪即是彼親等」(七八七頁)

つまり、『立正安国論』に示した法然などの謗法に加え、法華経の行者が迫害に値うことは仏に予言されたことであり、日蓮聖人に怨嫉をなすことは、ともに他国侵逼の災難を招来する起因であるとのべたのです。この災害は諸天善神が日本国を治罰したものであり、同時にこれを解決するために、法華経の行者が現に存在していることをのべます。つまり、これを証明するための証拠となる瑞相とみられたのです。

日蓮聖人は立教開宗いらい、章安大師の「壊乱仏法仏法中怨無慈詐親即是彼怨」と示した「仏法中怨」の訓戒をまもっています。佐渡に至っては法然の「捨閉閣抛」、禅宗の「教外別伝」の誤りを信じたため堕獄する者を憂い、その逆謗救助を行じてきたことを、龍逢と比干の直臣のように桀王や紂王の悪政を諫め、かえって斬罪されたことに劣っていないとのべます。また、千手観音のようにいっときに地獄の衆生を救う心は同じであるとし、法華経は無数の手をもって救済できる力をもっていることを表現されます。「為彼除悪即是彼親」の文を根拠として、

「日蓮は法華経並に章安の釈の如ならば、日本国の一切衆生の慈悲の父母也。天高けれども耳と(疾)ければ聞せ給らん。地厚けれども眼早ければ御覧あるらん。天地既に知食しぬ。又一切衆生の父母を罵詈するなり。父母を流罪するなり。此国此両三年が間の乱政は先代にもきかず。法に過てこそ候へ」(七八八頁)

と、自身は彼らにとって実親と同じ愛情であるとして「親徳」をみられます。この親を罵詈し流罪にしていることを諸天善神は見ているとし、この三年間の乱政は先代にもなく法外のことであるとのべています。このことは、国土の災害は国主などが法華経の行者を迫害したために、諸天善神が治罰として起こしたもので、同時に法華経が広まる瑞相とみられていたのです。また、乱世とは他国侵逼である蒙古の襲来をさすもので、どうようなことを『撰時抄』に、 

「法華経をひろむる者は日本の一切衆生の父母なり。章安大師云 為彼除悪即是彼親等[云云]。されば日蓮は当帝の父母、念仏者・禅衆・真言師等が師範なり、又主君なり。而を上一人より下万民にいたるまであだをなすをば日月いかでか彼等が頂を照し給べき。地神いかでか彼等の足を載給べき。提婆達多仏を打たてまつりしかば、大地搖動して火炎いでにき。檀弥羅王師子尊者の頭を切しかば、右の手刀とともに落ぬ。徽宗皇帝法道が面にかなやき(火印)をやきて江南にながせしかば、半年が内にゑびすの手にかゝり給き。蒙古のせめも又かくのごとくなるべし」(一〇一八頁)

と、のべていることからうかがえます。本書には「親徳」のみをのべていますが、後年には自身に三徳をのべていくことがわかります。また、注目されることは、日蓮聖人が慈悲をもって法華経を弘通されているとのべたことです。この日蓮聖人の慈悲心においては『報恩抄』に、 

日蓮が慈悲曠大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ」(一二四八頁) 

と、のべているように、かわらない慈悲心のあらわれだったのです。

 つぎに(第四段)、本書は四条金吾が悲母供養の志にたいし称賛され、「元重等の五童」の孝養の故事を引きます。これは、他人の母を自分の母と思って孝養を尽くした異兄弟(元重・叔重・仲重・季重・雅重)の故事です。

「昔元重等の五童は五郡の異姓の他人也。兄弟の契をなして互に相背かざりしかば、財三千を重たり。我等親と云者なしと歎て、途中に老女を儲て母と崇めて、一分も心に違はずして二十四年也。母忽に病に沈で物いはず。五子天に仰て云、我等孝養の感無して母もの云ざる病あり。願くは天、孝の心を受給はば、此母に物いはせ給へと申す。其時に母五子に語て云、我は本是大原の陽猛と云ものの女也。同郡の張文堅に嫁す。文堅死にき。我に一の児あり。名をば烏遺と云き。彼が七歳の時、乱に値て行処をしらず。汝等五子に養はれて二十四年此事を語らず。我子は胸に七星の文あり、右の足の下に黒子あり、と語り畢て死す。五子葬をなす途中にして国令の行にあひぬ。彼人物記する嚢を落せり。此の五童が取れるになして禁め置れたり。令来て問云、汝等は何くの者ぞ。五童答云、上如言。爾時令上よりまろび下て、天に仰ぎ地に泣く。五人の縄をゆるして、我座に引上せて、物語して云、我は是烏遺也。汝等は我親を養ける也。此二十四年の間多くの楽みに値へども、悲母の事をのみ思出て楽みも楽しみならず。乃至大王の見参に入れて五縣の主と成せりき。他人集て他の親を養ふに如是。何況や同父同母の舎弟妹女等がいういうたるを顧みば、天も争か御納受なからんや」(七八八頁)

ここに、他人が集まって他人の母を孝養した功徳でさえ大きいのであるから、まして同じ父母をもつ兄弟姉妹が睦まじく孝養をすることを、諸天善神は納受されているとのべています。また、浄蔵・浄限が邪見をもっていた父親を改心させ、釈尊は提婆達多に殺害されそうになったが天王如来の記別をあたえ、父王を殺害した阿闍世王も法華経の教えを聴いて無間地獄の苦しみをのがれた、と父母へ孝養することの大切さと、法華経の功徳をのべています。

そして、佐渡の人々は畜生のように仏教に無知であり、法然の弟子が充満して、日蓮聖人に危害を加えようとする怨嫉が鎌倉よりも強いとのべています。生命の危険を感じ心細いけれど、四条金吾たちの御志を受けて命を支えることができたとのべます。この法華経の行者を供養していることを、釈迦多寶の二仏や諸菩薩は見ているので、四条金吾の父母にこのことを告げて褒めているであろうとのべます。また、四条金吾が主君の江馬氏から重用されるのは、父母の加護であろうと孝養の功徳をのべています。四郎という父母を養う子供がいても、弟を自分の子供と思って大切にすれば味方となり法華経の信者として人目もよいとのべ、妹も娘のように思念すれば孝行してくれると兄弟・姉妹のあり方を諭しています。(前述したように宛先は四条金吾氏ではないともいいます)。

「兄弟も兄弟とおぼすべからず、只子とおぼせ。子なりとも梟鳥と申鳥は母を食ふ。破鏡と申獣の父を食んとうかがふ。わが子四郎は父母を養ふ子なれども悪くばなにかせん。他人なれどもかたらひ(語合)ぬれば命にも替るぞかし。舎弟等を子とせられたらば今生の方人、人目申計りなし。妹等を女と念はばなどか孝養せられざるべき」(七九〇頁)

 日蓮聖人の教化は、信徒たちの主君との主従関係や家族との関係など、さまざまな相談をうけ、法華経の教えにそって的確に教導されていたことをうかがえます。師檀のありかたを私たちは学ぶべきと思います。そして、文末に、

「是へ流されしには一人も訪人もあらじとこそおぼせしかども、同行七、八人よりは少からず。上下のくわて(資糧)も各の御計ひなくばいかがせん。是偏に法華経の文字の各の御身に入替らせ給て、御助あるとこそ覚ゆれ。何なる世の乱れにも、各各をば法華経・十羅刹助給へと、濕木より火を出し、乾土より水を儲けんが如く強盛に申也。事繁ければとどめ候」(七九〇頁)

と、佐渡の流罪地には訪う者のはいないと思っていたが、日蓮聖人と同信同行の者がつねに七、八人いることのよろこびと、また、これらの食費などの便宜を四条金吾たちの供養によって、賄うことができていることをのべます。日蓮聖人のそばに常に給仕をされていた人がいたことがわかります。生活をともにしますので、食糧に困っていたことも伝わります。肩を寄せ合って心を通わせている姿が彷彿とします。

乱世のなかにおいても四条金吾たちの除災得幸を、法華経の仏・菩薩や十羅刹女などの諸天善神に、強盛に祈念していると書き伝えています。濕った木より火を出し、乾いた土より水を出だすほどの信心をもって、祈願をこめているとのべています。行者の祈念の心構えを知ることができます。 

□『木畫二像開眼之事』(一三八

 成立の年代を文永元年・文永一一年・弘安五年とする説があります。『定本遺文』は文永一〇年としています。本書は方便品と提婆品の引用はあるが本門には言及していないので、『観心本尊抄』の後に係年したことに考究する余地があるといいます(『日蓮聖人遺文辞典』歴史篇一一二七頁)。そうしますと文永元年に近くなります。(『日蓮聖人遺文全集講義』第七巻上一四一頁)。また、真言破からみると『法華真言勝劣事』よりは、台密批判に及んでいるとみる説もあります。そうしますと弘安五年に近くなります。宛先は四条金吾といいます。真蹟はかつて身延に一八紙が所蔵されていました。『平賀本』の写本があります。『御消息草木成仏鈔』(『日朝本』)ともいいます。本書は前後を欠失したとする見方や草本であるともいいます。内容は四章に分けることができ、木畫の像は梵音声という仏の音声が具わらないので、三十二相の仏の相好を具足することができるのか、という問題について述べています。

 仏滅後においては生身の仏がいないので梵音声が欠けるため、三十二相の一つを欠いて三十一相しか木畫として具現できない、また、心法も欠けるという仏像の欠点にたいし、『涅槃経』は法身常住の説からこれを差別しませんが、『瓔珞経』は優劣をたてていることをあげます。そこで、経典を仏像の前に安置すれば梵音声のかわりとなり、三十二相を具足することができるとします。ただし、「心」がなければ三十二相を具しても仏にはならないとのべます。(第一章 仏の梵音声と御心

その「心」とは『大日経』などではなく、法華経の心に限り「純円の仏」(七九二頁)にあるとします。これは、仏身常住を顕わした寿量品に釈尊の真実の心法があるからです。この寿量仏の内証は法華経だけに説かれたことだからです。『観心本尊抄』はその内証の一念三千をのべていました。また、意は心法で声は色法にあたり、色心不二・而二であるとして、仏の御心が法華経の文字となって表れ、また、、法華経の文字は変じて仏の御心になるとのべます。(第二章 法華経は仏の梵音声)

ゆえに、法華経を読むときは、ただの文字と思ってはいけない、仏意がこめられているとのべます。釈尊の仏身は法華経の文字であり、法華経を受持することは釈尊と同体となるからです。これが一念三千の成仏です。そして、天台大師の『法華玄義』をひき、仏意は仏智であり心法のことであるとして、法華経を心法として木畫に印刻し、木畫二像を生身の仏と受容するところに草木成仏をのべています。すなわち、 

「されば法華経をよませ給はむ人は文字と思食事なかれ。すなはち仏の御意也。故天台釈云、受請説時只是説於教意。教意是仏意 仏意即是仏智。仏智至深。是故三止四請。如此艱難。比於余経余経則易[文]。此釈の中に仏意と申は色法ををさへて心法といふ釈也。法華経を心法とさだめて、三十一相の木絵の像に印すれば木絵二像全体生身の仏也。草木成仏といへるは是也。故天台は一色一香無非中道と[云云]。妙楽是をうけて釈に、然亦倶許色香中道無情仏性惑耳驚心云々」(七九二頁)

そして、この草木成仏こそが一念三千の肝心であると妙楽大師の釈をひきます。これは、『観心本尊抄』において木畫二像の本尊にふれていく過程に、本有の三因仏性と、本門の十界久遠が問題となり、この基盤となるのが天台の一念三千とのべていました。そして、天台宗の学者は自宗こそが一念三千の教理の所持者であることを忘れている、と指摘する文面と同じようにのべています。すなわち、『観心本尊抄』に、 

「華厳経大日経等一往見之似別円四蔵等 再往勘之同蔵通二教未及別円。本有三因無之 以何定仏種子。而新訳訳者等来入漢土之日見聞天台一念三千法門 或添加自所持経々 或自天竺受持之由称之。天台学者等或同自宗悦或貴遠蔑近 或捨旧取新魔心愚心出来。雖然所詮非一念三千仏種者有情成仏・木画二像之本尊有名無実也」(七一一頁)

と、のべているところです。本書にも草木成仏を示すなかに天台宗の学者にふれます。執拗に一念三千は法華経の教えであることをのべるのは、とうじの天台宗の情勢を示しています。日蓮聖人は天台僧に復古天台を説きながら末法正意の本門八品の教えに導いていきます。このようなところから、真言宗の盗一念三千と台密に陥っている誤りを正していたことがわかります。すなわち、

「華厳の澄観が天台の一念三千をぬす(盜ん)で華厳にさしいれ、法華華厳ともに一念三千。但華厳は頓頓さきなれば、法華は漸頓のちなれば、華厳は根本さき(魁)をしぬれば、法華は枝葉等といふて、我理をえたりとおもへる意如山。雖然一念三千の肝心、草木成仏を不知事妙楽のわらひ給へる事也。今の天台の学者等、我一念三千を得たりと思ふ。雖然法華をもて、或華厳に同じ、或大日経に同ず。其義を論ずるに不出澄観之見。同善無畏・不空。以詮謂之、今の木絵二像以真言師供養 之非実仏権仏也。非権仏。形は似 仏意は本の非情草木也。又非本非情草木。魔也鬼也。真言師が邪義、印真言と成て木絵二像の意と成れるゆへに。例せば人の思変じて石と成。倶留と黄夫石が如し」(七九三頁)

と、のべており、本書に日蓮聖人は「今の天台の学者」と名指しにて、天台宗の台密を批判していることがうかがえます。また、本書の主題である草木成仏は、法華経の「一念三千の肝心」とされています。一念三千を仏種とのべてはいません。しかし、十界互具は大事なところで、『観心本尊抄』いらい『小乗大乗分別鈔』には、

「法華経の心は法爾のことはりとして一切衆生に十界を具足せり。譬ば人一人は必ず四大を以てつくれり。一大かけなば人にあらじ。一切衆生のみならず、十界の依正の二法、非情草木一微塵にいたるまで皆十界を具足せり」(七七二頁)と非情界の草木国土をふくめた「身土一念三千」や、本時の「常住浄土」(七一二頁)を論じていました。一念三千は十界のすべてのものに仏性を認め、すべての者は仏になれるという同一性を示しています。この法華経をもって開眼供養しなければ、ほんとうの実仏の御心がそなわらないとのべます。真言師が木畫を供養しても本門の寿量仏ではない権仏であり、権仏にも劣る非情の木畫であり、魔や鬼のあらわれとのべます。それは、真言師の教えが邪義であるから、その邪義をもって修法した印・真言の心が入った仏像となるからです。人の思いが変じて石となった倶留や黄夫石のようなもので、釈尊の御心が入って衆生を導く力はないとのべます。つまり、諸経には十界互具・久遠実成の教えは説かれていないので、非情の成仏を説いても有名無実であることをしめしたのです。この書状をうけとる者にたいして、釈迦仏を造立し法華経の開眼供養を行ったことを正しいとのべたのです。(第三章 一念三千の肝心、草木成仏)

 そして、法華経をもって開眼しなければ、留守中の家に盗人がはいって家の中を荒らすように、仏像のなかにも鬼神がはいって魂を狂わすと表現されます。また、真言師が開眼をすれば鬼神は人の命を奪い、魔は功徳を奪うので日本国は亡国となり、人々はその罪により無間地獄に堕ちるとのべています。日蓮聖人は経典の浅深だけをのべているのではなく、現実の事象を救済できる経力を重視されています。その最上のことは成仏です。仏教の教えは自分の固執した能力だけで、宗派を取捨してはならないことをのべたのです。

文末に「生身得忍」と死者の「即身成仏」についてふれ、死者供養に爾前円の経典を用いれば純陀のように生身得忍となり、法華経を用いれば即身成仏であるとのべます。死者の霊魂と追善の意義にふれた遺文といえます。

「人死すれば魂去、其身に鬼神入替て亡子孫。餓鬼といふは我をくらふといふ是也。智者あって法華経を讃歎して骨の魂となせば、死人の身は人身、心は法身。生身得忍といへる法門是也。華厳・方等・般若の円をさとれる智者は死人の骨を生身得忍と成す。涅槃経に身雖人身心同仏心いへる是也。生身得忍の現証は純陀也。法華を悟れる智者死骨を供養せば生身即法身。是を即身といふ。さりぬる魂を取返て死骨に入れて彼魂を変て仏意と成す。成仏是也。即身の二字は色法、成仏の二字は心法。死人の色心を変て無始の妙境妙智と成す。是則即身成仏也。故法華経云 所謂諸法如是相[死人ノ身]如是性[同ク心]如是体[同ク色心等][云云]」(七九三頁)

成仏に生身得忍と即身成仏の二つがあることをのべます。生身得忍は爾前の円の成仏で、即身成仏は法華経の成仏と区別します。生身とは生きている肉体のことです。得忍とは無生である不生不滅の理(忍)を悟ることです。不老不死・中道という無生法忍の悟りに安住することをいいます。提婆達多品の文をひいて、 「深達罪福相徧照於十方微妙浄法身具相三十二等云云。上二句は生身得忍。下の二句は即身成仏。即身成仏の手本は龍女是。生身得忍の手本は純陀是也」(七九四頁) 

と、「深達罪福於十方」の文は純陀のように生身得忍を説き、「微妙浄法身具相三十二」の文は龍女の即身成仏を説いていると解釈します。「法身を具えた」という文に即身成仏を認めています。二乗作仏・久遠実成を説かない真言教には即身成仏はないということをのべたのです。(第四章 即身成仏)

本書はここまでで、この後を欠文しているといいます。釈迦仏造立の開眼に関しての書状とみられていますが、この造立の意図が死者追善の供養にあったので、それに答えて木造の草木成仏と、死者追善の即身成仏を説かれたと思われます。

□『其中衆生御書』(一三九)

 本書も前後が欠失しているため宛名・年号など不明です。和漢混合体の文章ですので、学識のある信徒に宛てたと思います。まず、迹門の譬喩品の「今此三界皆是我有其中衆生~唯我一人能為救護」(『開結』一六二頁)の釈尊三徳の文を引いて、この三義を備えるのは弥陀などの諸仏ではなく釈尊一仏に限るとし、これは、法華経の初門の法門であるとして、まず、迹門化城諭品の大通仏の因縁をのべます。化城諭品の「爾時聞法者各在諸仏所乃至以是本因縁今説法華経」の文は、過去三千塵点劫いらい娑婆世界の衆生は、弥陀などの十五仏の世界に生まれた者はいないことを説いているとして、天台大師(『法華文句』)・妙楽大師の注釈をひきます。

「天台云旧以西方以合。長者今不用之。西方仏別縁異。仏別故隠顕義不成。縁異故子義不成。又此経首末全無此旨。閉眼穿鑿。妙楽云西方等者宿昔縁別化道不同。結縁如生成就如養。生養縁異子父不成等云云」(七九五頁)

法雲は『法華義記』に、長者が珍衣を着けている姿を法身とし弥陀としました。垢衣を着ている姿を応身とし釈尊としました。つまり、旧師(法雲の)は西方の弥陀を信解品の長者に合譬しているが、天台大師はこれを否定して、西方の弥陀とは国土が別であるから縁も異なり、涅槃や降誕にも関係がないから隠顕の義がなく、親子の義も成立しないとします。法華経のなかにも弥陀が三徳を備えているという文はないと示しています。妙楽大師はこれをうけて、釈尊と弥陀の対機の衆生は別であるから、娑婆世界の衆生とは昔から化導の縁がないとのべます。弥陀を親とするような血縁のつながりはなく、養育してもらったこともないので、結縁も生じないし成熟の養成もありません。「生養の縁」がことなるということは父子の関係が成立しないことです。

日蓮聖人は娑婆の衆生からすれば弥陀などの十方の諸仏は養父であり、釈尊こそが実父であり親父であること明かしています。私たちは本門の教主釈尊を本尊とすべきことを示しています。この天台大師・妙楽大師の注釈を本として釈尊三徳を判断するようにとのべています。迹門の釈尊は三千塵点の化導始終不始終相を説きます。

つぎに、本門の立場から釈尊三徳をのべます。寿量品の釈尊は五百塵点の久遠仏を開顕しています。迹門の始成仏としての釈尊とは、化導の範囲が大きく異なります。

「以本門論之、五百塵点已来釈尊の実子也。雖然或著世間捨法華或著小乗権大乗経捨法華経或著迹門不知本門或著当説捨法華或十方浄土に心を懸、或弥陀浄土に懸心等。今七宗八宗等の悪師に遇て捨法華之間于今歴五百塵点」(七九六頁)

と、五百塵点という久遠より、釈尊と私たちは親子の関係であるとのべます。久遠に釈尊は私たちに下種をされている、と久遠下種を認めるのです。これは、前述のように寿量品の久遠実成を根拠とします。佐渡期から身延初期といわれる『法華取要鈔』は論をすすめて、 

「此土我等衆生五百塵点劫已来教主釈尊愛子也。依不孝失于今雖不覚知不可似他方衆生。有縁仏与結縁衆生譬如天月浮清水。無縁仏与衆生譬如聾者聞雷声盲者向日月」(八一二 

と、私たちは久遠いらい釈尊の愛子と表現し、「不孝の失」という倫理的な視野から親子関係をのべています。「不孝の失」とは法華経の教えから退転し、釈尊に違背してきたことをいいます。現に、とうじの真言宗や密教化した天台宗などの僧侶を信じ、法華経を信じない者は五百塵点を過ぎても三徳具備の釈尊にまみえることができない、とのべています。これは、悪友に心を誑かされ本心を失っていることである、と『涅槃経』(高貴徳王菩薩品)を引いています。

つぎに、問答形式にて薬王品の弥陀の安楽浄土についてのべます。 

「薬王品弥陀者爾前迹門弥陀に非。名同体異是也。無量義経云、言辞是一而義別異云云。妙楽云、不須臾指観経等也。一切以之可知」(七九六) 

と、『無量義経』と妙楽大師の『法華文句記』の文をひき、薬王品の弥陀は爾前の浄土三部経や化城諭品に説く弥陀ではないとします。名前は同じであるが本体は異なると解釈しています。換言しますと、薬王品の弥陀は本仏釈尊の分身の仏であり、その安楽世界も本仏釈尊の国土であると解釈しているのです。この薬王品の弥陀については、以上の経釈によって判断できるとのべています。『法華初心成仏抄』に、弥陀について爾前経の弥陀、迹門の弥陀、そして、本門の弥陀の区別があり、本門の立場から釈尊の分身と位置づけています。

「又安楽世界と云は一切の浄土をば皆安楽と説也。又阿弥陀と云も観経の阿弥陀にはあらず。所以に観経の阿弥陀仏は法蔵比丘の阿弥陀、四十八願の主じ、十劫成道の仏也。法華経にも迹門の阿弥陀は大通智勝仏の十六王子の中の第九の阿弥陀にて、法華経大願の主の仏也。本門の阿弥陀は釈迦分身の阿弥陀也。随て釈にも不須更指観経等也と釈し給へり」(一四二九頁)

 つまり、薬王品の阿弥陀は法華経により仏となり、法華経を弘めることを大願としているのです。薬王品の弥陀は大通仏の王子であり、浄土宗の西方浄土を願求める阿弥陀とは別人でなのです。したがって、浄土も別であることをのべています。

本書はつづいて、発起・影向などの深位の菩薩が十方の浄土から娑婆に来て、また、娑婆から十方の浄土へ往くことについてふれたところで欠失しています。発起衆とは釈尊の説法を時機に応じて誘発する大事な役目をもち、日蓮聖人は文殊師利菩薩や弥勒菩薩を代表としてあげています(『曽谷入道殿許御返書』九〇二頁)。弥勒は序品で六瑞の因縁を文殊師利菩薩に問います。ここから法華経の説法の起因となります。また、湧出品においても地涌出現の因縁を釈尊に問い、ここから久遠実成が説かれていく前提となります。この深位の菩薩は序品に連なった大菩薩や、文殊・普賢・弥勒・観音・勢至菩薩などのことです。これらの菩薩が自在に娑婆や他の十方の仏土に遊化していることをのべます。以下、欠失していますが、本文は地涌の菩薩にふれ、「師弟の遠近不遠近」をのべ、題目五字の下種をのべていくと思われます。

○御本尊(本成寺) 

平成一四年の立教開宗七五〇年のおり、三条市の法華宗総本山本成寺に所蔵される曼荼羅が真筆として発表されました。中尾尭文先生によると、文永一〇年末から文永一一年初めと鑑定され、楮紙四枚継ぎに一遍首題と釈迦牟尼仏・多寶仏が顕されています。表具の天地は一一二、五㌢、幅四四、八㌢といいます。

さて、佐渡の唯阿弥陀仏や良観の弟子である道観たちは、北条宣時に日蓮聖人の弟子や信者に禁圧をくわえるように願いでます。おそらく、良観が中継ぎをしたのでしょう、一二月七日に虚御教書が下されます。このような不穏ななかに年を越します。