◆◆第三章 道教と神道の関連
◆第一節 道教の起源と成立
〇道教の起源(三皇・五帝)
私たちは今でも漢字を使っています。発音の違いはありますが、中国の文化を取り入れて発展してきた文化であることが分かります。日本の民族信仰を一瞥しても、中国や朝鮮の影響を強く感じます。日本人の古来の自然崇拝や祖先信仰をみても、その淵源に大陸からの思想が導入されたことに気づきます。儒教や道教、そして、仏教も大陸から渡ったものです。日本の古来の信仰と思われる神道も、その影響を受けています。現在、日蓮宗の修法師が行う祈祷にも、仏教以外の方術が摂取されています。これは、中国の道教が移入されたからです。綿密にいいますと道教の呪術的な信仰が、古代日本の社会に定着したのです。中国の古代の思想は神(上帝)を否定する方向の流れと、肯定する方向の流れがあり、前者は儒家・道家・法家の思想であり、後者は墨家の思想、呪術・民間信仰になります。(福永光司著『道教思想史研究』五〇頁)。ここでは、日蓮宗の祈祷と相似点のある呪術的な信仰に視点をあてます。ここに、日本人の慣習となっている年中行事、また、妙見信仰などの守護神信仰、そして、天皇と神道の関連が浮かびあがってくると思います
魯迅氏は中国の基礎は全て道教にあるといっています。(「許寿裳に致す」『魯迅全集』第九巻)。儒教が滅んでも道教は滅ぶことはないとのべます。その理由を漢民族の民俗的宗教であること、民衆の生活に深く根ざした宗教にほかならないからであるとします。また、中国研究家の橘㒒(たちばなしらき)氏は大正一三年に、老子の思想は道教信者である中国人の心持ちと、非常に好く吻合するとのべています。(「中国を識るの途」『橘㒒著作集』第一巻。坂出祥伸著『日本と道教文化』二一頁)。古代からの道教思想は今日も脈々と続いていると受けとれます。まず、その根源となっている道教とは、どのような宗教であるかを見ていきます。道教は中国三大宗教のひとつで、中国(漢民族)の広大な国と民族に、古来から土着し伝えられた民族宗教になります。開祖や体系化された教義はなく、古代からの生活文化の生活信条や宗教的信仰を基礎としています。それぞれの神や信仰をもっていましたので、道教には三万六千とまでいわれる多くの神々がいました。(吉田光邦著『星の宗教』一七二頁)。
はじめに中国の神仙思想の対象となる神々として三皇・五帝があります。三皇・五帝は中国の神話伝説時代の帝王で、実在の人物とは考えられていませんが、三皇は神、五帝は聖人としての性格を持ちます。日蓮聖人は三皇としての伏羲・神農・黄帝(西晋・皇甫謐『帝王世紀』に近い)を挙げ、五帝はの少昊・顓頊・帝嚳・尭王・舜王(『世経』に近い)を挙げています。この時代思想について『開目抄』に次のようにのべています。
「儒家には三皇・五帝・山王、此等を天尊と号。諸臣頭身、万民の橋梁なり。三皇已前は父をしらず。人皆禽獣に同。五帝已後は父母を弁て孝をいたす。所謂重華はかたくなはしき父をうやまひ、沛公は帝となつて大公を拝す。武王は西伯を木像に造、丁蘭は母の形をきざめり。此等は孝の手本也。比干は慇の世のほろぶべきを見て、しゐて帝をいさめ、頭をはねらる。公胤といゐし者は懿公の肝をとて、我が腹をさき、肝を入て死ぬ。此等は忠の手本也。尹伊は尭王の師、務成は舜王の師、太公望は文王の師、老子は孔子の師なり。此等を四聖とがうす。天尊頭をかたぶけ、万民掌をあわす。此等の聖人に三墳・五典・三史等の三千余巻の書あり。其の所詮は三玄をいでず。三玄と者、一者有の玄、周公等此を立。二者無の玄、老子等。三者亦有亦無等、荘子が玄これなり。玄者黒也。父母未生已前をたづぬれば、或元気而生、或貴賎、苦楽、是非、得失等皆自然等[云云]。かくのごとく巧に立といえども、いまだ過去未来を一分もしらず」(五三五頁)
また、『和漢王代記』には次のように図示しています。
「三皇――伏羲・神農・黄帝
五帝――少昊・顓頊(三墳五典)・帝嚳・尭王(男子九人女一人)・舜王
―第一文王 第二武王 第三成王――周公旦
―当第四昭王御宇二十四年甲寅[四月八日仏御誕生也。五色光気亘南
北大史蘇由占之]
中間七十九年也
周―――当第五穆王五十二年壬申 [二月十五日御入滅。十二虹亘南北大史扈 多占之]
―有三十七王或八
――一儒教――五常 [孔丘] 文武等也[顔回
―(他筆)三教―――二道教――仙教[老子]
――三釈教――一代五十余年 」(二三四三頁)
『史記』の註釈をした唐代の文人、司馬貞の『史記索穏』には、五帝の前に古い民俗の神々をまとめて神農・伏羲・女媧の三皇を置きました。神農は人皇といい、農業・医・商業の神、または火を人々に与えたという説から炎帝とも呼ばれます。五弦の瑟(琴)を作り、頭が牛で身体は人間の姿をしていたとされ、毎日、百草を食(な)め七十の毒に当たり、茶を食めてその毒をけしたといいます。医薬の始祖として尊崇され、原初的には農業神といいます。日本には農業や漢方医薬の神農信仰として古くから入っています。台湾には神農を主神とする廟がたくさんあります。神名は神農大帝・五穀先帝・五穀王などと称されています。(坂出祥伸著『日本と道教文化』三九頁)。伏羲は包犠、天皇(てんこう)ともいいます。また結婚の制を定め、その神体は人頭邪身といいます。女媧は地皇といい、女神で傾いた天地をもとにもどし、笙や簧(管楽器)を作り、半身反蛇(頭が人間、身体が蛇)の姿をしていたといわれます。黄帝は「三皇」の治世を継ぎ、中国を統治した五帝の最初の帝といわれ東洋医学の始祖といわれます。留意したいことは八卦や文字を作ったとされることです。八卦については陰陽道のところにて後述します。日蓮聖人が模範の国土社会としたのは、この伏羲と神農の世です。『立正安国論』に、
「早止一闡提之施永致衆僧尼之供収仏海之白浪截法山之緑林世成羲農之世国為唐虞之国。然後斟酌法水浅深崇重仏家之棟梁矣」(二二四頁)
と、伏羲と神農の世と言う意味で、「羲農之世」とのべています。ともに中国古代の理想的な平和社会をさしています。同じく『如説修行鈔』にも、法華経を信仰することにより、国は伏義や神農の時代のように栄え、人々は身心の安穏を得ることができるとのべ、「現世安穏後生善処」と説かれた法華経を疑うことなく、いかなる迫害があっても信心を貫き通すことをのべています。日蓮聖人の信仰は世界的な視野に立っています。そこに、娑婆即寂光の「仏国土観」があります。
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