186.神仙思想 (養生・煉丹術)               高橋俊隆

神仙思想

道教信仰として清浄無為を説く者、符呪を信仰する者、経典の解釈と研究をする者、また、五穀を食べず自然の草木を食べて修行する者、そして、不老長生の神仙になるために煉丹術を行う者がいます。(吉田光邦著『星の宗教』二四二頁)。いわゆる、民衆道教と成立道教が並立し共存して現在に至ります。道教の中心となる概念は陰陽(太極あるいは無極という)の二元論にあります。「道」(タオ)という字は「首」が始まりを示し「辶」が終わりを示すように、道の字自体が太極にある二元論的要素を表しています。つまり、道とは宇宙人生の根源的な不滅の真理を指します。宇宙の存在は陰と陽の相反する二つの気によって成り立ち、すべての現象はこの二つの気の働きによるとします。そして、宇宙の万物は水・木・火・土・金の五大の組み合わせにより、生々流転し変化しているという陰陽五行を説きます・これに天文・気象・十干十二支・方位などを組み合わせて、風水・歴法・易占などの説が多用されました。さらに、宇宙の根本原理である「道」と一体となるために、不老不死の仙人となって道を究めようとします。これを、神仙思想といいます。具体的には煉丹術を用いて不老不死の霊薬(丹を煉る)を服し、仙人となることを究極の理想とします。初期の神仙思想は自己の命の永遠性を、神人仙人に仮託しています。不老不死を得た仙人・神人の住む海上の異界や、山中の異境楽園を見いだし、多くの神仙たちを信仰します。そして、自らが不老長生の神仙になるために、霊山に入って神仙術を修行するようになります。

中国では古くから仙人伝が編まれています。劉向の編した『列仙伝』(上下二巻。前漢)七十名(七十二名)や、葛洪の『神仙伝』(十巻。西晉)九十二名(百十七名)を嚆矢として、元代の『歴世真仙體道通鑑』において集大成します。その中には若々しい美少年に変身した仙人や、天に上り空を飛ぶ仙人などが書かれています。王充(後漢二七年~)の『論衡』には神仙の腕は翼になっていると書かれ、羽のある仙人が想定されていました。のちに、羽衣を着たり竜・鶴・鳳凰などに乗って上天するようになります。漢代の神仙思想には祭祀的な性格が強く、祭祀によって僊人になれると一般的に考えていました。秦代になりますと、普通の人間でも修行をすれば神仙になれると考えられてきます。魏晋の時代になり深山幽谷に入って道術を修め、不老長生を得ようとする神仙術が発生します。葛洪(二八三~三四三年)がその大成者とされます。字は稚川で号は抱朴子、葛仙翁とも呼ばれます。従祖(父の従兄弟)の葛仙公と、その弟子の鄭隠の影響により神仙を学び鄭隠の弟子となります。馬迹山中で壇をつくって誓いをたててから、『太清丹経』『九鼎丹経』『金液丹経』の経典には書いていない口訣を授けられます。南海太守だった鮑玄(鮑靚)に師事し(左慈―葛玄―鄭隠――葛洪)その娘と結婚します。鮑靚からは主に尸解法(自分の死体から抜け出して仙人となる方法)を伝えられたといわれます。ほかに、諸子百家・風角(風の音で占う)・遁甲(日の禁忌により災いを避ける)などの仙道を学びます。(本田済訳『抱朴子 列仙伝・神仙伝 山海経』五五〇頁)。三一七年頃に郷里に帰り、神仙思想と煉丹術の理論書である『抱朴子』を著しました。神仙(神人・仙人)になるには、養生・錬丹・方術という三つの神仙術を極めます。この神仙術が道教に影響をあたえ、道士の養生法として取り入れられたのです。

【養生術】

養生術とは人間の生命を養うことです。身体の健康や傷病を治癒するために保養することをいいます。今日、養生といいますと、健康に注意し摂生したり、病気やケガが治るように保養することをいいます。これは養生術が語源となっています。葛洪は死の原因を、精力消耗・老化・病気・中毒・邪気に中る・風や冷気に中るなどと要約しています。これを防ぐために導引(呼吸運動)・房中・飲食の節制・丹薬・御符などを説きます。また、不老長生のための養生の術(方法)を、辟穀(へきこく、穀断ち)、服餌(ふくじ、服薬法)、調息(呼吸法)、導引(柔軟体操)、房中(性技法)に分類します。これらをマスターすることが条件です。

辟穀――五穀()を断つ。松の実などの植物性食物が主体となります

服餌――服薬法

調息――長く大きく呼吸をし息を長くとめます

導引――気功法。体操と吐納(吸法)により体内のを巡らせます

房中――男女でを巡らす術。体を接触させることは絶対条件ではありませ       ん

胎息――先天の気といい胎児の呼吸に似た呼吸となるよう修行します

その他に霊地・霊木などのを体内にとり入れます。これを俗に「霞を食っている」と誤解されますが、この場合の霞とは朝日と夕日の気のことで、霞は食べてはいけないものとされています。霊薬に本草薬(植物)と石薬(鉱物質)のふたつがあります。草木中心の仙薬は現在も活用されています。たとえば、菊は不老長寿の仙薬であり生魚の腐敗を防ぐとします。『抱朴子』の仙薬篇にある日精(にっせい)・更生・周盈(しゅうえい)は、一本の菊の根・茎・実の名称です。甘谷(河南省)の人達が長生なのは、菊を服用するからであると書かれています。『荊州記』には菊花源のある水流の水を飲むと身が軽くなり、気を益して長寿になると書かれています。甲斐の国の都留郡に菊花山があり、その山から流れる水を飲むと、鶴のように長生きすると伝わっています。『夫木和歌集』に「雲のうえに菊ほりうえて甲斐の国につるのこほりをうつしてぞみる」と、神仙思想がみえます。平安の貴族は産養いの祝いに啜粥の神事(夜泣き止め)を行います。この七彦粥は都留郡が出していました。貴族にとって甲斐は不老長寿の国の象徴となっていました。(『山梨県の不思議事典』五六頁)。中国には九月九日の重陽の節句に菊酒を飲む風習があります。(『太平御覧』巻三二)。また、節分に追儺をして鬼を払いますが、『神農本草経』に豆の効果として鬼毒を殺すと書いています。本草薬を確立したのは江南の茅山道教の天師、陶弘景です。『神農本草経』を注釈して『神農本草経集注』を著しています。『神農本草経』は中国最古の医薬書とされますが、本来の目的は仙薬を極めることにあります。初期は草木中心の仙薬でしたが、次第に鉱物から人工的に合成したものを不老不死の丹薬として重視するようになります。それが「外丹術」の発展となります。

煉丹術

煉丹術とは丹薬(仙薬・金丹)という不老長生の薬を得るもので一般に外丹といいます。外丹術は金石草木を服用する「服食」という、古代の神仙方術が発展したものです。丹砂硫化水銀)を主原料とする「神丹」「金丹」「大丹」「還丹」などの丹薬や、を液状にした金液があります。煉丹の方法は原料の鉱物を釜の中で加熱する「火法」と、鉱物を水溶液懸濁液にする「水法」があります。典型的な金丹の製造法は、「丹砂」(硫化水銀)・「汞」(水銀)・「」などの薬物を調合して、鼎炉にて火にかけて焼煉するものです。錬金術の目的もこの煉丹にありました。金丹の作り方は『雲笈七纖』(巻六四~七一)や、『抱朴子』(巻四)に見えます。『抱朴子』以前の僊人修行は祭祀祈祷を主にした呪術的なものでしたが、『抱朴子』の仙道は山中にて「六一神炉」という熔鉱炉を用いて金丹を作ります(「金丹篇」)。これにより神仙志向に変化がおき、神頼みから自発的な自己開発に進みます。仙人の字に変わった一因となりました。つまり、錬丹術は不老不死仙人になる霊薬(仙丹)をつくることです。その萌芽は代に見られ葛洪によって金丹道として確立し、他の神仙方術とともに道教の一部とみなされるようになりました。最も古い煉丹術の書物は、後漢末期に魏伯陽が著したとされる『周易参同契』です。二世紀の末ころには神仙になる方法が説かれはじめ、それが『抱朴子』によってまとめられました。『抱朴子』は、内篇と外篇があり、三張道教が教団宗学を整える以前においては、『抱朴子』の道教理念より勝れたものはありませんでした。

内篇二〇篇―――神仙の道・仙薬の処方・不老不死の法(道家に属する)を説きます

外篇五〇篇―――儒家思想による世の風俗の善悪を説きます

葛洪は内篇は道家、外篇は儒家に属すとのべています。内篇は丹砂(水銀と硫黄化合物)や、動植物の薬、呼吸法、護符、避邪、鬼神の駆使、歴臓法(身中の神々を想念する)、戒律などを示して、仙人となる方法や仙人の種類を記載します。道家思想を本とし儒家思想を末とします。外篇は儒家を本として、政治、社会、処世のことや文学を論じ、四六駢儷文の文体が注目されます。『抱朴子』を代表するのは内篇です。『抱朴子』の仙道の教えは大きく四つに分類されます。一に吐故納新、二に導引、三に服薬、四に房中術です。長寿と福徳は人間の願望であり、これを叶える方法として仙道の不老長生の術と錬金術があります。とくに、仙人になるための仙薬(丹薬)が求められます。丹薬の材料としては鉱物が重宝され、草根木皮は低く見られます。その理由は草木自体が枯れることにあります。鉱物は永遠性が認められたからです。この術を金丹といい巻四金丹において、不老長生を得るには金丹を服用することが最も肝要であると説きます。草木は焼けば灰となりますが、金丹の金は火で焼いても土に埋めても不朽であることが大事とされます。一転から九転(化合)までの錬成法があり、丹の最高のものは九転焼いて霊妙に変化した丹が最高とされます。巻一一に仙薬には上薬・中薬・下薬があると説かれています。ここに、仙薬のうち最上なのは丹砂、つぎは黄金、つづいて白銀・諸芝・五玉・雲母などを挙げています。治病の薬は食前に、体を丈夫にする薬は食後に服用することが書かれています。内丹説は隋代の蘇元朗によって示され、唐代には外丹術が隆盛します。山中での苦行を重ねても達成できないため、不老長生を練丹術に求めるようになったからです。外丹と呼ばれる仙薬を服すことによって不老長生を達成しようというものです。しかし、外丹術は宋代になると下火になります。この原因は中毒にありますが、仏教の影響により内丹術が外丹から独立した修行法として再起したからです。

後世になりますが日本の仙医に徳本がいます。徳本は下総古河の田代導道や、鎌倉円覚寺の帰化僧玉鼎(ぎょくてい)、それに、林羅山の「神社考」に、不老不死の人と言われた会津の実相寺の秋風道人などに仙方・医方を学んでいます。『徳本翁十九方』二巻を著し、『仙医甲斐之徳本伝』(小松帯刀著明治三二年七月一日発行)に処方の仕方が記載されています。投薬した丸薬として、宝丹・水銀・黒鉛・辰砂・鶏冠石・黄連・黄連・玉丹・巴豆・枳実・雄黄(石黄)・明礬・水墨・紫胡・黄岑・山梔子・牽牛子・芍薬・大黄・芒硝・黄柏などが使用されています。特徴的なのは劇薬に類するものを用いることです。薬剤の即効性により病を除き、体力を回復することによる健康を取り戻すという方法をとっています。円覚寺の帰化僧玉鼎は中国明代の名医といわれた月湖の孫弟子にあたります。また、黄白の術というのは中国の錬金術の実験のことをいいます。真朱(辰砂)、丹砂から朱をつくり朱から水銀をつくって、水銀をさらに黄金に変えていこうとするものです。冶金(やきん)鋳造の技術も古代の江南は勝れ、呪術家と結びついていました。日本の刀鍛冶が中国式の冠をかぶり、御幣をささげ、注連縄を張って精進潔斎するのはこの神仙思想の呪術家の影響といいます。この錬金術の理論的基盤は『老子』の玄であり、易の神といいます。奈良の石上神宮の七支刀として伝わっています。(福永光司著『道教と古代日本』五八頁)。