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1.簡牘・契券類 中国では紙が普及する以前に、簡牘(かんとく)という材料を用いて文字を書いています。竹の札を竹簡、木の札を木牘といい、両方をあわせて簡牘といいます。現在も使われている宝牘とは「木札」のことをさします。また、契券というものを用いています。これは、地券・手形・割符などのことで、契約の証書や割符手形のことです。とくに、土地などの財産に関する権利証書の役目をもっています。ここから木簡が発生します。木札に文字や絵を描き文面の内容が道教的なものを木簡と呼んでいます。木簡には呪符木簡・問起居木簡・人形木簡の三種類があります。呪符木簡は道符や呪文が書かれたもので、江蘇州の高郵県で出土した後漢時代のものがあります。問起居木簡は道士が土を掘り起こしたあとに、地下冥界の鬼神や塚墓の神に安否を問い、臣下としての礼を行うときに使われました。人形木簡は木簡に人の姿を描くもの、また、人の形に模して作ったものです。これは死後に塚訟があり、生者にまで懲罰が及ばないための解除に使用されました。このときの墓券は道教の喪葬用文書のことです。このなかに書かれた道符(星象符)と、『太上老君混元三部符』の道符とが一致しています。日本で発見された木簡にも、書かれた内容は道教の符と同じものがあります。たとえば、藤原京跡から出土した人形木簡は、五方神龍王の信仰と結びつきます。(小林正美編『道教の斎法儀礼の思想史的研究』二〇一頁)。平安時代以降も続き多様な内容となっています。 2.印牌板尺類 これは用いる材料により、金属印・木印・石印・玉印・角骨印・陶印などがあり、使用の目的は令牌・尺・芴などの、上章などの儀礼に用いる道具をいいます。おもに君主や官府へ上表文を差し出すときの用具で、道教印というものもあります。 3.陶瓷解除器類 陶器に鎮墓の文や図像が施されたものです。また、朱書・墨書・泥水書の鎮墓文がある陶器類や、墓に使用される陶製の灯具・碗・枕・陶桶(とうよう)のことです。中国の新石器時代は幾何学文や魚文などを施した彩陶土器があります。中国の新石器時代には、華北の仰韶文化にみられる彩色土器があり、続く龍山文化には黒陶土器がみられます。文様は直線・曲線・円(孤文)・点などを組み合わせた幾何学文様が特徴です。とくに魚文様は集落の守り神として描かれています。生活の器から祭祀のための器へ感心が高まっていきます。 4.金属器物類 鏡・刀剣・貨幣・鐘鈴・鉛器・鉛人・錫人などのことです。これらは全て日本にもみられ、とくに鏡と剣は三種神器の主要な二品になります。ほかの器物も呪術信仰に使われ、古墳などの墳墓から出土しています。金属製人像は伊勢神宮や斎宮の祭祀にも使用しています。のちの『延喜式』を編集するころには、金属製品が金・銀・鉄に分かれ階層化が進みます。また、人形の金属質の違いは用途によるもので、官吏赴任旅行の安全を祈願するのは金人、病死人が続出するときの身代わりの銀人、鎮墓や延命祈願の錫人という違いがあります。(『日本の道教遺跡』福永光司。『日本の古代』9、金子裕之稿、四一〇頁)。日本では青銅器製品を祭祀に使用しています。その周辺の器物の用途についてみていきます。 【青銅器】殷(前一六〇〇年ころ)や周の時代は青銅器時代といわれます。神の顔のような饕餮(とうてつ)文は、大きく見開いた目や裂けた口、獰猛な爪と太く曲がった二本の角がある文様です。饕餮とは中国神話の妖怪のことで、体は牛か羊で曲がった角、虎の牙、人の爪、人の顔などを持ちます。また、「饕」は財産を貪り、「餮」は食物を貪るという意味です。何でも食べる猛獣というイメージから転じて、魔を喰らうという考えが生まれ、後代には魔除けの意味を持つようになりました。羊身人面で目がわきの下にある饕餮に、大きな犬の姿をした渾沌(こんとん)、翼の生えた虎、窮奇(きゅうき)、人面虎足で猪の牙を持つ檮杌(とうこつ)とともに「四凶」とされます。『神異経』には「饕餮、獣名、身如牛、人面、目在腋下、食人」とあります。また、龍・鳳凰・蝉・象などの獣面文があります。器表に獣面があり地紋に雷雲・過巻の幾何学文様を施したものは、辟邪思想に基づいた製品で、邪霊を威嚇し防禦の力を示します。神像があるものはそこに気が充滿していることを示しています。龍は中国の代表的な神獣となっています。龍の図柄にも変化があり、殷・周時代は蛇形であり、漢になると天上界の神獣としての姿となります。飲食を好むということから鼎の模様とされます。虺龍文は殷・周時代の青銅器に飾られた文様の一つです。虺とは足も角もない小型の蛇状のもので、乙文形虺竜文とか蚕文(さんもん)ともいわれます。身が屈曲し頭が前方に下がり、そして、尾が後方に上がる文様は、殷時代末期から西周時代初期の青銅器にみられます。西周時代中期以後のものは側面形が主となり、長鼻のものは西周時代後期から春秋時代にみられ、舌を出したものは春秋時代のものです。このほか、両眼が正面を向き身体に鱗を表現したものや、二匹の虺を左右対称に表したものがあり、地文には雷文を施したものが多くみられます。漢の高祖、劉邦から皇帝のシンボルとして用いられ権力の象徴とされるようになります。 龍にも五種の階級があります。最上位の龍は翼が火焔になり体に鱗があって、五爪をもつ四足となります。そのつぎは蛟(きょう、こう、みずち)で四足をもち大水をおこす龍です。つぎは應・蜃で四足で翼をもち気を吐いて蜃気楼をなす龍です。つぎは蚪(きゅう)で角をもつ龍です。五番目が璃(ち)・蟠(ばん)で翼がなく、水中に棲み天に昇れない下級の龍といわれます。この龍は青銅器に表されました。初期の龍は足も翼も持たず嘴のある蛇の姿で夔(き)龍といいます。殷から周の青銅器に多く施されています。これは饕餮文のなかに見られます。これが進化して唐草状に連なる蟠璃文になり、さらに戦国時代に四足長胴の獣形の龍となって表されます。そして、漢時代以降に龍は天上界の神獣として、雲車を引き仙人(羽人)を乗せ飛行するようになります。姿は二つの角をもち四足、長い尾、体表に鱗、翼をもちます。また、翼にかわって上腕から火焔の翼を持つようになり、背中に宝珠のようなでっぱりがある尺木(せきぼく)を乗せます。これを持たない龍は空を飛べないとされます。一説では尺木ではなく、尺水と呼ばれる水であるとされています。そして、春秋・戦国時代には植物文様が表れ、漢時代には神仙思想・神話伝説による、西王母・仙人・山岳紋・龍・鳳凰・虎菟などが、雲気文の間に施されています。仙人や雲の文様は天上界を表しています。雲の形状に吉凶を判断するところから吉瑞・祥瑞を表す瑞雲となります。ほかに、蝉・蛇・スッポン(亀)・魚・象・虎・熊・狐・鹿・雀・鶴・鳫などの実在の動物文様が現れます。五行思想と神仙思想による四神文が多くなります。六朝時代になりますと仏教の思想が混ざり、蓮華・唐草・飛天などの混合文様が流布します。(『日本・中国の文様辞典』三一〇頁)。朝鮮半島南部ではシャーマンの墓に副葬されることが多く、日本の弥生時代における青銅器の役割も、祭器や威信財としての性格が濃いといいます。(奈良文化財研究所『日本の考古学』上。二九三頁)。 |
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