193.鳥杆(蘇塗)                        高橋俊隆

鳥杆(蘇塗)

蘇塗とは朝鮮半島でソッテ(鳥杆・神竿・鳥竿)、中国東北部でソモ(索莫)と呼び、竿の先端に木製の鳥をつけたものです。『魏書』の東夷伝馬韓条に、毎年五月に種を播きおえると鬼神を祀ることが書かれています。鬼神とは祖霊や穀魂を示します。その祭りには村人が集まって、夜通し酒を呑み歌い踊るとあります。歌いながら足を上げ下げして地面を踏み、手もこれにあわせて輪になって踊るとあります。その節まわしは中国の鐸舞いに似ていると書かれています。一〇月の農作業が終わると同じく歌舞し、浮屠(仏塔)に似た大きな柱を立て、そこに鈴・鼓を懸け鬼神への祭を行います。この祭りは多くのことを示唆しています。たとえば、鳥杆あるいは蘇塗を建て鈴を懸け鳴らする信仰です。鳥杆とは頭頂部に鳥形を載せた杆のことです。鳥杆を建てる信仰は中国東北部や朝鮮、シベリアにもあります。吉野ヶ里遺跡を始め弥生時代の出土品から、杆頭にとりつけられている木製の鳥が頻出しており、日本にも同様な鳥霊信仰と複合した鬼神の祀りが行われ、鳥杆と大木をたて銅鐸をかけて打ち鳴らす音色にのって、地を鳴らし舞い踊っていたと推測されます。鐸と武器との祭りの範囲(山陰と近畿)に重なっています。鳥杆は鳥が運ぶとされた穀霊を招く標柱ともいいます。また、鷺は稲をもたらした稲の精霊とされ、鷺を稲の象徴として祭りを行ったともいいます。(奈良文化財研究所『日本の考古学』上。三五九頁)。

馬韓条にみえる古代韓族の聖なる蘇塗は、聖域説と神杆説があります。鳥杆は前三世紀ころの忠清南道大田地方から出土した青銅小板の儀器に、鳥杆と農耕図が描かれています。この青銅儀器に描かれた樹上の鳥は、村の入口にチャンスン(長生、魔除けの木偶。里程標)と類似しています。農耕予祝の立杆儀礼は鳥が天から最初の穀物を、この世にもたらしたことを記念した鳥勧請が原義であるといいます。(『日本の古代』一三、依田千百子稿、三九一頁)。木製の鳥は弥生時代から長い伝統をうけつぐものであり、木製の葬具も祭器も埴輪と並行してあったとみてよいといいます。木製の鳥は埴輪として作られているニワトリや水鳥の姿勢とは違って、大阪府和泉市池上・曽根遺跡、東大阪市瓜生堂遺跡、島根県西川津遺跡などの弥生遺跡で出土する木製の鳥のように空中を飛翔する姿をしており、土中に固定する台がないことから、短時間に行われた儀式に高く掲げられたと推定しています。そこで、治水・豊作か生産に関連ある祭具としての性質が考えられています。(『日本の古代』一四、森浩一稿、三七六頁)。なを、近畿地方では埴輪の使用を、六世紀前半から中頃のあいだに停止しており、その時期に木製品を用いています。奈良県の石見遺跡では木製の鳥形と台もしくは笠とみられる円盤が出土しています。現在も神社には鳥居がありますように、形骸化しながらも慣習は続いているといえます。また、弥生時代の遺跡からコト(琴)が多数発見されています。注目されるのは頭部が鳥の尾の形をしていることです。弾琴の姿は埴輪にもみえます。儀式のときに弾奏され歌舞が伴ったのかもしれません。琴は神宝としても奉納されており、演奏だけのものではなく祭祀とも密接に関わっていたといいます。(『雅楽』別冊太陽一一頁)。『後漢書』(東夷伝・馬韓)に、「蘇塗を立て、大木を建て以て鈴鼓(鈴や鼓)を懸け、鬼神に事(つか)う」。『三国志』(魏志東夷伝・馬韓)に、「諸国には各別邑(特別の区域)あり、之を名づけて蘇塗と為す。大木を立て、鈴鼓を懸け、鬼神に事う」。『晋書』(四夷伝・馬韓)に、「別邑を置き、名づけて蘇塗といい、大木を立て鈴鼓を懸く。その蘇塗の義は西域の浮屠(円錐状の仏塔)に似るあり」と書かれています。蘇塗とは文字通り木である場合や山である場合もあります。土を積んだ墳や石を積んだもの社など多種にわたります。日本の神籬という神域を作り、そこに天に向かい聳え立つ鳥杆を建てて神を呼びます。空を自由に飛ぶ鳥は神を運ぶ神使であり、鳥杆は依り代であったのです。この蘇塗と思われるのが、推古天皇二八(六一九)年に、檜隈陵(欽明天皇陵)墓の近くに小山を造り、そこに大柱を立てることを競わせています。この木柱は高いほど勝れているとされます。祖霊の依り代となり、神が下りてくるときの依り代でもあったのです。この古墳立柱は纒向石塚から小墓古墳まで一九例あります。さらに、奈良の山田寺の仏教的な幢竿支柱にも見られます。(植田文雄著『古代の立柱祭祀』六三頁)。

つぎに、いつ頃に鳥杆の信仰が渡来したかをみてみます。この鳥杆(蘇塗)の用途を知る上で、前述した銅鐸の文様を参考にします。『魏志倭人伝』陳寿の記述からしますと、服飾・航海儀礼・王権・刑法などに、圧倒的な南方の諸文化との親縁関係を示しています。たとえば「婦人淫せず、妬忌せず、盗窃せず、諍訟少なし。その法を犯すや、軽き者はその妻子を没し、重き者はその門戸および宗族を没す」と、妻子・門戸・宗族の関係が父系リネージを印象づけています。つまり、倭人の血統が中国と共通の祖先から辿られる民族集団に相当すると見ています。このような文化は中国の東南部の大部分は江南から直接、日本に来たといいます。その時期は紀元前四~五世紀ころ呉や越が滅亡する江南の動揺期に南朝鮮や西日本に渡来し、水稲耕作や漁撈技術をもたらし弥生文化の南方的な要素がもたらされたといいます。ただし、この渡来は数百年の交流により形成されたもので、少数ながらも渡来を重ねていたともいいます。(『日本の古代』1、大林太良稿、三一九頁)。鳥杆と金首露降臨神話との関連が指摘されています。『三国遺事』に抄録された『駕洛国記』に金首露降臨神話があり、降臨儀礼を伝えています。これによりますと、亀旨峰に六個の金の卵が天よりおり、この六個の金の卵から、後漢の光武帝の建武一八(四二)年三月三日に首露王が生まれたとされ、首露が大駕洛の王となります。また、このとき他の五人の王子も九干の部族長たちに育てられ、それぞれ五伽耶の王となったたとされます。首露王を中心とした国家連合(六加耶連合、後の新羅の複伽耶会)が成立したとする説があります。金官国伽倻は『魏志倭人伝』には狗邪韓国(くやかんこく)と伝えられます。首露王は緋の帆船に乗って渡海してきた阿踰陀国(インド・薩摩の阿多?か不明)の王女を迎えて妃としました。これを記念して毎年七月に船競べが行われたのです。首露という名はツングースや満州族の祖霊・穀霊の憑依する神杆「索莫」、あるいは、ソル柱に関連する語で高句麗の始祖朱蒙もこれと同一語であるといいます。ソル柱というのは頂上に鳥形の木片が乗せられた高い木柱のことです。これを蘇塗(ソッテ)といい鳥杆のことです。この神話は日本の銅鐸絵画の蘇塗的祭祀のありさまと多くの共通要素が認められているのです。

また、これに関連して、亀旨歌(亀旨峰迎神歌)があります。三国遺事には駕洛国始祖の開国伝説として亀旨峰迎神歌一首が漢詩訳の形で収録され,威嚇を以て神を迎える原始巫俗の形態がみえます。これは天孫降臨の催促を亀の首に喩えた歌で、次のような歌があります。「龜何龜何(귀하귀하) 首其現也 (수기현야)若不現也 (약불현야)燔灼而喫也 (번작이끽야 거북아거북아머리를내어라. 내놓지않으면구워서먹으리」(亀よ、亀よ頭を出せ出さなければ焼いて食べてしまうぞ)。この亀旨峰の山はもともと亀の頭に似ているということで「亀首峰 구수봉 クスボン」と呼ばれていたそうです。頂上にある亀石の支石墓は二〇〇一年三月七日に「史跡第四二九号」に認定されました。歌の対象となっているのは亀・とんぼ・蛙・いもり・かたつむりなどがあります。これらは類別のあいまいな奇異な生物であることが特徴で、このような種類の生物に強い霊力を認めたといいます。日本の銅鐸に描かれた、すっぽん・亀・いもり・かまきり・とんぼに共通したイメージが考えらえます。この亀旨歌は歌い手の願望達成のために対象を威嚇するものとされ、脅迫儀礼の対象とされた霊的存在であったともいいます。また、銅鐸絵画にある鹿や水鳥(さぎ)などについて、鹿は祭儀用の供物あるいは肩胛骨占いによって神意を伺うための神の使者としての聖獣であり、水鳥は神の使者、または神を招くための聖鳥という宗教的な意味が考えられています。つまり、これらの鳥杆・船競べ・亀旨歌には銅鐸絵画に共通点がみられます。この事実から古代朝鮮半島南端の駕洛国の始祖降臨神話と、日本海沿岸地方の銅鐸祭祀は、共通の信仰をもっていたのです。このことから、朝鮮半島から蘇塗的祭祀を日本へ伝えたのは、銅鐸に描かれているゴンドラ型の船や船競べが示唆しているように、南方系の水稲栽培と漁撈をあわせ行う人々と想定されるのです。(『日本の古代』一三、吉田敦彦稿、三九五頁)。また、蘇我氏一族は大和の飛鳥を開拓しました。第一九代允恭天皇(四一二~四五三年)の遠(とおつ)飛鳥宮を初めとして、第四〇代天武天皇の飛鳥浄御原宮に至るまで、飛鳥に古代国家が築かれました。六世紀末から七世紀中葉過ぎまでの文化を飛鳥文化といいます。注目したいことは「飛ぶ鳥」という名称の由来です。これは特別な鳥が飛ぶ特別な地であり、「明日香」という地の神を呼び出すための呪文という説があります。明日香の民家の屋根には、鳥が止まるための鳥ぶすまという鳥形があります。アスカは朝鮮語のアンスク(安宿)で、渡来人が飛鳥の字を宛てたともいいます。また、聖徳太子ゆかりの「斑鳩」も鳥に関連しています。「イカル」という鳥(スズメ目アトリ科)の別名といいます。(鳥越憲三郎著『古代中国と倭族』)。つまり、飛鳥の地名は鳥杆や降臨神話と結ばれていることです。中国の土桶に観風鳥という明器があり、必ず墓のなかに副葬されます。韓国の古代にもみられ、鳥が霊魂を死後の世界に導くと捉えています。さらに、日本の神社の入り口にある「鳥居」は、これらの信仰を包摂しています。