202.神道                                高橋俊隆

【神道】

天皇と真人を中心とする天上の神仙世界を説く道教のことを、中国では古くから「神道」と呼んでいます。「神道」という言葉は『易経』や『太平経』『晋書』に見られ、中国の方がはるかに歴史をもっています。(福永光司稿「天皇と真人」『道教と古代の天皇制』所収二六頁)。この古い文献としては『易経』の「観」の卦の「彖伝」(たんでん)にあります。彖伝というのは、『易経』の六十四卦の意味を解説したもので、「観」の卦の彖伝には、「盥(てあら)いて薦(すす)めず、孚(まこと)有りて、顒若(うやうや)し。下観て化するなり。天の神道に観て四時忒(たが)わず、聖人は神道を以って教を設けて天下服す」とあります。天下の太平と天地の太和の実現を天上世界の皇帝である「天皇」と結びつけて、『易経』よりもさらに徹底して「神道」を強調したのは、二世紀の半ばに天神から神書として干吉に授与された『太平清領書』(『太平経』)一七〇巻です。ここに、「身神を染習して心意を正し、蔵匿すること無きを得れば・・神道来り・・清明見(あら)はる」とあります。また、「神道」という言葉は「神(あや)しき道」という意味で、日本の神道観念とは性質が異なるといいます。神道以前の神道を古神道といいますが、ほかに純神道・原始神道などと呼ばれるように、概念規定が明白ではありません。そこで、原神道という呼び方ができました。(三橋健著『神道』四六頁)。

日本の文献に神道の言葉がでてくるのは『日本書紀』です。第三一代用命天皇(橘豊日。在位五八五~五八七年)の即位前紀と、第三六代孝徳天皇(天萬豊日。在位六四五~六五四年)の即位前紀です。用明天皇即位前紀に、「天皇(すめらみこと)、仏法(ほとけのみのり)を信(う)けたまひ、神道(かみのみち)を尊びたまふ」(天皇は仏教を信仰され、神道を尊重された)。また、孝徳天皇即位前紀に、「天皇・・・仏法を尊び、神道を軽(あなずり)たまふ。生国魂社の樹を駒(き)りたまふ類、是なり。人と為(な)り、柔仁(めぐみ)ましまして儒(はかせ)を好みたまふ」(天皇は仏教を信仰され、神道を軽視した)とあります。ここにうかがえるのは、仏教への信仰が深まっていますが、神社の信仰が天皇統治に深く関わっていたことです。孝徳天皇は大化の改新のときの皇極天皇です。「惟神」も『後漢書』穏逸伝などに「惟神の常道」とでています。つまり、神道という言葉の由来は道教にあるということです。ただし、当時においての神道とは、固有の神々や神事のことであり、教えをふくむ神道となるのは一二世紀末のことです。推古天皇一〇(六〇二)年に百済僧の観勒らが、歴本・天文・遁甲方術の書を伝えます。第三四代舒明天皇(在位六二九~六四一年)の一四(六四〇)年ころに、南淵請安、高向玄理や留学生により、これらの学問が急速に浸透します。天智二(六六三)年に「白村江の戦い」により百済が滅亡し、九月に日本軍は百済の遺民とともに帰国します。そして、諡号を天渟中原瀛真人天皇とする天武天皇は、道教の知識をもって国家としての神道を整えます。すなわち、現在、呼称される神道が確立しました。