211.天孫降臨と古代朝鮮       高橋俊隆

【天孫降臨】

国生み神話は『記紀』の天地開闢に続く最初の部分にあり、重要な神話となっています。『記紀』神話の構成は、天地開闢→国生み→神生み→天の岩戸(石窟)戸開き→国譲り→天孫降臨を中心としています。『日本書紀』によりますと、神代の時代は国常立尊から始まり、第七代目に伊弉諾尊と伊奘冉尊が生まれます。この二人の神は天浮橋に立って国土を造ります。そして、天下の主者として日神の大日孁貴(天照太神)を生みます。つぎに、月神、蛭児、そして、素戔嗚尊を生みます。素戔嗚尊は残忍な性格であったので根国(地下や祖霊の国)に追放します。この伊弉諾と伊奘冉尊の国産み神話の原型は、中国の江南地方から弥生時代に日本に入ったといわれます。これにたいし、天孫降臨神話の原型が、朝鮮半島から日本に入ったのは古墳時代に入ってからになります。このように、系統も年代も違う神話が一つに体系化たのは『記紀』です。日本の王権は高天原に由来し、それを継承するのが天皇家としたのです。つまり、天皇家が日本の支配者であることの正当性は、天上の王権の継承者であることにあります。これが『記紀』の天孫降臨神話の主題であり、王権神話の要となっています。島生み・国生み神話が大阪湾を舞台としたのは、淡路島周辺の海人の神話に由来し、神話に昇華した時期は河内王朝の段階といいます。(上田正昭著『日本文化の基礎研究』一三九頁)。

大日孁貴(天照大神)の子である天忍穂耳尊と、高皇産霊尊の娘である栲幡千千姫命(萬幡豊秋津師比売命)の子が瓊瓊杵尊です。天孫瓊瓊杵尊が天下ったところは高千穂の山です。天と地をつなぐ接点の山とされます。これについて、『記紀』神話の構成で筋が通らないのは、瓊瓊杵尊が国ゆずりをした出雲ではなく、筑紫の高千穂の峰に天降ったという疑義があります。高千穂への降臨伝承には、朝鮮半島と筑紫との深い関わりがあり、朝鮮の神話と共通するといいます。高千穂の峰について『古事記』は「久死布流多気」(クシフルタケ)、『日本書紀』は同じく「槵触峰」(クシフルタケ)・「添山」(ソホリ)とあります。これは、朝鮮の「亀旨峰」(クシ)、「所夫里」(ソフリ)と共通します。降臨した瓊瓊杵尊は韓国に向かい言挙げするのです。日本と朝鮮の降臨伝承に類似性があるということです。異なることは日本神話には、高天原という天上世界の内容があること、主神のほかに五部神が随伴すること、卵生型ではないこと、「言向和平」のため降臨し「国ゆずり」タイプであることといいます。(上田正昭著『私の日本古代史』上、三二八頁。『日本文化の基礎研究』二七頁)。また、高千穂のタカチは「高ち」で穂は稲穂、稲穂を高く積み上げたところが高千穂であり、特定の山名ではなく、古代日本の人々の切実な豊穣信仰がみられると言います。(小川光三著『ヤマト古代祭祀の謎』一五六頁)。瓊瓊杵尊=天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命の「アメニギシクニニギシ」(天にぎし国にぎし)は、天地が豊かに賑わうという意味で、アマツヒコは高天原から天降った天津神のことです。ホノニニギは稲穂が豊かに実ることを意味しています。神話上ニニギの一族とされている天忍穂耳尊(正哉吾勝勝速日)や、火照命(ほでり、海佐知毘古=海幸彦。稲穂に日が照る)、火遠理命(ほおり、火闌降命、彦火火出見尊、山佐知毘古=山幸彦。実った穂の重みで茎が折れそうになる)、火須勢理命火遠理命の兄、火照命の弟。稲が茎から迫りだす)など、名前に稲穂の「ホ」がある点で共通し、天孫降臨神話の中で高天原直系神は、稲に関する名をもつのが多くあります。瓊瓊杵尊は山神大山積神の娘木花開耶鹿)と結婚し、三人の子供をもうけます。そのうちの二人は海幸彦と山幸彦神話の主人公です。末弟の山幸彦が天皇家の先祖、すなわち、初代天皇となるのです。『古事記』の神話は九州隼人族の、朝廷への服従を擬したといいます。

また、天降り神話は古代朝鮮にもみられます。『三国遺事』巻一の檀君神話には、日本の三種神器のように天符印三個を授けられています。巻二には駕洛国記の伝える駕洛(伽羅・伽耶)の建国神話があり、ここでは黄金の卵六個が天降ったとあり、六伽耶の始祖となります。天降神話では駕洛と新羅に日本の天孫降臨神話に似た例があるのに対し、王者の狩猟についての日本古代の王権は、高句麗や百済との類似を示しているといいます。これは古代日本の支配者たちが、古代朝鮮諸国のそれぞれの特色ある王権文化を選択し、取り混ぜて作成した結果ともいいます。古代朝鮮と日本の支配者の複雑な歴史をうかがえます。また、三~四世紀から天皇種族が朝鮮から渡来し、父権的・支配者文化と支配者体制を持ち込んだという説もあります。支配者の天降り神話のほかにも、王権神話において日本と朝鮮は多くの共通をもっています。たとえば『古事記』のイツセとカムヤマトイハレビコ(神武)の兄弟による建国の伝説は、『三国史記』に記された朱蒙の第二子と三子の沸流と温祚の兄弟による、百済建国伝説と基本的に同じ構造をもっています。つまり、海の原理を表す兄は失敗して死に、陸の原理を表す弟が建国に成功して王朝の祖となるという筋道です。さらに、高句麗王家の始祖朱蒙(東盟王)に関する穀物起源神話が、日本神話にも共通しています。朱蒙が母の国たる夫余を去って南下し、高句麗を建国するにあたり、母は息子に五穀の種を与えます。しかし、朱蒙が麦の種を忘れたので、母は鳩に変身して息子のところに送り届けたという話です。これは『日本書紀』の天孫降臨に出ている神話と似ています。正勝吾勝勝速日天忍穂耳命が支配者として天降ろうとしたとき、母のアマテラスはこれに斎庭(ゆにわ)の穂(いなほ)を与えます。いわゆる「斎庭の稲穂の神勅」です。朱蒙も正勝吾勝勝速日天忍穂耳命も、異郷の地に建国するにあたり、母から穀物の種を受けとっていることです。日本と高麗は王者の収穫祭が即位式に結びつき、建国神話においても王者の食べる穀物の起源神話と共通しています。大嘗祭の収穫儀礼は高句麗系の王権文化に連なるのです。東南アジアの即位式に比すべき面もみられるのです。(『日本の古代』別巻、大林太良稿、一七二頁)。つまり、稲作文化の伝搬と、それ以前の焼畑文化の存在が、神代史の「邪しき国つ神」に「天つ神」の子孫(天孫)が降臨し、「豊葦原の瑞穗の国」になるという筋道になっているのです。

松村武雄氏は日本の神話の三パターンを挙げています。一に、「高天原神話」の特徴として、神の垂直的降臨という北方的な観念が著しく、シャマニズムの色調が濃く、太陽崇拝が顕著であり、経済生活においては狩猟の比重が大きく、農耕的要素が希薄であるとのべます。二に、「出雲系神話」は水・蛇・雷をもとにした神々を中心にした宗教的・政治的組織を特徴とし、水の呪能を基礎とする呪的な地位を占めているとします。神々の水平的出現の観念が著しく、韓土との交渉が顕著であるといいます。三に、「日向系神話」(筑紫系神話)は、海洋神の崇祀および海洋性にとんだ説話が重心をなし、コノハナサクヤビメ神話とインドネシアの「バナナ型死の起源神話」との一致、海幸山幸神話とインドネシアの「失われた釣針型神話」との関連など、東南アジアとの結びつきが見られるといいます。(『日本神話の研究』巻四)。