212.天岩屋神話と五伴緒神   高橋俊隆

天岩屋神話と五伴緒神

天岩屋神話(あめのいわや)物語と天孫降臨の物語は、高天原神話の主題で、天照大神が主役となっています。律令制下において、太政官と並ぶ国家の最高機関として神祇官を設置したのは、天照大神を神々のなかの最高位に位置づけることでした。ですから、豊受大神は『記紀』の石岩屋の条や、『日本書紀』の天孫降臨の五部の神(五伴緒神)にも見えません。天岩屋神話は「岩戸隠れ」といいます。伝説の舞台は本来は高天原ですが、高千穂町の天岩戸(西宮)と天安河原(あまのやすがわら)にあります。姉のアマテラスは太陽の女神、ツクヨミは月神、弟のスサノオは嵐神とされます。内容はスサノオが姉に会いに高天原に上っていくと、アマテラスは高天原を奪いにきたと疑惑をいだき武装して迎えます。二人は宇気比(誓約)をして疑いが晴れますが、スサノオは機織り殿に皮を剥いだ馬を投げ込み、そのため機織り女が死にます。これによりアマテラスが怒って天岩戸に姿をかくします。困った高天原の神々は集まり、祈祷などによってアマテラスを再び岩屋の外に出すことに成功します。そして、スサノオは下界に追放されるという内容です。スサノオは高天原の八十万神により決罰され、千座置戸を科され、髪を抜いて贖罪したにもかかわらず、高天原から追放されます。『日本書紀』神代上第六段に「如何ぞ就くべき国を棄て置きて敢えてこの処を窺うや」とあります。天岩屋神話を根拠として斎竹の使用理由ができます。天岩屋に籠もったとき、天宇受売命が天香久山に生える小竹葉(ささば)をとって舞い踊っています。また、『万葉集』には、枕詞として神楽浪(ささなみ)ということから、斎小竹(いわうさき)として笹を神聖なものと考えたといいます。笹は神の依り代として使われ、現在も地鎮祭では四方に斎竹(いみだけ)を立て、注連縄でつなぎ不浄を防いでいます。古墳の円筒埴輪は死者の霊が宿る柱、竹の明器化されたものといい、家形埴輪も実物を明器化したものといいます。(『日本の古代』一三、河上邦彦稿、一八九頁)。瓊瓊杵尊が葦原中国に降りるときに供をした五部の神(「五伴緒神」本居宣長)は次のようになっています。

天児屋命 (あめのこやねのみこと)――――中臣氏の遠祖

太玉命  (ふとたまのみこと)―――――――忌部の遠祖

天鈿女命(あめのうずめのみこと)―――――猿女の遠祖

石凝姥命(いしこりどめのみこと)―――――鏡つくりの遠祖

玉屋命 (たまやのみこと)―――――――――玉つくりの遠祖

なお、天鈿女命は天照大神が天岩戸に隠れたときに、外に出るきっかけを作った神です。天照大神の登場には五部の神、とくに中臣氏の祖である天児屋命と、忌部氏の祖である太玉命が関与しています。逆に、天児屋命・太玉命を遠祖とする中臣氏があるところに、天照大神がいるといいます。(田村圓澄著『伊勢神宮の成立』六七頁)。これは神話に於ける分業といいます。つまり、中臣氏の祖先が祝詞を奏し、忌部氏の祖が神事の鋪設をしたという所伝が多いことから、後世の神事の役割分担を中臣氏は神主、忌部氏は頭人的なものとみます。中臣氏は祝詞を担当し、忌部氏は祭具や聖器を担当し分担制がみられます。(『日本の古代』一三、大林太良稿、二五三頁)。石(伊斯)凝姥命は鏡を研磨する石を意味し、作鏡連(かがみづくりのむらじ)らの祖神とされています。『古事記』では伊斯許理度売命、別名 櫛石窓神、豊石窓神、『日本書紀』では石凝姥命と表記されています。天糠戸(アメノアラト)は鍛冶の神とされ、石凝戸邊の父神です。アラトという名から砥石を意味しているといいます。天石窟に隠れた天照大神を連れ戻す為に協力しました。この名前から職業の守護神・霊威神が先行していたといいます。(『日本の古代』一三、上田正昭稿、二〇三頁)。鍛冶神の天目一箇神(アメノマヒトツ)は、一つ目の製鉄・鍛冶の神とされ、高皇産霊尊から鍛冶の役目を任されます。海女の岩屋戸に隠れたアマテラスを招き出すために祭具を製作した工作神は、石凝姥命(あるいは祖の天糠戸)と、鍛人天津麻羅(カヌチアマツマラ)だけです。天目一箇神が鍛冶神の固有名であったともいいます。鍛冶神と雷神とは雷=蛇=刀剣と繋がるといいます。「蛇は鍛冶屋が作る刀剣にも縁があります。スサノオが八岐大蛇を退治するときに用いた剣は「蛇の麁正」(おろちのあらまさ)、「蛇の韓鋤(からさい)の剣」(『日本書紀』)と呼ばれています。その殺された大蛇の尾から「草薙剣」が得られます。尾を割って出たことから尾張の地名になったといいます。『播磨国風土記』讃容(さよ)郡の条には、畑で出土した剣が鍛冶屋に焼かれると、伸び縮みして蛇のようになったとあります。古典神話にみられる神婚説話に、金属器文化(雷神など)との繋がりがあるといいます。(『日本の古代』一〇、田村克己稿、二九三頁)。また、この神話は「日蝕神話」の様相であるといいます。日蝕あるいは月蝕は悪い弟か妹のために起こるというもので、東南アジア大陸部、ことにカンボジア、タイ、ラオス、さらにミャンマーのバラウン族などに、一連の日食神話が分布しています。天岩戸神話の基礎の最古層をなしているといいます。また、「稻魂の逃亡」も考えられ、田んぼの畦などを壊すという行為に稻魂は傷つき、逃亡してしまうという観念があります。カンボジア人やラオスのラメット族などの東南アジアの稲作諸民族にみられます。しかし、天岩戸神話には王権神話が強くみられます。天上の王権のように地上の王権も、危機に遭っても克服されるという予言の性格をもっていたとみるからです。『記紀』に記された日本の神話や神々の世界が、王権をその中軸として体系化されており、それが現存の支配者の正当性を基礎づけているといえます。(『日本の古代』一三、大林太良稿、二三頁)。日蝕説に興味深いことは年代の特定で、二四七年に起きており翌年に卑弥呼が死去していることです。(加藤真司著『古事記』が明かす邪馬台国の謎』)。

日本語の語彙は、中国語や朝鮮語を起源とするものもあり、ほかのアジアの諸民族起源のものもあります。その中でも、特にヘブライ語起源のものが、多く見受けられます。たとえば、「イチ、ニ、サン、シィ、ゴ、ロク、ナナ、ハチ、キュウ、ジュー」という数え方は、中国語起源(漢数字)で、「イ、アル、サン、スー、ウー、リュウ、チー、パー、チィオウ、シー」が基になっています。しかし、もうひとつの数え方の「ヒィ、フゥ、ミィ、ヨォ、イッ、ムゥ、ナナァ、ヤァ、ココノ、トゥ」は和語で、ヘブライ語起源と言われています。この言葉は、もともと、天照大神が天の岩屋戸の中に隠れ、世の中が真っ暗になります。この時、女神にそこから出てもらうために、女祭司コヤネが、他の神々の見守る中「祝詞」すなわち祈祷文を唱えます。それが、「ヒィ、フゥ、ミィ・・・」といい、現在でも、神道の鎮魂法の祓詞として用いられています。この言葉は日本語としてみると数の数え方ですが、ヘブライ語としてみますと、意味の通る言葉として理解されるのです。つまり、「ヒァ、ファ、ミィ、ヨッ、ツィァ、マ、ナーネ、ヤァ、カヘナ、トウォ」と発音され、「誰がその美しいかた(女神)を連れ出すのでしょう。彼女が出てくるために、誘いにいかなる言葉をかけるのでしょう」、という美しい詩文に意訳されます。