276.『道場守護神』~『松野殿御消息』(235) 高橋俊隆 |
□『道場神守護事』(二三二) ○常忍の十羅刹女信仰
一二月一三日付けで常忍に宛てたと言われています。時光に宛てたとする説がありますが、真蹟五紙四八行が中山法華経寺に所蔵されていることから、常忍か下総方面の信徒と考えられています。(『日蓮大聖人御書講義』第十七巻六八頁)。常忍の『日常目録』に『道場神守行者事』と記録されており、常忍の強い十羅刹女信仰(『日蓮宗学全書』一巻一九〇頁)を考え合わせますと、本書は常忍に宛てた『与富木書』と別称がある所以といえます。(『日蓮聖人遺文辞典』歴史篇七九四頁)。 身延の日蓮聖人のもとに五貫文(銭五千枚、五千文のこと)の布施が送られてきました。これについて、この布施を十羅刹女が常忍に託宣して、檀家としての功徳を積ませたとのべています。常忍の強い十羅刹女信仰により、身延の日蓮聖人へ金銭を布施すべき託宣を受けたとうけとれます。本書に『止観』(心是身主。同名同生天是能守護人。心固則強。身神尚爾。況道場神耶)と、『弘決』(雖常護人 必仮心固神守則強)の文を引き、生まれたときから身体から離れず守護している倶生神(同生・同名天)でも、信仰者の信心が強くなければならないことを説いています。その倶生神も常に守るのであるから、まして道場の守護神は尚更、信仰者を守護するとのべています。信仰者の信心の強さにより守護神の威力が変わるといえます。 また、『法華文句』の文を引いて仏・法・僧の三宝を信ずれば、罪科があっても大難を遁れることができるとのべます。常忍が十羅刹女から託宣を受けたのは、現実に目の当たりにされたのか、夢なのか内容は不明ですが、本文に、 「而今示給託宣之状兼知之。案之却難福先兆耳」(一二七四頁) とのべているように、十羅刹女の託宣は災禍が来ても福と転じる先兆とされています。その文証として妙法蓮華経の妙の一字の功徳について、竜樹の『大論』の「能変毒為薬」、天台はこれを二乗が法華経において記別を得たことは、「今経得記即是変毒為薬」と解釈したことを挙げます。日蓮聖人は災難が来たとしても、それは変じて幸いとなるとのべたのです。 十羅刹女が前もって災禍があることを予告したことは、これに対応して災い転じて福となる証拠とされます。十羅刹女の守護があれば薪が火を盛んにし、風が吹いて迦羅求羅という虫が増えるように守護されるとのべ、信心を強固にすべきことを勧めたのです。本書に帝釈堂を挙げ、道場にはそれぞれ道場を守護する善神が存在し、護法力の強さをのべていました。 □『さだしげ殿御返事』(二三三) 一二月二〇日付けで「さだしげ」に宛てています。世間の学者は学問をして智慧を磨いているが、「一大事」を知らずに年老いていることをのべています。「さだしげ」については不明な人物ですが、本文に「さきざきに申しつるがごとし」とあることから、たびたび日蓮聖人より教えをうけていた学問のある人物と思われます。この後については不明ですが、学問の目的は成仏にあること、法華経の信心をすることが大事であることを示されたと窺えます。真蹟は断片一紙が京都頂妙寺に所蔵されています。年号は記入されていませんが、筆跡により建治二年とされています。 □『本尊供養御書』(二三四) ○南条平七郞
一二月に南条平七郞に宛てた書状です。真蹟は伝わっていません。写本に『日朝本』『本満寺本』があります。平七郞については治部房日位上人の父という説がありますが否定されています。日興上人の『弟子分帳』には、「駿河国富士上方成出郷給主南条平七郎母尼越後房弟子也」とあります。上方は越後房日弁上人のおられた熱原の近く、冨士大宮あたりとも推測されています。『龍門書』には上野賢人とあり、『境妙庵目録』は平七郎としているように諸説あります。(『日蓮聖人遺文全集』別巻九七頁)。いずれも上野南条氏に有縁の信徒と思われますが(『日蓮聖人遺文全集講義』第一九巻七八頁)、『日蓮聖人遺文辞典』(歴史篇一〇五五頁)には南条時光としています。 平七郎というのは南条氏の出自が平氏であるので、南条平七郎は七郎次郎時光とも考えられています。そうしますと時光が法華経の曼荼羅本尊の供養として、僧膳料として米一駄・蹲鴟(いえのいも、そんし、山芋)一駄を供養された礼状となります。蹲はうずくまる、鴟はふくろうのことで、蹲鴟はうずくまった梟(フクロウ)のような姿をしている八つ頭芋のことをいいます。 本書には文字即仏・変毒為薬などの文を列挙して、凡夫を仏と成す法華経の功徳をのべています。凡夫は法華経の六九三八四の文字を、ただの黒い文字としか見えないけれど、仏眼を具えた者は一つ一つの文字が金色に輝いている仏と見えるとのべます。例として金粟王が沙を金にしたこと、釈摩男が石を珠としたことを挙げます。 金粟王については『善無畏三蔵鈔』(四七〇頁)に、善無畏が北天竺の乾陀羅城に入った時、国王である金粟王が善無畏に帰依し供養法を問いました。そこで、善無畏が金粟王の建てた塔に祈ったところ、文殊の金字の供養法が空中に現れたことを引いています。本書の金粟王が沙を金としたという由来は不明です。釈摩男は釈尊が成道して初めて教化を受けた五比丘の一人です。この摩訶男倶利は勝れた神通力により、瓦礫を宝とし毒を薬としたとあります(『摩訶止観』)。 続いて、玉泉に入った木は瑠璃となり、大海に入た水は塩辛くなる。須弥山に近づくと如何なる鳥も金色となり、阿伽陀薬は全ての毒を薬となすように、法華経の功徳もこのように不思議で凡夫を仏にすると譬えます。蕪は鶉となり山の芋は鰻となるように、予想外のことが時には起こるように、事物を変化させる不思議な経力を持っているとのべます。これは煩悩即菩提、生死即涅槃に通じ、現世は安穏に後生は善処に生ずることを示しています。 次に法華経受持の功徳について例を挙げます。「犀の角を身に帯すれば大海に入るに水、身を去る事五尺」というのは、犀の角は『本草綱目』によりますと、夜露に濡れず薬に入れると神験あらたかとあります。『抱朴子』には通天といって一尺以上の犀の角を魚の形に刻んで、歯や唇に銜え水の中に入ると、水が三尺開くという伝説があります。また、『華厳経』巻六十七に摩羅耶山にある栴檀という香(牛頭)を身に塗れば、火中に入ても焼けないとあります。この栴檀はビャクダン科の白檀のことで、センダン科の栴檀とは異なるといいます。このような効用は法華経に備わっているとして、 「法華経を持まいらせぬれば、八寒地獄の水にもぬれず、八熱地獄の大火にも焼けず。法華経第七云火不能焼水不能漂等[云云]」(一二七六頁) と、八寒地獄の水、八熱地獄の大火にも焼けない力があるとのべ、薬王品(『開結』五二七頁)の文を引きます。本書は前段で法華経の経力をのべ、後段で受持の功徳をのべています。文末に「事多しと申せども年せまり御使急ぎ候へば筆を留候畢」と、年末にあたり使いの者が急いでいるので、多くのことを記したいがとして、要件のみ書かれています。当時の気象状況などにも注意して、供養を運搬する人たちの帰途の道中についても配慮されています。 □『松野殿御消息』(二三五) 真蹟は伝わっておらず『本満寺本』の写本があります。著作の年次は不明ですが、松野行易(ぎょうい)に宛てた書状です。『悲華経』の説話を引用して、釈尊と娑婆が有縁であることをのべています。主師親の三徳を備えているのは釈尊であることを示されています。 珊提嵐国の大王である無諍念王と、大臣である宝海梵志の話しです。無諍念王の千人の王子は、国土である娑婆は重罪の者がいる獄舎のようなところであるから、この娑婆の穢土を捨てて他国の浄土に移り住みます。その娑婆とは十方の浄土から追放された極悪人が寄せ集まる処です。娑婆はサンスクリット語(梵語)sahāの音訳で、漢訳では堪忍と訳されています。『法華文句』では『悲華経』の訳を引いて、この世界の人々は十悪を行っても反省することなく、一向に出離を願おうとしない人々が住むところで、また、この世界に住んでいる者は、貪・瞋・痴という三毒や煩悩に悩まされながらも、これを耐え忍んで生きていかなくてはならないことから堪忍の土という。さらに、仏道修者ほこれらの人々を救済しようとするが、迫害され衆苦に悩まされる。このようなあらゆる苦難に堪え忍ぶことから堪忍土ともいう。ですから、千人の王子は娑婆での生活を耐えられないと考えたのです。 「彼無諍念王の千の太子は捨穢土取浄土給ふ。其故は此娑婆世界は何なる所と申せば、十方の国土殺父母誹謗正法殺聖人者自彼国国此娑婆世界へ追入られて候。例せば如此日本国人有大科者被入獄。不叶我力不哀愍捨給ふ。 宝海梵志一人請取て、娑婆世界の人の師と成給ふ。宝海梵志願云我於未来世穢悪土中当得作仏即集十方浄土擯出衆生我当度之と誓ひ給き」(一二七七頁) 一方、宝海梵志はこれら十方世界から擯出された衆生を救済する誓願を起こして、娑婆の衆生を救済されたことが説かれています。釈尊の過去世の因位の菩薩行のことです。このときの無諍念王は阿弥陀仏で、王子は観音・勢至・普賢・文殊たちであり、宝海梵志とは釈尊であると説き、娑婆の一切衆生を救済されたのは釈尊であることをのべ、譬喩品の「唯我一人」というのは、娑婆の国主として極悪の衆生を救済する釈尊のことであるとのべます。私たちを救済して下さるのは、主師親の三徳を具えた釈尊であることを表しています。 |
|