279.               高橋俊隆

◆第二節 『四信五品鈔』以後

□『四信五品鈔』(二四二)

○常忍の「不審状」

四月一〇日付けにて常忍に宛てた書状です。真蹟一三紙が中山法華経寺に所蔵されています。日付と題名(「末代法華行者位並用心書也」)は常忍が書かれたことから、常忍のもとに届けられたのが四月一〇日と考えられています。(『日蓮聖人遺文辞典』歴史篇四五五頁)。全文が漢文で問答体にて法門を示されています。本書が書かれた由来は、常忍が自ら「三月二十三日、沙弥常忍 判。進上 弁公御房」と書かれていることから(『日蓮聖人全集』第四巻三八一頁)、三月二三日に常忍は日昭上人を通して「不審状」(「常師聞書」中山法華経寺に現存)を出されたことが分かります。

この質問には常忍が六十歳を超え、その後の人生を法華経の修行者として生きて行く指導を受けたもので、日蓮聖人を師匠として思慕する感情が窺えます。内容は愚鈍な凡夫がいかに「戒定慧の三学」を基本として、法華経の信仰をすべきかを質問したものです。「不審状」((『宗全』第一巻一八〇頁)の主な質問を挙げますと、

一、 諸法を観ぜんと欲すれば心いよいよ闇々として観念すること能わじ、依って読誦を業とすれば忽劇極まりなし如何が修行して其の理を得べきや(原全漢文)

一、肉食のこと、時刻を経ず行水を用い、仏経に向かい奉り読誦せしむること如何

一、一宿を経るの後、行水を用いず読誦せしむること如何

一、五辛を食するの後、行水せずして仏経に向かい奉ること如何

一、行水を用うと雖も不浄の時の衣服を著して道場に入ること如何

一、不浄の身たりと雖も毎日不退に経巻を読誦せしむべきか

一、一月に一度たりと雖も精進清浄にして読誦せしむべきか

一、不浄の身に袈裟を著くること如何

一、不浄の時の観念如何

などの不審を挙げて、日蓮聖人に教示を仰ぎます。

常忍は不軽軽毀の衆生は信伏し随従したけれども、なをその罪が深く千劫の長い間、阿鼻地獄に堕ちたことを提示します。自分も法華経を信じると言っても日蓮聖人と離れているため、根性が暗鈍であり先業の罪により教えを亡失してしまい、せめて、恩顔に接し教えを聞いているならば、理解はできなくても罪業を消し来世の功徳となるであろうと心情を吐露します。

下総の地において仏道修行に励もうと思うので、後悔のないよう賢察を仰いだのです。常忍は謗法の罪業を消滅することを願ってのことでした。最初の質問は三学のなかの禅定と智慧にあたります。

第一番目の質問は心のあり方、信行の心得を問います。観念観法に徹底できないこと、読誦をしても忽ちに激しい動揺を覚えることについて、いかに悟りを得ていくのかを問います。観念において起きる煩悩を制止することができないことは、『大乗百法明門論』によりますと随煩悩位に分類され、そのうち小随煩悩であるとあります。また、肉や五辛(韮、大蒜、辣韮など)を食べた後、すぐに読経唱題してもよいのか。水行により身を清めることなく道場に入堂してもよいのかなどを問います。日常の不浄な生活と袈裟を着して仏道修行をする境界と、その規律について質問されました。常忍が行者の信仰のあり方を問うたのは、私たち末代の者にたいしての訓誡と言えましょう。(『日蓮聖人御遺文講義』第八巻三四三頁)

この疑問にたいし、常忍の日常生活における仏道修行者の心構えについて答えたのが本書であり、当時の信徒がどのような信行の生活をされていたのかが窺えます。私たちの信行生活の規範となる解答といえます。ここに法華信仰の規範を学ぶことができましょう。

 本書はまず、金銭を布施されたお礼を簡潔にのべます。そして、直ちに常忍から出された「末代法華経の行者の位階と用心」についての質問に答えていきます。本書の内容は末法における法華経の修行について、また、日蓮聖人の門下として護らなければならない規律を示されます。三段に分けてみることができます。(『日蓮聖人御遺文講義』第八巻三四六頁)

第一段  法華経の修行者の位階についてのべます

第二段  法華経の修行をする用心(心構え)をのべます

第三段  仏教と国家の興亡を論じています

 

○「在世の四信」と「滅後の五品」

 第一段には、諸宗の学者が法華経を修行するには、必ず三学を具すべきであり、その内の一つを欠いても成じない、と主張していることに触れます。戒・定・慧の三学は法華経を修行する上において、軌範としなければならないことは承知のことであるとのべます。しかし、肝心の法華経においてはどのように説かれているかを、法華経には迹門の流通分と本門の流通分があり、本迹二門のそれぞれの流通段を「明鏡」として求めます。迹門は法師品・宝塔品・提婆達多品・勧持品・安楽行品の五品です。本門は分別功徳品後半から最後の勧発品までの十一品半になります。迹本合わせて十六品半になり、この中に信行のあり方が分明に説かれているとのべます。

このなかでも『分別功徳品』に説かれる「在世の四信」と「滅後の五品」が、在世滅後における法華経の修行の大要であると示されています。

 

「其中分別功徳品四信与五品 修行法華之大要 在世滅後之亀鏡也。荊谿云 一念信解者 即是本門立行之首 [云云]。其中現在四信之初一念信解与滅後五品第一初随喜 此二処一同百界千如一念三千宝篋 十方三世諸仏出門也。天台妙楽二聖賢定 此二処位有三釈。所謂或相似十信鉄輪位。或観行五品初品位 未断見思。或名字即位也。止観会其不定云 仏意難知赴機異説。借此開解何労苦諍[云云]等。予意云 三釈之中名字即者叶経文歟」

(一二九五頁)

 

末法における戒定慧の三学を解明するにあたり、法華経の本門の流通分である分別功徳品の後半に説かれた四信五品を引きます。その理由は寿量品の久遠実成を聞き信じる者は、必ず仏になる功徳があることを説いているからです。その法華経を修行する者の階級が、釈尊在世の行者の四信と、釈尊滅後の行者の五品に分けて功徳が説かれています。ゆえに、日蓮聖人は「四信五品」を末法における大要であり亀鏡であると位置づけています。

四信五品の四信とは釈尊ご在世(現在)のときの功徳で、その信仰の程度(位)をいいます。「一念信解・略解言趣・広為他説・深信観成」を言い現在の四信と称します。五品は釈尊の滅後の信仰の程度(位)をいいます。「随喜・読誦・説法・兼行六度・正行六度」(『開結』四三八頁)をいい滅後の五品と言います。とくに、滅後の五品の第一の初随喜は、在世の四信の初めの一念信解と同じであり、この「一念信解」に末法における三学の根拠があるとのべます。

在世の四信

一念信解――法華経の寿量品を聞いて一念でも信解の心を起こした初心の位

略解言趣――ほぼ寿量品の意味がわかり他人に法華経の説明ができる位

広為他説――さらに広く大勢の人に法華経寿量品の説明ができる位

深信観成――深い信行を通して観行(三昧の境地)を成就できる位

滅後の五品

(初)随喜品法華経の寿量品を聞いて随喜の心を起こす位

読誦品――― 法華経寿量品を読誦する位

説法品――― 他人に法を説き聞かせる位

兼行六度品兼ねて自他ともに救われるように六度(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)を修行する位

正行六度品正しく六度の修行をして自他ともに救われる位

四信五品無別(異名同意)

初信 一念信解――――初品 随喜品――――

――二品 読誦品――――

四信(仏在世) ―二信 略解言趣――――三品 説法品――――  五品(仏滅後)

三信 広為他説――――四品 兼行六度品

四信 深信観成――――五品 正行六度品

 

六即  天台大師が法華円教を行ずる菩薩の修行過程を六つの位に分けたものです

1.理即―――理の上では仏性を具して仏に即する凡夫の位。しかし、円教に説く真如中道の教理や法華経の名字も聞いておらず生死輪廻している位(聞法信受の段階)

.名字即――善知識に従って初めて法華経の名字を見聞し信順するに至った位

3.観行即――その教えを体得するために実践修行をし己心に仏性を観ずる位をいいます。『止観』に「心観明了にして理慧相応し、所行は所言の如く所言は所行の如くなるべし」とあり、理慧相応とは理は教の理、慧は自身の智慧で、日蓮聖人の如説修行はこれに当たります

4.相似即――見思・塵沙の二惑を断じ、仏と相似の中道の智慧を増した六根清浄の位をいいます(法師功徳品)『止観』に「射を勤むるに的に隣づくが如きを相似の観慧と名く」とあり、修行により仏に相似してきた位

5.分真即――四十二品ある無明惑のうち、最後の元品の無明だけを残してすべての迷いを滅し、仏性を分々にあらわしていく位をいいます。 分段生死界での修道から、変易生死界における証道に入り、分に無明を断じ分に仏慧たる中道を証悟する位です。分真即とは所証について見たときをいい、分証即とするときは能証からの見方になります

6.究竟即――修行によって元品の無明を断尽して悟った円教究竟の極位をいいます。智慧円満の位)

このなかでも四信の最初の「一念信解」と、滅後の五品の最初の「初随喜」が一念三千の宝の箱であり、十方三世の諸仏の出生の門であるとした妙楽の文を引き、一念信解・初随喜を重視します。つまり、初心の信心が大切であるとしたのです。

そして、この一念信解・初随喜の機根は、六即という機根の位階にあてると、相似即・観行即・名字即の三説があることを挙げ、日蓮聖人は名字即の位とします。これは日蓮聖人の独自の解釈となります。(『日蓮聖人遺文辞典』教学篇三三四頁)。その理由を次にようにのべます。

 

「滅後五品初一品説云 而不毀呰起随喜心。若此文渡相似五品 而不毀呰言不便歟。就中 寿量品失心・不失心等皆名字即也。涅槃経若信若不信乃至熈連。勘之。又一念信解四字之中 信一字四信居初 解一字被奪後故也。若爾者無解有信当四信初位。経説第二信云 略解言趣[云云]。記九云 唯除初信無解故。随次下至随喜品 上初随喜重分明之。五十人是皆展転劣也。至第五十人有二釈。一謂 第五十人初随喜内也。二謂 第五十人初随喜外也云者名字即也。教弥実 位弥下 云釈此意也。自四味三教円教摂機 自爾前円教法華経摂機 自迹門本門尽機也。教弥実位弥下六字留心可案」(一二九五頁)

つまり、四信のなかの一番目の「一念信解」の四文字のなかにある「信」は、四信の最初の信であること。「解」は四信の二番目に「略解言趣」として説かれており、経文を理解することができない「無解有信」の者は、四信の最初の位になるからです。『日蓮宗事典』には、「名字即は外凡以下で、まだ修道位にも入っておらず、分別功徳品所説の五品弟子位は観行即に編入されているが、日蓮聖人は『四信五品鈔』においてこの点を究明し、天台三大部をみると五品弟子位を相似即に配する釈と、観行即に配する釈と、名字即に配する釈と三釈があるが「予が意に云く、三釈の中、名字即は経文に叶う歟」として、以下七理由を示される。これによると五品の初の随喜品を名字即に配するのが宗意であるということになる。かくて聖人は唱題する者の位を初随喜品位、名字即位と定め、名字即の当処に成仏を決定する名字即成仏を提唱された」、と説明しています。

随喜功徳品に滅後の五品の第一番目の「随喜」について、「五十展転」の喩えを挙げて、五十番目に法を聞いた者について説かれます。『法華玄義』の位妙では、附傍別教の五十二位が説かれています。随喜とは教えを聞いて有り難く思う心のことです。この五十展転随喜の者の位について二説あります。それは、「一謂 第五十人初随喜内也。二謂 第五十人初随喜外也云者名字即也」とのべたところで、一は六即の観行即にあたり、二は名字即になります。日蓮聖人は「一念信解」「随喜」の初心・初随喜は、名字即と判断されました。そして、妙楽の『止観輔行』の、「教弥実位弥下」の六字を心に留めて理解するようにとのべます。次に、六即と五十二位との関係を示します。

 六即        附傍別教の円位

理即(未断惑)―――――五品―外凡

名字即(〃)――――――十信―内凡 凡位

観行即(伏惑)―――――十住

相似即(断見思塵沙)――十行

分真即(断無明)――――十回向   聖位

究竟即―――――――――等覚

              妙覚

 天台は『四教義』に『瓔珞経』の五十二位説を、名義が整うとして採択しています。天台教学では円教の行位として「六即」を説きます。つまり、発信してから悟りを得るまでの、修行の階位を五十二に細説したものです。日蓮聖人はこの五十二位の段階を経なくても、妙法蓮華経の五字を受持することにより、即身成仏すると説きます。(『日蓮聖人遺文辞典』教学篇三一三頁)。すなわち、『観心本尊抄』(七一一頁)にのべた、受持成仏(題目受持・自然譲与)です。

 

○「以信代慧」

 次に、末法の初心の行者における三学の修行について、すでに流通分の四信五品を依拠として、一念信解・初随喜・名字即という立場を表明した上で、常忍が問題とした三学具足について、問答の形式を用いて答えていきます。

ここでは、結論として末代の初心の行者は、戒・定の二つは制止して慧学を重視し、この智慧においても信心をもって智慧に代わるとします。すなわち、

問 入末法初心行者必具 円三学不。答曰 此義為大事。故勘出経文送付貴辺。所謂五品之初二三品 仏正制止戒定二法一向限慧一分。慧又不堪以信代慧。信一字為詮。不信一闡提謗法因 信慧因 名字即位也」

(一二九六頁)

と、三学(戒・定・慧)のなかでは慧学を重視し、六度(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)のなかでは智慧を重視して、この智慧は信心に収まるとします。これを「以信代慧」(いしんだいえ)といいます。日蓮聖人の教学の大事なところになります。

つまり、末代には法華経の信心を詮とし、信心を智慧と同じとして名字即の位と見たのです。そして、大事なことは不信こそが謗法であると断定したところです。この点において中古天台宗の慈覚・智証は、日蓮聖人に批判されます。理由は密教の邪義に心を遷した(「若値悪友則失本心」)ことです。末代の学者は弥陀の権教に心を惑わされ、結句、法華経の大乗から退いて小乗を取ってしまうため(「退大取小」)、三悪道に堕すと断言します。

次に、その証拠として『止観』『弘決』の文を引き、法華経以前の教えは方便権教であるから、修行する者の位は高く説かれ、法華経の真実の教えは、修行の位が低い者でも救済できることを示します。ですから、天台宗においては「教彌実位彌下」の大事な法華経を差し置いて、なぜ権教である慧心の念仏を用いるのか、また、善無為などの真言師や慈覚・智証の義においても同様であるとして、この法門は「一閻浮提第一大事」(一二九六頁)な教えであるとのべています。

 そこで、初心の行者の注意(「制止」)すべきことを問います。末代の行者においては六度の修行のなかで、檀戒などの五度の修行を制止して、南無妙法蓮華経と唱題することが、法華経の本意の教えである一念信解・初随喜であると答えます。

 

「問云 末代初心行者制止何物乎。答曰 制止檀戒等五度一向令称南無妙法蓮華経為 一念信解初随喜之気分也。是則此経本意也」(一二九六頁)

 

つまり、六度のなかの智慧だけに焦点をあて、「慧」(般若波羅蜜)だけを重視するのです。さきの「以信代慧」がこれです。この解釈は未聞のこととして、この六度との関係について問答を重ねていきます。ここにおいては分別功徳品の「不須為我復起塔寺及作僧坊以四事供養 衆僧」(『開結』四四四頁)、「况復有人能持是経兼行 布施持戒」(『開結』四四六頁)の文を示して、五度を必要としない証文とします。つまり、経文は明らかに初心の行者に、布施・持戒・忍辱・精進・禅定の五度の修行を制止しているのです。しかし、この経文は寺塔と衆僧に供養することを制止したもので、持戒や禅定といった五度を制止したものではないと問答を深めます。

「疑云 汝所引経文但制止寺塔与衆僧計未及諸戒等歟。答曰 挙初略後。問曰 何以知之。答曰 次下第四品経文云 况復有人能持是経兼行 布施持戒等[云云]。経文分明初二三品人制止檀戒等五度 至于第四品始許之。以後許知初制」(一二九七頁)

答えて言うには「况復有人能持是経兼行 布施持戒」の文を挙げ、これは第四品の者に許したことで、初品から第三品までの者は、五度を制止(とくに必要としない)しているとのべ、あとで第四品の者に許したことは、始めに制止した理由があったのです。このように、経文の証文を出して証明します。

次に、人師や論師の註釈書には、どのように説かれているかを問います。経文が分明ならば敢えて疏や釈を引くのは本体を離れて影を求めるようなものであり、根本となる経文に相違する論釈ならば、棄捨すべきであると正当論をのべます。その上で『法華文句』の同義の論釈を示します。ここにおいては「専持題目」(一二九七頁)の修行を第一とすることが示され、経文に持戒を勧めるのは、初品の行者ではないことをのべます。なぜなら、初心の行者は助縁の法(五度)を修行すると、正しい信行を妨げることになると天台は解説します。

 

「此釈云 縁者五度也。初心者兼行五度妨正業信也。譬如小船積財渡海与財倶没。云直専持此経者非亘一経 専持題目不雑余文 尚不許一経読誦 何況五度。云廃事存理者捨戒等事専題目理[云云]。所益弘多者初心者諸行与題目並 行所益全失[云云]。文句云 問 若爾持経即是第一義戒。何故復言能持戒者。答 此明初品。不応以後作難等[云云]。当世学者不見此釈 以末代愚人同南岳天台二聖。中誤也。妙楽重明之云 問若爾者 若不 須事塔及色身骨亦応不須持事戒 乃至不須供養 事僧耶等[云云]。伝教大師云 二百五十戒忽捨畢。唯非限教大師一人 鑑真弟子如宝・道忠並七大寺等一同捨了。又教大師誡未来云 末法中有持戒者是怪異。如市有虎。此誰可信[云云](一二九七頁)

 たとえば小さい船に多くの財宝を積んで海を渡ろうとすると、その重みで財宝と一緒に沈没すると同じように、題目だけを持ちそれ以外のことは交えないことが、利益の多いことであると説いています。当世の学者が誤るのはここの解釈であるとして、さらに伝教の『末法燈明記』の、「末法中有持戒者是怪異。如市有虎。此誰可信」の文を挙げて、末代に持戒の者は稀有であり専持題目こそが、末代の行者の修行法であるとのべます。

○但信口唱

 次に、末代に一念三千の観門を修行することよりも、題目の南無妙法蓮華経を唱題することについての意義について問答していきます。

「問 汝何不勧進一念三千観門唯令唱題目許。答曰 日本二字摂尽六十六国之人畜財一不残。月氏両字豈無七十箇国。妙楽云 略挙経題玄収一部。又云 略挙界如具摂三千。文殊師利菩薩・阿難尊者三会八年之間仏語拳之題妙法蓮華経 次下領解云 如是我聞[云云]。問 不知其義人唯唱南無妙法蓮華経具解義功徳不。答 小児含乳不知其味自然益身。耆婆妙薬誰弁服之。水無心消火火焼物豈有覚。龍樹・天台皆此意也。重可示。問 何故題目含万法。答 章安云 蓋序王者叙経玄意。経玄意述於文心。文心莫過迹本。妙楽云 出法華文心弁諸教所以[云云]。濁水無心得月自清。草木得雨豈有覚花。妙法蓮華経五字非経文 非其義唯一部意耳。初心行者不知其心 而行之自然当意也」(一二九八頁)

 

なにも理解できない者が、ただ題目を唱えるだけで同等の功徳を得るのかという疑問に答えます。南無妙法蓮華経の題目に、法華経一部経のすべてが収まっており、理解の能力がなくても唱題により解義の功徳を取得することができるとします。小児が母親の乳を飲んで成長するように、また、耆婆という名医が処方した薬を服すれば、どのような病気でも治癒したと同じことと説明します。

この理由は妙法蓮華経の五字に、釈尊の全ての教え(万法)と功徳が具足しているからです。唱題にすべての功徳が含まれることを明かしたのです。ですから、初心の行者は意味が理解出来なくても信心があれば、法華一経の真意を自ずと体得できるとのべます。このように題目を受持し題目を唱える根本には、「以信代慧」の信心が大事です。題目を唱えるにも信心が大事であることから「但信口唱」ともいいます。

そして、このように、但信口唱する日蓮聖人の弟子たちの位階は、法華経以前の四味三教の最高位の者や、爾前円教の人に超えており、真言宗などの元祖である、善無為・智儼・慈恩・吉蔵・道宣・達磨・善導よりもはるかに優れているとします。ゆえに、日蓮聖人の弟子たちを軽率に扱ってはならないとのべます。その理由は随喜功徳品に説く過去に八十万億劫の長い間、大菩薩を供養した者で、『涅槃経』に説く熈連河の砂の数ほどの仏について、修行してきた者であるとのべます。

同じく未来には八十年の布施を行った者にも勝れ、五十の功徳を備えた者となるから、天子や龍王の子供のような存在であるから、軽蔑してはならないとのべます。妙楽は『文句記』に、法華経の行者を悩ます者は頭が七分に割れ、供養する者は十号の如来にも勝るとのべたように、優陀延王は賓豆盧尊者を軽蔑したため、七年のうちに命を落としたことを引き、その現れとして相模守は日蓮聖人を流罪にして、百日のうちに兵乱が起き、時輔が殺害され、明心と円智房は白癩の病気になり、道阿弥は盲目となったことを挙げます。

「妙楽云 若悩乱者頭破七分 有供養者福過十号。優陀延王蔑如 賓豆盧尊者七年之内喪失身 相州流罪日蓮百日内遇兵乱。経云 若復見受持是経典者出其過悪 若実若不実此人現世得白癩病乃至諸悪重病。又云 当世世無眼等[云云]。明心与円智現得白癩。道阿弥成無眼者。国中疫病頭破七分也。以罰推徳 我門人等福過十号無疑者也」(一二九九頁) 

これは、題目を受持する弟子・信徒は大きな功徳を得るが、弟子・信徒などの法華経の行者を迫害する者の罪は極めて大きいことを示します。優陀延王の故事を引き、その罪が現れた現象とし二月騒動が勃発し、日本国中の人々が疫病に悩んでいるのは、頭破七分の罰であるとのべます。経文によると、護法の功徳により、日蓮聖人の門下は福徳を得るとのべています。

明心と円智房は清澄寺の学僧と言われます。(『日蓮聖人御遺文講義』第八巻三九八頁)。道阿弥は法然上人の孫弟子、道教房念空といいます。(『日蓮聖人全集』第四巻三六五頁) 

○東寺・総持院・園城寺を禁止すべき

 第三段に入ると、伝教が諸宗の邪義を糾明して天台法華宗の一門にし、王法と仏法も一つとなって、国家に平和をもたらした貢献をのべます。しかし、その後に、弘法・慈覚・智証の三大師が、法華経よりも真言密教を勝れるとして宗派を立てたことにふれ、この「已今当の三説」に背いたため、釈迦・多寶・十方諸仏の怨敵となったとし、これにより善神が日本国より捨去し亡国となったとのべます。

これを解決すべく、弘法の東寺、比叡山慈覚の総持院、智証の園城寺の三ヶ寺を禁止すべきことを国主に示したが、用いられなかったことをのべ、悲しむべきことと心情を伝えています。 

「其後弘法・慈覚・智証三大師寄事於漢土謂大日三部勝法華経 剰教大師所削真言宗宗一字副之八宗[云云]。三人一同申下勅宣弘通日本 毎寺破法華経義。是偏為破已今当文 成釈迦・多宝・十方諸仏大怨敵矣。然後仏法漸廃 王法次第衰 天照太神・正八幡等久住守護神失力 梵・帝・四天去国已為成亡国。有情人誰不傷差哉。所詮三大師之邪法所興所謂東寺叡山惣持院与薗城寺三所。不禁止国土滅亡与衆生悪道無疑者歟。予粗勘此旨 雖示国主 敢無叙用。可悲可悲」(一二九九頁) 

国家と仏教の教法流布の関係は、国家の盛衰に関連していることをのべたのです。邪宗である弘法の東寺、比叡山慈覚の総持院、智証の園城寺の三ヶ寺を禁止しなければ、国が滅び衆生が悪道に堕ちるとして、国家諫暁の意義をのべて本抄を結ばれています。総持院は東塔にある近江宝塔院の後身で、伝教が発願の法華経を納めた旧跡に、円仁が総持院として建立し、密教関係の書籍を集積しました。(『撰時抄』一〇四二頁)。現在の阿弥陀堂の地が旧地と言われます。