30.師弟の遠近(おんごん)

 今回の勉強会は日蓮聖人のご真筆の写真を拝見しました。
 700年前にはコピーとか写真というのはなかったので、日蓮聖人の御書を直接、書き写すことによって、日蓮聖人の教えを学んでいました。しかし、誰でもが日蓮聖人のご真筆を手にすることはできませんでした。紛失したり、汚すことがあったら大変なことです。日蓮聖人が亡くなって直ぐの頃は富木氏や六老僧のお弟子さんが書き写していました。その後は中山の法華経寺では2世の日高上人や3世の日祐上人が法華経寺に保存されている御書、身延山に上人所蔵されている御書を3世の日進上人より許可を得て書き写しています。
                            
 その後も新たに日蓮聖人の御書が発見されたり、秘蔵していた御書を展示するということが数百年にわたって行なわれてきました。その間、身延山の法主や多くの学僧達が書写をされてきました。ところが、数百年後になりますと、同じ原本の書写でありながら違いが出てきました。原本であるご真筆が現在でも保存されていればいいのですが、火災で焼失したり、貢献のある人に分け与えているうちに欠失してしまったのがあります。
 また、単純に写し間違いがあったりします。日蓮聖人の御書のなかで、女性に与えられた御書は大きな字で丁寧にひらかなで書かれたものが多いのですが、危険にさらされていたときの御書や急いで書かれた御書には当時の人でなければ判読できない文字があります。ここに載せた御書は読みやすいのですが、早書きのときは注意をしなければ間違いやすい文字があります。書き写すときに間違うことがあるわけです。また、ロウソクの灯りですと風でゆらいだりしますと違って見える場合もあるでしょうし、法華経寺の密室のなかで書き写すにも時間の制約があったと思いますので急いだことがあるかも知れません。先師が書き写した御書の写本をさらに書写するということが繰り返し行なわれました。そのときに注意書きを入れたり説明を入れたり自分の考えを書き入れたのを、そのまま書き写して日蓮聖人の原文が解らなくなってしまう場合もあります。
 さて、師弟とは釈尊が師匠で上行菩薩が弟子でということで、この師弟の関係が古いのか新しいのかということを遠近といいます。法華経の寿量品に説かれた師弟の関係は久遠というとても古いことであると釈尊は説かれました。それは、釈尊が仏としても久遠の仏であることを示すことでした。(H.18.5.18)