31.寿量品第16

 大地から出現した高貴な菩薩はどなたですか、という弥勒の質問に釈尊が答えたのが寿量品です。
 この弥勒の問いは法華経の中心となるばかりではなく、釈尊が説いた仏教すべての主題となるものです。
 弥勒は釈尊に三回この問いを行ない、釈尊は三回、大事なことであるから気を引き締めて聞くようにといわれ、さらにそれを重ねて留意させます。これを「三誡三請重請重誡」といいます。つまり、釈尊がこの問いに対して答えることの重要性を示したわけです。

 「我れ実に成仏してより已来(このかた)無量無辺百千万億那由佗劫なり」
 自我掲に「自我得仏来 所経諸劫数 無量百千万 憶載阿僧祇」
 釈尊が仏となったのはインドにうまれたて30歳と説いてきたが、それは方便で真実にはインドに生まれる已前の遥か過去であると説いたのです。それを喩で示したのが「五百塵点」です。

 釈尊は遥か過去より、あるときはこの国、あるときは他国で、あるときは自分のことを説き、あるときは他仏のことを説き示してきたと説きます。(六或示現)
 そして、「良医治子」の喩を説いて末法に自分の使いを遣わして人々のために法華経を説くと予言しています。この使いとは地涌の菩薩をさし、その代表が上行菩薩なのです。
 この長行(じょうごう)のお経を再度、暗記しやすくしたのが掲文といわれもので、寿量品では自我掲になります。

 さて、今回は中山の富木氏に宛てた書状の写真を拝見しながら読んでみました。
 身延山に入られた6月17日付けの手紙です。日蓮聖人は大事な転機となるときは必ず富木氏に連絡をされています。この手紙も鎌倉を12日にたち17日に身延に着いたが、この先のことは定まっていないとし、しかし、心中に叶う処なので暫くは滞在することを知らせています。追って書きには同道してきた弟子を本の所へ皆帰したとのべ、身延近辺でも飢饉のため米を一合でさえも売ってくれる者がいないので、飢え渇して死ぬようであると状況を知らせています。
 日蓮聖人のご真筆を拝見しながら、墨の濃淡、筆勢の強弱から、その心境をうかがえるような気がしました。このような環境と生活のなかから『撰時抄』『報恩抄』などが執筆されていくのです。