333.『日蓮聖人の系譜と出自集団』    髙橋俊隆

『日蓮聖人の系譜と出自集団』

■第一章 遺文にみる日蓮聖人の出自について

 最初に「系譜」「出自」「出自集団」についての解説を紹介します。

系譜

 個人,氏族,家族,集団などの続き,継承の関係を書き表したもの.系図ともいう.個人,氏族,家系の系譜は,血縁関係始祖から歴代にわたって書き表したもので,氏系図家系図家譜などともいわれる.集団については,教会寺院司祭別当,住持などの継承関係を示したものや,武芸学問,芸術の秘伝などの継承関係を示したものがある.また,宝物特定の土地,荘園などの相続関係を記したものもある.

 親子関係の連鎖さし,またはそれを記録した図や文書をいう。通常は,父子関係あるいは母子関係のいずれかを単系的にたどるのが特徴であり,その世代深度の深さとか,特定の人物との関係を誇示したりすることに用いられている。特定の祖先を共有する出自集団にも,系譜関係の明確なリニージと,系譜関係が明確でなくただ信じられているだけの氏族区分がある。

出自
うまれた家柄、血統、土地など。また、物事の出どころ。出所(しゅっしょ)

 文化人類学で、個人が出生と同時に組み込まれる、特定祖先共通にする集団を決定する原理

 関係の世代的連鎖に基づく特定祖先への系統的帰属。この場合の親子関係は社会的に承認された親子関係であり,したがって必ずしも血縁であるとはかぎらないし,また生物学上の親子がすべて社会的な親子関係になるともかぎらない。親子関係の世代的連鎖に際して,父子関係もしくは母子関係のいずれか一方のみの連鎖をたどるものを単系出自 unilineal descentといい,父系出自と母系出自とがある。父子関係と母子関係のいずれかを選択できるものを選択的単系出自 ambilineal descentといい,父子関係と母子関係のいずれをもたどるものを双系出自 bilateral descentという。

個人が親を通じて特定祖先と系譜的なつながりをもち,このつながりが,特定祖先を共有する集団またはカテゴリーの成員資格規準となる場合,個人を集団またはカテゴリーに所属させるこのような原則を出自という。系譜的なつながりとは,特定祖先に発して子孫(個人)へと至る連綿とした代々の親子関係であり,このような〈親子関係の連鎖filial links〉を通じて,集団またはカテゴリーへの所属権(メンバーシップ)が親から子へと伝達されていく。

出自集団

 出自を共通にする人々の集団。父系もしくは母系の単系出自集団 unilineal descent gronpと,広義には単系出自集団ではあるが,出自が父系もしくは母系に固定していない選択的単系出自集団 ambilineal descent groupあるいは非単系的出自集団 non-unilineal descent groupと呼ばれるものもある。出自集団には成員相互の系譜関係が明確にたどれるリニージと,系譜関係が不詳で信念として共通の祖先に系統的帰属をしている氏族区分がある。出自集団の基本的特質は,経済的・政治的・宗教的側面でなんらかの共同的,排他的,独自的な自律性が存在することであり,その自律性を強調するためにも単系ないし単系的出自であることが適合的である。


◆第一節 父母生地にふれた遺文の系年と宛先

日蓮聖人の父母の名前や兄弟親族などの実名を遺文にみることはできません。立教開宗の誓願を立て襲いかかる法難を予期され、それが父母・兄弟・親族に及ぶことがあっても、それが真実の報恩と決断されたときの回顧の文面に存在を知ることができますが具体的に名前などにふれていません。

誕生の記載もなく幼少期の回想の記述も少ないのはなぜなのだろうか。多くは出家の身分においては不要とされそうですが、他宗の祖師や日蓮聖人の六老僧の弟子たちは自らの出自や系譜にふれており、その親族たちが教団を支えていたことが分かります。そうしますと日蓮聖人の兄弟や親族が教団を支えてきたことも想像できるのではないでしょうか。

遺文の記述が皆無に近いため、祖伝を弟子たちに求めても伝来して信憑性のあるのは、後世の日朝上人の『元祖化導記』となります。祖滅百年以上を経過しているため、祖伝の記載は伝説的な要素が深く、時を経るに従って時代の要求のため湾曲され神秘化された記述が見られると指摘されています。ですから祖伝を語るとき「言い伝え」ではと言わなければならないのです。

日蓮聖人が出自に触れないのは、門弟にとっては日蓮聖人の出自は自明であったからあえて述べる必要がなかったとしても、日蓮聖人の事細かな記述をされる性格からしますと、なぜ自身の出自を不明にされたのかその理由が心に残ります。

 しかし、日蓮聖人の考えのなかには規律があったものと思われます。たとえば小松原法難にては殉死した鏡忍房の他の者たちの名前を記していません。佐渡に同行された七、八人の弟子の名前も記さないのです。なぜ明かさないのか。高木豊氏は東国武者の意気込みに似ていると述べています。(『中世日蓮教団史攷』八三頁)。しかし、六老僧は武士の出自であるし自身の親族を明かしていますので、そこから窺うと日蓮聖人の独自のものと言う事になり、そこには全てを隠そうとする意思が見受けられるという方向が見えてきます。

日蓮聖人の出自に関しての史料は4点の方向から考察できると思います。

1 遺文に見られる出自は情報が少ない

2 伝記本による出自の相違と時代的変遷

3 寺伝としての出自

4 地史による出自の見解と史料

この中で遺文の記事を除いては伝記本が最も重要ですが、初期のものは現存せず,祖伝の底本は『産湯相承事』と『元祖化導記』となり、その後の伝記はこの二書の影響をとうぜん受けていますが、のちに『産湯相承事』は偽書とされるので信頼性は薄くなります。