35.不軽菩薩と日蓮聖人

 不軽菩薩はすべての人を尊重します、という信念をもった菩薩です。
 不軽は人を軽く見ないということです。お経には「軽慢」(きょうまん)しないと説かれています。慢は慢心の慢で、不軽菩薩が人を軽慢しないということは、けっして自分があなたより勝れているという立場ではありませんということです。あなたと同じ煩悩にまみれた人間ですという気持ちを伝えているのです。
 おかしなもので、手を合わせて拝まれると気持ちが悪くなるものです。ですから、不軽菩薩にあなたを尊重しますと言われますと、反対に怒り出してしまいます。それでも、不軽菩薩はあなたも仏性を持っていて、いつかは仏様になる方ですと一生、礼拝行を続けられたのです。
 この次に説かれたお経が如来神力品21です。
 お釈迦さまは、この神力品で上行菩薩に末法の時代がきたら法華経を必ず説くようにと命じられます。
 この上行菩薩が手本とすべき人が不軽菩薩なのです。
 釈尊が不軽菩薩の修行を説いたのは、上行菩薩にその仏性を礼拝する修行法を教えられらたのです。
 「そのときに仏(釈尊)は、上行菩薩などに・・・属累(ぞくるい)のためにこの法華経の功徳を説く」
 属累というのは、委嘱ということで、師匠から弟子にたいしての師命になります。釈尊はその委嘱のために法華経の功徳について重ねてお説きになられます。それが、
 「要をもっていうならば、如来(釈尊)の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、みなこの法華経に宣示顕説しました」
 これを結要付属(けっちょうふぞく)といいます。
 釈尊はこの法華経には、これまで釈尊の秘していた深い教えや力を、隠すことなく説き示していると上行菩薩にいわれたのです。それほど尊い教えであることを告げているのです。日蓮聖人は佐渡流罪をへて自身が、この上行菩薩であると自覚されます。
 日蓮聖人にとってお経は一体的なもので、教養とか哲学というような理論に考えるものではなかったのです。