4.H16.2.18 五網(ごこう)について 

 今回は『日蓮宗の教え』をテキストにしました。
 お寺の建築についての話が主になり勉強のほうは15分ほどでした。日常は考えない仏教の内容ですので短時間のほうが集中できてよかったと思います。
 内容は
  理・教・行・証
  五網

 理・教・行・証というのは、宗教の内容そのものを検査する方法です。
 その宗教が道理として正しいか、教えとされる経典があるのか、修行はどういうものか、そして宗教の大切な安心感か証明されるのか、ということをこの4方向から見ていきます。
 日蓮宗ですと、法華経を信仰することにより立正安国の世界が実現できるということを主張しています。法華経を信仰してどうして世界の平和、そして個人の幸福がうまれるのかという道理は次の教えに進んで考えます。
 教は仏教であり、そのなかの法華経を中心とします。この法華経に説かれている釈尊の教えを教としています。
 行は南無妙法蓮華経と唱えることです。つまり唱題です。
 証はお題目の南無妙法蓮華経と唱題することによって受ける功徳をいいます。

 日蓮聖人の御遺文に「教行証」という言葉がでてきます。
 また、文・理・現、この三つを三証といいます。
 いずれも教えがしっかりして優れていることを検査することです。
 そのなかでも証、現証がなによりも大事です。
 『三三蔵祈雨事』という日蓮聖人の御遺文に
 「日蓮仏法をこころみるに、道理と証文にはすぎず、また道理・証文よりも現証にはすぎず」
と述べています。これは法華経を唱えることによって雨が降ったという現実に法華経が優れていることを述べたものです。
 理屈だけではなく現実に私たちに働きかけてくる証明がなければ、真実の宗教とは言えないのでしょう。

 五網は、教・機・時・国・師をいいます。
 教は仏教の経典をいいます。経典は華厳経・阿含経・方等経・般若経・涅槃経そして法華経があります。
 釈尊が説かれたこれらの経典は当時の救済のみにあったのでなく、その後2千年の先までを対象にされています。
 機というのは人間性をいいます。時代が進むにつれ人間性は悪くなると釈尊はいいます。
 時とはそういう時代をいいます。釈尊が亡くなってから1千年を正法時代、その後の1千年を像法時代、そして末法時代ととらえます。
 それに仏教を伝える国という媒介がどのような宗教観をもっているのかが問題になります。
 師とは仏教を伝える僧侶のことをいいます。

 私たちの現在は末法時代です。釈尊が亡くなって始めは正しく教えを守ってきました。しかし、時代が経るに従って寺は建立するが形だけ(像)のものになってしまいます。
 仏教の教えもそれに対応しなければなりません。

 人間でいいますと病気が重くなってしまったら、どのように治療するかということです。体力があり自分で摂生して治せるうちはいいのですが。
 そこに法華経でなければ効能がないという現実があると思われます。
 仏教に説かれている神仏は存在して私たちを守護してくださるというのが現証です。

 仏教のとらえ方も五網の視点からみますと、釈尊が説かれた法華経の意義、そして日蓮聖人が上行菩薩として法華経を死ぬ気で説かれた意義もみえてくるのではないでしょうか。