42.日蓮聖人略年表(鎌倉幕府) 高橋俊隆 |
■略年表1052年 末法 1063年 源頼義、由比ガ浜に八幡宮を建つ 1081年 源義家、由比ガ浜若宮を修復 1124年 良忍が融通念仏を始める 1156年 保元の乱で平家と源氏が力をもった 1159年 平治の乱 1167年 平清盛が太政大臣になる 1175年 法然源空が専修念仏を唱える 1180年 平重衡(しげひら)が東大寺・興福寺を焼く 以仁王の平氏追討令(4月)源頼朝の挙兵(八月) 1182年 源頼朝、鎌倉に入る(10月)、若宮大路造営 1183年 後白河法皇より頼朝に宣旨 1184年 公文所・問注所をおく(10月) 1185年 壇ノ浦の戦いで平氏が滅ぶ(3月)、守護・地頭の設置(11月) 1187年 梶原景時、讒訴の科により鎌倉の道路を作る 1189年 源義経平泉衣川で没(4月) 1191年 重源が東大寺の復興大勧進となる 鶴岡八幡宮大火で焼失(3月4日) 栄西が宋より帰朝して禅宗をひろめる 1192年 頼朝が征夷大将軍となる(七月十二日) 1194年 鎌倉中の道路を修復(5月) 1199年 頼朝没、政子頼家の親裁を停止し時政ら御家人の合議制にする(4月) 1200年 政子、寿福寺を建立(栄西)(閏2月) 頼家、梶原景時滅ぶ(十二月) 1203年 頼家、阿野全成を常陸に追放し殺害する(5月) 頼家、病気のため弟の実朝に総守護職を譲る(八月) 比企能員滅ぶ、実朝征夷大将軍になる、時政が執権となる(9月) 1204年 頼家、伊豆で殺害される(7月) 1205年 時政、畠山重忠一族を討つ(6月) 義時(相模守)が執権となる(7月) 1206年 興福寺が法然一門を訴える 1207年 専修念仏が停止され法然を土佐、親鸞を越後に流す 1212年 法然没 1213年 義時、和田義盛を滅ぼす(和田合戦) 政所・侍所別当を兼務し執権政治が始まる 1215年 フビライ生まれる 寿福寺栄西没(6月) 1216年 鴨長明没 1219年 実朝、公暁に暗殺される(1月) 九条頼経、将軍となる 1221年 承久の乱(6月) 1222年 日蓮聖人誕生 1225年 三寅を迎えて将軍とする 1223年 道元が入宋 運慶没 1224年 親鸞が『教行信証』を執筆はじめる(浄土真宗開宗) 泰時(武蔵守)が執権となる(6月) 1225年 政子が没する六十九歳(7月) 幕府、宇津宮辻子に移る(12月) 1227年 道元が帰朝(曹洞宗開宗) 専修念仏を停止し、隆寛・幸西を流す チンギス没 1230年 冷夏(6月) 1231年 寛喜の大飢饉(3月) 1232年 明恵が入滅、 和歌江島築造(7月) 御成敗式目を制定(8月) 1233年 日蓮聖人清澄寺入山 1235年 鎌倉市中の僧の武装を禁ずる(1月) 1236年 睿尊が東大寺において自誓受戒する 1237年 日蓮聖人蓮長 1239年 日蓮聖人鎌倉に遊学(禅・念仏を学ぶ、延応元年〜仁治三年18歳〜21歳) 後鳥羽上皇没(2月22日、3月17日に鎌倉に届く) 幕府、人身売買を禁ず(5月) 三浦義村急死(12月5日、承久の乱幕府軍) 1240年 連署北条時房急死(承久の乱幕府軍) 幕府、保奉行人をおき市中の禁制を定める(2月) 巨福呂坂開削された(10月) 篝屋を設置、朝比奈切通し開削(11月) 1241年 鎌倉に大地震がおきる(2月) 大仏殿上棟(3月)六浦道開削 藤原定家没 1242年 泰時没(6月15日、承久の乱総大将)経時執権となる 日蓮聖人清澄に帰る・比叡山遊学 経時執権となる 1243年 大仏供養(6月) 1244年 1245年 鎌倉市中の禁制を定める(4月) 1246年 時頼(相模守)執権となる(3月23日) 1247年 三浦泰村没(宝治合戦)(6月) 鎌倉市中より浮浪人を追放する(8月) 時頼、道元を鎌倉に招く(8月) 1248年 1249年 1250年 1251年 鎌倉大火(2月) 鎌倉市中の商業地域を定める(12月) 1252年 時頼、将軍に宗尊親王を迎える(4月) 1253年 立教開宗 時頼、建長寺(蘭渓道隆)建立(11月) 『富木殿御返事』(12月9日)道元没 1254年 鎌倉大火(1月) 鎌倉松葉が谷に草庵を建つ(1254〜56年) 1255年 1256年 鎌倉大風雨(8月) 時頼出家(10月)。長時執権となる(11月22日) 1257年 鎌倉大地震(8月23日)東国に天変地変、飢饉疫病気など災害頻発する。 1258年 暴風(8月)大雨洪水、疫病続出(10月) 1259年 守護国家論。諸国飢饉疫病流行(10月) 1260年 立正安国論を上呈(7月16日) 松葉ヶ谷法難(8月27日夜) 兀庵来日し建長寺に住む。フビライ5代即位。 1261年 政所・公文所・問注所焼失(3月) 浄土宗の道教・能安らと法論。忍性、鎌倉極楽寺に入る 伊豆流罪(5月12日) 1262年 親鸞没 叡尊、鎌倉に下向 1263年 伊豆流罪赦免(2月22日) 鎌倉大風(8月) 時頼没(11月) 1264年 大明星(7月5日) 政村執権に就任(8月11日) 安房東条小松原の難(11月11日) 1265年 鎌倉市中の町屋を九ヵ所に定める(3月) 1266年 鎌倉にもどる 惟康親王が七代将軍となる 1267年 忍性、極楽寺住持となる(8月) 1268年 蒙古国書到来(1月) 時宗執権となる(3月) 『立正安国論』の転写を時宗に進呈『安国論御勘由来』(4月5日) 幕府諸寺社に蒙古調伏を祈らせる(4月) 『立正安国論』の趣旨を諸方に送る(10月) 1269年 蒙古の使者国書を届ける(3月) 高麗の使者蒙古の国書を届ける(9月) 『立正安国論』の趣旨を再び諸方に送る(11月) 『安国論奥書』(12月8日) 1270年 朝廷蒙古の返書を作るが幕府は黙殺(1月) 1271年 良観と祈雨対決(6月) 竜口・佐渡流罪(9月12日) 幕府高麗の牒状を奏し九州に御家人を下向させる。蒙古国書届く(9月) 蒙古国号を元とする(10月) 1272年 塚原問答(1月16日)時輔の乱(2月11日)『開目抄』(2月) 高麗の使者元の牒状を届ける(4月) 一谷(夏ころ) 1273年 元の使者、京都に入れずに去る(3月) 『観心本尊抄』(4・25)『顕仏未来記』(5月11日) 始顕本尊(7月8日) 1274年 佐渡流罪赦免(2月14日)鎌倉帰着(3月26日) 平頼綱と会見(4月8日)鎌倉大風(4月12日) 鎌倉出立(5月12日)身延到着(5月17日) 文永の役(10月5日)朝廷異国調伏の祈祷を命じる(11月) 1275年 元の使者、鎌倉に召喚する(4月)『撰時抄』(6月) 幕府元の使者を竜口で惨殺(9月) 1276年 幕府博多に防塁を築く(3月) 『報恩抄』(7月21日) 1277年 『頼基陳状』(6月25日)『庵室修復書』 1278年 『立正安国論』広本を著す。蘭渓道隆没66歳(7月24日) 1279年 元が宋を滅ぼす。元の使者筑前に来る、幕府博多にて斬る(7月) 熱原法難(8〜10月) 1280年 朝廷諸寺に異国調伏を命じる(2月)叡尊西大寺で異国降伏を祈る(3月) 鎌倉大火、鶴岡八幡宮焼失(11月)『諫暁八幡抄』(12月) 1281年 弘安の役(5月) 良観攘夷の祈祷を修す(7月)叡尊攘夷の祈祷を修す(閏7月) 宗政没(時頼の子)後に浄智寺を建て菩提を弔う 1282年 一遍、鎌倉入りを制止される(3月) 日蓮聖人入寂(10月13日) 時宗、無学祖元円覚寺落慶(十二月) 1283年 鶴丘別当隆弁没八月15日76歳 1284年 時宗没7月4日、貞時執権(7月7日14歳) 鎌倉の教団に弾圧が始まる 幕府諸寺に異国調伏を祈らせる(11月) 1285年 日興身延に常住する 霜月騒動11月17日(安達泰盛滅亡) 1286年 日向身延に入り学頭になる 1287年 1288年 日蓮聖人7回忌、池上祖師像開眼供養 日興身延離山11月 1289年 一遍没 〜 1293年 鎌倉地震4月平頼綱滅ぶ(平禅門の乱) |
|