47.旃陀羅の意義 高橋俊隆 |
○ 旃陀羅の意義
その出家の動機と考えられる一つが生死についての疑問でした。これは純粋にいうと死後の成仏ということです。日蓮聖人は自分の出自が旃陀羅であることの意識を強く持っていました。それは、殺生を生活の糧としていた旃陀羅の成仏を自身にあてて考えていた証左であったのです。ですから、成仏とは旃陀羅の成仏であり、特に両親の成仏を願っていたというのが正しいと思われます。譬え両親が武家の出であり荘官級の行政官であっても、同じく殺生の罪を負う立場にかわりはなかったのでしょう。このことについてつぎのように述べています。 「日蓮は日本国東夷東条安房国海辺の旃陀羅が子也。いたづらにくち(朽)ん身を、法華経の御故に捨まいらせん事、あに石に金をかふるにあらずや。各各なげかせ給べからず。 道善の御房にもかう申きかせまいらせ給べし。領家の尼御前へも御ふみと存候へども、先かゝる身のふみなれば、なつかしやと、おぼさざるらんと申ぬると、便宜あらば各各御物語申させ給候へ」『佐渡御勘気鈔』(511頁) ここに、日蓮聖人はご自身が旃陀羅という卑しい身分の子供であることを述べているように、親の出自が武家であるとか公家の血統であるというようなことを仏教者としても、人間としても問題にしていません。比叡山に入られても異例の出自の日蓮聖人でありましたが、旃陀羅の子供ということに拘りをもちませんでした。 そして、旃陀羅の両親の罪をいかに懺悔し、成仏させてあげることができるのかということを、日蓮聖人は常に思っていたのです。幼少のころから漁師で生活をしていかなければならない旃陀羅の宿命と、 「しかれば今(今)の代の海人山人日々に魚鹿等をころ(殺)し」『『種々物御消息』(1530頁』 と、網にかかり捕らえられてくる魚介たちを見ては苦悩していたのです。仏教における殺生戒を犯していることの贖罪意識があったのです。日蓮聖人はそういう敏感な方だったのです。日蓮聖人は遺文の随所に両親を成仏させたいという文章を書かれています。 『佐渡御書』(614頁)には父母の赤白二Hが一つになって自分が生まれてきたと考え、 「日蓮今生には貧窮下賎の者と生れ、旃陀羅(漁者)が家より出たり。心こそすこし法華経を信たる様なれども、身は人身に似て畜身也。魚鳥を混丸して赤白二Hとせり、其中に識神をやどす。濁水に月のうつれるが如し。糞嚢に金をつゝ(包)めるなるべし」 と、のべています。自身の肉体と父母の肉親は同体であると受けとめています。自身の成仏は父母の成仏、父母の成仏は自身の成仏と考えています。いかにしたら生死の苦から救われるのか、儒教・外道・仏教を一望するとその解決は仏教によらなければならないというのが、清澄入山いぜんの学問の結果であったと思われます。『開目抄』に、 「過去未来をしらざれば父母・主君・師匠の後世をもたすけず、不知恩の者なり」(536頁) 「儒家の孝養は今生にかぎる。未来の父母を扶ざれば、外家の聖賢は有名無実なり。外道過未をしれども父母を扶道なし。仏道こそ父母の後世を扶れば聖賢の名はあるべけれ」(590頁) と、のべているように、現世と未来である来世にわたる即身成仏を問題としていました。来世の救済とは成仏ということです。仏道の目的は成仏です。学問を志して理解したことは仏教が過去・現在、そして、未来の三世の成仏を説く教えであることでした。そして、 「聖賢の二類は孝家よりいでたり。何況や仏法を学せん人、知恩報恩なかるべしや。仏弟子は必四恩をしつて知恩報恩ほうずべし。其上舎利弗・迦葉等の二乗は二百五十戒・三千威儀持整して、味・浄・無漏の三静慮、阿含経をきわめ、三界の見思を尽せり。知恩報恩の人の手本なるべし。然を不知恩の人なりと世尊定給ぬ。其故は父母の家を出て出家の身となるは必父母をすくはんがためなり。二乗は自身は解脱とをもえども、利他の行かけぬ。設分分の利他ありといえども、父母等を永不成仏の道に入れば、かへりて不知恩の者となる」(544頁) これらの御遺文からしますと清澄入山は出家を目的としていたことがうかがわれ、それは、純粋に仏道を求めての出家といえるのです。その出家を志した動機とは父母の成仏への願いであったことがうかがえます。そして、そのためには本格的に仏教を学ぶことになるのです。 「仏教をならはん者の、父母・師匠・国恩をわするべしや。此の大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきはめ、智者とならで叶べきか。譬へば衆盲をみちびかんには、生盲の身にては橋河をわたしがたし。方風を弁ざらん大舟は、諸商を導て宝山にいたるべしや」『報恩抄』(1192頁) 「本より学問し候し事は仏教をきはめ(極)て仏になり、恩ある人をもたす(助)けんと思ふ。仏になる道は、必ず身命をすつるほどの事ありてこそ仏になり候らめと、をしはからる」『佐渡御勘気鈔』(510頁) このように、日蓮聖人は成仏ということに強い関心をもち、直接的には両親の成仏を願い、それには自身が成仏しなければならないと考えられたことがうかがわれます。日蓮聖人が仏教を習い極めようとされた原点がここにあり、この態度は生涯を貫いたことでした。 「日蓮は少(わか)きより今生の祈りなし、只、仏にならんと思う計りなり」『四条金吾殿御返事』(1384頁) と四条金吾にいかなる迫害があっても信心を退転せずに信仰に励むようにと勧められた文章に純朴に述べられています。 日蓮聖人の関心はもっぱら仏教に集中します。そして、日蓮聖人が幼少の時から抱いていたことは成仏であり、その未知なることの証を臨終の様相にうかがっていたのです。 「法華経云如是相乃至本末究竟等云云。大論云臨終之時色黒者堕地獄等云云。守護経云地獄に堕に十五の相・餓鬼に八種の相・畜生に五種の相等云云。天台大師の摩訶止観云身黒色譬地獄陰等云云。夫以ば日蓮幼少の時より仏法を学び候しが念願すらく、人の寿命は無常也。出る気は入る気を待事なし。風の前の露、尚譬にあらず。かしこきも、はかなきも、老たるも、若きも定め無き習也。されば先臨終の事を習て後に他事を習べしと思て、一代聖教の論師・人師の書釈あらあらかんがへあつめ(勘集)て、此を明鏡として、一切の諸人の死する時と並に臨終の後とに引向てみ候へば、すこしもくもりなし。此人は地獄に堕ぬ乃至人天とはみへて候を、世間の人々或は師匠父母等の臨終の相をかくして西方浄土往生とのみ申候。悲哉、師匠は悪道に堕て多苦しのびがたければ、弟子はとゞまりゐて師の臨終をさんだんし、地獄の苦を増長せしむる。譬へばつみ(罪)ふかき者を口をふさいできうもん(糾問)し、はれ物のの口をあけずしてやま(病)するがごとし」(『妙法尼御前御返事』1535頁) この臨終における様相を論師・人師の解釈を勘案したならば、釈尊一代の仏教のなかにも実語・妄語・綺語があることを知り、そして、日蓮聖人の根本理念は仏教内における勝劣論へ移り取捨選択の裁断こそが極めるべきことと思われたのです。すなわち、 「諸経の勝劣は成仏の有無也。慈覚・智証の理同事勝の眼、善導・法然の余行非機の目、禅宗が教外別伝の所見は、東西動転の眼目、南北不弁の妄見也。牛羊よりも劣り、蝙蝠鳥にも異ならず。依法不依人の経文、毀謗此経の文をば如何に恐させ給はざる哉。悪鬼入其身の無明の悪酒に酔ひ沈み給らん。一切は現証には不如。善無畏・一行が横難横死、弘法・慈覚が死去の有様、実に正法の行者如是有べく候乎」 と、のべているように、仏教の肝心なことは成仏の可不可であり、その現証を重視するという視線でした。そこに、仏教における謗法の罪を自覚することになったのです。 |
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