48.謗法・邪見の意識 高橋俊隆 |
○謗法・邪見の意識
浄土の教えにより阿弥陀仏を念じたことが邪見であり、謗法であると思ったのはいつ頃なのでしょうか。まさに、これが清澄寺入山と出家の動機となった仏教についての疑問といえます。 日蓮聖人が父母の成仏を願った理由として、さきに旃陀羅の成仏についてみてきましたが、同じく父母に関して浄土の弥陀信仰が謗法の罪になるのではという疑問をもちました。池上宗仲にあてた『兄弟抄』(924頁)に、 「この経文に過去の誹謗によりてやうやう(様々)の果報をうくるなかに、或は貧家に生、或は邪見の家に生、或は王難に値等[云云]。この中に邪見の家と申は誹謗正法の父母の家なり(中略)我身は過去に謗法の者なりける事疑給ことなかれ」 と、過去に謗法があった罪により今世に邪見の家庭に生まれるという経文の解釈をしつつ、 それは日蓮聖人ご自身も誹謗正法の邪見の家庭に生まれたとうけとめていることでした。これを自身も念仏をしていたと具体的に述べたのがつぎの『妙法比丘御返事』(1553頁)です。 「日蓮は日本国安房国と申国に生て候しが、民の家より出でて頭をそり袈裟をきたり。此度いかにもして仏種をもう(植)へ、生死を離るる身とならんと思て候し程に、皆人の願せ給事なれば、阿弥陀仏をたのみ奉り、幼少より名号を唱候し程に、いさゝかの事ありて、此事を疑し故に一の願をおこす。日本国に渡れる処の仏経並に菩薩の論と人師の釈を習見候はばや。又倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗・華厳宗・真言宗・法華天台宗と申宗どもあまた有ときく上に、禅宗・浄土宗と申宗も候なり。此等の宗々枝葉をばこまかに習はずとも、所詮肝要を知る身とならばやと思し故に、随分にはしりまはり、十二・十六の年より三十二に至まで二十余年が間、鎌倉・京・叡山・園城寺・高野・天王寺等の国々寺々あらあら習回り候し程に、一の不思議あり。我等がはかなき心に推するに仏法は唯一味なるべし。いづれもいづれも心に入て習ひ願はば、生死を離るべしとこそ思て候に、仏法の中に入て悪く習候ぬれば、謗法と申す大なる穴に堕入て、十悪五逆と申て、日々夜々に殺生・偸盗・邪婬・妄語等をおかす人よりも、五逆罪と申て父母等を殺す悪人よりも、比丘比丘尼となりて身には二百五十戒をかたく持ち、心には八万法蔵をうかべて候やうなる智者聖人の、一生が間に一悪をもつくらず、人には仏のやうにをもはれ、我身も又さながらに悪道にはよも堕じと思程に、十悪五逆の罪人よりもつよく地獄に堕て、阿鼻大城を栖として永地獄をいでぬ事の候けるぞ」 と、のべていることから、日蓮聖人は幼少のころから両親と共に南無阿弥陀仏と念じていたのです。それは特別なことではなく世間一般の信仰形態であったようです。しかし、阿弥陀信仰について「いささかの事ありて此の事を疑い」とあります。つまり、弥陀信仰に疑念を持つ出来事があったのです。そのために「一つの願」を立て仏教の肝要を知ろうと思ったのです。 そして、邪見の家に生まれたのは偶然ではなく、過去世の謗法の罪の報いであったと、その理由が遡ったのです。日蓮聖人が懐いた生死観・仏教観の大きな疑念は、謗法という罪業意識を内包することになったのです。『佐渡御書』(615頁)に、 「日蓮も過去の種子已に謗法の者なれば、今生に念仏者にて数年が間、法華経の行者を見ては未有一人得者千中無一等と笑し也。今謗法の酔さめて見れば、酒に酔る者父母を打て悦しが、酔さめて後歎しが如し。歎けども甲斐なし、此罪消がたし。何況過去の謗法の心中にそみ(染)けんをや。経文を見候へば、烏の黒きも鷺の白きも先業のつよく(強)そみけるなるべし」 と、過去・現在の謗法の罪業意識をもたれたことが述べられています。 そして、この罪業をいかにしたら消滅できるのであろうかと考えられたことが、同じく『佐渡御書』(614頁)に、 「過去の謗法を案ずるに誰かしる。勝意比丘が魂にもや、大天が神にもや。不軽軽毀の流類歟、失心の余残歟。五千上慢の眷属歟、大通第三の余流にもやあるらん。宿業はかりがたし。鉄は炎打てば剣となる。賢聖は罵詈して試みるなるべし。我今度の御勘気は世間の失一分もなし。偏に先業の重罪を今生に消して、後生の三悪を脱れんずるなるべし」 また、『開目抄』(602頁)に、 「我無始よりこのかた悪王と生て、法華経の行者の衣食田畠等を奪とりせしことかずしらず。当世日本国の諸人の法華経の山寺をたうすがごとし。又法華経の行者の頚を刎こと其数をしらず。此等の重罪はたせるもあり、いまだはたさゞるもあるらん。果も余残いまだつきず。生死を離時は必此重罪をけしはてゝ出離すべし」 と、のべており、生涯を通しての信念であったことがうかがえます。さきにのべたように、日蓮聖人は自身の出家の功徳を両親に分け与えることを考えていました。出家を志した動機のなかに罪業意識は看過できないことなのです。 (罪業意識) ・過去の罪業―誹謗正法 ・現在の罪業―旃陀羅・貧窮下賤・邪見の家に生まれた。 清澄寺入山のときは旃陀羅の成仏が問題であった。 のちに学問がすすみ謗法の罪は重いことを知った。 「生死を離れるときはこの重罪を消して出離すべき」と意識した。 いずれの宗派が正しいのかを知ろうと祈願した。 ・未来の罪業ー謗法堕獄・未来得果 以上、これまでは日蓮聖人の内面的な出家の理由といえます。 つぎに、日蓮聖人には大きな視点から仏教における「護国」の疑問がありました。仏教は護国を標榜してきましたが災害や飢饉という疲弊した現実であり、社会的には戦乱の災難が続き仏教が護国に効験しているとはいえない状態でした。このような国土を見て浄土宗が唱えた西方浄土に理想世界を求めるという現実逃避的な仏教観よりも、今、生きているこの現実の世界に浄土を顕現させるのが仏教であるという、現世肯定的な思想を強くもちました。 日蓮聖人のこのような娑婆浄土観が特徴ですが、このような考え方は旃陀羅としての救済という現実性のなかに育てられてきたともいえましょう。 |
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