55.日蓮聖人の.父親の教育
 日蓮聖人はすばらしい幼児教育を受けて育ったと思われます。
 12歳で父親に連れられ清澄寺に入ります。このときには識字能力と、ある程度の勉学を教わっていました。当時は教育を受けるためにお寺に入っていますが、ある程度のことは知らないと就いていけません。
 父親は平家の残党といわれています。母親も梅菊といって武家の出自といわれています。両親ともに信心深く、母親は聖徳太子のように日天を崇拝していたといいます。父親は文官として司法関係の仕事をしていたといわれます。これは、日蓮聖人が若くしてこれらの裁判ごとや訴訟などについて熟練していたことも、それを補う証拠としています。
 日蓮聖人の国家観は世界的視野から、日本国と国民の幸福ということを考え、そのために仏教を学んだと、日蓮聖人ご自身がのべています。父親は自分の祖先のことや、自分が安房小湊で漁師をしていることについて、幼少の日蓮聖人に教えられたと思われます。
 戦争の悲しさ、人が人を殺し、どちらも傷つき悲しみをますことなど。国を治める者によって国家がかわること、為政者による平和な国家について教えられたと思われます。
 日蓮聖人は中国の伝説や、歴史の事実に興味をもたれていました。ここには、忠義とか孝行、悪王の悪政と善王の善政など、深く人間を観察しています。日蓮聖人の手紙には様々な故事を引いて、私達の進むべき道を示しています。このときに過去の人たちの成功た失敗などを、この故事を引き教えています。
 おそらく、これらの文献を集め、そして、幼少の日蓮聖人に国のあるべき方向とはどうあるべきか、人間としてどう生きるべきかを教えられたのでしょう。日蓮聖人においては、その方向が出家して鎮護国家を目指した一面と、武士の殺戮から生じる懺悔心が、後生の怖れとして心の底に記憶されたのでしょう。
 『立正安国論』がそのあらわれであり、ただひたすら成仏を願う一途な心も、幼少時において育てられたと思います。親の教育がいかに大切かを伺い知ることができます。