56.時と機根

 釈尊は50年の説法をされました。仏教を聞くのは始めての人ばかりですから、釈尊は分かりやすく教えなければなりません。始は興味を抱かせ、しだいに修行を心がけるように指導されていきました。法華経を説き始めたのは42年目のことですから、それまで、釈尊は根気強く指導されたのです。教えを学ぶ人も男女・老若・仕事・能力などが千差万別でした。これらの人々を一定の基準まで指導するのに42年かかったといえます。これを調機調養(ちょうきちょうよう)といい、浅い教えから深い教えと機根を高めていったのです。

 日蓮聖人の布教にも同じことがいえます。大きくみると鎌倉にいたときは天台宗沙門の立場をとり、佐渡から身延入山になると本朝沙門として天台宗から離脱した立場をとります。教学においても鎌倉初期には念仏宗を批判し、次に禅宗、そして律宗を批判し次第に真言宗を批判していきます。

 佐渡在島・身延期になりますと天台宗の総本山比叡山の慈覚・智証大師を批判します。これは、比叡山は法華経を最高の教えとした最澄の教えに背き、弘法大師の真言宗を受け入れて法華経よりも祈祷では勝れているとしたことによります。この弘法・慈覚・智証の流れを台密(たいみつ)といいます。天台宗の密教教学をいいます。弘法大師の真言密教を東密(とうみつ)といいます。これは京都の東寺が真言宗であることから対極的にいいならされた言葉です。

 日蓮聖人は32歳から61歳まで布教をされました。浄土教や禅・律の教えはやさしい教えですから、一般の人にも理解がしやすいので、日蓮聖人は初期においてはここから始めたのです。真言宗は天台大師の『法華三大部』のなかでも、『摩訶止観』の一念三千論を教義に取り入れているため、法華経と大日経との勝劣の判断をするのに複雑になってしまいました。よほど勉強をしなければ、一般の者には理解できないのです。日蓮聖人は弟子・信徒を指導されるときには、これらを心に掛けて調機調養されたのです。

 私たちは、教えを説くためには、時と機を心得なければならないことを学びます。