78.『戒体」即身成仏義』(一)について              高橋俊隆

□『戒体即身成仏義』(一)

『戒体即身成仏義』の内容から、鎌倉でなにを学ばれたのか、これまでの修学の理解度と方向性を知ることができます。真偽については、『録内』に編入されていることから、二一歳の著述としてもよいとされています。また、この「遺文」は誰にどのように発表されたかについても不明です。鎌倉修学における学問の成果として、道善房に提出されたのか、清澄寺の兄弟子を初めとした僧徒に、修学の論文として公に発表されたかもしれません。あるいは、『境妙庵目録』の序に書かれているように、富木氏に資金援助の恩義として、報告したとも考えられましょう。いずれにしても、鎌倉遊学後の日蓮聖人の学解を知るには、貴重な「遺文」といえます。あるいは、比叡山に入山するために用意された論文であったのかもしれません。

清澄寺が台密であったためか、『戒体即身成仏義』は、慈覚・智証の法華・真言、「顕密二教」の教学をうけ継ぎ、「理同事勝」に同意していたことが顕著に表れています。理同とは法華経と真言宗ともに一念三千の理論は同じことをいい、事勝とは真言宗には印と真言の秘法があり、これにより、即身成仏に違いがあるとして、『法華経』よりも真言宗が勝れているとした真言偏重の教学です。清澄寺に帰り、『戒体即身成仏義』を書き上げたときは、真言宗の方が修法の面において、やや勝れていると考えていたことがうかがえます。こののち、比叡山に遊学することにより、『法華経』が真実最勝の教えであると考えがかわっていきます。

しかし、この『戒体即身成仏義』から、日蓮聖人の『法華経』の理解として看取できることは、後年の「一大秘法」の南無妙法蓮華経・「十界互具」・「一念三千」・「受持成仏」という一連の、日蓮聖人教学における根本となる基盤を、既に把握されていたことがうかがえ、天台教学の奥義に逼っていたことが理解できます。

また、浄土宗については、理路整然と法然の誤謬が指摘され、浄土宗では成仏できないと断定されています。もし、『戒体即身成仏義』を、清澄寺の僧徒が閲読していたなら、このなかで浄土宗批判をしていますので、後年に立教開宗をしたときに、浄土宗の「念仏無間説」を主張するであろうことを予見していたと考えられます。しかし、日蓮聖人が清澄寺で立教開宗したときに、聴衆は驚愕し追放に追い込むのですから、『戒体即身成仏義』を閲読したのは、浄顕房・義城房の兄弟子と、花房蓮華寺の浄円房などの、僧徒の少数であったのかもしれません。

さて、題名が『戒体即身成仏義』というように、「戒体」と「成仏」の二つを論じています。戒律は根本的に四苦八苦から逃れるためのもので、解脱・得脱を目的とします。日蓮聖人は戒律をたもち、仏道修行をした結果である「成仏得道」とは、どのようなことであるかを追求しています。両親の「成仏」と、自身の「成仏」を初心の課題としていたことの一応の結論といえます。

戒律は戒と律に分けられ、戒も律も同じサンスクリット語の、ビナヤvinayaに由来し、「修行僧の遵守すべき規則」の意味でありますが、戒は自発的な行為の規準であり、これは、出家者の資質に関することですから、守れなくとも罰則はありません。これにたいし、律は僧院生活や教団の秩序を守る規律のことをいいます。したがって、律には教団を錯乱させた者は教団から追放するという罰則があります。つまり、戒と律は出家者の自覚によって、教団が維持されることから併用して使われるようになりました。

戒を受けることを受戒といい、本来は僧侶となる儀式をいいますが、広義には仏門に帰依することも受戒といいます。受戒は防非止悪を誓うことで、不殺生戒や不妄語戒などの戒律をたもつという、いわゆる、仏道修行の根本であり僧侶における自覚を誓約する行為です。

そして、受戒し戒律を守ることを誓った者の肉体は、そのときから「戒体」であり無表と考えます。「成仏」を願うには受戒の儀式をして、「戒体」を得ることが肝要とされているからです。受戒により自身の肉体や精神が、どのように変化していくのかということが、「成仏」を出家者としての願いとしていた日蓮聖人にとっては、最大の関心事であったのです。

ところが、この戒体にも宗派により考え方の違いがあります。日蓮聖人はそれを小乗・権大乗(法相宗)・大乗(法華開会)そして真言宗の戒体の四門に分けています。

「戒体即身成仏義 安房国清澄山住人   蓮長撰

 分為四門  一者小乗戒体。
       二者権大乗戒体。
          三者法華開会戒体。法華涅槃之戒体小有不同
       四者真言宗戒体」(一頁)

それぞれの「戒体」の違いは、依拠とする経典の理によって、持つ戒律の種類が異なってきます。日蓮聖人はこの依拠とした経典の教理を考察し、そこに勝劣を判断するのが『戒体即身成仏義』の課題となっています。勝劣を判断する基準は、「戒体」の内容と「成仏不成仏」にあります。

小乗の「戒体」には四種類あります。在俗の男女(優婆塞・優婆夷)は五戒・八斎戒をたもち、比丘は二五〇戒、比丘尼は五〇〇戒をたもちますが、基本は五戒をたもつことにあります。また、七衆別戒という分け方があり、在俗の優婆塞・優婆夷は五戒・八斉戒。沙弥・沙弥尼は八戒十戒。式沙摩那は六法。そして、比丘・比丘尼の二五〇戒・五〇〇戒と細かく説かれています。

在俗の男女の凡夫、つまり、人間は五根・五臓・五体、そして、国土にも「戒体」が影響するとし、このことは、『提謂経』・『婆沙論』・『優婆塞五戒経』・『倶舎論』・『止観弘決』に説かれているとのべます。しかし、小乗教の凡夫においては、この「戒体」を、「尽形寿、一業引一生の戒体」といって、一生の命が終わると戒体も失われるとのべます。

つづいて、二乗は見惑を断じ四悪趣をはなれ、思惑を断じて三界の生死を出離すると説きます。この二乗は法華経いぜんの経には灰身滅智の者であり、ゆえに、十八界を断じ灰身滅智しても生まれるところはなく、永不成仏の者ときらわれます。また、この小乗の教えでは、三界いがいに浄土があるとは説いていないので、浄土として生まれる所もないことになります。

小乗の経典における菩薩は、見惑・思惑を断じて灰身滅智するのですから、三界に生まれて衆生を教化することができません。つまり、見惑・思惑を断尽できない凡夫と同じです。また、仏も見惑・思惑を断じると説き、阿羅漢を最高の位階とするので、仏も二乗と同じことになります。

このように、小乗の「戒体」を人界に当ててみてきましたが、教・法の立場では「三種律儀」があります。これは、欲界の人・天上界に生まれる律儀戒。色界や無色界へ生まれる定共界。二乗が見惑思惑を断じて、初果の見道の位に入る道共戒があります。また、表業がなくても無表色を発得することがある例として、光法師の『倶舎論光記』をあげ、次文の「謂く初めの二種は表より生ぜず、後の八は表より生ず」から、二種が特例としています。それは、仏や独覚のように、無師にて自然智をうることができる者。二番目に憍陳如等の五比丘のように、初果の見道に入って破戒しない者をあげています。つまり、結論として小乗の経典において、凡夫・二乗・菩薩は、「成仏」できないことを論じたのです。ゆえに、小乗を界内の教えという理由はここにあります。

 つぎに、権大乗の「戒体」についてのべます。小乗の「戒体」は人天二乗のための「戒体」であり、一往の義として身体にあるのにたいし、権大乗は菩薩のための「戒体」であり、心にあるとのべます。そこで、小乗戒とは違って七衆同戒を説き、摂律儀戒・摂善法戒・摂衆生戒の「三聚浄戒」を説きます。この権大乗の「戒体」は、『梵網経』と『瓔珞経』を根本とし、『梵網経』は「菩薩心地戒本」、『瓔珞経』は「菩薩瓔珞本業経」を依拠とするように、それぞれが「歴劫修行」の菩薩のためだけの戒に限定されています。

日蓮聖人が梵瓔両経を引用するのは、とうじの比叡山が授戒のときに両経を用いたことや、『梵網経』は『華厳経』の結経、『瓔珞経』は方等部『浄土経』の結経であり、それぞれの部を代表する菩薩戒を説かれているからです。つまり、この二つの経典のみで、権大乗の「戒体」が把握できるのです。

『梵網経』の「仏説菩薩心地戒品第十」の第十というのは、原本は一一二巻六一品、あるいは、一二〇巻という大部ですが、鳩摩羅什は第十の「菩薩心品」上下二巻のみを訳したのは、ほかが伝わらないからです。上下二巻のうち、上巻は菩薩の階位を説き、下巻は菩薩の戒法が説かれており、「十重禁戒」・「四十八軽戒」という小乗より深い『華厳経』の戒が示されています。

『瓔珞経』の「菩薩瓔珞本業経」二巻は、姚秦の竺仏念の訳です(三七六~八年、最近の研究では五~六世紀ころの中国の撰述とします)。仏は憍沙国の道場樹下に教化をされ、十仏刹の大菩薩を来会させて、菩薩の位次・行法・十無尽戒(十重禁戒とおなじ)などを説きました。このように、大乗の戒律を説くので方等部の結経とします。天台はこの経により、別円の菩薩の「五十二位」を論じました。

この、『梵網経』・『瓔珞経』に説かれた大乗の「戒体」は、両者ともに菩薩の「歴劫修行」を示しています。小乗戒は僧俗七衆が別々に受ける戒であったのにたいし、『梵網経』の十重禁戒を七衆が同じく受けるということは、大乗戒であることを示すものです。また、『瓔珞経』の「五十二位」が菩薩の戒を示すように、「歴劫修行」を積みながらの「戒体」であることがわかります。

小乗・大乗の「戒体」については、

「この文は、小乗戒は凡夫聖人二乗の戒、共に尽形寿の戒。菩薩戒は凡夫より仏果に至るまで、その中間に無量無辺劫を歴れども戒体は失せずという文なり。さればこの戒は持て犯すれども猶二乗外道に勝れたり」(六頁)

と、のべているように、小乗と大乗の「戒体」には、「失不失」の違いがあると勝劣を判別されています。つまり、小乗の「戒体」は尽形寿の戒であるから喪失するが、大乗は「歴劫修行」の戒であるから永遠に喪失しないと判じ、大乗が勝れていると結論します。

また、この結語として、大小乗のすべての戒は、五戒をたもつことが根本であるとのべます。『涅槃経』の「具足根本業清浄戒」とは五戒のことであり、天台大師は「五戒は既にこれ菩薩戒の根本なり」と解釈していることを引いて、戒律の根本を確認したのです。

つぎに、三番目にあげた、『法華経』の「戒体」を問い、「開会」という見方をもって『法華経』の「戒体」をのべます。

「第三法華開会の戒体者、仏因仏果の戒体也。唐土の天台宗の末学、戒体を論ずるに、或云理心戒体、或論色法戒体、未委梵網・法華の戒体差別。法華経一部八巻二八品、六万九千三百八十四字、一一の文字、莫非開会法門実相常住無作妙色。此法華経は三乗・五乗・七方便・九法界の衆生を皆毘盧遮那の仏因と開会す。三乗は声聞・縁覚・菩薩、五乗は三乗に人天を加たり。七方便は蔵通の二乗四人、三蔵教の菩薩、通教の菩薩、別教の菩薩三人、已上七人。九法界は始自地獄終至菩薩界、此等の衆生の身を押へて仏因と開会する也。其故者、此等の衆生の身は皆戒体也」(八頁)

と、私たち九界の衆生は、毘盧遮那仏の仏因のなかに入っているのであり、そのことからすると、私達はすでに毘盧遮那仏の仏果をもっていると捉えます。そして、これを『法華経』の「開会」といい、法華経による「戒体」であると述べます。

『法華経』いぜんには、地獄から修羅の四悪趣は破戒の身で、「戒体」をたもつことはできず、人天二乗の身は尽形寿であるから、一業引一生の「戒体」であり、無記の身であると説かれていること。また、菩薩も「歴劫修行」をして成仏すると誓った「戒体」であるから、「須臾聞之即得究竟」の「戒体」にはならず、毘盧遮那仏の仏因というのは信じがたいと自問します。

そして、『法華経』の教えは「十界共に五戒」といって、四悪趣などの十界は共に五戒をもち、それが仏因となり「戒体」となるとのべます。その証拠として舎利弗はじめ千二百の阿羅漢、韋提希などの女人も、「欲令衆生開仏知見使得清浄故」と、仏知見を「開会」されたから受記されたのであり、龍女の即身成仏も「不改畜生蛇身三十二相即身成仏」と説かれているように、三悪道の身も五戒をもっていると解釈し、蓄身に三十二相を認めて即身成仏をのべています。

このように、「十界共にに五戒」であり、「戒体」の身体であることを確認しますが、五戒をたもたない三悪道の者を問います。これに未酬と已酬の善根があるとし、これらの善根を「三因仏性」の立場から、無始の色心を正了、そして、縁因の三仏性と「開会」すると、我が身は「開仏知見」により「皆已成仏道」となり、「是菩薩道」と論じます。つまり、『法華経』は九界の衆生の身を仏因と説き、「五戒即仏因」であるので、仏因仏果の「戒体」を得るとのべます。

『法華経』いぜんには、この「十界互具」を説いていないので、得道は有名無実であり、『法華経』はこの「十界互具」を説くから十界が成仏するとのべます。すなわち、一界の成仏は十界の成仏となり、二乗の成仏は我ら凡夫二乗の成仏ということになります。これを「二乗作仏」といい「妙法」というと解釈しています。

日蓮聖人は『法華経』の釈尊を「実仏」と表現します。つまり、『法華経』は仏も実仏であるから、仏界も九界の凡夫も仏であり、「十界具足」しているとのべます。そして、「四十余年未顕真実」・「過無量無辺不可思議阿僧祇劫終不得成無上菩提」を挙げ、『法華経』いぜんは虚妄方便の教えであるから、成仏したものは一人もいない文証とします。釈尊が「正直捨方便」と説くのは、爾前経では成仏得道も、浄土に往生した者はいないと、その理由をのべています。

つぎに、浄土教の『観無量寿経』は、『法華経』に導引するための方便の教えであり、浄土に往生して成仏するというのは権教の方便で、この『観経』の横説を浄土宗は認知できないと批判します。そして、浄土宗が、

「法華経は理深解微非我機。毀らばこそ罪にてはあらめと云。是は毀るよりも法華経を失ふにて、一人も成仏すまじき様にて有也。設毀とも人に此経を教へ知せて、此経をもてなさば、如何かは可苦。不毀行此経事を止めんこそ弥怖き事にては候へ。此を経文に説れたり。若人不信毀謗此経即断一切世間仏種。或復噸蹙而懐疑惑其人命終入阿鼻獄。従地獄出当堕畜生。若狗野干或生驢中身常負重。於此死已更受蟒身。常処地獄如遊園観在余悪道如己舎宅文。此文を各可有御覧。若人不信と説は不協末代機云者の事也。毀謗此経の毀はやぶると云事也。法華経の一日経を皆停止して成称名行、法華経の如法経を浄土の三部経に引違へたる是を毀と云也。権教を以て実教を失は、子が親の頚を切たるが如し。又観経の意にも違ひ、法華経の意にも違ふ。謗と云は但以口誹り、以心謗るのみ非謗。法華経流布の国に生て、不信不行即謗也。即断一切世間仏種と説は、法華経は不協末代機云て一切衆生の可成仏道を閉る也。或復噸蹙と云るは、法華経を行ずるを見てくちびるをすくめて、なにともなき事をする者かな。祖父が大なる足の履、小き孫の足に不協如くなんど云者也」(一二頁)

と、『法華経』は難解であり、謗らなければ罪にならないと公言したことにたいし、日蓮聖人は譬喩品の「若人不信毀謗之経」の文をあげて、『法華経』を信じないことが「謗」であり、『法華経』を「毀謗」することであるとのべ、また、浄土宗が天台や真言の教えは、「我が機に協(かなわ)ず」としていたことを批判しています。

 浄土宗の教義にたいして、日蓮聖人は「依正二報」の立場から、『法華経』の仏因仏果の「戒体」と、国土について比較しています。『法華経』の仏因仏果を、依報の国土と正報の我が身にあてはめると、『法華経』の悟りというのは易行のなかの易行とします。『法華経』は三世の「戒体」であり、先にのべたように三悪の者も「戒体」を発得し、龍女の三十二相の「戒体」をもって証拠とするように、『法華経』に説かれた衆生は、みな即身成仏は疑いないと述べます。

『止観に』いう中道戒とは、『法華経』の「戒体」であり、我が身に十界を具足すると心得るとき、「欲令衆生開仏知見」として即身成仏するとのべます。また、尽形寿の五戒の身を改めないで仏身を成ずるということは、依報の国土も寂光土であるとして、妙楽が、「あに伽耶を離れて別に常寂を求めんや。寂光の外に別に娑婆あらず」と示した文を証拠とします。これは、『法華経』いぜんに説いた十方の浄穢土は、方便仮設の国土であって、『法華経』は国土も我等と同じように不生不滅であり、「娑婆即寂光土」であることをのべています。

そして、本書に追及した「戒体」について、つぎのようにのべます。

「法華の覚を得る時、我等が色心生滅の身即不生不滅。国土も如爾。此国土牛馬六畜皆仏也。草木日月皆聖衆也。経云是法住法位世間相常住文。此経を得意者は、持戒・破戒・無戒皆開会の戒体を発得する也。経云是名持戒行頭陀者云云。法華経の悟と申は、此国土と我等が身と釈迦如来の御舎利と一と知也」(一四頁)

つまり、方便品の「是法住法位世間相常住」の文を引き、「是法」とは、持戒・破戒・無戒の者でも、すべての衆生は、この『法華経』(「是法」)の「開会」により、「戒体」を発得することができると結論します。これを、宝塔品の「是名持戒行頭陀者」の文を引き、『法華経』を受持する者は「持戒」となると受容したのです。

また、浄土宗が説く極楽西方浄土にたいして、「住法位」とは十界の一々の形相である「世間相」の真実は、「常住」であるとのべます。凡聖雑居する穢土は、『法華経』から見たなら「常住の浄土」とのべ、弥陀の西方浄土を否定したのです。

 そして、『法華経』の悟りは、「此国土と我等が身と釈迦如来の御舎利と一と知也」とのべ、国土・衆生・釈尊の身の三者が、「一体不二」であるとのべます。この理由は、提婆達多品に「三千大千世界を観るに芥子のごときばかりも菩薩として身命を捨て給うところはない」とあるように、この娑婆世界は釈尊が菩薩として、衆生救済のために心血を注いだ、依報の国土としてうけとめます。つまり、釈尊が菩薩として因行を修してきた仏国土とみます。ゆえに、正報の我等は国土の五味をなめて生活しているから、釈尊の恩恵をうけ菩薩行に救われる者として、、譬喩品の「今此三界~悉是吾子」というのはこのことを説示しているとのべます。

ところで、「釈迦如来の御舎利」とは、釈尊の三身のなかで法身に近く法界観と重なります。此辺あたりから真言宗の教義と抵触します。つまり、譬喩品の「我有」というのは、真言宗でなければ知り難いとのべたことです。ただし、天台はこれを真性軌と訳したと、天台教学の知識を披露します。真性軌は『法華玄義』に本果妙を明かすところに説かれ、寿量品の「我成仏巳来甚大久遠」の「我」とは真性軌、「仏」は観性軌、「巳来」は資成軌とした三軌が説かれています。  

真性軌は法体、不妄不改の義で、仏にあっては法身の徳、法身如来の理体をいいます。観性軌は報身の智体、資成軌は応身の慈悲をいいます。日蓮聖人が、譬喩品の「我有」の「我」について、天台の真性軌の義を引いたのは、仏と衆生の「一体不二」を法身思想からみたからです。

そして、釈迦・多寶の二仏も自身の法身であり、自身の身が釈迦如来の舎利(身)であると、このように『法華経』の教理を心得れば真言の初門であるとのべています。

『大日経』の「入曼荼羅具縁品」は、胎蔵界密教の根本の経ですが、そこには、釈尊が成仏したとき国土は寂光土になり、我等の身とともに法界周遍の毘盧遮那法身如来となったと説きます。この法界周遍の仏は十界を包容した釈尊の舎利であり、我等も同体であるとのべたものです。

四番目の真言宗の「戒体」については、師匠から弟子へ直授する「師相承」によって正しく伝わるもので、ここでは、軽薄にのべることは控えるとして、ただ、標章にあげたのは顕教よりも密教が勝れているという、「顕劣密勝」を示すためと結ばれています。

「我有と申す有は其非真言宗者難知。但天台は真性軌と釈し給へり。舎利と申は天竺の語、此土には身と云。我等衆生も則釈迦如来の御舎利也。されば多宝塔と申は我等が身。二仏と申は自身の法身也。真実には人天の善根を仏因と申は、人天の身が釈迦如来の舎利なるが故也。法華経を是体に得意則真言の初門也。此国土、我等が身を、釈迦菩薩成仏の時、其菩薩の身を不替成仏し給へば、此国土我等が身を不捨、寂光浄土・毘盧遮那仏にて有也。十界具足の釈迦如来の御舎利と可知。此をこそ大日経の入漫荼羅具縁品には慥に説れたる也。真言の戒体は人見之不依師相承を可失。故に別に記して一具に不載。但標章に載する事は、為令人知顕教密教勝也。仁治三年壬寅」(一四頁)

 この『戒体即身成仏義』は、日蓮聖人二一歳の論文で、鎌倉遊学をおえた直後の学解を知ることができます。日蓮聖人が課題とした漁師旃陀羅の成仏が、龍女蓄身成仏を考察する要因になったと思われます。龍女の成仏は畜生蛇身を改めずしての即身成仏でした。戒律においても持戒・破戒・無戒を問わずに『法華経』を信じることによる成仏でした。

なによりも、日蓮聖人は奈良仏教にて重んじられた受戒を守っていたことです。授戒をうけて持戒を誓う出家者として、大小乗の「戒体」の優劣を考察し、最要の成仏を追及したのが『戒体即身成仏義』述作の一つの理由と思います。

さきにのべたように、鑑真を招いてまでも重視した授戒は、平安時代後期になり末法思想が広まるにつれ、形式化し戒律の意義も軽くなります。さらに、民衆のあいだに仏教が浸透し、浄土教の阿弥陀信仰により、戒律の軽視化が進みました。忍性が戒律を重んじたように、鎌倉仏教は戒律をいかに理解するかという命題をもっていました。本書には若き日蓮聖人が、「戒体」を重んじて、仏教に取り組んでいたことがうかがえます。『法華経』を依拠とした、「持戒」思想もみえました。

 また、教学としては「十界互具」をみることができます。比叡山に遊学していくうちに、真言密教の問題点や、「一念三千」の理を盗むという弘法批判に発展していき、台密の疑いについては佐渡期に入って本格的に糾弾していますが、このときの法華真言の理解は、以上のように「理同事勝」を重んじていました。のちに、『本尊問答鈔』に、

「真言宗と申は一向に大妄語にて候が、深其根源をかくして候へば浅機の人あらはしがたし。一向誑惑せられて数年を経て候」(一五八一頁)

と、真言宗の邪義は容易に突き止めることができないとのべ、この『戒体即身成仏義』を著したのち、数年を経て、日蓮聖人はその邪義の根源を解明します。

ここで確認できたことは、権実論をもちいて『法華経』いぜんの諸経は、方便虚妄の説であると理解していることでした。そして、ここには念仏を権経とする「念仏無間」の思想をはっきりのべ、『法華経』の易行性を対抗させていました。鎌倉においての修学は「遺文」にのべているように、浄土宗と禅宗からはじめました。禅宗はこのときは取立てての碩学はおらず、学問の範囲は限られたと思います。それにたいし浄土は流行の時であり、日蓮聖人は幼少のころからの、浄土にたいする疑問を解決するには好機でありました。『戒体即身成仏義』にはこの浄土にたいしての否定的な考えが鮮明に打ち出されています。

『戒体即身成仏義』の戒体論から鎌倉修学をみますと、奈良仏教の唯識などの学習を徹底的にしたと思われます。また、戒については、煩悩具有の凡夫における「戒体」を追求されていたことが窺えます。そして、「日蓮は無戒の比丘なり」(『御衣並単衣御書』一一一一頁)という凡夫が、即身成仏するのは『法華経』の妙法経力によるからであると受容しました。すなわち、『撰時抄』に、

「我身はいうにかひなき凡夫なれども、御経を持ちまいらせ候分斉は、当世には日本第一の大人なりと申なり」(一〇五六頁)  

と、『法華経』受持の功徳としてのべ、また、『日妙聖人御書』には、『法華経』の功徳の根源をつぎのように述べています。

「此妙の珠は昔釈迦如来の檀波羅蜜と申て、身をうえたる虎にかひ(飼)し功徳、鳩にかひ(貿)し功徳、尸羅波羅蜜と申て須陀摩王としてそらごとせざりし功徳等、忍辱仙人として歌梨王に身をまかせし功徳、能施太子・尚闍梨仙人等の六度の功徳を妙の一字にをさめ給て、末代悪世の我等衆生に一善も修せざれども六度万行を満足する功徳をあたへ給。今此三界皆是我有其中衆生悉是吾子これなり。我等具縛の凡夫忽に教主釈尊と功徳ひとし。彼の功徳を全体うけとる故なり。経云 如我等無異等[云云]。法華経を得心者は釈尊と斉等なりと申文なり」(六四四頁)

 ここには、『法華経』を「妙の珠」と表現し、釈尊の六度万行の功徳を「妙の一字」に収束したという見解をのべています。そして、『戒体即身成仏義』とは違う「我有」の解釈をし、妙法五字を受持することによる釈尊と凡夫の一体的な成仏論を展開します。

 日蓮聖人は本書において、「受戒」することによる、自身の仏身的な変化を追及しています。出家することは、仏の「戒体」を得ることと理解していたのです。『戒体即身成仏義』は、このような、日蓮聖人の「受戒」における戒体論をのべたものでした。そして、最勝の「戒体」を取得できるのは『法華経』であり、『法華経』によって成仏が可能となるという、論理的理解を十界互具論にみたことがうかがえました。

 なを、『法華経』に説かれた戒律は本迹二門にわかれ、迹門の戒は、四安楽行・六根清浄・読誦経典などであり、これは安楽行品・観普賢経などの諸説によります。本門の戒律については、日蓮聖人が立教開宗されてからは、妙法五字の受持戒であり、これは、寿量品・分別功徳品の所説によります。(『日蓮聖人遺文全集講義』第一四巻二六〇頁)。

すなわち、『教行証御書』に、「本門の戒」について、

「如是いみじき戒なれば、爾前迹門の諸戒は今一分の功徳なし。功徳無らんに一日の斎戒も無用也。但此本門の戒の弘まらせ給はんには、必ず前代未聞の大瑞あるべし」(一四八八頁)

と、爾前経はもちろんのこと、迹門の戒律においても、末法においては意義をなさないことであり、妙法五字の題目を受持することが「本門の戒」であるとのべ、受持一行に集約されることを示しています。ここには、本門法華経を「末法正意」とした、事一念三千論が基盤となっています。日蓮聖人における持戒論についてはのちに述べます。