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法華経のなかでも、特にこの方便品と如来寿量品は大切です。 毎日のお経には、必ず方便品と如来寿量品の自我ゲをよみます。 三昧という座禅をくみ瞑想に入られていた釈尊は、突然、立ち上がります。 それが、 「爾持世尊 従三昧 安祥爾起」 そのときに世尊 三昧より安祥として立って、という方便品の最初のところになります。 釈尊はお立ちになっていられます。 これはひじょうに大事なところです。 日蓮聖人は伊豆に流罪されたとき、その伊豆の領主の病気を治します。 そのお礼として、伊豆の海中から漁師の網にかかった釈尊のお像を頂きます。 立派な釈尊の仏像です。 日蓮聖人はその仏像を受けたられたときに、立ち姿であられた釈尊であることに深い思いをはせます。 この立像(りゅうぞう)の釈尊像を、日蓮聖人は生涯お持ちになられました。 鎌倉の草庵にも、佐渡に流罪されたときも、身延山にも、そして終焉の地、池上にもお持ちになられました。 随身の仏像、随身仏でした。 方便品に安祥として立った釈尊。 まさに、法華経が初めて説かれる瞬間なのです。 「諸仏の知恵は甚だ深く、無量なり。」 「諸法の真実とは、如是相・性・体・力・作・因・縁・果・報・等」 そして、声聞(しょうもん)・縁覚(えんがく)の二乗も、法華経以前には説かなかった仏に成れることを説きます。 これが、二乗作仏です。 この二乗に菩薩をいれると三乗になります。 三乗がともに仏という一乗に統一されることが、方便品の主要です。 これを、開三顕一(かいさんけんいつ)といいます。 しかし、あまりにも突然であり、誰でもが仏になれることは理解できないことでもありました。 釈尊はただ、如来の言葉を信ぜよといいますが、5千人の弟子が座を立って去るという事態がおきました。 それでも、釈尊は真実であるという教えを、ここからいよいよ説き始められるのです。 |
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