86.「五時八教」                       高橋俊隆

◆第四節 法華経の教相

○「五時八教」

仏教はインドから、中国・朝鮮を経由して日本に伝わりました。この伝来のしかたは連続的ではなく、経典の成立もまちまちに日本に入ってきました。原典となる梵語は、はじめ中国語に翻訳されましたが、翻訳者によって文字表記や、文字数などの異なりがありました。この違いについて、日蓮聖人は『法華取要抄』に、羅什の翻経が簡潔であり「捨広好略」であったことを、玄奘と比較したところにみえます。

「玄奘三蔵捨略好広。四十巻大品経成六百巻。羅什三蔵捨広好略。千巻大論成百巻」(八一六頁)

さきにのべたように、中国には古訳時代・旧訳時代・新訳時代という、翻訳された時代に区分があります。これらの間に多数の経典が翻訳され、訳者により翻訳の内容が異なることがありました。

 また、インドから中国には、原始仏教から初期大乗仏教までが、成立の早晩にかかわらず一斉に伝播してきました。ついで中期大乗仏教が入り、その後に密教が伝わってきます。既存の道教・儒教のなかに「格義仏教」が横行し、経典の解釈においては、小乗・大乗が混沌として整理されず、仏教における浅深や勝劣が未分別に主張され、ここに、中国独自の「教相解釈」による経典の体系化が論議されました。

 天台大師のとうじは、南三北七といって、揚子江より南地では、涅槃宗が『涅槃経』を最高とし、北地では地論宗が『華厳経』を最高の経典として、教学の大勢をなしていました。そこで、天台大師は釈尊が説かれたこれらの経典を、その説法の時機と内容の浅深を分類し、整理したのが「一代五時」です。

この「一代」とは釈尊の一生の教化のことで、『大智度論』の「十九出家三十成道」の説により、開悟後の五十年の説法が、五つの時期によって構成されていることを明かしたものです。「五時」とは「華厳」・「阿含」・「方等」・「般若」・「法華涅槃」をいいます。天台の教学のなかでも、仏教の内容を知る方法として、「一代五時」が基本となっています。「五時」の教判は日本にも伝わり、仏教学の基本として日蓮聖人も踏襲しています。日蓮聖人は、「一代五時」の順序や分類などにたいし、『守護国家論』に、

「大部の経、大概、是の如し。此れより已外、諸の大小乗経は次第不定なり、或は阿含経より已後に華厳経を説き、法華経より已後に方等般若を説く。みな義類を以て之を収めて一処に置くべし」(原漢文、九三頁)

と、釈尊は対機説法をされているので、教法の前後、次第不定があるのは当然のことと弁え、釈尊の教えの骨子を基に分類すべきとして、天台大師が樹立された「一代五時説」を採用しています。

「五時」の分類について天台教学においては、『華厳経』の如来性起品の三照譬と、『法華経』信解品の領解段、それに、『涅槃経』の五味譬をもちいて説明しています。

 (一代五時)

(三照)      (五味)  (領解段)  (五時)

照高山――――――――乳 味――傍追――擬宜――華厳時

照幽谷――――――――酪 味――二誘――誘引――阿含時(鹿苑時)

        ―食時―生蘇味――体信――弾呵――方等時

照平地―――――愚中―熟蘇味――領知――淘汰――般若時

        ―正中―醍醐味――付業――開会――法華涅槃時

・「華厳時」

 まず、「華厳時」とは、摩竭陀国の伽耶城に近い菩提樹のもとで、悟りを開き成道した釈尊が、海印三昧という禅定の境地のなかにおいて、十方世界から来集した、法慧・功徳林・金剛幢・金剛蔵の四大菩薩や、文殊・普賢菩薩、宿世根熟の天龍八部のために、七処八会にわたって説かれた教えをいいます。

 すなわち、東晋仏駄跋陀羅(三五九~四二九年)訳の『大方広仏華厳経』(六〇巻)で、成道後の二一日間(あるいは三七日。図録二十『一代五時鶏図』(二三三三頁)に両説が示されています)の説法をいいます。

このときの対告者は法身の菩薩等といいます。なぜなら、文殊菩薩などは説法の教えを理解できましたが、舎利弗などの声聞は聾唖のように理解ができなかったからです。この「五時」は二乗の成仏に視点があてられた教相といえます。ゆえに、声聞からみると乳味の利益にあたるとし、擬宜というように、釈尊は衆生の機根を調べた段階といいます。太陽が出て高山に光を照らす段階で、これより衆生の調熟に入ります。

・「阿含時」

「阿含時」(鹿苑時)は、釈尊が華厳の教えを説きおえ、波羅奈国の鹿野苑に赴いて、阿若橋陣如等の五比丘にたいして説法します。その後、広くインドの一六大国に、一二年間にわたり遊化します。この、三〇歳から四二歳までの教えをいいます。『華厳経』の教えは高度で、それを理解できない未熟な者のために、初歩的な教えである、四阿含(長・中・増一・雑)を平易に説いたのが『阿含経』です。

釈尊はそれらの者を誘引するために一二年間説かれたわけです。この教えが四阿含といい、たくさんの阿含経典が説かれました。おもに「四諦」・「八正道」の教えが説かれています。天台大師は応身の釈迦如来が説かれた教えであるので、大乗法華仏教の視点から、小乗の教えであるとしています。これを「但説小乗」といいます。

声聞からすると、外道の誤った因果観から離れることができ、はじめて仏教の理解をし利益を得たので、乳から酪へ進展したとみます。また、説かれた場所の名前をとって「鹿苑時」ともいいます。

・「方等時」

「方等時」とは、その後、四二歳から五〇歳までの、八年(あるいは一六年)にわたって説かれた教えをいいます。本来は大乗経の総称で大方等経といいます。「方」は広い「等」はひとしいの意味で、五時判においては、『華厳経』・『般若経』・『法華経』・『涅槃経』いがいの、『維摩経』・『思益経』・『金光明経』などの大乗経典を総称していいます。

代表的なのは『維摩経』で、このなかに(弟子品・菩薩品)、維摩居士が舎利弗などの声聞に、「空理」のみに執着し自己の得脱であった「灰身滅智」を恥じて大乗を慕わせます。この「方等時」の目的は、釈尊が小乗の教えから大乗の教えに化導していくことにあります。これを「恥小慕大」といいます。

信解品において長者が窮子を弾呵して、教えの深化と修行を向上させる段階とみて、酪味より生蘇味へ、日光が平地を照らす食時とします。つまり、阿含の小乗教に固執する弟子たちにたいし、大乗の教えが優れていることを示し、小乗の「空理」を弾劾・呵責して、弟子たちも大乗の機根であることを説いて、上求大乗の心を起こさせました。ゆえに、この方等時の化導を弾呵といいます。また、これを「三重対説」といいます。

・「般若時」

「般若時」を第四時にしたのは『無量義経』の「次説方等十二部経摩訶般若、華厳海空、宣説菩薩、歴劫修行」(『開結』二二頁)の文によります。

「般若時」とは、その後、霊鷲山や白鷺地で、五〇歳から七二歳までの、二二年(あるいは一四年)にわたって説かれた教えをいいます。摩呵般若・光讃般若・勝天王般若・金剛般若・仁王護国般若等の諸種の『般若経』が属しています。六波羅蜜のうち般若(智慧)波羅蜜を主点とした教えを説き、一切の諸法は空(一切空)であるとします。

このときに釈尊は大乗と小乗が、おのおの別れていると対立的に考え、「方等時」に執着することを淘汰しました。釈尊の教えは本来、大乗と小乗との区別はなく、すべてが大乗教であることを示し統一します。そして、空の智慧をもって執情を洗い落すという意味から、これを淘汰といいます。具体的には二乗所行の四念処や三十七道品や無明の煩悩もみな摩訶衍と説きます。これにより、大小二乗に執着する心が泯亡するので、これを淘汰といいます。そして、大小二乗を融通することから、「般若の法開会」といいます。

しかし、「般若時」の経典は、『法華経』に導くための権大乗の教えという立場です。なぜなら、「般若時」で大乗を説いても二乗は自己のものとは考えていないので、大乗を求める念がおきず、舎利弗たちの人の上での差別は残ったままです。つまり、「般若時」においては「人開会」が行われていないからです。
 釈尊滅後、竜樹は、この「般若時」に説かれた、『摩訶般若波羅蜜経』の注釈書として『大智度論』を著し、また、『般若経』の教理の体系として、『中論』を著します。

・「法華涅槃時」

「法華涅槃時」とは七二歳から八〇歳までをいい、摩竭陀国の霊鷲山、宝塔品の虚空会において『法華経』を説かれ、さらに、涅槃の直前の一日一夜、沙羅林において『涅槃経』を説かれました。これを「法華涅槃時」といいます。前番の『法華経』が八年間、後番の『涅槃経』は釈尊が涅槃に入られる一日の説法をいいます。

釈尊は前の「般若時」にいたる四二年間、舎利弗などの弟子の機根を調熟してきました。『無量義経』には、これら四二年間の教えは方便であり、真実を顕していないと説いています。この理由は衆生の機根が多様であったためとし、根性を整えるのに化儀・化法の「八教」の化導を示します。

 『法華経』に入り、釈尊は声聞・縁覚・菩薩の三乗にたいし、三乗は方便であり二乗も成仏できるとした一仏乗の教法が説かれます。これを「二乗作仏」といい、この「法華時」における化導を「開会」といいます。この「開会」を明かした『法華経』こそが、釈尊一代にわたる最勝の教えであり、純一の実大乗教であることを説きます。迹門十四品はこの「開権権実」を説きます。

さらに、「本門」において「久遠実成」が開顕されることにより、『法華経』の超勝性が示されたように、釈尊は自らの意に随って『法華経』を説きました。ここに、『法華経』は釈尊の真意を説いた、随自意の真実教という理由があります。この本門十四品は「開近顕遠」を説きます。

天台は『法華玄義』の序に、蓮華の譬をもって本迹二門の三種の開顕を示しています。

  (開会  開・廃・立)

      ―為実施権――為蓮故華――従本垂迹―

  迹門―――開権顕実――華開蓮現――開迹顕本―――本門

      ―廃権立実――華落蓮成――廃迹立本―

五時判では『法華経』・『涅槃経』の両経を、第五時に位置づけして醍醐味とします。ただし、『涅槃経』は『法華経』の教えを補佐する傍依経となります。つまり、『法華経』を聞けなかった増上慢の者(「五千起去」)、「法華時」にて開悟できなかった者(「人天被移」)、そして、末代悪見の者のために四教を重ねて説かれたので、必ずしも不可欠とはされないからです。  

この『涅槃経』には、「仏身が常住」(「如来常住無有変易」)であることや、「一切衆生悉有仏性」を説いて、これらの者を涅槃に導く教えです。このことから天台大師は、『法華経』の「一切衆生・皆成仏道」と説かれる教理と同じとして、『涅槃経』を『法華経』と同じ第五時としました。

しかし、『涅槃経』には、爾前権教の内容も重ねて説いているので(「四教追説」)、純一無雑の「円教」を説く『法華経』と比較すれば、はるかに劣るものになります。これを「純円独妙」といいます。

ゆえに、『法華経』は純円一実の「大収経」(秋の収穫のようにすべての人々を救いとる教え)といい、『涅槃経』は『法華経』から漏れた者のために、四教を追説・追泯する「捃拾教」(収穫の落穂拾いのような教え)であるとして、両経は対等ではなく『法華経』がもっとも勝れた経典であるとします。

つぎに、この「一代五時」を、「化法の四教」と「化儀の四教」のあわせた、「八教」という方法にて説明をします。つまり、「五時」という年代別にわけた分類を、時間的に縦の教えた順序の内容としますと、「八教」とは横にその教えの浅深の内容を、四つに分けたのが「化法の四教」といいます。同じように、教え方の方法の分類をしたのを、「化儀の四教」といい、「五時」の経法の内容を二つの視点から考察しています。

また、「化法の四教」とは所化の法ということで、釈尊が衆生を導くために説いた教えの内容をいい、『天台八教大意』によりますと、釈尊は種々に教えを説いたが、その説法の内容の分類をすると数種しかないとしています。それを薬味の分類のように限られているとして、この化法を「蔵教」・「通教」・「別教」・「円教」の四つに分類しています。

(「五時」と「八教」『法華玄義』)

   華厳――別円―――――兼―――頓・秘密・不定

    阿含――蔵――――――但―――漸・秘密・不定

   方等――蔵通別円―――対―――漸・秘密・不定

   般若――通別円――――帯―――漸・秘密・不定

法華――円――――――純―――非頓非漸・非秘密非不定

涅槃――蔵通別円―――雑―――非頓非漸・非秘密非不定

・「蔵教」

「蔵教」とは、経・律・論の三蔵教をいい、略して「蔵教」といいます。この三蔵は大小乗の両方に言えることですが、とくに、小乗のことをいいます。これは、天台大師が『安楽行品第十四』の、「小乗に貪著する三蔵の学者」(『開結』三七一頁)の文と、『成実論』の「我れ今三蔵の中の実義を説かんと欲す」の文を依拠として、小乗教を指して「蔵教」と称しました。

つまり、釈尊が鹿野苑で説いた教えのことで、仏滅後に第一回目の結集が、摩伽陀国の畢波羅窟の内外にて、阿難が五百の羅漢の列席したなかで説いた阿含経のことをいいます。三乗のうちでも主に声聞・縁覚を対象としています。これを、「二乗正機」・「菩薩傍機」といいます。

教義については、三界・六道の苦しみを受けているのは、前世における煩悩と業の報いによるとし、この煩悩を断ずるためには、「空理」を悟るべきことを説きます。この蔵教の空理観は、一切の事物を分析し、それらは因縁が尽きれば滅して空になると観る、「析空観」を説きます。
 この空理観にもとづき、声聞は苦集滅道の「四諦」の教えをもって悟りを開きます。修行は略して戒定慧の三学、広げて七科三七道品があります。

僻支仏は二通りあり、「十二因縁」の教えを聞いて悟りを開く縁覚と、無仏の世に生まれて飛華落葉という無常を観じて、空寂の理を悟る独覚があります。ともに「十二因縁」を内容とします。この悟りとは見思惑という煩悩を断尽し、再び三界六道の苦界に生を受けないことを、蔵教の悟り(涅槃)としています。つまり、煩悩は肉体があるかぎり心を惑わすものであるから、「灰身滅智」することによって、真の涅槃に入ることができるとされています。ゆえに、この悟りを「無余涅槃」といいます。

菩薩は上求菩提下化衆生の誓願によって六度の修行をします。三阿僧祇劫百大劫の長い修行を経て、史上の釈尊と同じく八相成道をおこない、菩提樹の下の金剛座上において三十四心断結成道すると説いています。

このように、「蔵教」は四諦・十二因縁・六度の三乗を別説しますが、主体は声聞にあります。また、「蔵教」の内容は個人の解脱を目的とする小乗の教えで、三乗の人のためには、四阿含経によって因縁生滅の「四諦」を説きます。これは折空観といって分析的に空を観じることにより、「無余涅槃」に入るための教えです。

しかし、このような蔵教の空理観は、現実を否定することになり、すべての実態を空の現れと見ることから「但空の理」といい、これは、偏った真理の見方であることから「偏真の空理」といいます。

・「通教」

「通教」とは、小乗(声聞・縁覚)にも大乗(菩薩)にも通じる「色即是空」の教えで、大乗の初門として大乗に分類しています。「蔵教」とのちの「別円二教」にも転換するところから「通教」といいます。これを「通前通後」といいます。また、小乗の者を大乗に通じ入れることを目的としますが、「三乗同禀」というように、三乗が等しく当体即空の理を体得するということから「通教」といいます。これを「三乗通同」といいます。

「通教」は三乗に共通した三乗共学の教えですが、「正為菩薩、傍通二乗」と説くように、本来は菩薩のための教えで、菩薩を正機とし、声聞・縁覚を傍機として説いた権大乗の教えです。

通教では、三界六道の苦界から脱れるための教えとして、すべてのものは因縁によって成立しており、それらは、「如幻即空」というように、諸法は本来、幻のように空であるということを説いています。諸法の当体はもともと存在せず、それ自体が空、すなわち、「当体即空」であるという「体空観」を説いています。「通教」の「通」とは、「当体即空」の空理が、前の蔵教の空理に通じ、また、後の別教と円教にも通じるという意味をもちます。

つまり、「蔵教」が色身の事相差別を説くことにたいし、「通教」は因縁即空の理法を説きます。このことから、「蔵教」を界内の事教とし、「通教」の理教と分けます。
 この「通教」において三乗は、「四諦」・「十二因縁」・「六度」を修行しますが、声聞は己弁地、縁覚は支仏地、菩薩は菩薩地までしか登れません。三乗共に到達できるのは第七己弁地までです。つまり、その悟りの内容は機根の利鈍の差により、同一の結果とはなりませんでした。すなわち、鈍根の菩薩や声聞・縁覚の二乗は、「当体即空」を聞いて蔵教の二乗と同じく、「但空」の空理を証することができますが、これ以上に向上するものではありませんでした。

利根の菩薩は、この当体に中道の理が含まれている「不但空の理」を悟ります。そして、のちに別教・円教に通じ入ることができるとします。これを「通同通人」といいます。「別教」の但中の理を悟るのを「別接通」といい、円教の不但中の理を悟るのを「円接中」といいます。

「蔵教」は実有の生滅を観察して「無余涅槃」に入るという折空観ですが、「蔵教」と「通同」といっても、「通教」は因縁即空・無生無滅と、体得していく体空観であるところに違いがあります。「通教」の代表的な法門は「空門」と規定されているように、「蔵教」とは違い、最初から「一切空の理法」にもとづいて、「空」原理を体証すべきことを説きます。ゆえに、「通教」の観法を巧度の「体空観」といい、また、「無生四諦」といいます。
 したがって、この通教の説かれた目的は、利根の菩薩に「不但空の理」を悟らせ、つぎの別教や円教の修行に進ませるところにありました。

・「別教」

「別教」は方等・般若・華厳時の三時に説かれたとされます。「別教」は小乗と区別して大乗の教えを説き、界外の変易生死から出離を求める、鈍根の菩薩のために無量の教えを説いたもので、蔵・通のように二乗を教化の対象とはしていません。

また、「別教」は「隔歴不融」であり、「相即融通」を説かないので「円教」とも区別されます。このように前の「蔵通ニ教」や、後の「円教」とも異なるところから「別教」といいます。また、「蔵教」・「通教」が声聞・縁覚のために説かれたのにたいして、菩薩だけに説かれた教えなので独菩薩の教えといいます。

「別教」は、前の二教が空理のみを説くのにたいし、空・仮・中の「三諦」を明かしています。「空理」とは、あらゆる存在には固定した実体がないことをいい、『瓔珞経』に知られるように空・仮・中の「三諦」をしだいに修めることを説きます。

そのなかでも、「中道」の理を悟り、順次に煩悩を断じ尽くすことを説きます。「仮諦」とは、あらゆる存在というものは因縁によって、その姿が仮(かり)に現れているとします。「中諦」とは、そのあらゆる存在は空でも仮でもなく、しかも、空であり仮でもあるという、空・仮のニ辺を超越したところをいい、ここに不偏の真実があるとみます。
 しかし、「別教」で説かれる空・仮・中の「三諦」は、互いに融合せず、おのおのが隔たっていることから「隔歴の三諦」といい、一切の事物について差別のみが説かれて、融和が説かれていないという欠点があります。また、ここで説かれる「中道諦」は、空・仮の二諦を離れた「中道」であるため、これを「但中の理」といいます。

つまり、「別教」は四諦の無量相を示した「無量四諦」を説くことが特色ですが、「別教」の根本原理である中道がいまだ「隔歴不融」の「但中」であることが欠点なのです。
 さらにこの「別教」には、大乗の菩薩にたいし、仏道修行を妨げる煩悩として、見思惑・塵沙惑・無明惑の三惑を説き、この三惑を断じ、界内・界外の生死を超えるために、『瓔珞経』を依拠とし「別教」の行位を代表した十信、十住、十行、十回向、十地、等覚、妙覚と次第して進む、菩薩の「五十二位」の修行の段階

を説きます。これを「次第三観」といい、所治の三惑も別なので、行位も五二の段階的に配列されます。

 また「別教」では、「蔵・通ニ教」で説かれた三界六道のほかに、四聖を含む十界すべての因果を明かしていますが、それぞれの境界は別個であり、「十界が互具」することは説かれていません。したがって、「別教」はこのように「三諦円融」の義もなく、十界の融通や互具の義を説かないことから、不完全な教えとされます。

・「円教」

「円教」では、空・仮・中の三諦は孤立することなく、一諦の中にそれぞれ三諦をそなえて、「一諦即三諦」・「三諦即一諦」の関係が説かれます。これを「円融三諦」といいます。この「円融の三諦」は、法界に存在する個体や法界の全体も、中道不思議の妙体であるとするもので、諸法の円融と一即一切の円満の教えをいいます。つまり、宇宙法界の一切が円満に融合して、不可思議な当体であることを明かします。

「円教」は「四教」のなかにおいて、全てが備わっており完全な悟りの教えということから、「円融円満」といいます。円融というのは、迷悟・因果・善悪という諸法は、理性に本具したものであるということです。ここで説かれる中道は別教の「但中」にたいし、「不但中」といいます。

菩薩を対象にして教えが説かれていますが、「別教」と違うのは声聞・縁覚の者を含んでおり、「円教」においては「十界互具」が説かれ、九界の存在も仏界に具足し、仏界の存在もまた九界の衆生に具足することが明かされます。この「円融三諦」・「十界互具」の原理を基として、『法華経』には「一念三千」という法門が明かされます。この法門を信ずることによって、自身と宇宙法界が「円融相即」し、これまで断尽すべきとされた煩悩を断ずる必要はなく、凡夫の身をそのまま「凡夫即仏」と開く、即身成仏の義を明かすものです。
 煩悩を断じ尽くして菩提を得るのではなく、煩悩即菩提・生死即涅槃であるという見地を説きます。つまり、事理円融の中道実相の理(「一念三千の理」)を説いて、「一心三観」の修行をして悟りに入ると説きます(『観心本尊抄』七〇三頁・『富木入道殿御返事』一五八九頁)。ここに、「円融三諦」や「十界互具」を説き明かした「円教」は、完全な教えであり、仏の究極の悟りといわれます。

この蔵通別の三教と「円教」の違いは、四諦の説き方の相違です。「蔵教」の生滅四諦、「通教」の無生四諦、「別教」の無量四諦は三諦や修観などの性格を別にしますが、苦諦・集諦という生死の因果、すなわち、煩悩と、滅諦・道諦の涅槃の因果、すなわち、菩提の、この生死と涅槃あるいは煩悩と菩提の二つを別種として捉えることは同じです。これにたいし、「円教」は煩悩と菩提、生死と涅槃の二元的に説かずに、四諦の各当処において一体相即すると説くところに違いがあります。これを「無作四諦」といいます。

天台は実践として「四種三昧」と「十乗観法」(円頓行)を説きます。つまり、「円教」教相において円融を説き、観心の行軌に円頓行を説きました。
 なお、「円教」の理は「華厳時」・「方等時」・「般若時」にも一応説かれていますが「蔵」・「通」・「別」の方便教と混合しているため、純粋な教えではありません。このため、それらを「爾前の円」といいます。これにたいして、『法華経』は純粋に「円融円満」の教えが明かされたので、これを「純円独妙」といいます。「円教」においてはじめて「円融三諦」が説かれたのです。

「円教」とは方便を設けずに、釈尊の隋自意真実の教えを説いたものです。『止観弘決』によりますと、「四教」のうち「蔵」・「通」の二教は「教証倶権」といい、教法も証果も方便であって真実ではないとしています。「別教」は「教権証実」といって、教法は方便であるが証果は真実としています。「円教」は「教証倶実」といって教法も証果もともに真実であるとしています。このことから、「蔵」・「通」・「別」の三教に仏果を説いていますが、「有教無人」といってそれは名のみであって、現実に仏果である成仏をした者はいないとしています。

  (四教と修観)

     (広狭) (三諦)(『涅槃経』の四諦)(修観)  (断惑)

   界内―事教―蔵―但空―――生滅四諦―――折空観―――断見思

   界内―理教―通―不但空――無生四諦―――体空観―――断見思

   界外―事教―別―隔歴三諦―無量四諦―――次第三観――断三惑

   界外―理教―円ー円融三諦―無作四諦―――一心三観――断三惑

つぎに、さきの図(五時と四教の関係)にある、兼・但・対・帯・円というのは、「華厳時」は「円教」に兼ねて「別教」を説くから兼といいます。「阿含時」は但(ただ)三蔵教をのみを説きますので但といいます。「方等時」は「四教」をならべ対立させて説きますので対といいます。「般若時」は「円教」に「通教」・「別教」を帯びて(さし挟む)説きますので帯といいます。「法華涅槃時」は円であり、『法華経』のみを純円とします。「涅槃時」は追説であるので「四教」をならべて説き、追泯のときは円となります。

法華の「円教」においても「今円昔円円体無殊」といって、爾前の四時の円と『法華経』の円の教えは同じであるとします。しかし、その作用に優劣があるとして、『法華経』の円を「純円独妙の開顕の円」とし、爾前の四時の円に勝れているとします。そして、『法華経』は「化法の四教」と「化儀の四教」を超えた、勝れた醍醐味のようなことから「超八醍醐」の教えとします。

また、「化儀の四教」とは、教え方の方法や形式を四通りに分類したものです。「頓教」・「漸教」・「秘密教」・「不定教」をいいます。

・「頓教」

「頓教」には頓直の義があり、釈尊が菩提樹下にて正覚したことを直ちに説いたことをいいます。これは対機を考慮することよりも、、直ちに悟りの内容を説く速やかな説法をいいます。

釈尊が菩提樹下の金剛座上において海印三昧に座しているときに、文殊師利菩薩や普賢菩薩などの菩薩をはじめとした、宿世に根性が熟した天龍八部のために、慮舎那報身の相好を現じて二七日(三七日)のあいだ説いた、「円兼一別」の『華厳経』のことをいいます。

・「漸教」

「漸教」とは、浅い教えから深い教えに至らしめるという、漸次的な説法の仕方をいいます。これは、華厳時とは対照的に対機に適合した方便を使います。そこから次第に誘引・弾呵・淘汰して調熟していきます。

具体的には鹿苑・方等・般若部のことで、これを「三漸の法門」といいます。つまり、鹿苑で『華厳経』の高度な教えを理解できなかった者や、五比丘のために説かれたのが阿含経です。小乗の四諦を中心に一二年間説きました。つぎの方等部では、灰身滅智の涅槃を目的としている二乗を、覚醒させるために大乗を説きます。大乗と小乗を別なものと考えていた二乗のために、一切の諸法は本来空であり、大小の区別はないと教えたのが般若の教えで、二乗に恥小慕大に化導します。

このように、対機の能力に応じて浅から深、小から大へと漸次に教えることを「漸教」といいます。

・「秘密教」

 古来の教判にある「不定教」を「顕露不定教」と「秘密不定教」の二つにわけた、「秘密不定教」をいいます。さきの「頓教」・「漸教」は規則的に対機説法をしましたが、これに対応できない者がいます。釈尊は特別な方法を用いて説法した化導をいいます。

「秘密教」とは、釈尊が大衆の前で説法をしているのは、ある特定の者にしていて、それを他の者には解らないようにすることで、釈尊の説法を聴く者が、互いにその存在を知らないことを秘密の教えといいます。これを「人法倶不知」といいます。

また、「秘密不定教」といい、他人が説法を聞いていることも知らない説法の形式をいいます。そこで釈尊は身口意の三密を持って、自在に衆生を利益する三輪不思議の化導をいいます。たとえば、釈尊の化導が娑婆と十方の分身土にわたるばあい、分身土の説法を娑婆の衆生は聞けないし、娑婆の説法を他土の衆生も聞くことができません。つまり、娑婆と他土の衆生は、空間を隔てているので互いに存在も説法もわからないのです。

 また、娑婆のなかでも一人に「頓教」を説き、多人には「漸教」を説くばあいがあります。逆に一人に「漸教」を説き多人に「頓教」を説いても、両者がそれを知らないことをいいます。また、両者に同じように「頓教」「漸教」「不定教」の化儀をもって説いても、相互に知らせない方法があります。これを妙楽は「三説相対」、また、「黙説相対」と解釈しています。

 つまり、「秘密不定教」とは、同一の説法の会座にいて同じ教えを聴きながらも、それぞれ機根に応じて聞き方を異にし(「同聴異聞」)、利益を得ることができない者もいます。このような機根に応じて得益が一定しない(不定)化導をいいます

・「不定教」

「不定教」は釈尊がある特定の者に説法をしていることを、大衆に解るように説くことをいいます。「顕露不定教」ともいい、仏の説法を聴く衆生が、互いにその存在を知り(顕露)ながらも、「秘密教」と同じ同聴異聞であったため、衆生の得益が不定であるという化導法をいいます。これを「人知法不知」といいます。

この説法方法は前の「秘密教」と同じく、華厳時の一部や阿含時・方等時・般若時にあたります。「頓教」・「漸教」の者は大を聞いて大を証し、小を聞いて小を理解するので、「頓教」・「漸教」は「顕露定教」といいます。しかし、機根はそれぞれ異なるので、同じ証果を得ていません。そのため釈尊は、同一会座のすべての者の能力に応じて、利益を得さしめる化導のことをいいます。

「秘密教」と「不定教」は、釈尊の説法を同じく聴聞しても、聞く者によってそれぞれの理解が異なっています。これを「同聴異聞」といい、「秘密教」と「不定教」の違いはここにあります。また、「秘密・不定」ともに同聴の形式をいうもので、理解に異解があることをいい(「同聴異解」)、「頓教」・「漸教」のように、別々の経典を説いたのとは違います。『法華経』・『涅槃経』は非頓・非漸・非不定非秘密になります。

 なを、この「一代五時」・「八教」は、爾前教にたいし『法華経』が勝れていることを説いた教相です。化儀は「会漸入頓」を示し、化法は「円教」を開顕したものです。妙楽はこの八教を超えた教えが『法華経』であるとします。すなわち、「超八醍醐」をこ示して法華至上を論証しました。