89.序品~化城喩品                           高橋俊隆

・『法華経』各品の大意

◇ 序品第一
 『法華経』は王舎城の近くにある耆闍崛山(霊鷲山)において説かれています。釈尊は『無量義経』を説き終えると無量義処三昧に入っていました。この場には阿若陳如を始めとする一万二千の阿羅漢、二千の声聞、六千の比丘尼、八万の菩薩、梵天・帝釈等の神々や、阿闍世王等の人民が聴衆として来座していました。

そのとき天より華が降り大地が六種に震動します。これを「此土の六瑞」といいます。これを見た大衆は歓喜して仏を見守ります。釈尊は眉間より光を放ち東方万八千の世界を照らします。そこには地獄から天上界の衆生の姿や、菩薩の修行、諸仏の般涅槃の様子が写しだされました。

 この奇瑞を見た大衆を代表して弥勒は、如何なる前兆かを文殊に問います。文殊は過去の瑞相からして、釈尊も「妙法蓮華経」を説かれると答えます。

―主要経文―

「今見此瑞与本無異是故惟忖今日如来当説大乗経名妙法蓮華教菩薩法仏所護念」『開結』七七

我見燈明仏本光瑞如此以是知今仏欲説法華経」『開結』八三)。

過去の瑞相に照らし合わせ、釈尊も『法華経』を説かれることを示します。

◇ 方便品第二

 釈尊は無量義処三昧からでて静かに立ち上がり、舎利弗に諸仏の智慧は難解であること、その仏智とは諸法実相であると説き十如是を示します。しかし、この智慧は仏のみが究めることができ、二乗の知るところではないと説きます。

 舎利弗は大衆を代表して、諸仏の智慧を讃歎する理由と、その教法について三度、懇請し、三度制止されます。これを、「三止三請」といいます。釈尊はこの儀式を経て、出世の本懐を説こうとします。このとき五千人の大衆が退出します。これを「五千起去」といい、『涅槃経』にて救済されます。釈尊は残留の者は法華一乗の機根のみであるとして、「三乗方便」の「一乗真実」を始めて説きます。これを「開近顕実」といい、この内容を「開三顕一」(会三帰一)といいます。ここに、迹門のテーマである「二乗作仏」が示されます。

 すなわち、釈尊が四二年に説いてきた教えは、一乗に誘引するための方便であることを説きます。諸仏が世に出現するのは「一大事因縁」があるためで、その目的はすべての人々に「仏智」を「開示悟入」することであると「四仏知見」を説明します。これは、五仏(過去仏・未来仏・現在仏・十方総諸仏・釈迦仏)も、どうようであると説きます。これを「五仏章」といいます。そして、今、方便品において釈尊は、この誓願を満足することができたと説きます。

さらに、「小善成仏」を認め「無一不成仏」の経であることを示します。そして、これこそが三世諸仏の説法の「儀式」であると説きます。

―主要経文―

「諸法実相所謂諸法如是相如是性如是体如是力如是作如是因如是縁如是果如是報如是本末究竟等」(『開結』八七

「舎利弗当知諸仏語無異於仏所説法当生大信力世尊法久後要当説真実『開結』九一

「諸仏世尊欲令衆生開仏知見使得清浄故出現於世欲示衆生仏知見故出現於世欲令衆生悟仏知見故出現於世欲令衆生入仏知見道故出現於世舎利弗是為諸仏唯以一大事因縁故出現於世」『開結』九九

「十方仏土中唯有一乗法無二亦無三」『開結』一〇七

若以小乗化乃至於一人我則堕慳貪此事為不可」『開結』一〇七

「舎利弗当知我本立誓願欲令一切衆如我等無異如我昔所願今者已満足化一切衆生皆令入仏道」『開結』一〇八

「若有聞法者無一不成仏」『開結』一一四

「仏種従縁起是故説一乗是法住法位世間相常住」『開結』一一五)「俗諦常住」

正直捨方便但説無上道菩薩聞是法疑網皆已除千二百羅漢悉亦当作仏如三世諸仏説法之儀式」『開結』一二〇

◇ 譬喩品第三

 「一乗真実」の教えを聞いた舎利弗は、仏弟子のなかで最初に仏意を領解し、仏子であることを信受します。そして、釈尊より華光如来となり、未来に大衆を教化するとして授記を受けます。舎利弗は未来において必ず成仏することの予言と保証をされたのです。これを「二乗作仏」といい、方便品からここまでを「法説周」といいます。『法華経』前半迹門の主要テーマとなります。

舎利弗は十大弟子のなかで、智慧第一と言われるだけに、ただ一人だけ方便品の「二乗作仏」を理解します。最澄作といわれる和歌に、

「三つの川 一つの海と なるときは 舎利弗のみぞ まづわたりける」

と、「三乗方便」を知り、だれでもが一乗として成仏できると理解できたのは舎利弗だけで、ほかの声聞たちも続いて成仏を得ることを望む心境がうかがわれます。

 そこで、舎利弗は「法説」の教えで、「二乗作仏」を理解できなかった千二百の者のために、再度、「開三顕一」の教えを請います。これに答えたのが「三車火宅」の譬えです。「三車火宅」の譬喩は「三乗方便一乗真実」を解説したものです。また、三界の衆生は生老病死の四苦八苦に悩まされており、その火宅に住むような衆生のために、三世にわたり救済していることを譬えています。釈尊は本品より譬喩をもちいて教えます。

―主要経文―

「初聞仏所説心中大驚疑将非魔作仏悩乱我心耶」『開結』一二九)「随自意」

「三界無安猶如火宅衆苦充満甚可怖畏常有生老病死憂患如是等火熾然不息如来已離三界火宅寂然閑居安処林野今此三界皆是我有其中衆生悉是吾子而今此処多諸患難唯我一人能為救護雖復教詔而不信受」『開結』一六二)「主師親三徳」「三徳偈」

「汝舎利弗尚於此経以信得入」『開結』一六七「信心為本」

「若人不信毀謗此経則断一切世間仏種或復顰蹙而懐疑惑汝当聴説此人罪報若仏在世若滅度後其有誹謗如斯経典見有読誦書持経者軽賎憎嫉而懐結恨此人罪報汝今復聴其人命終入阿鼻獄具足一劫劫尽更生如是展転至無数劫」『開結』一六七)「断仏種」謗法堕獄」

「断仏種故受斯罪報」『開結』一六九

「謗斯経故獲罪如是」『開結』一七二

但楽受持大乗経典乃至不受余経一偈」(『開結』一七四頁)「専持法華」

◇ 信解品第四

 「三車火宅」の譬えにより、二乗も成仏できることを知った四大声聞(須菩提・摩訶迦旃延・摩訶迦葉・摩訶目連)は、「二乗作仏」を領解した心境をのべます。これが「長者窮子」(父子相失)の譬えです。仏弟子の声聞は能力により、上根・中根・下根の三根にわかれます。舎利弗は上根になり、本品の四大声聞は中根の機根になります。

ここでは自己の怠慢を反省し、声聞にも成仏の記別が授けられた法悦をのべています。これまでは小乗の「灰身滅智」の涅槃を最上の目的としてきたが、声聞にも授記されるのを見て、摩訶迦葉が「無量の珍宝を求めざるに得た」と、喜びをのべたのです。本品に仏説はありません。この喩えによって天台大師は「五時教判」を立てました。

―主要経文―

「深自慶幸獲大善利無量珍宝不求自得」(『開結』一七七)

「即遣傍人急追将還」『開結』一八一「華厳部」

「而設方便密遣二人形色憔悴無威徳者」『開結』一八二)「含部」

「心相体信入出無難然其所止猶在本処」『開結』一八四「方等部」

「今我与汝便為不異宜加用心無令漏失」(『開結』一八五頁)「般若部・菩薩」

「諸君当知此是我子我之所生」『開結』一八六)「法華真実」

「無上宝聚不求自得」『開結』一八九「自然譲与」

「世尊大恩以希有事憐愍教化利益我等無量億劫誰能報者」『開結』一九八「仏恩報謝」

◇ 薬草喩品第五

 釈尊は迦葉に向かい、「長者窮子」の領解をほめます。釈尊は四大声聞の信解に誤りはないことを証明し、重ねて「三草二木」の譬えをもって「開三顕一」を説きます。

仏の平等の慈悲は一味の雨のように平等であであるが、大・中・小の薬草(三草)、大樹・小樹(二木)の力量に違いがあるように、衆生の機根に応じて得益が相違したことを説きます。釈尊の教化は平等であり、すべての衆生も菩薩道を修行すれば悉く成仏すると化導されたのです。

―主要経文―

「皆令歓喜快得善利是諸衆生聞是法已現世安穏後生善処以道受楽亦得聞法既聞法已離諸障碍」『開結』二〇六)法華経の行者は「現安後善」の文証。

「汝等所行是菩薩道漸漸修学悉当成仏」『開結』二一五

「汝等所行是菩薩道~悉当成仏」と説いた釈尊は、金言のごとく声聞にたいし成仏の授記をします。すなわち、はじめに迦葉に光明如来、須菩提は名相如来、迦栴延は閻浮那提金光如来、目連は多摩羅跋栴檀香如来となる記別を与えます。

菩薩にたいする授記は他経にもありますが、声聞にたいしての授記は『法華経』のみの特色です。「二乗作仏」の証拠となります。中根の声聞は、この譬説周において悟りを得て授記を受けます。

譬喩品からはじまる譬説周は本品で終わります。譬説周は、正説(仏の説法)、領解(法を聞き自身の理解を述べること)、述成(領解に誤りがないことを釈尊が証明すること)、授記(領解により未来の成仏を予見し保証すること)の四段に区分されます。

つづいて、釈尊は過去宿世の因縁を説くと告げ、これにより下根たちの成仏の授記をうながします。

―主要経文―

「無有魔事雖有魔及魔民皆護仏法」『開結』二一七

「如以甘露灑除熱得清涼如従飢国来忽遇大王膳」(『開結』二一九頁)

◇ 化城喩品第七

 つぎに、釈尊は下根の声聞のために、過去の因縁を説きます。本品から授学無学人記品第九までを因縁周の説法といいます。本品ではこの場の大衆と釈尊の関係は、久遠の昔からのものであることを説きます。三千塵点刧の昔に、好成世界にて大通智勝仏が成道します。この仏が出家する前に王城に残してきた十六人の王子も出家して、大通仏から四諦・十二因縁の法門を聞いて信受します。

その後、大通仏は『法華経』を説いて、八万四千刧の間、禅定に入ります。この期間に十六王子は人々のために『法華経』を覆講し利益を与えます。これを「法華覆講」といいます。この後、十六王子も十方に分かれて成仏します。その十六番目の王子は、娑婆世界で教化をされ成仏したと説き、今この娑婆世界の釈尊のことであると説きます。

 そして、今日、釈尊の教化を受けている三乗は、大通仏のときから生々世々に教化していたことを明かします。この間に成仏した者もあり、今番の声聞たちは小乗に執着して成仏できなかった者であるために、あえて三乗の方便を設けて一乗に誘引したことを説きます。すなわち、「大通結縁」の因縁を明かしたのです。

 この大通仏の結縁に、天台大師は「種・熟・脱」の三益、「化導の始終不始終」の教義を立てました。また、日蓮聖人は「三五の二法」において、釈尊の因位の菩薩行として、この大通結縁の三益論を重視します。

 釈尊は、声聞の理解を深めるために、「化城宝処」の譬えを説きます。ここに、釈尊が生々世々に衆生を引導してきた、熟益の化導を明かされたのです。

―主要経文―

「譬如三千大千世界所有地種仮使有人磨以為墨過於東方千国土乃下一点大如微塵又過千国土復下一点如是展転尽地種墨」(『開結』二三〇頁)「三千塵点・大通結縁」

「第十六我釈迦牟尼仏於娑婆国土成阿耨多羅三藐三菩提諸比丘我等為沙弥時各各教化無量百千万億恒河沙等衆生従我聞法為阿耨多羅三藐三菩提此諸衆生于今有住声聞地者我常教化阿耨多羅三藐三菩提是諸人等応以是法漸入仏道所以者何如来智慧難信難解爾時所化無量恒河沙等衆生者汝等諸比丘及我滅度後未来世中声聞弟子是也」(『開結』二六〇)法華覆講」「昔中今の三益」

「所得涅槃非真実也但是如来方便之力於一仏乗分別説三」『開結』二六五「開三顕一」

「我在十六数曾亦為汝説是故以方便引汝趣仏慧以是本因縁今説法華経令汝入仏道慎勿懐驚懼」『開結』二七〇「本因縁」