90.五百弟子品~安楽行

五百弟子品第八 

 富楼那は化城喩品の宿世の因縁説を聞いて、釈尊の三世にわたる自在神通の化導と、「一仏乗」の領解をのべます。釈尊は富楼那の説法第一の本地を顕して、法明如来の記別を与えます。

つぎに、憍陳如たちの千二百の阿羅漢に普明如来の記別を授け、優楼頻螺迦葉たち五百の阿羅漢も、同じ普明如来の記別を受けます。

この五百の阿羅漢は歓喜して、その領解をのべたのが「衣裏繋珠」の譬えです。釈尊が菩薩であったときに尊い教えを受け、一乗の「宝珠」を蔵していたのに廃忘したこと、また、阿羅漢を最上の涅槃と思い、成仏を希求しなかったことの反省と、授記されたことの歓喜をのべています。

―主要経文―

「内秘菩薩行外現是声聞小欲生死実自浄仏土示衆有三毒又現邪見相」『開結』二八三

◇ 授学無学人記品第九

 「学」とは学ぶべきことが多々あることをいい、「無学」は学ぶべきことを全て学び終えた阿羅漢をいいます。

 阿難と羅睺羅たち二千人の声聞が記別を懇請し、釈尊は阿難に山海慧自在通王如来、羅睺羅に蹈七宝華如来の授記をし、二千の声聞にも宝相如来の記別を与えました。
 このとき、同座にいて聴聞していた八千の新発意の菩薩は、声聞に授記があるのに、菩薩に記別が与えられないのは、どのような因縁であるかを問います。これを「八千菩薩生疑」といいます。釈尊は阿難と自らが、「空王仏」の所において発心した過去世を説いて、阿難は「多聞第一」を志して精進したことを明かし、因縁の所生であることを告げます。

しかし、菩薩の疑念は次ぎの流通分に入って、説示されることになります。以上にて迹門の正宗分と、声聞を対機とした三周説法を終えます。

つぎの流通分からは菩薩が対機となってきます。これは滅後の弘通は、菩薩でなければ達成できないほど困難であることを意味しています。

―主要経文―

「所願具足心大歓喜得未曾有即時憶念過去無量千万億諸仏法蔵通達無礙如今所聞亦識本願」『開結』二九九「阿難顕本」

◇ 法師品第十

 本品から安楽行品までは迹門の流通分になります。釈尊は薬王菩薩を代表とする八万の菩薩にたいし、仏の在世・滅後において『法華経』の一偈一句を聞いて、一念も随喜する者には成仏の記別を授けることを約束します。これを迹門の「総記別」といいます。

つぎに、『法華経』の「五種法師」の修行をし、『法華経』を「十種供養」する功徳を説きます。そして、これを行う者は大願を成就した菩薩であると説きます。これらの菩薩を仏と同じように供養するようにと告げ、さらに、滅後に一人のためにも『法華経』の一句を説く者は「如来の使い」であると説きます。また、『法華経』を読誦する者を謗ることは、仏を謗るよりも罪の深いことを説きます。

 本品に「已今当の三説」が示されて、釈尊一代五時の説法中、『法華経』が最勝であることを説き、この『法華経』は如来の現在でも怨嫉が多く、滅後はさらに厳しいので、如来は『法華経』を弘通する行者のために、化人を遣わして守護することを説きます。

そして、『法華経』を受持する者は、「弘教の三軌」を心得て弘教する用心を示しています。本品には譬説として「高原鑿水」(しゃくすい)を説き、これにより、『法華経』を聞法することの難しさ、難信難解を示しています。つまり、凡夫が自らの仏性を知り成仏できることを説いています 

―主要経文―

「如来滅度之後若有人聞妙法華経乃至一偈一句一念随喜者我亦与授阿耨多羅三藐三菩提記」『開結』三〇五)「迹門の総記別」

「我滅度後能窃為一人説法華経乃至一句当知是人則如来使如来所遣行如来事何況於大衆中広為人説。薬王若有悪人以不善心於一劫中現於仏前常毀罵仏其罪尚軽若人以一悪言毀在家出家読誦法華経者其罪甚重。薬王其有読誦法華経者当知是人以仏荘厳而自荘厳則為如来肩所荷担」『開結』三〇八)「如来使」

「我所説経典無量千万億已説今説当説而於其中此法華経最為難信難解。薬王此経是諸仏秘要之蔵不可分布」

(『開結』三一二頁)「「已今当三説」

「而此経者如来現在猶多怨嫉況滅度後」『開結』三一二)釈尊が受けた「九横の大難」を、日蓮聖人は滅後末法の受難に例えます

入如来室著如来衣坐如来座爾乃応為四衆広説斯経如来室者一切衆生中大慈悲心是如来衣者柔和忍辱心是如来座者一切法空是安住是中」『開結』三一六頁)「衣座室三軌」

我遣化四衆 比丘比丘尼及清信士女供養於法師引導諸衆生集之令聴法若人欲加悪刀杖及瓦石則遣変化人為之作衛護」『開結』三一九「遣化四衆」

◇ 見宝塔品第十一

 このとき、大地より高さ五百由旬の七宝の宝塔が出現します。空中に居した宝塔のなかに座す多寶仏が、釈尊の説く『法華経』は真実であると証言します。これを「証前」といいます。この真実とは「略・広開三顕一」「二乗作仏」と、釈尊滅後の衆生の成仏です。しかし、聴衆は滅後の衆生の成仏について、未知の疑念をもっていました。

大楽説菩薩は宝塔出現の因縁を釈尊に問います。宝浄世界の多寶仏は、『法華経』を説くところがあれば、そのところに涌現して「真実」である証明をすると誓願を立てたことをのべ、多寶仏は『法華経』を聞くためにこの場にきたことを説きます。これを「多宝証明」といい、このことから多宝仏を「証明仏」といいます。

 釈尊は塔中の多宝仏の仏身を拝顔したいという、大楽説菩薩たちの願いを知ります。多寶塔を開くためには、十方の分身諸仏を集めるという約束があります。それは、過去の諸仏と現在の仏とが、久遠劫より一体であることを証明することにあります。釈尊は白毫から放光して十方世界の諸仏の国土を照らしだします。また、香を焚き曼荼羅華を一面に敷き、娑婆を清浄にし(三変土田)、人天を他土に移して(人天被移)一仏国土とします。このときから説処は虚空会になります。大衆も虚空に摂在します。

諸仏は一人の菩薩を率いて来集します。そして、諸仏たちは使いを遣わせて開塔を欲しますと、釈尊は右の指を持って虚空上の扉を開きます。多宝仏は全身不散の禅定の姿にて座しています。多宝仏は再度、「善哉善哉」と真実を証明し、『法華経』を聞法するために娑婆に来至したことを告げます。大衆はこの言葉に感激していると、多寶仏は半座を分かって釈尊を宝塔のなかに招きます。釈尊は多寶仏の右の上座に入り並び座します。これを「二仏並座」「一塔両尊」といいます。大衆は自分たちも虚空に昇ることを懇願し、釈尊は神通力をもって虚空に移します。

 「二仏並座」の釈尊は、涅槃が近いことを告げ、この娑婆世界において『法華経』を説く者は誓願を起こすよう呼びかけます。本品は法師品につづいて滅後の弘教を勧募します。釈尊はこの場において弘教することの誓言をのべるようにと三度、諫めます。これを「三箇の勅宣」といいます。(「三箇の告勅」)。

釈尊は滅後に『法華経』を弘教することは容易でないことを、「六難九易」の譬えをもって説示し、ここに「此経難持」が説かれます。

―主要経文―

「爾時宝塔中出大音声歎言善哉善哉釈迦牟尼世尊能以平等大慧教菩薩法仏所護念妙法華経為大衆説如是如是釈迦牟尼世尊如所説者皆是真実」『開結』三二三)「多宝証明」

「通為一仏国土」『開結』二三一

「爾時多宝仏於宝塔中分半座与釈迦牟尼仏而作是言釈迦牟尼仏可就此座。即時釈迦牟尼仏入其塔中坐其半座結跏趺坐」『開結』三三四)「二仏並座」

「即時釈迦牟尼仏以神通力接諸大衆皆在虚空以大音声普告四衆誰能於此娑婆国土広説妙法華経今正是時。如来不久当入涅槃仏欲以此妙法華経付嘱有在」(『開結』三三四頁)「五箇の鳳詔、第一の勅宣」「二種の付属、近令有在・遠令有在」

「告諸大衆我滅度後誰能護持読誦斯経今於仏前自説誓言」(『開結』三三六頁)「第二の鳳詔」

「於我滅後誰能受持読誦此経今於仏前自説誓言」(『開結』三四〇頁)「第三の諌勅」

◇ 提婆達多品第十二

 悪人の代表とされる提婆達多が、釈尊に反逆した罪により堕獄するが、未来には天王如来となることを説きます。釈尊は過去世に、阿私仙人の教化により、妙法蓮華経を得て成仏することができたことをのべ、そのときの阿私仙人が今の提婆達多であると過去の因縁を明かします。そして、今日、提婆達多が釈尊に敵対することにより三十二相八十種好の仏徳を得たと説きます。これを悪人成仏の現証とします。

 提婆達多は釈尊と従兄弟で、はじめは仏弟子となって教えをすべて網羅する才覚の持ち主でした。しかし、提婆達多が戒律を厳格にすべきことを釈尊に進言したが意見を異にしたといいます。これにより分派活動を行い釈尊の殺害や教団の破壊を企てます。また、阿闍世王と謀って教団を自分のものにしようとします。この現れが父王、頻婆娑羅王の殺害です。阿闍世王はのちに改心し釈尊入滅後には王舎城に舎利塔を建て、第一結集にも外護しています。

 提婆達多の死相について、『智度論』一四に「提婆達多、逆罪ヲ造ルトキ太(大)地自然ニ破(ワレ)、火車来リ迎エテ、生キナガラ地獄ニ入ルト云ヘル是ナリ」と、提婆達多は燃え盛る車とともに焼死し、焼跡の大地は窪み遺骸もわからないほどであったと伝えています。

 本品の後半は、多寶仏の弟子、智積菩薩と、文殊の対話のなかで、智積が『法華経』を修行して速やかに仏となることができるかを問います。文殊が教化した沙竭羅竜宮の8歳の龍女が、『法華経』を受持し、刹那のあいだに成仏したことが説かれています。智積は釈尊ですら無量劫の難行苦行を積み重ねて成仏したのに、わずかな年限で龍女が正覚を成就したことを不信します。

このとき龍女が現れ持経の得解をのべます。舎利弗は爾前経において女人は五障があるとして、成仏が否定されていた疑心をのべます。そのとき龍女は神力をもって成仏の姿を見せます。このように、本品において八歳の蓄身の龍女が現前に成仏した姿を見せて、女人成仏の現証を示しています。

この悪人と女人の成仏を示して、末法悪世において『法華経』を受持する功徳を勧奨します。これを「二箇の諫暁」といいます。

―主要経文―

「仏告諸比丘爾時王者則我身是時仙人者今提婆達多是由提婆達多善知識故令我具足六波羅蜜慈悲喜捨三十二相八十種好紫磨金色十力四無所畏四摂法十八不共神通道力成等正覚広度衆生皆因提婆達多善知識故。告諸四衆提婆達多却後過無量劫当得成仏号曰天王如来」(『開結』三四六頁)「第四の諫暁」

女身垢穢非是法器云何能得無上菩提仏道懸曠逕無量劫勤苦積行具修諸度然後乃成。又女人身猶有五障一者不得作梵天王二者帝釈三者魔王四者転輪聖王五者仏身云何女身速得成仏」『開結』三五三「女人五障」

「爾時娑婆世界菩薩声聞天龍八部人与非人皆遙見彼龍女成仏普為時会人天説法心大歓喜。悉遙敬礼無量衆生聞法解悟得不退転無量衆生得受道記。無垢世界六反震動娑婆世界三千衆生住不退地三千衆生発菩提心而得授記智積菩薩及舎利弗一切衆会黙然信受」(『開結』三五四頁)「龍女成仏」

◇ 勧持品第十三

 薬王・大楽説菩薩など二万の菩薩は、釈尊の「三箇の勅宣」(宝塔品)、また、「二箇の諌暁」(提婆品)を聞き、大忍力を起こして滅後悪世における『法華経』の弘通を誓います。すでに授記された阿羅漢や八千の声聞は、罪悪深重の娑婆世界での弘通の困難を知り、他国での弘通を誓います。

 このとき、釈尊は養母の波闍波提比丘尼などの六千の比丘尼に、一切衆生喜見如来の記別を与えます。また、妃の耶輸多羅比丘尼と随従していた比丘尼に、具足千万光相如来の記別を与えます。「龍女成仏」を眼前にした比丘尼たちも、心に安穏の境地を具足したと授記をよろこび、釈尊の要請に答えて他土における弘教を発願します。

 しかし、釈尊はこれらには答えず、座中の八十万億那由他の菩薩にしぼって、暗に此土の弘教を誓わせます。菩薩は仏意を知って弘教の発誓をします。それが「三類の強敵」があっても、「不惜身命」にて弘通するという「二十行の偈文」です。法師品の「弘教の三軌」(衣・座・室の三軌)を軌範としたこの文は、「法華色読」・「折伏逆化」の證文となります。

―主要経文―

「有諸無智人悪口罵詈等及加刀杖者我等皆当忍」『開結』三六三「俗衆増上慢」

悪世中比丘邪智心諂曲未得謂為得我慢心充満」『開結』三六三「道門増上慢」

或有阿練若納衣在空閑自謂行真道軽賎人間者貪著利養故与白衣説法為世所恭敬如六通羅漢是人懐悪心常念世俗事仮名阿練若好出我等過而作如是言此諸比丘等為貪利養故説外道論議自作此経典誑惑世間人為求名聞故分別説是経常在大衆中欲毀我等故向国王大臣婆羅門居士及余比丘衆誹謗説我悪謂是邪見人説外道論議」『開結』三六三「僭聖増上慢」

「濁劫悪世中多有諸恐怖悪鬼入其身罵詈毀辱我我等敬信仏当著忍辱鎧為説是経故忍此諸難事我不愛身命但惜無上道」『開結』三六四「法華色読」

「悪口而顰蹙数数見擯出遠離於塔寺」『開結』三六五)「数数流罪」

◇ 安楽行品第十四

 菩薩や声聞たちは娑婆や他土での弘教を発願しましたが、この誓願にたいし釈尊は許可を与えなかったので、文殊は「初心浅行の菩薩」のための弘教について問います。本品は迹門の最後を締めくくり、「初心の菩薩」に弘教の方法を訓示します。これが「四法に安住すべし」と、文殊にに答えた身・口・意・誓願の「四安楽行」です。「初心の菩薩」は、この「四安楽行」を心得れば、末代悪世において安穏に弘教をすることができると説きます。

身安楽行とは内面には諸法実相を悟り、修行の妨げになる行為をしないことをいいます。具体的には権力者や邪見の者、女人に親近せず、心中を閑処座禅三昧の境地に定住させることをいいます。

口安楽行とは他人や法師の好悪長短を説かず、経典の勝劣を口にしないことで、法を求める者がいたなら大乗のみを説いて、仏智を得させることをいいます。 意安楽行とは嫉妬・諂誑・瞋恚・軽慢・邪偽の心を起こさず、法を戯論しないで人々にも疑悔させない慈悲の心をもち、平等に法を説くことをいいます。

誓願安楽行とは、末法法滅のときに、慈悲をおこし神通力・智慧力をもって、すべての人々を『法華経』に引導せんと誓願することをいいます。この「四安楽行」は「初心の菩薩」にたいして、釈尊滅後に耐えうる修行を示したのです。これを成就するなら自己に過失はなく人々から恭敬され、諸天の守護を得ると説きます。それは三世の諸仏が神力をもって『法華経』を護るからであると説きます。

 釈尊は『法華経』が最上の教えであること、『法華経』を見聞し値遇することが難しいことを「髻中明珠」の譬説で示しています。つまり、転輪聖王は髻に秘蔵した宝珠をあたえるのは、最大の巧者にのみであるように、釈尊も秘蔵した『法華経』を容易に開示しないことを譬えたものです。ここにおいて、釈尊は秘蔵していた宝珠である『法華経』を説いたことを告げたのです。

法師品からの流通分は、『法華経』の弘通を勧め、その方法と用心を説き、ここで迹門が終わります。つぎの涌出品から本門に入り、化城喩品の「三千塵点」結縁よりも、さらに過去からの結縁を説きます。ここに本来の釈尊が明かされます。本来の仏、本仏を開顕することから本門といいます。

迹門とは垂迹の仏、「六或示現」した化身の仏ということから、垂迹仏の説いた「垂迹門」といいます。本門は久遠本地の仏ということから「本地門」といいます。

―主要経文―

「於後悪世欲説是経当安住四法」『開結』三六七「四安楽行」

「一切世間多怨難信」『開結』三八五難信難解」

「此法華経諸仏如来秘密之蔵於諸経中最在其上」『開結』三八六「法華最勝」