13.母の死にあたって

 この度檀信徒の皆様には、18日に心から母の供養をして頂きまして厚くお礼申し上げます。
 母の死につきまして霊魂について私の見たままをのべさせて頂きます。それには私の父のことからお話し致さねばなりません。私の父は38年10月13日午後4時に74歳でなくなりました。そして、先日10月14日午前2時に84歳で母が亡くなりましたが、母の死する3時間前に母は枕もとの壁をジーと見つめてました。私と妹二人がおりましたので、母に「おばあちゃん何見てるの。そこにだれかいるの」と聞きましたら、母は「うん、うん、うん」と言って氷を一つ口に入れておいしそうにカリカリと食べました。それから2時間半は変わったこともありませんでしたが、死する30分くらい前から胸の痛みがはげしくなり苦しみました。看護婦さんに来て頂いて注射をしてもらい私が母の背をなでながら「おばあちゃん今注射したから、すぐ楽になって眠れるよ」と言いまして、お題目を唱えながら背をさすってましたら、目の前(母の顔の上)に父の姿がパッと立ちました。と同時に母が「ウーン」と言いまして、大きく背伸びして大の字をかきました。私はあわてて妹に先生をよぶように言い、お題目で胸をさすっているうちに先生も来て下さって二本注射しましたが、先生は心臓マヒです。ご臨終ですといいました。
 私は母が亡くなったのにも泣きもせず、ただ母の前にボーっと立ってまして、ただ父が迎えに来て、連れて行ったと、そのことばかり考えていました。
 私は霊とはお会いすることも多く、お経をすることも多いのですが、霊の力のおそろしさというか、霊が迎えに来るということを知りながらも、心あらたにするものがありました。又、母が病の床におりながらあちらこちらと歩いて来ることやら、つくづくと考えさせられます。
 私がなぜ母のことを書きましたかは、檀信徒の皆様に「霊}ということをより強く知ってほしいことと、死者の供養が大切であることを知ってほしいからである。
 どこの家庭でも告別式がすみますと、初七日、三十五日、四十九日、百ヶ日目を取越し法要をいたしますが、私は賛成できません。死者の為にも自分のためにもそれはやめてほしいと思う。三回忌までは死者の一番大切な日です。よく『十王讃歎抄』を読んで下さい。
   (昭和48年11月8日発行 『妙声』第29号より)