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父親の存命中は口げんかをしていた息子さんでしたが、必ず父親の誕生日にお寺にお参りして、父親の納骨堂にたたずむお子さんがいます。 亡くなったご命日には来ないで誕生日に来るとは変わっているなと長いこと思っていました。 しかし、それは坊さんの既成概念だと思うようになりました。 大切な人を失った悲しみ。 死んでもどらない。 もう会うことも話すこともできない。 この孤独感は若いほど耐えられないことです。 人生に不安と虚脱感が風穴から吹き込みます。 このお子さんは父親の誕生日に父親の膝元に来るのでしょう。 なにも喋らず無口にビールを飲んで、一時間ほどいて帰ります。 夜、遅くのことです。 父親との惜別に耐えて、心の中に父親を獲得しょうとしているのでしょう。 誕生日に来るのは・・・・・・・・ 悲しみを克服するため・・・・・・・ 父親を死なせたくない。 父親の側にいたい。 父親に・・・したい。 そういう供養もあるのだと知りました。 悲しみの家族のために共に泣き、亡くなった人をいつまでも忘れない。 そういう人になりたいですね。 そういう心があれば供養も形骸化しないでしょう。 |
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