104.生き返る気持ち      高橋俊隆
  子供がいても事情により子供といっしょに住まない夫婦、子供がいない夫婦がふえてきているそうです。子供が若いときから遠距離に住んでいて、心配事などの会話ができていないと、「子供は鎹(かすがい)」とは言えなくなるかも知れません。

 コロナ渦中で親子が会えない状態が続いていました。お正月の休みとかお盆の帰省もできない2年でした。こちらからも行けないという状態ですから、電話やラインで会話をしている親子が多くいました。入社したばかりで、しかも不慣れな土地、アパートも自分で探して契約、家財道具もセットを見つけて購入、会社へは行かず家にてパソコンの前で慣れない仕事。大学生もそうですね。宗門の大学も自宅、寮生活も延期、東京の大学に入学したのに札幌で授業、いちばん可哀想なのは友達ができないことと思います。

 テレビを見ることが多くなり、年齢のせいもあり教育番組やニュースが多いので、鬱病の特集をしていたのを見ていたら、たくさんの人がいるのでビックリしました。小学生は親に相談するけれど年齢が上がるほど、誰にも相談もできなくなっている統計が出ていました。

 人に会い話をすることが大事ということを感じました。社会は人間が動かしているし、人を大切にすることが、自分の人生を豊にすると思います。だからと言って誰でもと仲良くなってはいけない社会でもあります。そこには智慧が必要ですね。だから智慧を授けてくれる友人が必要なのでしょう。それはお互いに助け合うことになります。

 とかく、「してあげたのに」と思うことがありませんか。「見返りを求めない人」には8つの特徴があるらしいのですが、神様とか仏さまという人ですね。理想な生き方をしていると思います。お賽銭も見返りを求めないことと言いますが、それは喜捨といえども充分にその功徳を頂けますよ。(ホント 笑)

 お寺の納骨堂に祖母や縁者に会いに来て、いろいろ話をしている人が多いです。お寺の者とお会いすると会話があって楽しいものです。お寺だから言えることがありますからね。会話をしているとコロナ渦中にあっては、生き返るような気持ちになります。信仰できることは有り難いと思います。