105,断捨離は心の執着を捨てること      高橋俊隆
 さかんに老年になったので、断捨離をしているという会話を聞き、なるほど自分も考えなきゃと思ってしまいます。

 自分にとって思い出があって大切な物でも、子供などにとっては不要なもので、あるいは邪魔物となってしまいます。私も父母の物を片付けながら、こんな物を大事にしまっていたのかと思う物ばかりで、そのなかから数点だけ残してあとは処分してしまいます。

 今、自分の机の引き出しを見ると、自分でもいつまで、この短い鉛筆をしまっているのかと、捨てきれずにいます。この鉛筆で論文の資料を書いたなあと愛おしくなります。自分の人生をいっしょに送ってきた物だからなのでしょう。

 しかし、自分がいなくなって片付けをしている者が、私と同じようにこんな物を大事にしていたのかと思い、結局、処分するだろうし、それでも良いと思っています。むしろ、父親の人生をそこで感じてもらいたいと思っています。

 ところで、断捨離の正しい意味をご存じでしょうか。

 仏教の用語で自分の心に不要なものを断ち捨て執着から離れることで、物事からの執着を離れた自由な心になることとも言えます。不要な家具や電化製品をリサイクルして、身軽な生活を送るという感覚は同じようなことですね。捨てるのはもったいないからお寺の持って来る方もいます。バザーにて交換してお互いに役に立っているようです。

 私の短すぎる鉛筆は誰もいらないと思うけど、いぜんに、その鉛筆が古いものや珍しいものを蒐集している方がいると聞きました。販売経路がたくさんあるので、欲しい方に渡るのが物も喜ぶなあと思っていますが、こちらの断舎利はご先祖さま泣きますよ。要注意!