11.好きな宗教、合わない信仰

宗教は出会い。
国そして人それぞれに様々な出会いがあるでしょう。
日本は神道と仏教が古来からの宗教と定着されています。
仏教は聖徳太子の貢献により天皇家に支持されました。
国の統一と鎮護、人心の安定と忠義など政治的なことがありますが仏教は信仰されました。
さて、あなたはどの宗教が好きですか。
仏教では誰の教えが好きですか。
どの宗派が好きですか。
どれも関係なく先祖の宗派がただあるというだけのことですか。
日本の仏教は禅宗、浄土宗、真言宗、日蓮宗などのほかに奈良時代に入った宗派もありますが、比叡山延暦寺の最澄は先の四宗を勉強させました。
それは禅・浄土・真言・法華です。
それぞれの教えは違います。
そして自分の教えが一番としています。
仏教は私達の心と身体を救うものと思いますし、そうでなければただの教えだけになります。
私は仏教は力のあるものと思っています。
私達の感情に応じてくるものと思っています。
ケガをしたとき小さな傷ならつばだけでもいいのですが、骨まで達するキズならそれなりの処置をしなければなりません。
病気になって薬をもらうとき、より良い薬がほしいですね。
仏教の救済もそのとうりだと思います。
溺れたら藁をもつかむといいますが、仏教もそれぞれ力が違うとしたら大きな力を持ったものを選びたいですね。
親鸞は好きだが道元は嫌いだとか、禅は好きだが法華の太鼓はうるさいという主観で仏教を捉えるのではなく、又、うわべだけの知識でよしあしを決めるべきではないと思います。
信仰の仕方を合うとか合わないという考えは間違いだと思います。
信仰は信じ仰ぐことですから不惜身命(ふしゃくしんみょう)の覚悟があってこそとも言えます。
それは母親が幼子を離さないように、幼子がまた母から離れない心境が信心と日蓮聖人は言っています。
信仰とは守り守られることなのでしょうか。