13.日蓮聖人は漁師の子

 鎌倉時代に生まれた日蓮聖人は、千葉県の小湊の漁師の家に生まれました。
 日蓮聖人ご自身が「下賤の身」ということを述べています。
 当時は栴陀羅(せんだら)といって、殺生を仕事としている身分の低い者という考えがありました。
 日蓮聖人はそのような身分にとらわれず、仏教者として如何に修行と学問をすべきかを追及されました。
 清澄寺にて得度し、比叡山などで学んだ結果として法華経を説き始めました。
 日蓮聖人にとって何が一番大事であったのでしょうか。
 ほんの小さなことですが、それは父母の成仏ということから始まっています。
 自分が親を捨てるような形で出家したが、本心は恩のある父母を救うためであったと後年述べています。

 生き物を殺すということは非常に罪の深いこと。
 殺生をすれば地獄へ堕ちる。

 そのようなことが日蓮聖人の頭のなかに駆け回っていたのかも知れません。
 そして、「今度、命を惜しむならばいつの世にか仏になるべき、また、いかなる世にか父母・師匠をも救い奉るべきと」、と考えに考えを加えて、ついに法華経を説き広められました。
 山梨県に身延山(みのぶさん)久遠寺(くおんじ)というお寺があります。
 日蓮宗の総本山です。
 この山頂に思親閣というお堂があります。いまはロープウエイで登れますが、日蓮聖人はこの身延山に9年住まわれたおりに、この山頂に登られたそうです。
 何のために登られたかと言いますと、故郷の小湊を望むためだったのです。
 老体をお弟子さんに支えられながらのぼられたのでしょう。
 父母の墓をそこからお参りしたかったのです。
 漁師の子として生まれ、父母の孝養をなによりも願われた優しい日蓮聖人を伺うことができます。
 法華経はそういう日蓮聖人にとってかけがえのない教えといえましょう。