16.オウム真理教事件に思う

 2月27日に麻原被告に死刑判決があった。
 被害者にとっては死刑よりも生きながら地獄の苦しみを与えたいと思う人がいる。
 その苦しみのなかで罪を悔い、改心の心を起こせばというのである。
 自分の大切な人を失う悲しみ。
 二度と戻らぬ人。
 その死を自己の過去の罪にあるからと諦められるであろうか。
 それを因果とわりきれるであろうか。
 
 宗教は心の安心、世界の平和を願う。
 サリンやテロなどによるものではない。
 マインドコントロールによって犯罪を行なわせるものでもない。

 宗教は信仰心のない者に利用されたといえる。
 今に始まったことではなく、今も利用されていると思われる。
 高学歴だから騙されないとはいえない問題である。

 ただ悲しむだけの非力な自分を知る。

 以前に市民会館の一室にオウム入信の子を持つ親数人と対策を持ったことがある。
 日蓮宗の北海道の社会福祉教会が主催した話し合いである。
 聞いてみると皆、良い子ばかりである。
 なぜ既成の宗教が救えなかったのか。
 その問題が提起され、答えられない無知の自分がいた。

 ヤフーBB顧客データ流出。
 これも宗教がからんでいるらしい。
 仏教タイムス誌によると創価学会や公明党の名がでている。
 
 正直に神仏を崇め、祖先を大事にする信仰を伝えなければと思う。