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地獄図を見たことがありますか。 昔はたいていのお寺に掛けていたそうです。 閻魔大王の前で生前の行いが問われ、その結果、悪いことをたくさんしている者は、針の山を裸足で歩かされるとか、舌を抜かれたり、釜で煮込まれたり、川に流されるなどの絵が書かれたものです。 これは死後の世界をあらわしたものです。 その死後の世界は生きているときの行いによって決まることを示唆しています。 だから、悪いことをしてはいけないという暗示でになりますね。 大人になると、そんなことはないと思うのですが、心のどこかに、でもあるかもしれないという幼児の記憶が抜けずにあります。 年配の方に「和尚さん、地獄図を掛けたらいいよ。今の教育に足りないのはそれだ。」とよく言われます。 私もそう思います。でも掛けません。絵本は置いてあります。子供のなかに、その絵本を真剣に見る子もいます。 子供は素直ですから影響を受けやすいのでしょう。幼児教育に必要と年配の方が言われることにも一理があるのです。 お寺に来た子供に仏さんに手を合わせるんだよと言うと素直に手を合わせます。 本堂で遊ぶ前に手を合わせてからねというと素直に手を合わせます。 子供は素直な無垢な存在です。そのときに大事な教育をする、三つ子の魂百までとも言います。 ところが、親からするとへたに宗教教育はしたくないものですから、そういう場に子供を連れて行かない、言っても無宗教顔ではないでしょうか。 結婚式を教会でする。外国に行ってする。それは宗教ではないのでしょうか。 クリスマスはどうですか。ハロウインの霊はお盆と比べてどうなのでしょう。 十字架・聖水に悪魔が焼きつくされるというような映画を、どう思いますか。 では、源氏物語にでてくる、生き霊、死霊はどうですか。 問題の所在は、良い大人になってもらうための幼児教育でしょうか。 概して、お爺ちゃんおばちゃんと共に育った子は優しいといいます。 核家族で仏壇のない家。しかもお盆にもお墓参りや祖先を大事にしない家庭の子は、親と同じくそういう家庭を築くのでしょう。 散骨といって子供に面倒をかけたくないといいますが、中にはそれだけではない事情があるかも知れません。 いい親だったなと思う子供はきちんと泣き悲しみ葬儀をします。その後もお参りをします。 こういう言葉があります。 「子供は親の言うことを聞かないが、親と同じことをする。」 合掌 |
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