21.働くこと

 生計を立てるために私達は働いています。
 お金に困らなければ私達は働かないのでしょうか。
 そうとは言い切れません。働いている人は大勢います。
 自分にあった仕事をするのは最高のことです。
 しかし、あこがれの仕事と適職は違います。
 好きでなくても、備わった能力というものがあります。
 あるいは、子供の頃から教えられたことが実を結ぶこともあります。
 三橋美智也さんは子供のころから、民謡と三味線を教えられました。
 本人は稽古がイヤで何度も逃げたそうです。
 いわば民謡を仕事としていた両親に仕込まれたのです。
 ある時は三味線のバチで手を切られたこともあるそうです。
 声が高いのは尺八寸の音に鍛えられたからです。
 でも、三橋さんは親に感謝されたそうです。

 私は中学をでて理容学校に入り、一応、インターンもしました。
 それは、母の兄弟に床屋さんが二人いるということの勧めがあったからです。
 しかし、レーザーを持って顔ソリをするのは苦手でした。
 お客さんと話をするのも苦手でした。
 私には適職ではなかったのかもしれません。

 自分で適職を探すことは容易なことではないと思いました。
 親の教育、学校の教育の大切さはここにあると思います。
 なによりも社会人として働くことの大切さを教えていただきたいものです。
 我がままや自分の考えだけでは社会の中では通りません。
 それぞれの仕来たりがあるからです。

 さて、そのようにして働き、定年を迎えます。
 第二の人生。現代は次の仕事の準備を必要とします。
 人間は命ある限り働きたいものと考えられます。
 自分や家族のために稼ぎたい。
 社会の一員である安堵感を得たい。
 叶えられなくても懸命に歩むことが、仏教でいう菩薩の姿かも知れません。

 張九齢の「鏡に照らして白髪を見る」という唐詩に、
 「その昔、立身出世の志しを抱いていたが、つまずきばかり多く、
  すでにこの白髪をみる歳になってしまった。そして、鏡の中の影と
  現実の自分とが互いに憐れみ合うようなことになろうとは、誰が予想
  したであろうか。」
 という五言絶句がある。
 人生は思うようにはならないのだろう。
 しかし、生きがいのある目的は持ちたいもの。