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節分は豆をまき悪鬼を退散します。 日蓮宗では「鬼子母神」さまを守護神として奉っていますので、「鬼は外と」は言いません。 私のところでは、お餅と福賎を一緒にまいていましたが、今はもっと増えました。 最初は東京の信者さんが、小さいお子さんに縫いぐるみを上げたらどうかしら、と言うことで始めました。それが好評だったのがきっかけで、低年齢層のためのオモチャや鉛筆・消しゴムなどの文房具、駄菓子などをまくようになりました。 小さいお子さんが好みそうなオモチャは、本人が欲しい物をじかに上げるようにしました。 嬉しそうな顔。大人も必死にお餅や福賎をひろわれます。 景品の提供者もふえ、楽しい節分の法要となっています。 今年、初めて筆字を書いて「当たり」の景品を作ってみました。家内が持っていた二つ折りの立てかけれる小さな色紙に、 なむなむと 合わす掌(て)に咲く 蓮の華 と書いてみました。 けっこう、欲しいという方がおられて嬉しく思いました。 日蓮聖人のお手紙に、「苦は苦とひらき、楽は楽と悟りて、苦楽ともにあわせて、南無妙法蓮華経と唱え」なさい、という言葉があります。 昨今はイヤになることや、悲しいことばかりが続いています。 とくに、地震の被害は人間の生命を奪い、財産も生活の活力も奪ってしまいます。 日蓮宗では義援金を各お寺に募り被災者に送っています。心のケアも行なっていますが、どれだけの力になるのかを思うと、非力さを痛感します。 東京の葛西に妙覚寺の出張所があった時に、角地であったため、車が塀にぶつかってきたり、大型車が信号で止まるたびに家がゆれました。 一番、大きな出来事は突風で車庫の屋根が飛んだことです。 このときは葛西橋と平行して走る地下鉄が脱線しました。 それ以来、風恐怖症になりました。札幌に帰って今は大丈夫ですが、地震の被災者、スマトラの被災者は、私には想像もできないほどの恐れを持っていると思うのです。 体調を崩して思ったことは、健康でありたいということでした。 師匠が闘病生活をしていたとき、「お金も何もいらない。健康が一番」と言っていたことを思い出しました。 年を重ね、老年になるほど信仰に救いを求めるといいます。また、先祖のこと孫のことをゆっくり考えられる年齢になるからだと思います。 人に親切にし、人を憎まない寛容な心も養われてくるのでしょうか。そうありたいものです。 苦しいときも、悲しい時も、楽しい時も、変らずにいるのが賢人といいます。 節分の景品にそっと、その願いを書いてみました。 |
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