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釈尊は30歳から80歳まで、広い範囲にわたる各地で法を説いています。 老若男女、居住地や職種の違いは当然、考え方も異なることでしょう。それらの人に対して同じことを説くとは限りません。十人の子どもがいても性格や思考力、能力に違いがあるはずです。 事実、同じ仏弟子に対しても知恵第一のシャリホツと、自分の名前さえ覚えれないシュリハントクには、同じことを説いたとは思えません。同じことを教えるにも方法と時間に違いがあります。 実は、50年の説法はそういう環境のなかで大勢の人々に説いていたのです。このことは仏教を理解するうえで重要なことなのです。 さて、日光に華厳の滝がありますが、阿含、方等、般若も聞いたことがありませんか。この滝の名は釈尊の教えから引用されました。つまり、釈尊ご一代の教えを華厳、阿含、方等、般若の順にお経をまとめることができます。これまでが42年です。次に法華経を8年説きます。涅槃教は釈尊が入寂される一日一夜の遺言的な教えです。これを一代五時といいます。 この50年の説法の肝心要はなんでしょうか。現在、日本の仏教は旧仏教のほかに禅宗、浄土宗、真言宗、日蓮宗、そのほか数え切れないほどの宗派と教義があります。おなじ仏教を根源としてどうしてこんなにあるのでしょう。 それは、最初に申し上げましたように、釈尊は相手の能力に応じて時間をかけて教えられたからです。 では、このひとつこそが真実というものはないのでしょうか。 それは釈尊の教えの中に必ずあるはずです。その手がかりはあります。 『無量義経』のなかに 諸々の衆生を知るに、性質も欲も同じではない、ゆえに種々に法を説く、方便力に よって、四十余年にはいまだ真実をあらわさず。 ゆえに衆生の得道に差別があり、すみやかに無上菩提をうることができない。 (取意) ヒントになられたでしょうか。真実の教えは四十余年のなかにはない、それは次の教えを説くために必要な方便であったと、うけとめられないでしょうか。 それならば、真実の教えとは。 このあとに説かれたのは法華経です。 そうしますと、法華経を説くために42年の時間をかけて、じっくり教えられてきたと考えられます。さらに、同じ『無量義経』に、 無量の義は一法より生ず。 一つの法より無量の義を生ず。 と説かれています。この一つの法こそが釈尊の真実と言われる教えと思います。その教えとは? <これからも皆さんと考えていきたいと思っています> |
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