35.「昭和天皇」富田氏メモ

 日本経済新聞が、昭和天皇時代の宮内庁長官、富田氏のメモを入手した。
 几帳面に整理されているメモのなかに靖国神社A級戦犯合祀についての、昭和天皇のお考えが書かれていたのである。

 天皇は政治にかかわる発言をしてはいけない、というのが通念のようだ。
 神道と靖国神社と天皇のかかわりはどうなのであろう。

 さて、 昭和天皇は1975年11月いらい靖国神社には参拝していない。
 靖国神社にA級戦犯14人が合祀されたのは1978年10月。
 富田氏メモと呼ばれるものは、1988年4月28日付けである。
 昭和天皇は、このなかの数人と思われる戦犯者の合祀に不快感があったと受け取れる文言がある。そして、「それが、私の心だ」と言われておられる。
 天皇の本心とか、私語というのは公にされてはいけない風潮のなかで、戦争の当事者である昭和天皇のお言葉は、亡くなって18年になるが、新鮮に伝わってきた。象徴として飾られているかのごときご発言とは違う生きた声を聞いた思いである。

 日蓮聖人は天皇を尊重された方である。日本を神国として、国主は天皇という「神国の王」という見方もある。それは、天皇と生まれてくるには過去世に大きな徳を積んだからという思想を受けているからである。

 また、A級の戦犯者であっても成仏できると説くのが法華経であろう。
 ダイバダッタという悪人であるが、この者の成仏は、どのような悪人であっても懺悔し滅罪すれば成仏できると説くのである。

 この富田メモが靖国参拝問題に利用されてはいけない、控えてほしいという人もいる。首相は「それぞれの人の思いですから」と言った。小泉首相の言葉は、愛子さまの女帝問題にからんでしまう。一部の人が言うように天皇家を破壊するような意図はないのであろうが、紀子さまのご出産待ちの感である。

 今の天皇陛下と美智子皇后さまが、信号待ちをして散歩されている映像を拝見したとき、幸せそうだなあと思った。
 つくられたような笑顔、言わされているような言葉というのは恐れ多いことであるが、以前、皇太子さまが雅子さまを心配されたご発言は素直で、それこそ、古いが感動したのである。
 今年の春に靖国神社を参拝してきた。参拝者が次から次と来られていた。
 皇居の回りも歩いた。平穏な風景であった。
 長年住み慣れた東京の空気。眼と眼をあわすことのない地下鉄通路。
 富田氏メモを機に、新しい感動がほしいものである。