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日蓮聖人の言葉に、 死というものは、年をとって老人になってからばかりではなく、若くして死ぬこともある。 また、智慧があるとかないで、決まるものではない。 人の命というものは無常である。 だからこそ、まず、自分の死というものを見据えて、 人生を考えて生きていくべきである。 というような、意味の言葉がある。 正確には、「臨終のことを習いて、後に他事を習うべし」である。 頭のなかでは、そのとおりと思って理解しているようだが、ほとんど忘れてしまっている。面白いテレビ番組はないかと新聞をみたり、疲れたから横になっている自分がいる。 お腹が痛くなったり、歯が痛くなって、その原因を作った自分を反省する。 車のガソリンも早めに入れておけばいいのに、高速道路で冷や汗をかく。 臨終を考えた人生どころではない。 日本の社会は、生きていくことが苦痛になっていることもある。 長生きをすることにより、お金がかかったり、介護を必要とする身体になっている。 お金があれば、幸せというのも、老後が保証されると思うからであろう。 世界の今、、戦争で家族を失っている人がいる。 最愛の夫・妻・子供・母・父・友人を失って、崩れ泣く人たち。 日本も昔、特攻隊で死んだ人がたくさんいる。 死は無常である。 生きていくことも無常であるが、希望がある。 先祖を供養することもできるし、仏道を歩むことができる。 みなさんも、ご精進を。 |
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