36.「臨終のことを習いて」

 日蓮聖人の言葉に、
 死というものは、年をとって老人になってからばかりではなく、若くして死ぬこともある。
 また、智慧があるとかないで、決まるものではない。
 人の命というものは無常である。
 だからこそ、まず、自分の死というものを見据えて、
 人生を考えて生きていくべきである。
 というような、意味の言葉がある。
 正確には、「臨終のことを習いて、後に他事を習うべし」である。

 頭のなかでは、そのとおりと思って理解しているようだが、ほとんど忘れてしまっている。面白いテレビ番組はないかと新聞をみたり、疲れたから横になっている自分がいる。
 お腹が痛くなったり、歯が痛くなって、その原因を作った自分を反省する。
 車のガソリンも早めに入れておけばいいのに、高速道路で冷や汗をかく。
 臨終を考えた人生どころではない。

 日本の社会は、生きていくことが苦痛になっていることもある。
 長生きをすることにより、お金がかかったり、介護を必要とする身体になっている。
 お金があれば、幸せというのも、老後が保証されると思うからであろう。

 世界の今、、戦争で家族を失っている人がいる。
 最愛の夫・妻・子供・母・父・友人を失って、崩れ泣く人たち。
 日本も昔、特攻隊で死んだ人がたくさんいる。

 死は無常である。
 生きていくことも無常であるが、希望がある。
 先祖を供養することもできるし、仏道を歩むことができる。
 みなさんも、ご精進を。