38.仏の心にやさしさを

 札幌の焼肉店主が大家の婦人を殺害した事件は、全国に知れわたるほどの衝撃だった。
 とくに地元でも近隣に住んで一度や二度は足を運んでいる者にとっては恐ろしいことであった。
 狂牛病がさかんにマスコミに取り上げられ、私達は牛肉を敬遠した。
 そのため、廃業に追い込まれてしまった店が多く出た。
 そのなかでも、いままでガンバッテきていたと思っていたのだが。
 中学の娘が通う生徒のなかにも、この話がでたらしい。
 大人でも動揺するのであるから、子供はもっと社会不安をもっただろう。
 人間は、その状況により悪心を起こすことぐらいしか教えられない。
 その店主と何度も話しをしていただけに切ないし、自分を反省する。

 雪印の痛手がようやく収まってきたと思っていたときに、また、食品の不衛生さが露見した菓子店がある。
 関連した店舗が痛手をくう。
 クリスマスに儲けて、そのあとに公表するという社長は、何を大事にしているのだろうか。
 耐震疑惑のときも、設計者や建設に係わった人は、そのマンションには絶対住まないという。
 地震がきたら倒れるからだ。

 上に立っている人は、その下で働いている人の生活を保障しなければダメだ。
 消費者の立場を第一にしなければならない。

 あたりまえのことがインストールできていないのか。
 東南アジアの方で7,8歳で行方不明になった少女が、17,8年ぶりに発見された。
 自活してきたのかわからないが、過去に狼に育てられたという姉妹のように、人間としての尊厳を獲得できないのではないかと思う。

 人間は生まれながらに尊厳をもちたいが、そうとは言えないようだ。
 子供を育てる者、育てられる者。
 教育する者、される者。
 一部であっても殺戮の時代だ。
 これが仏教でいう末法。南無妙法蓮華経と唱えることから始めなくてはならないと思っている。
 人間は仏の心をもっているからだ。
 その心を開くのは南無妙法蓮華経という優しい心だと思う。