4.神仏はいるのか

 素朴な疑問
 ・神仏はいるのか?
 このような問題を提起するとオカルト的に受けとめられるかもしれません。しかし、霊魂はあるのか?と並んだ人類が永遠にもつ疑問ではないでしょうか。
 神仏について考えてみましょう。
 神も仏も、もともとは私たちと同じ人間だと思います。神社に祭られる神は記紀神話にでてくるその土地に住む国津神や現人之神と八百万の神。そして、菅原道真や加藤清正などの歴史に登場する人が神になっています。また、怨念を抱いて死んだ人の怨霊を鎮めるために建てられた神社もたくさんあります。
 元旦の初参りに神社に行く。お宮参りに行く。合格祈願に行く。神はいるのかいないのかは解らないけれどお守りは肌身離さずに持つ。これは、頭の中では神の存在は未定であっても、心身に感じる神は信じていることではないでしょうか。
 仏教における神は天部衆を中心にみることができます。仏教を守護する天神(諸天善神)、娑婆世界を守護する天神として登場します。
 たとえば、梵天、四天、帝釈天、日天、月天など。また、日蓮聖人の曼荼羅には八幡大菩薩、天照大神という日本の神もみられます。法華経を守護する鬼子母神も説かれています。
 心身の行いによって人間は神になり、そして、菩薩、仏になるものと思います。欲を離れることができれば貴方も神です。そして、他の人のために尽くすことができれば菩薩さまです。
 つまり、私たちも神・仏になれるということです。
 さて、神仏の存在ですが、肉体を持たなくても生命は永遠に存在すると考えたらどうでしょう。その神仏が私たちを守るという誓いを持っていたとしたらどうでしょう。
 仏教の守護神は、仏教を絶やさないため永遠に私たちを守ると誓われています。
 私の師匠はこう言いました。「神仏は常に私たちに話しかけておられる。ただ私たちの方がそれに気がつかない。」と。
 神仏の存在を証明していくのが僧侶の役目だと思います。
 神仏は修行を積み重ねてなるものです。その修行とは、自己の欲を離れて皆のために尽くすということだと思います。仏像の持ち物や印相はその誓願と積み重ねられた徳をあらわしています。
 神仏の根底にあるのは慈悲の心です。そして、神仏は常に私たちのまわりにいて見守っています。