41.日と月

 日とは太陽。月は十五夜などの姿を見せてくれる月のことです。
 大昔の人は日と月を崇めていました。遺跡の神殿に属する建造物はほとんどが、この日と月に関連した天体を中心に考えています。
 聖徳太子は毎朝、毎夜、この日と月に向かって手を合わせ感謝をしたといいます。
 昭和生まれの方も月夜の明かりで勉強をしたという方がいます。現在は月夜の光で本を読むという人はほとんどいないと思っていましたが、世界のなかでも未開の処では裸足で走り2日も3日も獲物がないときには食事ができない人がいることを知りました。
 日常が恵まれていることに慣れてしまい、他人のことは無関心であったと恥じてしまいます。また、太陽も月も毎日、あることが当たり前に思っていたことにも反省します。北海道の初春の雪は太陽の暖かさで融けます。ガスも電気も太陽には及びません。子供の頃は上砂川という炭鉱で育ち、夕方、遅くまで遊んでいた私は月の灯りで家に帰っていました。月夜が毎日あるわけではありません。雲に隠れて真っ暗になり恐ろしくなり、ほんの少しの灯りを頼りに走って帰ったことを思い出しました。
 沖縄に住む長寿の方が、お日様がでたら起きて、お日様が沈んだら寝ると言う話をしていました。人間は所詮、自然の動物であるから、自然のなかに共存するのが長寿の秘訣なのでしょう。先日、大雨で浄水場が泥水のため、しばらく断水した処がありました。水道菅に頼っている私達は手足をもがれたようになってしまいます。東京にいた時には夏場は取水制限があったので、なんとなく対処できますが北海道は積雪の融水があるので、冬場の水道管が破裂する経験はあっても夏場の断水には慣れていません。
 鳥インフルエンザにも悩まされ恐怖を感じました。細菌がばら撒かれているという噂もたちました。イラクの状況も悪くアメリカ兵も大勢の方が亡くなっています。世界は一国であることを認識させるための映画がたくさん作られていますが効果はどうなのでしょう。
 日はお経では「にち」と読み、月は「がつ」と読みます。呉音で発音するそうです。日光(にっこう)、月光(がっこう)菩薩がお経に説かれています。日月(にちがつ)の光明(こうみょう)は私達にはなくてはならない大切なものであります。それは朝と夜の明かりとなるだけだはなく、私達の心の闇を取り除く明かりであるとお経には説かれています。そして、私達も人の明かりとなるべく心がけることが大切と説かれています。私達も一人のためにでもひと時でも日月の明かりになれるよう心がけましょう。