43.職業の選択

 私は中学を卒業して理容学校に入りました。養母の妹弟が床屋をしているので、お前も床屋になったらいいということで決められたので、1年間理容店に住み込みをしながら通学し、卒業後、別の理容店で半年インターンをしましたが、才能がないのでやめました。はじめから気がすすまず、なによりも刃物が好きでないので顔そり(シェービング)もおそるおそるでした。
 自分の職業は自分で決めるのがよく、親が口を出すことではないですね。ただ、職業の大切さとそれを引き出す教育は親が子供のころから、していかなければならないと思っています。勉強の大切さや働くことの意義、友人との協調性と目上の人を敬うことなど、きりがなく親のすべきことがあります。
 床屋さんに住み込んで私にとっては大きな人生経験となりました。早生まれですので15歳の少年にとっては他人の家での生活は辛いものです。若干15歳で社会人みたいなものです。見習いとはいえ、職人の生活ですから「挟み一本の渡世人」の気質になろうとするものです。亀田兄弟が片意地張っている姿は子供であるが、自分も何もできないのに一人前に見せようとするところのせつなさは感じます。お客商売ですから謙虚さが必要ですね。腕がいいだけでは無理な世界です。若い時からコツコツとまじめに積み上げていくところに世間は認めて下さるからです。
 おばあさんでしたが、私に「辛いだろうけれど、腕に覚えたことは腕を切られない限り身についているものだから頑張りなさい」といった言葉は今でも残っています。シャンプーを子供にしていても上手だといわれ、マッサージも上手といわれ、カミソリも当時は日本刀という小型のカミソリがあったので、包丁などの砥ぎもでき重宝されました。
 なによりも「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」が言えるようにしてもらったのが財産だと思っています。
 住み込みの最初の朝7時に「ぼうず起きれ」と目覚まし時計が枕元に飛んできて、私の床屋人生が始まりましたが、本当に「ぼうず」になったと思っています。理容師にはなれませんでしたが働くことの厳しさを学びました。また、一人前になるために努力をすることを学ばせていただいたと思っています。無駄な人生はないと思います。