49.亡き人たちへの供養

 どのような職業にもそれぞれプロがいるように、この仏道においてもプロと言われるのは僧侶です。そのもっとも本職とするのが亡き人への供養です。在家の人が熱心に信仰しても限界があります。いくら器用な人でもマンションなどの大きな建物を造れないように、それだけの知識と修行の力が必要なのです。
 まず、亡き人の存在を知っているのは、どのくらいの人がいるでしょうか。供養の大切なことを知らないのは、この亡き人がすでに、この世に存在しないと思っているからです。昔から、「霊」というのは、この亡き人の心や魂をさしています。この魂というのは動物も人も神も菩薩も仏も持っています。神仏の存在はこの魂が私たちを守っているのです。この魂は凡人よりもはるかに勝れた修行の力を持っているから、私たちを守れるのです。

 霊は供養を受けることにより徳を持つことができます。この徳を持つことにより、心が救済されます。浄化された心が子孫を守る力となるのです。
 自分の存在は父親と母親がいたからです。子供の存在も自分が親となったからです。この親子の血のつながりを血縁というように、強い縁があります。これを因縁といいます。自分の両親やその親を先祖といいます。先祖を供養することは一番の孝養なのです。
 なによりも先祖を供養しなければ、私たちの幸福はないと思って供養することが大事です。霊の障りも先祖を供養することにより、解消されることが多いのは、先祖が私たちを守っているという、この理由によるからです。
 とくに、お盆は供養を受けることができなくなった無縁の霊に、施しをすることが功徳となるときです。私たち生きている者には無縁と思われても、血縁のある霊がいます。それを有縁といいます。有縁無縁の霊を供養することは、私たちの功徳となります。
 お墓参りをしてお供物やお線香を手向けただけでは供養にはなりません。自分の心に納得しても御経の力が届いていないからです。僧侶が唱える御経は霊に届きます。
お寺の法要こそが霊を供養する最大の功徳となります。霊は仏祖三宝の御前に集まり、そこで供物を受け取り、御経の功徳を受け取って、もとの世界に帰るのです。